これは悪夢なのだろうか?

 確かに、七つの悪夢、と題された短篇集ではあるのだが。

 たとえば表題作の「とうもろこしの乙女 ある愛の物語」では、十一歳の少女マリッサが姿を消す。クリニックで看護助手として働いている母親のリーアは午後八時少しまえに帰宅し、娘がいないことに気づく。リーアがまず感じるのは、子どもを失うことへの圧倒的な恐怖だ。次いで、世間から自分がどう見えるかを考える。父親になることから逃げだした男のせいで、ずっと働きながらひとりで娘を育て、名門私立に入学させた。だがシングルマザーというだけで、タブロイドにでも捕まればひどくこきおろされることだろう。いや、しかし娘はただ友だちの家で夕食をご馳走になっているだけなのでは? それとも、まさか家出? そういえば、五年生になったころから同級生に意地悪されていたっけ。こうした神経症的な感情の動きをじわじわ、じわじわと描くのはこの著者、オーツの得意とするところだ。リーアは手の震えを止めようと、愚かにもビールを飲んでしまう(事件の当日に飲酒の形跡があった、と後に新聞にすっぱ抜かれる)。それから警察に通報し、死ぬほどの恥ずかしさをなんども味わうことになる。何しろ〈九一一に電話すれば、あなたは丸裸〉である。警察にとっては母親も容疑者であり、捜査は何もかもを白日の下にさらす。刑事との不愉快なやりとりの末、リーアがこっそり会っていた“男友だち”のことまでも明るみに出る。こうしてリーアの日常生活は残らず壊されていく。

 それまでの日常を完全に破壊される人物はもうひとりいる。マリッサの学校の非常勤講師、“パソコン室の先生”である三十一歳のミカール・ザルマンだ。とある生徒の逆恨みと策略による偽の証拠、嘘の証言のせいで、マリッサ誘拐事件の参考人として警察に同行を求められる。自分は無実なのだから捜査に協力すればわかってもらえるはずだ、というザルマンのイノセントな思いこみは、じつは危険きわまりない(と、ザルマン本人が気づいたときにはもう遅い)。誘拐犯“かもしれない”、小児性愛者“かもしれない”という疑いをかけられた“だけ”で世間の眼は一変し、講師の職は失われる。

 さて、マリッサを誘拐した犯人は、右往左往する〈バカども〉を近くから見て嗤っている。結末はこの犯人のどこまでも不遜で身勝手な決断によってもたらされる。

 たとえば四つめの短篇「化石の兄弟」では、双子——〈悪魔のような兄〉と〈小さな弟〉——の一生が描かれる。兄は胎内にいるときから、ここにいるのは俺ひとりでいい、弟もろとも吸いこんでやれとばかりに貪欲に栄養を吸収し、4000gの健康体で生まれる。弟はたったの2500g、見るからに弱々しい様子で、こめかみには鉗子の跡が残っている。長じて兄エドガーは、なんでも一番、同性も異性も憧れるリーダーにしてアスリート、大人に対してもまったく物怖じしない少年になる(が、陰湿なやりかたで弟を虐げつづける)。一方、弟のエドワードは、そこそこ能力はあるものの、あまりにも体の不調が多く、兄に比べて格段に影が薄い(が、兄とのあいだに強烈なつながりを感じており、自分の存在を認めてほしいと願っている)。高校を出たころからべつべつの暮らしがはじまり、兄は政治の道へ、弟はアートの道へと進むが、連絡すら取りあわなくなっても毎年誕生日にだけは互いを思い浮かべずにはいられない。そしてやがて弟エドワードの強い思いこみのとおり、兄と弟は〈一人ではなく二人〉に戻る。

 弟を嫌悪する兄と、兄に執着する弟。よくある兄弟の話といえばそうかもしれない。だがオーツの手にかかると、体格もよく生気と活力にあふれているはずの兄エドガーよりも、病弱でしなびた体の内に意外な情念を持つ弟エドワードのほうが、不気味に大きく浮かびあがる。

 たとえば六つめの短篇「ヘルピング・ハンズ」では、裕福な寡婦のヘレーネ・ハイトが、退役傷病軍人のための中古用品店〈ヘルピング・ハンズ〉で、従業員のニコラスと出会う。ヘレーネが亡き夫の古着を持ちこんだとき、カウンターの向こうでエウリピデスの『悲劇全集』をめくっていた無精髭の男がニコラスだった。ニコラス自身も障害を負った退役軍人のようで、一方の足をかばいながら歩いてくる。このニコラスに、ヘレーネは一方的に想いを寄せる。店に再度ブランドものの衣類を持ちこみ、〈あなたが着てもいいんじゃないかしら〉といってジャケットを着せてみる。店じまいのあと、自分の車でニコラスを家まで送る。ホテルのダイニングルームでの食事に誘う。ニコラスの学生時代や従軍時の話を聞き、彼が〈人生をもう一度取り戻すために〉手助けしたいと思う。運転手として雇おうか、家事を手伝ってもらおうか、お給料はたっぷり払わなきゃ……。ニコラスの言動から垣間見える悪意や嘲りは敢えてやり過ごす。やがてニコラスは牙をむく。しかしその瞬間、ヘレーネの盲目的な善意や愛情が単純な悪意よりもたちの悪い傲慢な押しつけに見えてくる。

 これは、ほんとうに悪夢なのか?

 作中の出来事は少々極端であるにせよ、そこに巻きこまれる個々の人物のニューロティックに閉じたありようは夢じゃなく、限りなく現実に近いのではないか? という思いがちらと頭をよぎったとき、あなたはすでにオーツの術中に絡めとられている。

高山 真由美(たかやま まゆみ)

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東京生まれ、千葉県在住。訳書に、ジェラルディン・ブルックス『マーチ家の父——もうひとつの若草物語』『灰色の季節をこえて』、アッティカ・ロック『黒き水のうねり』、ヨリス・ライエンダイク『こうして世界は誤解する』(共訳)など。シンジケート後援千葉読書会の世話人をしています。ツイッターアカウント @mayu_tak

 

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