〈自然現象〉のような女の嘘、序文によると本書はその〈ささやかな文学研究〉だという。でも、本書は論文集ではない、ロシアの人気作家による連作短編集、小説だ。小説でどうやって研究するのかと思うかもしれないけれど、心配は無用。6つのモデルケースから、独自の視点で嘘を研究していく。

 たとえば、嘘というと失敗した時など瞬間的に口にする、その場限りのケースをイメージしがちだ。ところが本書によると、息の長い嘘というのも少なくはない。「ディアナ」の主人公、赤い髪の大柄な美女アイリーンや、「幸せなケース」に登場するスイスで働く出稼ぎロシア人娼婦たちの語る人生は、波乱と嘘に満ちている。パリ生まれのロシア貴族と運命の出会いを果たした、結婚式前日に金持ちでハンサムな音楽家の夫を殺された、スイスの資産家と結婚する予定である…などなど。このようなスケールの大きい嘘をつく理由が、彼女たちにはある。貧困や孤独、将来への不安といった、思うようにならない現実と過去への後悔。それを忘れたいという気持ちから彼女たちは人生を偽り、更新していく。だからこそ嘘は小説のように練り上げられ、本当の現実を忘れさせるほどの魅力を持つ。

 嘘をつく技術に年齢は関係ないらしい。「ユーラ兄さん」の10歳になる娘ナージャは、〈ちっとも本当らしくない〉けど〈とても愉快で独創的な〉法螺話を周囲に楽しげにまくしたてる。「筋書きの終わり」の13歳になる少女リャーリャは親戚の画家との恋愛を、迫真に迫る演技で赤裸々に告白する。子供たちのほほえましい嘘と思っていたら大間違い。大人顔負けの話の創造力と話術、そして思わぬ不穏な感情を隠し持っているのだから、油断がならない。

 嘘は自分の身を守るためにあるのかと思いきや、相手を傷つけてしまうこともある。「自然現象」で、若い娘マーシャは公園で自然を眺めて詩を口にする、ロシア文学の元教授アンナと出会い、その知性に心を魅かれる。二人は、アンナが詩人たちの詩を朗読し解説しながらマーシャに文学を教える、教師と生徒のような関係になる。しかしその親密な仲には、マーシャの心に傷を負わせる皮肉な嘘が潜んでいた。嘘にしても文学にしても、言葉だけで実体のない、何の役にも立たないものと思われがち。それが良くも悪くも人の心に大きな影響を与えている事実が、アンナの嘘によって浮き彫りになる。

 これらの事例から〈問題を全面的に解決しようとか、部分的であれ解決しようなどというつもりはない〉という本書。じゃあ何のために研究しているの?と言いたくもなるこの研究の目的とは、人間と嘘の距離感の測定にある。

 「生きる術」に登場するリーリャは、キリスト教に入れ込む、善良だけどちょっと困ったおばさんだ。あらゆる出来事が神のお導きによるものだと、飽きることなく話してくる。その聞き手となるのが、本書ですべての短編に登場するジェーニャという女性。宗教には興味のない現実家で、当然リーリャの話にはイライラさせられている。そんな彼女が仕事で出張に向かう途中、交通事故に遭い瀕死の重傷を負ってしまう。体を満足に動かすことも出来ず絶望するジェーニャ。ところが、リーリャの思い込みとしかいいようのない告白によってある感情が芽生え、生きる気力を取り戻していく。

 嘘をつくことは褒められた行いではない。でも人間はいくつになっても嘘をつきたくなるし、嘘がつらい現実の逃げ道になってくれることもある。そんな人間と嘘の持ちつ持たれつの関係が、時に嘘にうんざりし、時に嘘に救われるジェーニャの姿を通して描かれる。嘘も嘘をつく人間も、肯定はしないけれども否定もしない、その距離感がいい。

藤井 勉(ふじい つとむ)

 1983年東京都生まれ。会社員ライター。著書に『村上春樹を音楽で読み解く』(日本文芸社、共著) 。

 書評の魅力の一つに、作品をどう読んだか自分以外の人の考えを読めるという面白さがあります。読みの根拠は人によって様々、作品によっても変わっていくものですが、少しでも読みの面白さを伝えられる書評を書いていきたいと思います。

※本レビューは「書評を楽しむための専門サイト BOOKJAPAN」に掲載されたものを著作権者の許可を得て転載しました。同サイトも併せてご利用ください。

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