いきなりこういうことから書き出すのはナンなのだが、「私設応援団・これを読め!」なのに力強く応援しているわけではないし、ジツハ「これは読まないで」などと思っていたりもする。もちろんそれは本書の出来が悪いとか面白くないとか、そういうことではなくただ単に「あまり他の人に読ませたり話をしたりしたくない」ということにすぎない。

 米国では「電子出版の」アマゾンさまのおかげもあってか、翻訳版が原著刊行国ドイツの倍も売れたとか、すでに四部作としてシリーズ化され刊行済みであるとか、そういったことが本書の「訳者あとがき」に書かれている。つまりは相当の人気があり「けっこーみーんな知ってて読んでる本」だったりするようで、「読んでほしくないなぁ」などという不埒にして意味不明の言説など一顧だに値しない。

 そんなことはわかっちゃいるのだ。なのになぜ、そんな莫迦なことを思ってしまったのか、以下はその言い訳である。

 時は1659年春。ドイツ国土がさんざん荒れた三十年戦争(1618〜1648)の後です。南部の街ショーンガウで、子どもが殺害されました。その遺体に記されたマークを見た村人連中は「こりゃあ魔女の仕業にちげえねえ」と産婆のマルタを捕らえます。子どもたちが彼女の家によく集まっていたという理由のみで。しかし、この街の処刑吏クィズル、その娘マクダレーナは彼女が犯人ではないと確信し、医者の息子でクィズル宅によく出入りしていたジーモンとともに犯人捜しを始めたのでした。いくら彼女の無実を信じていたとしてもクィズルは処刑吏です。自白を得るための拷問は「お仕事」なのでやらざるを得ません。そのままいけば処刑も彼がやることになってしまいます。で、マルタの無実を証明するために「探偵作業」が始まるのでありました(探偵なんて言葉は出てきませんが)。

 以上、「探偵発生」のための動機は必要十分です。加えて事件は子どもの「連続殺人」となり、さらに「時間制限」がそのサスペンスに拍車をかけます。絵に描いたようなミステリ。しかもちょっち古い(背景も含めて)。

 前半からきゃあきゃあ云いながら読みました。「おーし、いけいけ〜どんどん」とページをめくりながらです。処刑吏の話だから、残虐な拷問やら血肉飛び散る処刑のさまがじゃんすか描かれているかも、と本書に手を出すのを躊躇している「そーゆーのが得意でない方」も多々いらっしゃるでしょうが、その心配はご無用。本書の事実上の主人公である処刑吏クィズルによる、いかにも理性的な行動の数々がさらにページを進めさせるのでした。

 時代背景は、近世から近代へと向かうところですが、舞台となる街は中世を色濃く残し、さまざまな因習や伝承が厳然と息づいています。対して処刑吏クィズルの行動原理は合理的かつ近代的なもので、それらの葛藤も本書の読書を楽しくしている気がしました。

 さてと。

 翻訳書を読むとき、その登場人物の顔がなかなか「見えて」こないことがあります。頭の中にある顔のライブラリにガイジンさんが少ないからだと思います。もちろん海外ドラマや洋画等を見て築き上げた幾ばくかのものはあるので顔や身体はなんとかなるのですが、その声となるとお手上げです。だから、「知っている誰か」に当てはめて読むことがあります。今回は、その話全体の「古さ」やまるで作り物めいた設定(そんなことはないのですが)が、わたしを「深夜アニメ」へと導いたのでありました。

 はい、一般に「おたく向けの需要を見込んだアニメ」がそう呼ばれたりします。今期ちゃんと観ているのは3本くらいしかないので、わたしはけっしてアニオタではないのですが(……アニオタはみんなそう云う)、それでも数少ない知識の中からアニメ声優を選んでいました。主役級の3人だけですよぉ、さすがに。

 処刑吏クィズルの見かけは、アニメではなく大河ドラマでこないだ自害しちゃった源三位頼政(宇梶剛志)みたいなのを最初は思っていたのです。早々に変えました。クィズルは、現在2ndシーズン放送中『ヨルムンガンド』のレーム(CV:石塚運昇)で(「CV」はCharacter Voiceの略号。声優)。あまりに重厚すぎると、頭の中でしゃんしゃん動いてくれないので、レームぐらいがちょうどいいのでありました。傭兵あがりだし。

 娘マクダレーナと若い医師ジーモンは、今年放映されたアニメの白眉、『氷菓』に登場するメインではなくサブの方の二人、福部里志(CV:阪口大助)と伊原摩耶花(CV:茅野愛衣)で読み進めました。しかし、途中からなんとなくズレを感じたので、CV:小見川千明に変更。少々軽い声の方が「らしくある」ような気がしたから……というのは表向きでほんとはただ単に好きだからです。2010年放送『それでも町は廻っている』の嵐山歩鳥役のときを想定しました。

 ここまでくると、もはや『首斬り人の娘』はほとんど別の様相を持つものとなるのでありました。わたしの頭の中だけで。

 がんがん読みます。はらはらします。きゃあきゃあ言います。

 こういう書き方をするとまるで、「翻訳小説なんかより深夜アニメの方が面白い」と云ってるかのように聞こえるかもしれませんが、そんなことはないんですよ。彼らの声がさまざまなシーンで映像喚起力を向上させ、あまりよく知らない風物や景観がすこしだけ現実感を持って立ちあらわれてくるような気がするのです(気がするのです。気がするのです)。たとえそれが誤解であったとしても——です。また、読書時間がかかって仕方ないような気がするかもしれませんが、実際はそうでもありません。いちいち音読しているわけではありませんし。

 そういうものがあるのならの話だが、本来あるべきであろう読書姿勢とはかなりに離れた状態で、それでも楽しく読み終えた『首斬り人の娘』だった。自動車や新幹線や飛行機で、さまざまな移動中に寸暇を惜しんでページをめくる快感のうちにいた。ちょっと細長くて厚くてビニールのかかっった本を大昔の中学生の時のように読んでいた。

 がちがちの歴史ミステリと呼ぶには、多分に軽いのだろう。アクション活劇部分の描写ももっとオーヴァドライヴさせることができたんじゃないか、とも思う。なにより、タイトルロールたる娘が実は本書では、そう大活躍するわけではない。「シリーズ続巻を乞うご期待」というところか。

 いろいろとあるのだけれど、それでも極めて個人的体験として楽しい読書だった事実は厳然として動かしがたい。しかし、他の人にこのように「読んでみて」とは言いにくい。言えるわけがない。どーかしている、とわたしだって思う。だからこの読書体験を自分の中だけのものとして記憶したのだ。「これを読め!」と言えないのは、わたしがほんとうにこの『首斬り人の娘』を『首斬り人の娘』として読んだのかどうか、すでにしてそれがよくわからないからなのである。

 ふう。歴史ミステリとしての『首斬り人の娘』の魅力をほぼ語らずにすんだな。わはは。

 訳者・猪股和夫さんによる 「首斬り人の娘」フォトギャラリー という信じられないくらい素晴らしい写真ページがあるのでそれをご覧になると、この歴史ミステリをとんでもなく読んでみたくなるかもしれません。わたしは読後にこのページを見つけて、たまらずもう一度読み直しました。「おお、これが……」とか云いながら。

最上 直美(もがみ なおみ)

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 吟遊詩人。主にcssとhtmlで書く。帝国海軍の重巡洋艦と同じ名前。

 翻訳家・矢口 誠さん生誕の3日後に生まれた。

 weblogに映画と本などに関する彷徨雑文をたまにあげる。

 日刊とは名ばかりのweblog http://marianas.jugem.jp/

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