先月は1冊だったが、今月は注目作の多い、豪華なラインナップ。ただし、取り上げようと思っていたジェイムズ・ホッグ『義とされた罪人の手記と告白』(白水uブックス) まで手が回らなかった。次回送りということでお許しを請う次第。

■ヤーン・エクストレム『ウナギの罠』(扶桑社海外文庫)■

 一部では伝説的になっている本格ミステリが降臨。
 1971年に「ミステリマガジン」で故・松坂健氏が紹介したヤーン・エクストレム『ウナギの罠』(1967)である(この紹介文は、後に、瀬戸川猛資・松坂健『二人がかりで死体をどうぞ』(書肆盛林堂)に収録) 。ちなみに、筆者がこの作品のことを最初に知ったのは、故・加瀬義雄氏の『失われたミステリ史』(盛林堂ミステリアス文庫)だった。
 作者は、スウェーデンのディクスン・カーと呼ばれるヤーン・エクストレム(『誕生パーティの17人』が翻訳されている)。ウナギ漁のための仕掛け罠-大人が一人入れるような木製の箱-という密室における殺人事件を扱ったという特異な空間の密室物なのだ。本格ミステリ好きの食指を大いにそそるではないか。しかし、初紹介後、音沙汰もなく、半世紀も経って翻訳されるとは、これぞ、生きててよかった。
 舞台はスウェーデンの片田舎。ウナギ漁の仕掛け罠の中で地元の大地主が死体となっていた。上部にある入り口には、外から施錠され、鍵は被害者のポケットの中。さらに、被害者の首には一匹のウナギが巻き付いていた。誰が何の目的でこのような殺人を犯したのか。周囲の人間関係は複雑で、謎は深まるばかり。ストックホルムから来ていたドゥレル警部は、事件に光明を見出せるのか。
 密室殺人が発生するのは80頁もすぎてから、さすがに60年代の作物で、被害者を取り巻く人間模様をじっくり堅実に描いていく。鬼面人を驚かせるトリックだけの小説ではないのだ。大地主は、田舎の権力者で、土地を借りている人々をはじめ大地主を恐れ、憎む人は多い。さらに、女性関係も派手でエイヴォルという、まだうら若い娘と結婚したばかり。彼女を愛する若者二人と四角関係が形成されている。登場人物は多く、小さなコミュニティの人間関係は複雑に絡み合ってる。中心的な視点人物は、今はストックホルム在住で故郷を久しぶりに訪れたエコノミスト、ラッセということになろうか。ラッセの恋も交えて物語は進行する。
 捜査が進むにつれ、密室が完璧なものだったことが明らかになり、ドゥレル主任警部は苦悩していく。同僚とのディスカッションや警部の自問自答で、推理のトライアル&エラーがなされるから、小さい箱が難攻不落の城にみえてくる。
 真相は、炎の大スペクタクルの後、最終章で明らかになるが、密室トリックは秀逸なもの。ある程度密室物を読めば、大概のトリックには既視感が出てくるが、ウナギ罠という特性を生かした本書の解法はオリジナリティが高く、賞賛に値する。なぜ、密室にしなければならなかったかについてもシンプルながら、明快な説明がつけられている。トリックを暗示する手がかりが何度も思わぬ形で鏤められているのも作品の完成度を高めている。
 トリックは創意に富みながら、スウェーデンの田舎の風土に根差した犯罪が描かれてもいて、地に足のついた本格ミステリの秀作だ。
 北欧は、今やミステリ大国になった感があるが、こうした作品がまだ未紹介で眠っているとなると、今後のクラシック作の紹介にときめくのを禁じ得ない。

