アン・ペリーのモンク・シリーズ、今回は7作目の《Weighed in the Balance》(1996)です。タイトルは、旧約聖書のダニエル書第5章にある一節” weighed in the balance and found wanting(測ってみたら足りないことがわかった)”から来ているものと思われます。「なにがどう足りないからこのタイトルなのか」を説明してしまうとネタバレになりますので、ご自身で原書にトライしてみるか、訳書を出して!!!という熱いメールを出版社まで、なにとぞよろしくお願いいたしますね!

ラスボーンは法廷弁護士として頂点を極め、その働きを女王にも認められ、いまや「サー・オリヴァー」と呼ばれる身。顧客には首相をはじめ、国内外の名士が名を連ねます。そんな彼に弁護を依頼してきたのが、フェルツブルグ公国(架空の国です)の女伯爵ゾラ・ロストヴァ。

フェルツブルグ公国はドイツ語圏に位置する小さな国で、先ごろ同国の「元」皇太子、プリンス・フリードリヒがイギリスの友人宅で客死したばかりでした。遠乗り中に落馬し、内臓を傷めて亡くなったというのが世間の認識でしたが、ゾラはフリードリヒの妻、プリンセス・ジゼラによる殺人だと公の場で発言し、ジゼラに名誉棄損で訴えられてしまいます。

フリードリヒは人望も厚く、国民からも慕われていたのですが、未来の皇太子妃と目されていた女男爵ブリギッテ・フォン・アルスバッハではなく、庶民の出であるジゼラ・ベレンツを妻に迎えます。その代償として王位継承権を放棄し、祖国を追われ、12年間の長きに渡って国外での生活を強いられていました。とはいえ、いわゆる「王冠を賭けた恋」の主人公として、夫妻は人々の憧れの対象となり、とりわけジゼラはその魅力で、どこにあっても歓待されました。ふたりの仲睦まじさは、ヨーロッパにいるすべての人の知るところだったのです。

一方ゾラは、奇抜な言動の変わり者として有名な上に、フリードリヒを取りあってジゼラに負けた過去がありました。今回の問題発言も、ゾラ自身の確信以外にはよりどころがないとあって、世間はジゼラに肩入れします。モンクの捜査により、庭のイチイの毒を使った殺人の可能性があることはわかったものの、ジゼラは看病のために夫の部屋から一歩も出なかったことが判明します。

ジゼラが犯人でなければ、だれが毒を盛ったのか? 1848年のドイツ3月革命ののち、不安定な政情を反映して、フェルツブルグ公国は、独立か大ドイツへの併合かの決断を迫られていました。高齢の現国王の健康問題もあり、現皇太子ウォルドをリーダーとする併合派と、独立維持派とに、国内の政治勢力が二分します。独立派はフリードリヒを帰国させ、皇太子に復位させようとしますが、それには条件がありました。フリードリヒの母、事実上の最高権力者であるウルリケ王妃がかたくなにジゼラを拒むので、彼女と別れることが必要だったのです。併合派によるフリードリヒ暗殺と同時に、独立派によるジゼラ暗殺計画の存在も疑われる状況下で、捜査は混迷します。

しかし、ウルリケ王妃がジゼラを受け入れようとしないのには、やはりそれ相応の理由がありました。そこを突破口にして、真実が少しずつ見えはじめてきます。殺人か病死か、殺人なら犯人はだれか、使われた毒は、殺人の理由は——本作でもいつもどおり、諦めがちになる男ふたりを叱咤激励し、女性ならではの視点と冷静な判断力、薬草・毒草の知識をフルに生かして、ヘスターが大活躍します。

本作ではラスボーンが、ゾラの弁護を引き受けたがために、名声を失いかけてしまいます。そうはさせまいと、ゾラの告発の裏付けに奔走するのがモンクとヘスターなのですが、モンクはあろうことか、ベニス(フリードリヒたちが長く居を構えていた場所で、モンクは捜査の一環として当地に赴く)で貴族の人妻と戯れの恋に興じます。前作でも女性で大失敗しているのに、懲りない男・・・・・・。かたやヘスターは、足の不自由な青年貴族ロバート・オレンハイムの看護に携わります。こちらのサイドストーリーは心を打つ内容で、4作目の《A Sudden, Fearful Death》で辛い目にあったヴィクトリア・スタンホープが、その経験を人間的成長の糧にして、ロバートの支えとなっていきます。

ところで、イチイの木には毒があるのですね。イギリスのお屋敷の庭には必ずある木らしく、幼いころから「毒があるんだよ」と教わるのだそうです。イチイの学名が英語のtoxin(毒)の語源になっているとは、知りませんでした。本作ではこのイチイを始め、植物(ハーブ)の効用と有毒性がしばしば取り上げられ、アロマテラピー好きの当方のツボを押しまくり。また、ロバートの慰めとなるようにと、ヴィクトリアが枕辺に本を持ってくるのですが、エドワード・リアの『ナンセンスの絵本』、アリストパネス『女の平和』、トマス・マロリーの『アーサー王の死』など、ヴィクトリア朝に人気を博した本が登場するので、このあたりもワクワクしてしまうところ(ちなみにオーブリー・ビアズリーも『女の平和』『アーサー王の死』に挿絵を描いています)。設定はウィンザー公とシンプソン夫人のエピソードを思い起こさせますし、個人的には実に楽しめた一冊でした。

遠藤裕子(えんどうゆうこ)出版翻訳者。建築、美術、インテリア、料理、ハワイ音楽まわりの翻訳を手がける。ヨーロッパ19世紀末の文学と芸術、とくに英国ヴィクトリア朝の作品が大好物。趣味はウクレレとスラック・キー・ギター。縁あってただいま文芸翻訳修行中。

【速報!】モンク・シリーズ第3作邦訳刊行決定!

 遠藤裕子さんによるアン・ペリーの原書レビューもすでに5回目! 毎回愛のこもったすてきなレビューを書いていただきましたウィリアム・モンク・シリーズですが、3作目の Defend and Betray2013年1月に創元推理文庫で刊行することになりました! シリーズ作品ですが、既刊を未読でも読書の楽しみを妨げられることはありません。遠藤さんのレビューを読んで気になっていた方は、ぜひお手にとっていただけるとうれしいです。(東京創元社・S)

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