知恵を使い、勇気を振り絞って、十二歳の少年は獄中の殺人犯に手紙を送る。家族の幸せを取り戻したい、ただそれだけのために。

 突然ですが、あなたは“家族”という単語に何をイメージしますか? 愛すべき関係? 信頼すべき関係? それとも、戸籍に縛られただけの油断ならない他人同士の関係?

“家族”は決して美しいだけのものでも常に慈愛に満ちているわけでもありません。ドラマチックな家庭崩壊なんてなくとも、ほんのちょっとしたことで家族のもろさは顔を出してしまいます。例えば晩御飯を食べている最中に家族の誰かが機嫌を損ねてしまう。凍りついた空気に耐えられず、時が早くすぎればいいのにと願ったり、さっさと席を立って退散を決め込んだり、機嫌をとるためにピエロ役を買って出たりした経験がある人は、多いのではないでしょうか。

 ベリンダ・バウアー『ブラックランズ』(杉本葉子訳、小学館文庫)の主人公スティーヴンもまた、「家族の悩み」に直面している十二歳の少年です。

ただしその悩みは、片づけを手伝っていい子になる、面白い顔をしてご機嫌をとる、などのちょっとやそっとの努力では解決しません。何しろ彼がこの世に生まれる六年前から、すでに家族は壊れてしまっているのですから。

(あらすじ)十九年前、イギリス南西部で連続児童暴行殺害事件が起きた。犯人は逮捕されたが、当時十一歳だったビリーは発見されていなかった。心を閉ざした母のグロリアは窓辺に座って息子の帰りを待ち続け、ビリーの姉レティは弟を失ったと同時に母親から愛情を注がれなくなったことで、失望と鬱屈とした感情を抱えたまま大人になり、スティーヴンとデイヴィーを産んだ。家族は貧しく、いつだって暗く苛々して、空気が緊張していた。

長い時が経ってもなお事件を引きずり続ける祖母と母を何とか変えたいと願ったスティーヴンは、もしビリーの遺体だけでも見つけることができたら、事件に終止符が打たれ、祖母も母も呪縛から解かれて、今度こそ自分に関心を向けてくれるのではないかと考えた。そして少年はシャベルを手に、殺された他の子どもたちが埋められていたのと同じ、紫色のヒースの茂みが揺れる荒野を密かに掘り返し始めた。

 三年間、風が吹こうが氷雨が降ろうが粘り強く続けてきたが、警察さえ見つけられなかったものを、細腕の少年がいくら時を費やそうと見つかるはずもない。

失意を感じていたある日、スティーヴンはひょんなことで獄中の殺人犯に手紙を送り、埋めた場所を直接聞き出すことを思いつく。さて、検閲に引っかからないように、かつ殺人犯の興味を惹くように書くには、どんな手紙にしたらいいのか?

そうして十二歳の少年と殺人犯の危険な往復書簡がはじまった。もう二度と元には戻れないスイッチを押してしまい、転がり落ちるように事態が急転していくことなんて、思いもよらずに。

 スティーヴンと殺人鬼エイヴリーの往復書簡は暗号をちりばめた心理戦、ぞくりとするほど魅力的で、手に汗を握り、読み出したらやめられません!

 けれどもスティーヴンがどんなにがんばろうと、家族をはじめ登場人物たちは誰も彼がそんなことをしているとは夢にも思いません。スティーヴンは成績優秀でもなく、内気で地味で、どちらかというといじめられっこ、言いたいことがあっても色々考えすぎて結局何も言えなくなってしまうタイプで、勇敢な少年にはとても見えないからです。しかし彼は自分ひとりで闘うために図書館に通って知識を身につけ、ひたすら粘り強くひとつひとつ成し遂げて、着実に目的地に近づいていきます。

 しかし所詮は十二歳、失敗もすれば、周りの大人やいじめっ子たちに邪魔されることもある。自分のふがいなさに腹を立て、祖母や母の誤解に涙し、こんなことをやっても無駄なんじゃないかと絶望しかけることもあります。

彼は叔父ビリーの遺体を掘り起こしたいと思っているけれど、ビリー自身には何の愛着もありません。産まれた時にはすでに事件から六年も経過していて、今では年を追い抜いてしまった叔父のことなんてどうでもいいのです。それでも彼が危険を犯すのは、ひたすらに祖母と母のため、そして自分自身の幸せのため。