■エドワード・アンダースン『夜の人々』(新潮文庫)■

 伝説的作品がもう一本。
 今年、映画『ミツバチのささやき』『エル・スール』で著名なスペインの監督ビクトル・エリセの31年ぶりの新作『瞳をとじて』が公開されて話題になったが、この映画の中で、主人公の友人である編集技師の部屋にポスターが貼ってあり、16mmフィルムももっていると自慢するシーンがある。それが、ニコラス・レイ監督の『夜の人々』(1948)。古今東西、無数にある映画の中から一本を選べばこれ、というエリセ監督の声が聞こえるかのようだった。
 そんなフィルム・ノワールの古典の原作が、新潮文庫の「海外名作発掘」レーベルから、発掘された。本書『夜の人々』(1937) は、傑作映画の原作というだけではなく、レイモンド・チャンドラーはある手紙の中で「これまで書かれた犯罪小説のなかで最高の一冊」と評している

 終身刑で服役中だった青年ボウイは、囚人仲間二人とともに刑務所を脱獄する。次々と銀行強盗を重ねるなか、逃亡先で仲間の遠縁の娘キーチーと出逢う。二人は互いに惹かれあうが、自動車事故の現場で仲間の一人が警官を射殺し、ボウイは殺人犯として警察から追われることになる。
 映画は、主演のキャシー・オドネルの美貌やヘイズコードの自主規制もあって、悲恋の
ロマンスの色合いも強いが、本書は、オクラホマ、カンザス、テキサスでの銀行襲撃、二人の仲間と周囲の人たち、キーチーとの逃亡生活をことさらな叙情を交えるでもなく淡々と描き出している。
 ストーリーとしては、東西問わず、その後何度も繰り返されたもののようだが、ダシール・ハメット『赤い収穫』(1929)、ジェイムズ・M・ケイン『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(1934)、ホレス・マッコイ『彼らは廃馬を撃つ』(1935)、本書(1937)とノワールと称される名作を年表的に並べてみれば、職業的犯罪者として生きざるを得ない者の生と愛を描いた本書の先駆性が窺われるだろう。
 ボウイは決して残酷な人間ではない。刑務所に終身刑として囚われたのも、弱冠14歳、カーニヴァルで働いていたとき、店の売上金を盗むという仲間に興味半分でついていって、銃で追いかけられ、逆に殺してしまったからだ。銀行強盗をしても人殺しはしないし、個人的な盗みは忌避する。脱獄後、やむなく、犯罪渡世に生きる身なのだ。
 本書の原題は、「Thieves Like Us」(おれたちとおなじ泥棒)。保安官が薬屋の酒の密造を仕切っている状況に対し、仲間のTダブは「警察も薬屋も、おれたちと同じ泥棒なのさ」と言う。あるいは、「おれだって、弁護士になるか店を経営するか、選挙に立候補するかして、拳銃なんかじゃなく、頭をつかって人の金を盗めばよかったんだ」という述懐する。「あいつら資本家は、おれたちとおなじ泥棒なんだ」とボウイも言う。
 人はみな他人の金を盗む泥棒なのだというあまりにも苦い認識が作品の根底にある。ボウイは、「イエス・キリストを信じない」と言う。本書は神なき後の犯罪・犯罪者を社会的文脈から描いている点で従来にない新しさがある。小説中には、新聞記事が多用されるが、犯罪者を極悪人に仕立て、英雄にも仕立てる煽情的ジャーナリズムにも作者は厳しい眼を向けている。
仲間のTダブは親戚の年若い娘と結婚しはしゃぐし、行動がおかしいといわれているインディアンルーツのチカモウはアルコールに溺れていくという普通の人間的側面を持ち合わせている。二人の会話は、多岐にわたるが、服役囚農場の酷過ぎる扱いなど、同時代のフォークロアとしても面白い。
 そして、やはり本書は恋愛を描いた小説でもある。「一見インディアンにみたいにみえる」キーチーと出逢って、ボウイは血管が広がるのを感じる。純なのである。大恐慌時代、米国南西部、一方は犯罪者という特異な背景をもちながら、二人の純愛は、どのような場所、時代にも通じる普遍性を獲得している。破滅への予兆があるだけに、なおそれは切ない。
 ボウイは、チカモウの言葉を信じ、メキシコへの逃亡を熱望する。収監されたチカモウを大胆な手口で脱獄させたのも、そのためだ。しかし、夢はあえなく潰える。銀行強盗の夫と妻のメキシコ逃避行を描いたジム・トンプソン『ゲッタウェイ』(1958) は、この夢の続きを描いたのかもしれない(それは、やがて悪夢に変わるのだが)。
エドワード・アンダースンはジャーナリスト出身の作家。残した小説は、1935年のデビュー作と本書の二冊のみという。
 なお、本書は、ロバート・アルトマン監督によって、『ボウイ&キーチ』(1974)として再映画化されている。キーチ役は、『シャイニング』等の異貌の女優シェリー・デュヴァル。『夜の人々』より原作にかなり忠実なストーリーになっており、二作の肌触りの違いを味わうのも一興だ。

