書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 季節は秋になったとはいえ、まだまだ暑い日が続きます。体調を崩しがちだと思いますので、みなさんお気をつけてくださいね。では、今月も七福神のお薦めを見てみましょう。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

千街晶之

『占領都市 TOKYO YEAR ZERO II』デイヴィッド・ピース/酒井武志訳

文藝春秋

 東京という街がこれほど禍々しく描かれたことがかつてあっただろうか。戦後日本を震撼させた大犯罪「帝銀事件」をめぐる十二人による十二通りの語りが、テキストから致死量の狂気と呪詛を溢れさせてゆく。この黒魔術の教典めいた作品世界を全く受けつけない読者は多いだろうが、邪眼に魅入られたように本作に魂を奪われてしまう読者もきっと存在するに違いない。

川出正樹

『占領都市 TOKYO YEAR ZERO II』デイヴィッド・ピース/酒井武志訳

文藝春秋

 占領軍がもたらした強烈な白光の下で、闇へと追いやられ埋み火の如く燻り続けた情念が、暗く重く執拗につぶやく、おれを思い出せと。ヒエロニムス・ボッシュの三連祭壇画にも似た《東京三部作》の第二弾は、「帝銀事件」に憑かれ/呪われた生者と死者の語りで彫刻された狂気の十二芒星(ドデカグラム)だ。その中心にある底知れぬ孤独と絶望に、『太陽黒点』を頂点とする山田風太郎の傑作群を彷彿としたよ。読め、そして震えろ!

霜月蒼

『占領都市 TOKYO YEAR ZERO II』デイヴィッド・ピース/酒井武志訳

文藝春秋

 V・ソローキン『青い脂』、H・C・モヤ『無分別』、そして『占領都市』——クライム・フィクションと現代文学の境界を言葉と幻視で越境する作品に mindfuck された夏。いずれも人間の残虐と狂気の疫病じみた感染力を歴史を通じて描き、また「言葉」を「文字」に還元して、そのヴィジュアルの力で読む者の脳内を侵犯する。ミステリたる『占領都市』を代表として挙げるが、甲乙はつけがたいから全部読むべし。3作に宿るのは世界と人間の後ろ暗い半身の蠢動であり、これらがもたらすのは決して日常では得られない/得るべきでない罪深い精神トリップなのである。なに、「癒し」? 「あたたかな心のふれあい」? 「絆」? そういうのは読むんじゃなくて日常で実践しあうものなんじゃないの?

酒井貞道

『毒の目覚め』S・J・ボルトン/法村里絵訳

創元推理文庫

 八月に一番夢中になって読めたのはコレ。毒蛇が大量発生したイギリスの田舎村を舞台に、偏屈な若き女性獣医クララが、毒蛇にまつわる怪事件を調べ回るのだが、とにかくストーリーテリングがうまい。田舎のスモール・コミュニティぶりを活用して人物面/現象面双方で焦点を絞りつつ、毒蛇による不気味な恐怖感と緊迫感を盛り立てる。おまけに、ヒロインのコンプレックスにも踏み込んで、ロマンス成分と混ぜることで読者をやきもき(またはキュンキュン)させる。主人公が容疑者になってしまうという定番の展開も功を奏し、ぐいぐい読まされてしまうのである。

吉野仁

『鷲たちの盟約』アラン・グレン/佐々田雅子訳

新潮文庫

 史実とは異なった世界を描いた歴史改変ものだが、今月の、というより今年の収穫にあげたい謀略活劇大作。そのほか、まだ8月刊を読み切れてないなか、1929年のベルリンを舞台とした大河警察小説、フォルカー・クッチャー『濡れた魚』(創元推理文庫)は、主人公とその周囲のキャラクターがなかなか魅力的で今後の作品が楽しみだ。

北上次郎

『濡れた魚』フォルカー・クッチャー/酒寄進一訳

酒寄進一訳

「1929年からはじまって一話完結で一年ずつ物語が進行し、1936年に大団円を迎える予定」(訳者あとがき)の全8作シリーズの第1巻である。ベルリンを舞台にした警察小説だ。本作もなかなか快調なので、今後の展開にも期待できる。主人公がダメ男であるのも私好みだ。

杉江松恋

『フリント船長がまだいい人だったころ』ニック・ダイベック/田中文訳

ハヤカワ・ミステリ

 スティーブンソン『宝島』が幼き日の愛読書であったため、そのオマージュ作品だというだけでも泣けそうになってくる。舞台はとある漁師町だ。主人公カル・ボーリングズもやはり漁師の息子である。『宝島』のジム少年はリンゴ樽の中でうたたねをしていて海賊たちの密談を偶然聞いてしまった。それと同じような状況下に置かれてしまったカルが、なかば無理矢理のような形で少年期の終りと直面させられるのである。そこに愛を求めても与えてくれない母親とのエピソードが重なる。犯罪小説であり、胸が痛くなるような青春小説でもある。そう、こういう小説が読みたかったの。

 デイヴィッド・ピース強し。9月には傑作の刊行が目白押しだと聞いています。体力と財力を温存しておかなければ。では、また来月お会いしましょう。(杉)

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