 この物語には、求めても与えられない愛情を求め、家族へ片思いし続けているスティーヴンの辛さが、切なさが満ちています。何度フラれても家族に想いを寄せて諦めないスティーヴンの想いと姿勢は「ひたむき」という言葉では足りないほど一途で、読者の心を揺さぶって離しません。

 こんなに主人公に入れ込んだ本は久しぶりでした。読みながら、痩せっぽちで引っ込み思案の少年が愛おしくなってしまい、迫り来る恐ろしい事態に、心配で心配で、お願いだから幸せになって、と心の中で叫びました。

『ブラックランズ』はスリラーとしても見事ですが、読者を惹きつけてやまないキモは緻密で豊かな人物描写です。スティーヴンだけではなく、威張りん坊の親友ルイス、偏屈の塊になって何もかもを疎んでいる祖母、スティーヴンに八つ当たりし、彼よりも愛嬌がある次男デイヴィーを愛してしまう母の気持ちが、手に取るようにわかります。残忍な殺人鬼エイヴリーまでも、愛着を持ってしまうくらいに深く描かれています。

 本作品は脚本家だったベリンダ・バウアーの処女小説で、2010年度のCWAゴールドダガー賞を受賞しました。二作目『ダークサイド』(杉本葉子訳)が同じく小学館文庫から2012年7月に刊行されています。

 ちなみに翌2011年のCWAゴールドダガー賞は、トム・フランクリンの『ねじれた文字、ねじれた路』(伏見威蕃訳、ハヤカワ・ポケット・ミステリ)が受賞しました。昨年日本でも話題になったこの『ねじねじ』も、瑞々しい少年時代を描いた素晴らしい作品だけれど、私個人としては『ブラックランズ』を推します。それは大人のためのビターな回想録ではなく、今生きている少年目線の構成が、一層胸に食い込んでくるからです。

 また子どもが家族の因縁に縛られる物語としては傑作『音もなく少女は』(田口俊樹訳、文春文庫)がありますが、『ブラックランズ』と読み比べて毛色の違いを愉しむのもオススメです。

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 そんなわけで胸を射抜かれてしまった私、猫谷書店ですが、ただいま勤務先の書店で『ブラックランズ』を大きく平積み展開中です。売上は18日間で32冊! 上々の滑り出しです。去年『死刑囚』(A・ルースルンド&B・ヘルストレム、ヘレンハルメ美穂訳、RHブックスプラス)を売った店と違うので、今後記録に達するかはまだわかりませんが、「面白そう!」と言って本を手に取ってくださる方々を見ると、胸がわくわくします(興味を持ってくださった書店スタッフさんがいらしたら、ぜひぜひ)。

 願わくば、ひとりでも多くの方にこの本を読んでもらえますように。

“家族”という関係は決して清らかでも安易に信じられるものでもありません。たとえよき親であろう、よき子どもであろうと努力しても、うまくいかないことがあります。『ブラックランズ』はそれを強く示しつつも、「それでもなお」と心がひりひりするほどの願いを静かに叫んでいるのです。

 あなたが一度でも家族の悩みを抱えたことがあるなら、この本を読んでみて下さい。

 それから、ぜひ思春期の少年少女に読んでもらいたいです。漢字にルビを振って児童書としても刊行してほしい! きっと彼らの柔らかな心にとって、ずっと隣に居続けてくれる作品になると思うから。

『ブラックランズ』は夢中で頁を繰り、寝るのも忘れて没頭した読者の期待を裏切らない。骨太で、途方もなく強い物語です。

 最後に、訳者の杉本葉子さんがお書きになったあとがきを引用させていただこうと思います。

「何度も傷つき、絶望しながら、それでも家族を愛することをやめず、家族の形を取り戻そうと孤軍奮闘した少年。暗い冬が終わり、美しい季節を迎える頃、彼の希望は果たしてどこに行き着くのか。見届けていただければ幸いです」

 どうか、あなたも見届けてください。

猫谷書店(ねこやしょてん)

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翻訳ミステリ好き書店員です。最近アントニー・マン『フランクを始末するには』(玉木亨訳 創元推理文庫)がじわじわきていて、「マイロとおれ」の口調がマイブームです。「ネコ!」(期待をこめて見まわす感じで)。

◆『死刑囚』売上100冊できるかなっ(執筆者・猫谷書店)

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