■『ロバート・アーサー自選傑作集 幽霊を信じますか?』(扶桑社海外文庫)■

 昨年のミステリ短編集『ガラスの橋』が好評だった作家の、今度はホラー/ファンタジー傑作選。原書 (1963) には自選とはうたわれてはいないが、実質的にはそのようにみなせるとのこと。アーサーのSF、ファンタジー、ホラーの紹介は微々たるもので、10編を収録する本書のうち、9編が初紹介という。こうした本が出るのも、『ガラスの橋』が好評だったおかげで、訳者の小林晋氏の熱意ある紹介に感謝したい。ミステリ短編の名手だけに、こちらの分野の腕前も冴えている。
 冒頭の「見えない足跡」は、エジプトの墓の発掘で禁忌に触れた英国の考古学者が何かに執拗に終われ、世界中を逃げ回るが。失明した代償に音に鋭敏になった老雑誌売りを視点人物にすることによって、音による恐怖を盛り上げている点が巧み。同じホラー系では、表題作「幽霊を信じますか?」がさらに怖い。〈ソービュア石けん提供のディーンと冒険を!〉というラジオ番組での今回の企画は、幽霊屋敷から深夜生中継を行うというもの。パーソナリティーのディーンは沼地から何かが訪れる場面を迫真の演技で聞かせるが。マスメディアそのものが生んだ怪異というアイデアが今なお新しく映る。
 「ミルトン氏のギフト」「バラ色水晶のベル」「デクスター氏のドラゴン」は、〈魔法のお店〉テーマ。「ミルトン氏のギフト」は、「ギフト(贈り物・才能)」の二重の意味がかけており、オチも秀逸。「バラ色の水晶のベル」は、音の届く範囲の死者が甦るかわりに、別な犠牲者が出るという中国奥地の寺院から盗まれた不思議なベル。解説にもあるが、やはり、W・W・ジェイコブズ「猿の手」を思わせ、奇跡と代償ということを考えさせられる。
 「デクスター氏のドラゴン」秘法と呪文に関する手書きの書物が失踪事件を引き起こす。
 マーチスン・モークスという人物が語り手のホラ話が二編。「エル・ドラドの不思議な切手」が、地図上に存在しない国の切手を貼ると…。存在しない国がエキゾティックで素敵なファンタジー。「頑固なオーティス伯父さん」頑固すぎる伯父さんの逸話がいつの間にやら…。話のエスカレートの仕方がいかにもアメリカホラ話という感じ。
 「奇跡の日」家族が話す小さな町の人々の噂話を聞きつけた少年がした願いごととは。前半パートの噂話が後半パートのファンタスティックな展開に全部生きてくるのはミステリ作家のスピリットを感じさせる。与えられる罰もオリジナリティが高い。
 鵞鳥がちょうじゃあるまいし」魔法の呪文で鵞鳥に生まれ変わった大学教師。これまた微苦笑を誘うオチ。
 「ハンク・ガーヴィーの白昼幽霊」は、風変りな幽霊の話。取り憑かれた男の奇矯な振る舞いの謎解き話にもなっている。これもホラ話系統。
 基本的にアーサーの短編は、『ガラスの橋』所収の「マニング氏の金の木」が代表的だったように、市井の人が主人公で、人間に対するいとおしみを感じさせる。本書の「見えない足跡」の老雑誌売りや「ミルトン氏のギフト」の妻を大切にしている主人公もそう。「奇跡の日」の少年の夢想を大事にしているのも、作者のヒューマニティの発露だろう。本書では、鋭利な鉄筆ではなく、木のぬくもりのある筆で描いたようなイマジネーションを堪能できる。

