書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 伊調馨が三連覇を果たしたのを確認しながらこの項を書いています。オリンピック開催期間ということでついつい読書時間を観戦に奪われがちな今日この頃ですが、翻訳ミステリマニアは今月もいきますよ。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

吉野仁

『天使のゲーム』カルロス・ルイス・サフォン/木村裕美訳

集英社文庫

 大ベストセラー『風の影』を読み、気に入った方ならば必ずや大満足することだろう。主人公がたどる数奇な人生模様の面白さはもちろんのこと、今回もまた、小説、本、書店などにまつわるエピソードがことごとく胸に迫り、もう、たまりませんわ。

北上次郎

『鷲たちの盟約』アラン・グレン/佐々田雅子訳

新潮文庫

 1933年にマイアミでもしもルーズヴェルトが暗殺されていたら(実際には被弾せず、4期の長期政権を築いていくが)という歴史改変小説だが、主人公の設定も造形もよく、さらにたたみかける展開もスピード感十分で、たっぷりと読ませる。同版元から翻訳の出た『ユダヤ警官同盟』の作者マイケル・シェイボンに教えてあげたい。これがエンタメなのだと。

千街晶之

『the 500』マシュー・クワーク/田村義進訳

ハヤカワ・ミステリ

 アメリカの政治を影から動かすロビイストの世界を背景にした犯罪小説。どこまでが現実を反映していて、どこからが作者の空想なのかが気になる。ダーティーな世界に身を投じながらも真の悪党には魂を売り渡さない主人公のキャラクター造型が爽やかで、巨悪との戦いを描きつつも軽快な印象。

川出正樹

『ダークサイド』ベリンダ・バウアー/杉本葉子訳

小学館文庫

 英国南西部に広がる荒野の寒村で起きた全身マヒの老女殺し。話すことさえできない彼女をなぜ殺したのか? 州都から乗り込んできた田舎嫌いの警部に目の敵にされ、捜査から閉め出されてしまった地域でただ一人の巡査のもとに、「それでも警察か?」という挑発的なメッセージが届く。そして第二の殺人が。

 CWA賞ゴールドダガー賞を受賞したデビュー作『ブラックランズ』と同じスモールタウンを舞台にした、ひねりの利いたWhodunit & Whydunitだ。不条理な出来事によって人生を変えられてしまった人々の懊悩と葛藤を、随所に黒いユーモアを交えつつ冷徹に描いた独特の風味の犯罪小説。舌に残るよ、この後味は。

霜月蒼

『天使のゲーム』カルロス・ルイス・サフォン/木村裕美訳

集英社文庫

 ただ「面白い!」と唸ればそれでよいほどに、「物語」の原初的な快楽を味わわせてくれるのがサフォンだ。前作『風の影』には波乱万丈の物語を読んだ子供時代の昂揚をおぼえたが、本作は初めてポプラ社版のルパンを読んだときのダークな興奮をもたらしてくれた。暗く美しき愉悦はダリオ・アルジェント演出によるグラン・ギニョールの如し。「物語」を愛する者すべてにすすめるべき「物語の魔の物語」、密度は高いが読み心地は実に軽快だ。

酒井貞道

『鷲たちの盟約』アラン・グレン/佐々田雅子訳

新潮文庫

 SJ・ワトソン『わたしが眠りにつく前に』にも目移りしたが、「自由」が世界的に敗北しつつあるパラレル・ワールドを、一刑事の視点から描いた本書を選ぶ。刑事の誇りが人間の誇りとシンクロして、単なる死体の身元調査が、閉塞感の強い全体主義国家アメリカに個人が抗おうとする物語に転じていく過程には手に汗握る。ただし絶賛できるのは上巻まで。下巻では、主人公の家族に国家的問題が集中し過ぎているのが気になった。その意味では、トム・ロブ・スミスのソ連三部作が好きな人はマスト・バイなのである。

杉江松恋

『失脚/巫女の死』フリードリヒ・デュレンマット/増本浩子訳

光文社古典新訳文庫

 候補作はいろいろあって目移りしたのだけど、選ぶとすれば7月はこの一冊。デュレンマットの短篇集が出たのだもの、これを読まないと絶対に後悔しますよ。舞台裏の醜いものが見たくなくて、それが入りこんでくることを防ぐために体中の穴という穴を塞いでいる、という男が列車に乗ることから始まる「トンネル」で、間違いなく読者は心を鷲掴みにされるでしょう。この幕切れ、なに? 天才なの? 全四篇、どれも非常に高いレベルで楽しませてくれます。ちょっと前に出た『判事と死刑執行人』はハヤカワ・ミステリ『嫌疑』収録作の新訳版ですが、異常な迫力があってこれもお薦め。

 上下巻の大長篇に話題が集中した観がある一月でした。まあ、私は短篇集を贔屓しますがね! 八月にはあれやらこれやらの話題作が出るという噂で激戦必至。来月もどうぞお楽しみに。(杉)

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