嬉しいことに、ミステリ史上の重要な短編集をクイーンが選定した「クイーンの定員」短編集の翻訳が相次いでいる。今回は、論創海外ミステリから続けて刊行された二冊を紹介する。

 長きにわたって予告されファンをヤキモキさせた、エドマンド・クリスピン『列車に御用心』(1953)は、待たされた甲斐があったといえる名短編集だ。作者の長編でおなじみのジャーヴァス・フェン英語英文学教授を探偵役とした14編と非フェン物2編を収録。

 いずれも巧緻なパズラーだが、そのほとんどが邦訳にして20頁に満たない短編だ。

 作者は、「はじめに」で、収録作すべてにおいて、「当節ますます軽んじられている原則、つまり読者に対してフェアプレイであることを体現している」と、勇ましく宣言している。 

 その言葉のとおり、必要な手がかりは、各編とも巧妙に仕込まれているのだが、単純なパズルになっている作品は一編もない。多くは、解かれるべき謎がいったいどういう類いのものなのか、話の半ばまで容易に核心をつかませない。人間消失や密室の謎、アリバイ崩し、毒殺手法という典型的な謎であっても、その謎の提示には、一工夫も二工夫も施されている。

 加えて、フェンと友人の警部などのくつろいだ会話の中で進行する謎解き譚には、夜話や炉辺談話のような「物語」としての魅力がある。常に勝利者であるはずのフェン教授は、物語の結末では、ときに冷徹な断罪人であり、ときに法の無力に腹を立て、ときに運命の皮肉な観察人となる。リアリスティックに書き込まれた小説よりも、お伽噺や民話の登場人物の激情や悲嘆の方が胸に響いてくることがあるものだが、これらの短い物語の幕切れでフェンの見せる様々な感情は登場人物のドラマと交錯し、物語に静かな余韻をもたらしている。

 最後の「デッドロック」は、他に比べて長めの短編だが、少年の日の回想を通して描かれる事件の顛末は、意外な真相と相まって、失われたものへの挽歌になっており、クリスピンの知られざる側面を示す作として強い印象を残す。

 作者は、短編小説の魅力の一方に、「未知なる物語との刹那の出逢い」を挙げ、「デッドロック」を除く収録作は、このカテゴリーに属するとしている。『消えた玩具屋』『お楽しみの埋葬』『大聖堂は大騒ぎ』などで、ファースやスラプスティックのイメージが強いクリスピンだが、ごく限られた枚数の中で、フェアでシャープな謎解きを一連の未知なる物語として凝縮させた本作は、作者のもう一つの才能をみせてくれる短編集でもある。

 V・L・ホワイトチャーチ『ソープ・ヘイズルの事件簿』は、1912年の刊行。収録作15編すべてが鉄道ミステリ譚という歴史的な一冊。中でも、「サー・ギルバート・マレルの絵」は、走行中の列車の真ん中の貨車が消失してしまう謎は、往年のトリック本などでも著名だろう。

 名探偵ソープ・ヘイズルが登場するのは、最初の9編。筋金入りの鉄道マニアであり、初版本収集家というディレッタント。菜食主義者で、体操が好き。奇人揃いのホームズのライヴァルたちとはいえ、ヘイズルの奇人ぶりは相当なもの。当たりかまわず、珍奇な体操を始めてしま癖が実におかしい。

 扱われる事件は、密輸、誘拐、盗難、秘密文書の輸送など多岐にわたる。登場人物も、政治家や貴族、スパイといった派手な手合いのみならず、急行列車運転を夢見る機関士、ストを打つ線路工夫、鉄道マニアの少年など幅広い。「側廊列車の事件」「臨港列車の謎」といったトリッキーな謎解きのほかに、専門的知識に基づく機知を扱ったものも多いが、大英帝国の興隆を支えた鉄道黄金時代の諸相を一望できる点でも興味深く、珍重に値する短編集。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)

20130314093021_m.gif

 ミステリ読者。北海道在住。

 ツイッターアカウントは @stranglenarita

【毎月更新】クラシック・ミステリ玉手箱 バックナンバー