■ベルトン・コッブ『善人は二度、牙を剝く』(論創社)■

 ベルトン・コッブは、論創海外ミステリでは4冊目の本となる。本書『善人は二度、牙を剥く』(1965) は、息長く活動を続けた作家の後期の作。
ダイヤモンド強奪事件を捜査するアーミテージ巡査部長は、主犯容疑の共犯者がルダル一家の中にいると睨んでいる。しかし、上司のパーマン警部は、巡査部長の憶測を否定。アーミテージは、たまたま貸間を営んでいたルダル家に上司に内緒で下宿し、潜入捜査を行うが。
 先の善意の代償(1962) はアーミテージ巡査部長のフィアンセのキティー・パルグレーヴ女性捜査部巡査の潜入捜査を描いており、本作中でも、キティーは数々の潜入捜査で実績を挙げていることが触れられているので、アーミテージはこれに負けじと、潜入捜査を思いついたらしい。割り当てられた部屋には、血痕のようなものが隠されており、アーミテージは想像をたくましくするが。
 このアーミテージ根っからの善人で、潜入翌日には、「サッカー場勤務」といったその言動から警官と疑われる始末。絶対に失敗するとキティーに言われた手前、様々に言い繕って、潜入を続けるのが、まずはおかしい。おまけに、19歳の美しい娘に言い寄られてキスまでしてしまい、ベッドに誘われるものの、さすがに正気に戻って断り平手打ちをくらわされる。と、とんだ潜入捜査員なのだが、物語の半ばを過ぎたあたりで、意外な人物が射殺される。犯人が狙ったのは、アーミテージだった可能性が排除できない。
 アーミテージは、捜査続行を命じるパーマン警部に命を狙われるのでやりたくないと反抗。警部にしてみれば、飼い犬に手を噛まれたようなもので、そんなことで怖気づくようでは、警官の資質がないと激ヅメされる。この辺りの会話は面白いことは面白いが、ただのユーモア小説を読ませられているのかと本気で心配になるくらい。
 しかし、ご心配なく。キティーの活躍もあり、しっかりとした謎解きがこの後に待ち構えているのだ。登場人物も手がかりも少ない中で意外な犯人を指摘するところは、ある種の手品をみていているようだ。ある登場人物の奇妙な振る舞いにも納得の理由がつく。犯人指摘のロジックが若干甘いような気もするが、本編もまたコップの謎解きセンスの良さが感じられる好編だ。

