■めくるめく推理活劇譚の傑作  (執筆者・深緑野分)

 さあさ、翻訳ミステリ愛好家の紳士淑女の皆様、ずずいっとこちらへ。今回の目玉作品は、アメリカミステリ界の女王、ヘレン・マクロイの長編ミステリでございますよ。

『家蝿とカナリア』『暗い鏡の中に』『幽霊の2/3』の復刊に続き、ついにマクロイの初邦訳作品が刊行です。ベイジル・ウィリングシリーズの第6作目にあたる『小鬼の市』が登場しました!

 黄色い土、青い空、そして汗ばむ熱帯夜……カリブ海の気候はスリルと冒険がよく似合う! とばかりに天才ヘレン・マクロイが紡いだ物語は、失われたスクープと暗号、そして陰謀と大きな驚きが待ち受ける、推理活劇譚の傑作でございました。

 舞台は1943年のカリブ海に浮かぶ島サンタ・テレサ共和国。太陽がぎらぎらと照りつけるこの国には、スペイン内戦時の人民戦線政府や反乱軍の他に、各地の動乱からあぶれた輩がうようよしており、きな臭い気配が充満していた。

 そんなサンタ・テレサに、フィリップ・スタークと名乗るアメリカ人の男がいた。ポケットにはドルに換金できないほど少額の小銭しか持っておらず、空腹に喘ぐ日々を過ごしている。無職の彼は、サンタ・テレサに支局を持つアメリカの新聞社オクシデンタル通信社の記者ハロランか、ライバル社のコーディネイテッド・プレス(CP)社の記者ミッチのどちらかに会おうとしていた。しかし偶然見かけた現地新聞に、昨夜ハロランが死んだという記事が載っていることを知るや、慌ててオクシデンタル社のニューヨーク本部に電報を打ち、まんまとハロランの後釜に就くことに成功する。

 こうして局長となったスタークだが、いざ事務所に入ってみると、事故死とされたハロランの死に不審な点があることに気づく。しかも彼は死の直前に大きなスクープを摑んでいたようなのだ。本部に命じられ調査を始めたスタークの前に、ライバル社ではあれどもハロランとは私的な付き合いがあったCP社の記者ミッチが現れる。彼女は、戦時中にも関わらず入隊を避け本国に帰ろうともしないスタークを胡散臭い男と見做したものの、自分もまた失われたスクープを探していると打ち明けた。

 しかし残された手がかりは、「fyi max」という謎の言葉で終わっているタイプライターに挟まったままの原稿、オフィスの隣にある閲覧室の床に垂れた蝋燭、「C」なる謎の人物の電話番号、そして「小鬼の市(ゴブリン・マーケット)に関係がある」と生前ハロランが漏らした言葉などの意味不明で断片的な情報ばかりだった。

 事故死は偽装でありハロランは殺されたのだと主張するミッチは、数々の謎めいた手がかりについて、アメリカの精神科医でありニューヨーク警察に協力しているベイジル・ウィリング博士に意見をもらおうと電報を打つ。しかし調査を始めた矢先、スタークが夜道で何者かに襲われてしまう。辛くも暴漢を返り討ちにした彼は、男の手首に三本線の傷があることに気づく。

 ハロランは殺されたのだと確信を抱いたスタークは警察署に赴き、ウリサール署長に再度調査するように依頼するが、これは事故死なのだと断られてしまう。なおも食い下がろうとする彼の目に、暴漢と同じ三本の線が刻まれた署長の手首が映った。

 ここまでのあらすじでも、まだ序盤。マクロイの筆はこのあと益々スピードに乗り、新たな登場人物を絡めつつ、壮大でサスペンスフルなストーリーを展開していきます。

 そして読み終わったあなたは、いやはや参りましたと唸ってしまうことでしょう。だってこれまで邦訳されたシリーズ作の、どれとも似ていないんですもの。

 たとえば『家蝿とカナリア』は演劇界に生きる人物たちの舞台上と舞台裏の人間関係を鮮やかに描き、『幽霊の2/3』はどの容疑者たちにとってもドル箱だったはずなのに殺されてしまったベストセラー作家にまつわる真相をひとつずつ解き明かし、『暗い鏡の中に』は「この世にいてはならぬもの」の存在をスパイスにホラー味たっぷりに書き上げられ、夜中にひとりで読んではいけない認定したくなるほど怖い話でした。

 そして今回の『小鬼の市』はというと、不敵で、しかしどこか魅きつけられる主人公フィリップ・スタークを中心に、アクションあり、暗号あり、推理合戦ありのめくるめく活劇に仕上がっています。こう書きますと、さぞかしアクセル踏みっぱなしなのでは……と思うかもしれませんが、ところがどっこいさすがはマクロイ、本作における彼女の緻密な計算ぶりと鮮やかな伏線回収の手際は、名作と謳われた『幽霊の2/3』に勝るとも劣らないのです。どうぞゆったりとソファにくつろぎ、お気に入りの飲み物を横に置いて、頁を開いてみてください。気がつくとあなたは戦時中のカリブ海にいることになり、手に汗を握りつつ、探偵気分で真相を突き止めていくことでしょう。

