書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 遅くなりましたが、新年あけましておめでとうございます。

 書評七福神の二人、翻訳ミステリーばかり読んでいる翻訳マン1号こと川出正樹と翻訳マン2号・杉江松恋がその月に読んだ中から三冊ずつをお薦めする動画配信「翻訳メ~ン」はご覧いただけているでしょうか。現在、二人の選んだ2019年度の翻訳ミステリー・ベスト10が公開中です。本放送がちょっと中断しているのだけど、間もなく再開予定です。この連載と併せてお楽しみくださいませ。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

千街晶之

『55』ジェイムズ・デラーギー//田畑あや子訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 最近の翻訳ミステリは登場人物が多すぎて憶えにくい……とお嘆きの方にお薦めしたい一冊だ。なにしろ、登場人物表に名前がある人物のうち、容疑者候補は二人だけ。そのどちらかが犯人なのは確実である。ならば犯人を簡単に当てられるのか……といえば、そうは行かない。二人の容疑者はいずれも自分は被害者で相手こそが大勢の人間を手に掛けた殺人鬼だと言い張り、しかも二人ともあからさまに挙動が怪しいのだ。警察側が一枚岩ではないせいもあって捜査は迷走。容疑者二人の言動に翻弄されながら読み進めると、読者は賛否両論必至のとんでもない結末へと到達する。とにかく、忘れ難い作品であることは確かだ。

 

川出正樹

『雲』エリック・マコーマック/柴田元幸訳

東京創元社

 古びた書物にまつわる謎を探索する中で主人公が自分自身の数奇な人生を振り返り、親しい人々や一族、そして自身に纏わる秘められた事実を知ることになる。そんな〈物語〉と〈人生〉が渾然一体となったミステリアスで幻想的かつ猟奇的な二冊の小説を堪能した年の瀬だった。

 一冊はエリカ・スワイラー『魔法のサーカスと奇跡の本』、もう一冊はエリック・マコーマック『雲』だ。語り手の人生を大きく変えることになる運命の書――前者は十八世紀末から十九世紀初頭に書けて綴られたサーカス団の日誌、後者は十九世紀に製本された異常気象現象に関する『黒曜石雲』という報告書――との巡り会いで幕を開ける波瀾に富んだ二つの物語は、どちらも所謂狭義のミステリではない。けれども不穏な空気とサスペンスが覆う中にもユーモアと明るさが垣間見える謎と冒険の物語を、ぜひミステリ・ファンにも味わって欲しい。

 出来れば今月は二冊押しにしたいのだけれどルールはルールだ。悩みに悩んだ末、エリック・マコーマック『雲』にします。詳細は語りません。スコットランドの寒村から中南米、そしてカナダへと舞台を移し、現在と過去を往還して遁走曲のように幻想曲のように語られる物語をじっくりと味わってみて下さい。

 

吉野仁

『砂男』ラーシュ・ケプレル/瑞木さやこ・鍋倉僚介訳

扶桑社ミステリー

 閉鎖病棟に収用された史上最狂のシリアルキラーと誘拐事件をめぐるサスペンス。なんの予備知識もなく、なんだ『羊沈』の二番煎じかと思いつつ読み進めていたら、ある場面から一気に加速した。大胆な趣向、意外な仕掛けに外連味のあるアクションと娯楽性を凝らしたつくりに圧倒された。読み終えて気がついたのだが帯の紹介や表4のあらすじは内容をばらしすぎなので注意。そのほかジェイムズ・デラーギー『55』は、出だしがすごい。ふたりの男が相次いで「自分はシリアルキラーから逃げてきた被害者だ」と訴え、片方の男こそ殺人鬼だと主張する。全体に荒っぽいが、この新奇な挑戦を買いたい。ラグナル・ヨナソン『闇という名の娘』もしみじみと読まされただけではなく、その展開に驚かされた。三部作ゆえ残り二作が愉しみ。そして、巻末解説を書かせてもらったエリオット・チェイズ『天使は黒い翼をもつ』は50年代ペイパーバックオリジナルによるクライム・ノヴェルの名品で、その手の小説、ケイパーもの、黒い天使が墜ちる系を好む読者ならマストリードです。

 

北上次郎

『贖いのリミット』カリン・スローター/田辺千幸訳

ハーパーBOOKS

 ウィルの別居中の妻アンジーがついに登場する。これまでもちらりと出てはいたのだが、今回はアンジーの側から描かれるのだ。全編をアンジーの視点で埋めて欲しかったという気がしないではないが、この「悪女」が何を考えてきたのか、いま何を考えているのか、それが明らかになるだけでも十分だ。内容紹介はあえてしない。来月はいよいよ「開かれた瞳孔」の復刊だ。2020年もカリン・スローターなのである!