■フランク・グルーバー『一本足のガチョウの秘密』(論創社)■

 グルーバーの生んだシリーズ〈ジョニー&サム〉シリーズも、論創海外ミステリで未訳の紹介が進み、本書『一本足のガチョウの秘密』(1954) の刊行で、全14作の翻訳コンプリートまで、残すところあと一冊というところまで迫ってきた。
 本書は、シリーズ第13作。久しぶりに、本拠地ニューヨークが舞台だ。相変わらず、二人は、からっけつで腹をすかせている。定宿〈四十五丁目ホテル〉のところに、サムが昔買ったマンドリンの借金取立人の獰猛な男が現れた。ジョニーの口先三寸で、別な借金取りの代行を申し出て追い払ったが、当の金髪女を訪ねると、お約束のように二人は食料品王の息子の殺人事件に巻き込まれる。金髪女から二人が受け取ったガチョウの貯金箱には何やら重要な秘密が隠されているらしく、何者かに奪われてしまう。食い扶持のため、12年前に失踪した関係者の行方探しをジョニーは請け負ったが…。「マルタの鷹」ならぬ「ガチョウの貯金箱」の争奪戦になるところが、いかにもこのシリーズらしい。
 謎解きと並んで本シリーズの売り物の金欠をいかにサバイバルするかという点では、本書では、おなじみの〈四十五丁目ホテル〉の支配人ピーボディとの攻防や質屋のおやじとの会話が笑わせる。ジョニーが軽やかにやってみせる無銭飲食の手口を後に、サムが同じように試してみて、警察に逮捕されるという繰り返しギャグも効いている。
 いや、本書ではサムは拉致される上に、窃盗、文書偽造、警察官への抵抗に加えて、留置所から怪力を使って脱走までしてしまうのだから、笑いごとではない。かつてない難局を二人は (頭脳担当のジョニーはといったほうがいいか)どう乗り切るかといったころも見どころ。
 被害者の父親は、2200店近い食料チェーン店のオーナーだが、チェーン店に行って、社長に会わせろというジョニーの無手勝流の調査もいつもながら好調。ジョニーの実は無茶苦茶な弁舌に、関係者が次第に好感をもっていくところもC調で、食料品王に「君は若いころの私にそっくりだ」とまでいわせるのだから、その才気はあっぱれだ。
 殺人や失踪の謎解きは、ガチョウの貯金箱の秘密に秘められたメッセージを読み解くことで明らかになるシンプルなものだが、ちょっとした機智が用いられており、二つの謎が一気に解けるところがスマート。
 作中、サムがジョニーと付き合って16、7年になるといい、「おたがいのためなら、なんでもするのさ」というところがあるが、互いに信頼し合う二人の結束は固く、相棒(バディ)物としても、屈指のシリーズだろう。

■篠田真由美(文)/長沖充(イラスト)『ミステリな建築 建築なミステリ』(エクスナレッジ)■

 「建築探偵・桜井京介の事件簿」シリーズなどで知られ、建築に対し造詣が深い著者が贈る、建築に潜むミステリとミステリにおける建築を解き明かす一冊。
 「築地ホテル館」「鹿鳴館」「中銀カプセルタワービル」など実在の建築に秘められた謎を扱った第一部も興味深いが、本欄の読者によりアピールするのは、ミステリにおける建築を扱った第二部だろう。
 後者においては、海外では、ディクスン・カー『髑髏城』、ヴァン・ダイン『グリーン家殺人事件』、エラリー・クイーン『Yの悲劇』、アガサ・クリスティ『ねじれた家』が、国内物では、山田風太郎『明治断頭台』、横溝正史『悪魔が来りて笛を吹く』、篠田真由美『翡翠の城』、小栗虫太郎『黒死館殺人事件』、中井英夫『虚無への供物』が扱われている。
何といっても、フィクションの中の建築が著者の厳密な分析のもとにイラストで再現されていることが魅力で、作品鑑賞にも好適だろう。
 本文の方も、『グリーン家殺人事件』の祖型にポーの「アッシャー家の崩壊」を見出したり、ヨーロッパ志向だった『グリーン家』に対し『Yの悲劇』では異国趣味の一掃を見たり、『Yの悲劇』のハッター家の玄関両脇になぜ牝ライオンの像があるのかを推理したり、といった卓見が散りばめられている。
 本書の基本主題は、「異国趣味エグゾティズム」であるとする著者は、明治の日本に押し寄せた外来文化としての西洋建築とミステリという小説のジャンルの相似性を見て取っている。全体を通して読めば、現実の明治期「築地ホテル館」以降の展開、フィクションの『グリーン家』から『Yの悲劇』という展開あるいは『グリーン家』の影響を過剰に受けた『黒死館殺人事件』から『虚無への供物』という展開に、脱エグゾティズムの流れは確かに見出すことができ、建築にとどまらない文化史的パースペクティブを得ることができる一冊でもある。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)
 ミステリ読者。北海道在住。
ツイッターアカウントは @stranglenarita
note: https://note.com/s_narita35/


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