 これまでのベイジル・ウィリング・シリーズの邦訳された長編作品は、第1作『死の舞踏』と、第5作『家蝿とカナリア』、第8作『暗い鏡の中に』、第11作『幽霊の2/3』、第13作『割れたひづめ』、そして長編最終作にあたる第14作『読後焼却のこと』です。

 本作『小鬼の市』は1943年にアメリカで刊行されたシリーズ第6作で、『家蝿とカナリア』の次の物語にあたります。また第7作 The One That Got Away の後、1948年に、『小鬼の市』にも登場するウリサール署長を主人公に据えた『ひとりで歩く女』が刊行されました。

 そして大変喜ばしいことに、福井健太氏の『小鬼の市』解説によれば、シリーズ第7作 The One That Got Away が同じく創元推理文庫から刊行予定とのこと! ああ、なんという嬉しいニュースでしょうか! 

深緑野分(ふかみどり のわき)

20130305171553_m.gif

第七回ミステリーズ!新人賞(東京創元社)佳作を頂きましたぺえぺえの新人作家です。マイ・ベスト短編はこれまたヘレン・マクロイの「風のない場所」(『歌うダイヤモンド』(晶文社)収録)です。機会があったら是非読んでみてください!

■舌をまく華麗な演出  (執筆者 ストラングル・成田)

 近年、創元推理文庫でヘレン・マクロイ作品の新訳での復刊があいついだが、入手困難を極めた1950年代の円熟期の作『幽霊の2/3』『殺す者と殺される者』の二作のできばえには、目を瞠らされるものがあった。  

 前者は、すべての批評家にとっての意地悪な花束と評したいような知的なたくらみに満ちた作品。後者は、悪夢的なヴィジョンを提示する先鋭的なサスペンスであり、作者の幻視者としての資質までうかがわせるような一冊だった。

 こうした「批評性」と「幻視力」という一見相反するようなマクロイの資質は、こちらも長らく再刊が待望されていた傑作『暗い鏡の中に』で、神秘と謎解きの美しきマリアージュとして結実していたのだと、改めて思い知らされた。

 断続的に、長編や短編集が紹介されてきたとはいえ、マクロイの真価は、長いこと日本の読者からは、見えにくいものになっていたといってもいいだろう。

 『小鬼の市』は、初期のスクエアな本格ミステリから作風の転換を図ったとおぼしい長編。 

 舞台は、第二次大戦下の架空のカリブの島国サンタ・テレサ。

 オープニングがいい。

 アメリカ人の放浪者スタークに残されたものは、ポケットの硬貨三枚きり。運命の瀬戸際で、通信社の支局長が死亡し、うまくその後釜に納まりはしたものの、前任者の死因は謎めいている。調査を始めたスタークの前に、華麗なファッションに身を包んだライバル紙のクールビューティが現れ、死んだ支局長は特ダネを追っていたと告げる…。

 異国情緒あふれる島での危険な冒険を予感させて上々の滑り出しだが、マクロイファンにとっては、主人公が死亡した前任記者の立場を引き継ぐ点で、後年の作品に顕著な「身代わり」のモチーフも感じさせる冒頭だ。 

 島は、護送船団の主要補給基地であり、「世界中から後ろ暗い過去を持つ輩が集まってくる地」。ヒトラーとも親交があるスペイン人の海運会社役員など、怪しげな登場人物には、事欠かない。主人公は何者かの襲撃を受けながらも、遺された言葉「ゴブリン・マーケット」の秘密を追っていく。  

 陽光降り注ぐ南の島は、また、異教の風習や迷信が色濃く残り、戦争が暗い影を落としている島でもある。謎解きの伏線が丁寧に張られていることは他の作品と同様だが、大戦下のこの時代、この舞台と、緊密に結びついた謎とサスペンスを構築したのは、作者の手柄だろう。

作中では、二人の登場人物がファシズムに関するアメリカの二重基準を批判する。戦時下において自国の不遜さも見据える作家が、表題に込めた意味合いには現代にも通じる苦さがある。

 物語の中では、善悪不明の人物として進行するので、ここは伏せておきたいところだが、本の帯で華々しくうたわれているとあっては、やむを得ない。秀作『ひとりで歩く女』で活躍するウリサール署長の前日譚となっているのも、本書の見所。頭脳明晰ながら、政治体制と職務の矛盾にも悩む陰影に富んだ人物だ。マクロイのレギュラー探偵で、本作ではNYからの出馬を要請されるベイジル・ウィリング博士とは一体どう絡むのか。舌を巻く華麗な演出は、是非、現物でご確認あれ。

 知的な批評精神と幻視力を兼ね備え、自らの領域を拡張していった作家マクロイ。

 未訳の作品にどんな珠が隠れているのか、さらなる紹介を楽しみに待ちたい。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)

20130314093021_m.gif

 ミステリ読者。札幌市在住。

 ツイッターアカウントは @stranglenarita

初心者のためのヘレン・マクロイ入門(執筆者・深緑野分)

【随時更新】私設応援団・これを読め!【新刊書評】バックナンバー