今回取りあげるのは、2004年にデビュー作『ブレイン・ドラッグ』(原題:The Dark Fields)が日本で紹介されたアラン・グリンの四作め Bloodland(2012, Picador)です。
『ブレイン・ドラッグ』は、脳を活性化させるデザイナー・ドラッグに手を出したフリーライターの成功と転落を描いた、ダークと言えばダーク、「あはは、おバカ〜」と笑っていようと思えば笑っていられるサスペンスですが、その背景にあるのは合法・非合法を問わず進化しつづけるバイオ産業や、一瞬にして大金が右から左へと動く証券業界がからむリアルな社会情勢でした。
アラン・グリンさんって、けっこう社会派なんですね。
Bloodland はその色が濃く、コンゴ共和国における治安利権をめぐる謀略サスペンスと言えます。舞台も一カ国一都市におさまらず、イギリス、アイルランド、アメリカ、フランス、イタリア、コンゴとグローバルな広がりを見せています。
アイルランドに暮らすフリーのジャーナリスト、ジミー・ギルロイは出版社から依頼を受け、三年まえにヘリコプターの墜落事故で他界したお騒がせ女優、スージー・モナハンの伝記の執筆に取り組んでいた。そんなある日、亡き父親の友人であり大物PRコンサルタントのフィル・スウィーニーが現われ、執筆をやめるよう言う。出版社からの前払い金よりも多額の金を支払うから、とにかくやめろ、と。しかし、モナハンの伝記でジャーナリストとしての名をあげたいと考えていたジミーは聞く耳を持たず、頑として拒否する。
なぜフィルが伝記執筆のことを知っているのか、なぜ多額の金を提示してまでやめさせようとするのか。ジミーは不可解に思いながらも、伝記の完成を目指して取材と執筆を続行させるが、後日、ふたたびフィルから接触があり、こんどは「アイルランド元首相のラリー・ボルガーが自伝を書こうとしているが、文才には恵まれていないので力を貸してやってほしい。政界の裏話もたっぷり聞けるはずだ」という話を持ちかけられる。元首相、政界の裏話。このふたつにジミーの心はぐらりと揺れ、フィルの指示にしたがって、早々にボルガーに会いに行く。
ボルガーとの面会時、話の流れでモナハンの伝記に携わっていることを伝えたところ、酒がはいっていたボルガーから、「ヘリコプターの墜落は事故として処理されているが、事故ではない。そもそも死んだのはモナハンひとりじゃない」と聞かされる。
ボルガーは、フィルをはじめアメリカの上院議員や投資家など、政界、実業界の大物とともに、コンゴ共和国での治安利権をめぐる策略に一枚かんでいた。いっさい表沙汰にならないはずだったが、ジミーがモナハンのヘリコプター事故をさぐることで、策略はもちろんのこと、自身の汚職も公になるのではないかと戦々恐々としていた。精神は限界に近づき、酒に逃れることも一度ならずあった。そのため、ジミー相手にヘリコプターの一件について口を滑らしてしまったのだ。
意外な人物から意外な話を聞かされたジミーは、ヘリコプター墜落に関して、乗っていた者全員の素性を調べはじめる。モナハンとパイロットをのぞけば、全員が大企業の幹部であることはすぐに判明したが、墜落が事故ではなく陰謀だとすれば、何が理由で、誰が裏で糸を引いていたのか。しかし、一介のジャーナリストにとって、真相を探るには立ちはだかる壁はあまりにも大きかった。
本作の主人公はジミーという形をとっていますが、上記に名前を出した人たち以外にアメリカ大統領の座を狙う上院議員とその弟、セキュリティ会社や投資会社、不動産会社などのCEO、コンゴで治安活動にくわわっている工作員、コンゴ側の交渉人などが登場し、物語は三人称多視点で書かれています。そのさまはまるでモザイク。そこまでピースを多くしちゃって大丈夫ですか? と最初は思わなくもなかったのですが、完成した模様はおみごと。謀略のピースがあるべき場所におさまっている謀略作品でした。
謀略、謀略って、そういうのには手が伸びないのよね、と思う方もいらっしゃるでしょう。でも、まずは読んでみて。どれだけの地位にいようが、どれほど大それたことを画策していようが、しょせんは人間。経営している会社が破綻確実となり、妻にキレられて頭を抱えるCEO、取材で話を聞いたモナハンの姉に心を動かされるジミー、コンゴの交渉人に腰がひけそうになるCEOなど、登場人物の凡人めいた人間くささが垣間見える箇所も多々あり、地味ながらも本書の魅力のひとつになっています。
なかでも哀れなのは、アイルランドの元首相、ラリー・ボルガー。ある人物に仕事があるからと言われてロンドンに出向くのですが、指定されたホテルのロビーでひとりぽつねんと相手を待ちます。一国の長だった人がなぜ? 当然、本人もぼやきます。「どうしてわたしはこんなところでひとりでいるのだ? 引退したとはいえ、イギリスやアメリカだったら護衛のひとりでもつくだろうに」ごもっとも。その後も哀れはつづき、ボルガーは巻き返しならずの末路をたどります。嗚呼。
本作は、2011年に Irish Book Awards の Irish Crime Fiction Award を受賞しています。『ブレイン・ドラッグ』とはまた違った魅力を放つ本作が、日本で紹介されることを願ってやみません。
◇高橋知子(たかはし ともこ)翻訳者。訳書に『名探偵モンク モンク、消防署に行く』『名探偵モンク モンクと警官ストライキ』『本から引き出された本』など。 |