書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 二月の七福神です。ようやく暖かくなってきました。通勤通学の車内も心地よい眠りを誘う温度になってきたのではないでしょうか。春は誰でも眠いもの。そこではっと目を覚まさせる傑作ミステリーをご紹介します。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

北上次郎

『ライアンの代価』トム・クランシー/マーク・グリーニー/田村源二訳

新潮文庫

 いまさらどうしてクランシーなのだ、と言われるかもしれないが、しかし待て。これを読んでから言ってくれ。共著者があのグリーニーなのだ。『暗殺者グレイマン』を読んだ人なら、絶対に読みたくなる。そして期待は裏切られない。パリの市街戦、インドの高速道路における死闘、そしてロシアとパキスタンでの戦闘と、アクションの迫力が半端ないのだ。もちろんアクション担当はグリーニーだ。構成は甘いが(たぶんクランシーの担当だ)、緊密なアクションは物語に躍動感を与えている。これがグリーニーの教訓だ。クランシーの空疎な国際謀略小説が一変するから、すごいぞ。印税の7割はグリーニーにやってくれ。しかしこれ、クランシーの部分は邪魔だな、全編グリーニーで読みたいなと思うファンに朗報。3月末に第2作『暗殺者の正義』が出る。解説を書く関係ですでにゲラを読んだが、やっぱりグリーニーは天才だ。それまで待てない人は、この『ライアンの代価』を読んで我慢すること!

霜月蒼

『護りと裏切り』アン・ペリー/吉澤康子訳

創元推理文庫

 あえて暴論をぶちかます——これは冒険小説の傑作なのだと。冒険小説の核心が、死力を尽くして絶対的な危機を乗り越え、不屈の意志で強大な敵を倒すことにあるならば、本書後半を占める法廷闘争はまさにそれだ。銃弾の代わりに言葉、銃撃の代わりに弁論をもちいた戦い、不正を糺すための熱い闘争。開廷するや心は爆燃、あとは一気読みである。ダークな影をまとう熱血漢・清廉な若き紳士・まっすぐに立つ戦場帰りの看護婦、という主人公トリオはじめ、全キャラが見事に立った全方位OKな娯楽大作。先月すでに杉江松恋氏が挙げているが知るか(ていうか氏は1月29日発売のこれを校正刷りで読んでるのだからズルいんだよ)。これは傑作だからだ。

吉野仁

『遮断地区』ミネット・ウォルターズ/成川裕子訳

創元推理文庫

 荒廃した団地で起きた小児性愛者排除の大規模な暴動デモのゆくえとイカれた親子に監禁された女医の絶体絶命たる危機、そして失踪した少女を探す警察の捜査をめぐる三つ巴のサスペンス。まるで映像ドキュメンタリーを活字にしたごとき筆致により、「いま、ここ」で進行中の事件のような臨場感と凄まじい迫力が味わえる傑作だ。

川出正樹

『遮断地区』ミネット・ウォルターズ/成川裕子訳

創元推理文庫

 いや、本当に驚いた。まさかミネット・ウォルターズがこういう作品を書くとは思わなかった。

“暗くて、重くて、じっくりと”。そんな噂を耳にして彼女のミステリ敬遠してきた方へ。この『遮断地区』は違います。

 孤独な老人とシングル・マザーと父親のいない子供たちばかりが暮らす低所得者向け住宅団で、家族の安全を願って始めたはずのデモは、いつのまにか制御不能な暴力行為へと変容し悲惨な結末へと突き進む。一方、失踪した少女の行方を捜索するうちに、親の愛情に飢えた十歳の娘を中心とする歪んだ人間関係が浮き彫りになってくる。分刻みで刻々と変わる局面に目が釘付けとなり、五〇〇ページの大部を一気に通読、読み終えた瞬間に思わず深く息を吐いてしまった。ああ、ようやくこの閉塞空間から解放される、と。緊迫した警察捜査小説であると同時に、血と暴力と狂熱に彩られた、今年度一押しのサスペンスフルな犯罪小説を絶対の自信を持ってお薦めします。

千街晶之

『遮断地区』ミネット・ウォルターズ/成川裕子訳

創元推理文庫

 団地に小児性愛者が引っ越してきたという情報が流れたことから起きた抗議デモは、あっというまに大暴動へと発展してゆく。意図せずして暴動を引き起こしてしまう関係者たちのエゴや愚かさの辛辣な描写は流石ウォルターズだが、一方で、パニックの中でも失われない人間の知性や冷静さも夜空の星のように輝きを放ち、感動を誘う。並行して語られる女児失踪事件の捜査のくだりが、暴動の凄まじい臨場感の前で霞んでしまった感はあるものの、ウォルターズの新境地にして傑作であることは間違いない。

酒井貞道

『遮断地区』ミネット・ウォルターズ/成川裕子訳

創元推理文庫

 これは傑作だ。作品の近景には、小児性愛者や性格破綻者、崩壊した家庭などの問題が転がっているが、遠景には格差社会が厳然とそびえ立つ。キモはキャラクター造形の素晴らしさ。リアルな問題にリアルな人物をリアルに対峙させ、物語をテンポよく進めて読者を一気に引き込んでいく。個人的に興味深かったのは、2001年の作品なのに、本書で起きる騒乱が、直接の要因は異なる2011年のイギリス暴動を想起させることだ。個人は病んでいるかもしれないが、社会もまた病んでおり、解決の糸口すらつかめない。しかし絶望にはまだ早いと言わんばかりに、希望の光が差し込みもする。一筋縄では行かないドラマとテーマを扱う小説としては、ほぼ完璧な出来である。

杉江松恋

『とうもろこしの乙女、あるいは七つの悪夢』ジョイス・キャロル・オーツ/栩木玲子訳

河出書房新社

 今、定期的に主流文学の翻訳小説を紹介するイベントをやっているのだけど、ミステリーの興趣を備えた作品が挙げられてくることも多く、ジャンルとは地続きの場所に肥沃な土地がまだ残されているという事実を改めて思い知らされている。そのイベントで読ませてもらったのが、オーツの短篇集だ。わーい、オーツ大好き。表題作は、両親を含めた大人の世界を拒絶する少女が、仲間と語らって同じ学校に通う娘を誘拐し、「とうもろこしの乙女」と名付けて飼育し始めるというお話。オーツならではの異常性の描き方で、凡百のサイコスリラーなど足下にも及ばない迫力がある。このように読者に異物感や恐怖を味わわせる短篇が七つ。ミステリーファンなら絶対に読むべきだ。それ以外ではチェコスロバキアの作家ラジスラフ・フクスが1960年代に発表した『火葬人』がこれまたたいへんに気持ち悪い作品でおもしろかった。この小説の異常心理の描き方もまた出色です。

 ミネット・ウォルターズ強し。マーク・グリーニーの新作にも期待が膨らみますね。さて来月にはどんな作品をご紹介できるのでしょうか。次回をお楽しみに。(杉)

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