 

酒井貞道

『雲』エリック・マコーマック/柴田元幸訳

東京創元社

 これをミステリとして挙げていいかどうか少々迷ったのですが、謎めいた出来事があり、解き明かされる秘密があるのだから問題ないだろう、ということで『雲』で行きます。特に大袈裟な書きぶりではないのに、読んでいるだけでそくそくと胸に迫る文章が素晴らしい。ワクワクする物語が始まり、続くことを常に読者に確信させ続けるとともに、時折、ハッとするような表現に胸を突かれる。正直なところこれだけで十分なんですが、これに加えて、次々と予想できない展開が繰り出されており、ストーリーを追うだけでも楽しめる。この「予想できない」は、もちろんマコーマックだから「現実的にあり得る展開のみ出て来る」という軛から解放されているんですが、今回はマコーマック作品としては比較的「現実」に即しているので、幻想小説が嫌いな人(いるんでしょうか?)にとっても読みやすいと思います。
 で、広義のミステリと言える要素もふんだんに含まれています。それが何かを書くと展開を明かすことになるので言いません。いいからとりあえず読み始めてください。ミステリっぽい要素が帯やら訳者あとがきやら粗筋やらに明示されていないからと言って、これを読み逃すのは本当に勿体ないです。

 

霜月蒼

『贖いのリミット』カリン・スローター/田辺千幸訳

ハーパーBOOKS

 迷いなくこれを推す。「またスローターかよ」と言わないように。これはスローター作品中でも1、2を争う傑作だからである。スローターが容赦ない犯罪の描写を通じて書き続けているのは、「被害の痛み」であり、「女性に向けられる暴力」だった。本作ではそのテーマがギリギリまで研ぎ澄まされ、シリーズ初期傑作『砕かれた少女』を凌駕する。

 主人公の男性捜査官ウィルの妻で、恋愛関係を逆手にとってウィルを傷つけ支配してきた女性アンジーが、おそらく犯罪にまきこまれて重傷を負い、行方をくらます。大量の血痕とともに発見された元悪徳刑事は、アンジーに殺されたのか。この現場で何があったのか。血痕は誰のものか。そしてアンジーは生きているのか。

 愛と暴力と支配をめぐる幾つものエピソードが互いにからみあい、互いに傷つけあって、主要人物全員が心に傷を刻まれて血を流す。構成などに瑕がないとは言わない。その意味では『砕かれた少女』のほうが完成度は高いかもしれない。しかし、端正さを犠牲にしても描きたかったものが確かにここにはあり、その苦痛の脈動は読む者の心拍を同じ痛みで揺するだろう。スローターを読むのは痛みの経験である。

 

杉江松恋

『闇という名の娘』ラグナル・ヨナソン/吉田薫訳

小学館文庫

 今月はこれでいいな、と思っていた本が12月刊行どころか、まだ世に出ていないことに気づいて慌てている杉江松恋です。同じことを書いた記憶が先月もあるが、コピー&ペーストのミスではない。いくらなんでも12月には出るだろうと思っていたら、まだ本が出ていなかったのである。あの〆切はどれくらい早かったんだ、という愚痴はまあ、どうでもいい。1月分として紹介できればいいのだが。

 いろいろ迷ったのだが、12月の一推しはアイスランド・ミステリーのこの作品ということにした。ヨナソンは別のシリーズが三冊訳されているがこれは別物で、フルダ・ヘルマンスドッティルというベテランの女性警察官を主人公にした三部作の最初にあたる作品だ。三部作はおもしろい趣向になっており、彼女の人生をだんだん遡っていくのだという。

 本作でのフルダは、65歳での定年があと数ヶ月に迫っており、しかも年下の上司から早めに辞めて自分の部屋を後継者に渡すように命じられた状況にある。刑事の仕事以外、人生に生きがいのないフルダはそれを受け入れられず、せめてもの抵抗として未解決事件の再捜査を始める。ロシアからやってきた女性が不審死を遂げた事件だ。無能な同僚はそれを自殺として片付けたが、当時その女性は難民申請が間もなく通る予定であって、死ぬ理由などなかったのだ。フルダは事件の背景に犯罪の影があると睨む。海外から女性を連れてきて売春を強制する業者が絡んでいる可能性もあり、彼女は義憤に燃える。

 警察小説として十分におもしろい始まり方なのだが、中盤からこの小説は奇妙な方向にねじけていく。もう、絶対に予想不可能な方向に。それがどんなたぐいのものかは書けない。書けないがちょっとだけヒントを出すと、ヨナソンは主人公以外に複数の視点人物を登場させ、それらが合流したときに最大の効果を挙げる、といった形の驚きの演出を得意としている。『雪盲』を始めとするシリーズで披露済みなのだが、既刊よりもはるかにびっくりする、とだけ書いておく。今気づいたが、そう書いてもまったくヒントにはなっていなかった。まあいい。とにかくびっくりする。そして最大の驚きは終盤に訪れる。ネタばらしにならずにうまく喩える言葉を私は持っていない。溶暗、としか言いようがない。溶暗なのですよ。題名も『闇という名の娘』だし、そういうことにしておいてもらいたい。この終わり方にびっくりしない人は相当肝が太いと思う。とにかくあまり見ない終わり方をするのだ。三部作、全部読みたい気になるよね。

境界的な作品あり、シリーズものあり、北欧ミステリーありと、綺麗に分かれた月になりました。さて、年が改まって来月はどのような作品が出てきますことか。またお会いしましょう。(杉)

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