■マージェリー・アリンガム『ファラデー家の殺人』(論創海外ミステリ)■
先月のサリー・クライン『アフター・アガサ・クリスティー 犯罪小説を書き継ぐ女性作家たち』の中で、いまだに英国で人気を誇る黄金期のミステリ作家の一人として挙げられるアリンガム。その邦訳の中でも、入手困難だった『手をやく捜査網』(六興出版部・抄訳)として知られる作品の初の完訳本が本書『ファラデー家の殺人』(1931)だ。アリンガム作品は、アルバート・キャンピオンという素人探偵を擁するものの、作品によって、謎解き、スリラー、風俗小説風など力点を置く点が異なっているため、その特色を一言で表し難い。
本書は、ロバート・バーナードが、クリスティの創作の秘密に迫った『欺しの天才』の中で、「真相がそれまでの経緯の論理的かつ唯一可能なクライマックスとなる、この上なく納得のいく探偵小説の解決の例として」(本書訳者による訳)、セイヤーズ『毒を食らわば』、クリスティ『五匹の子豚』と並んで本作を挙げており、謎解き物として評価の高い作品。
ケンブリッジの旧家であるファラデー家の一族を次々と死が襲う。最初の犠牲者は、同居の親戚アンドルーで、行方不明になったあと、銃で頭を撃たれた状態の死体となって川で発見。第二の犠牲者は、朝に飲むお茶に毒ニンジンを仕込まれて毒殺される。さらに、悲劇は続き、容疑者でもあった長男は夜間に襲われ、親戚の男も毒殺される。この一族殲滅の危機に立ち向かうのは、アルバート・キャンピオンだ。
キャラクター造型の巧みさについては、作者は定評のあるところだが、カレッジの学寮長だったファラデー博士の未亡人で今は一族に君臨している84歳のキャロライン、財産を失い屋敷に戻るしかなくなった子どもたち、居候として暮らす親戚たちなど、時代に置いてきぼりになった一族と個性豊かな面々をくっきりと描き出している。顧問弁護士は、「あの一族にはすさまじい悪がひそんでいる」といい、「あの屋根の下では、人間共通の抑圧された憎悪、些細な嫉妬、欲望や衝動のはけ口がない」とみなしている。
一族は、次々と犯人の魔手にかかるが、生き残った一族を襲う強烈なサスペンスは、作者のキャラクター造型の巧みさと雰囲気の描写力あってこそだ。
後半、犯人とも目される親戚の男が現れ、その無礼な振る舞いにもかかわらず、キャロライン大おばが屈する場面は、緊迫感あふれる。
本書では冒険家副官を名乗るキャンピオンは、キャロラインの依頼を受け、のんしゃらんとした調子ながらも、友人のオーツ主任警部と謎に迫っていく。
本作には、本格ミステリのプロットの中では並外れてシンプルで大胆なものが使用されており、本作は、その創出作であるという評価もあるようだ。最初かどうかは議論があるにしても、読み終わってみれば、全編がそのアイデアの実現に向かって収斂していくような構成の巧みさは、パイオニアとしてのメダルを授与するにふさわしい。ただ、このプロットが、現在、意外性をもって受け入れられるかは、評価の分かれるところだろう。
本書は、アリンガムの本格物として屈指の作であり、強烈な犯人像も提示している点、本格ミステリのプロットの中でも大胆な着想のパイオニアである点で、見逃すことのできない一冊だ。
■A・B・コックス『黒猫になった教授』(論創海外ミステリ)』■
本書『黒猫になった教授』(1926) は、アントニイ・バークリーがミステリ長編を書き出した初期に別名義で書いたSF風ユーモア小説。バークリーは、『Jugged Journalism』(1925)という本を出しているが、これは、様々なタイプの短編小説の実作を提示しながら、短編小説作法を語るというユーモア・エッセイ集ということであり、どんな小説でも書けるというバークリーの自負と筆力を窺わせる。様々な小説の中でも、パンチ誌等の常連ライターだけあって、ユーモア小説は、自家薬籠中のものであり、A・B・コックス名義では、本書も含めて、3冊のユーモア小説(うち1冊が『プリーストリー氏の問題』)と1冊の探偵小説『The Wintringham Mystery』(後に作者名、タイトル等を変え、A・モンマス・プラッツ『シシリーは消えた』[1927])を発表している。
世界的に名高い生物学者リッジリー教授が急死。教授は、年下の共同研究者カントレルと、生体間の脳移植の手術に成功していた。リッジリー教授の遺言に従い、カントレルは、教授の脳を雌の黒猫へ移植すると猫は教授の口調で喋り始めた! 一方で、教授の娘、二十歳になるマージョリーは、ティム・ベラミーという収入のない若者と婚約中。生前に結婚を反対されていたティムは、マージョリーと結婚することを条件に教授の財産を相続することになっているカントレルを向こうに回し、無事花嫁をつ得ることができるのか。
北村薫『スキップ』のような人格移転のエンターテインメントが1990年代半ばに書かれ、転生物という形も含めてずっと流行しているような感じがあるが、本書は、その初期の例ともいえる作品だ。もちろん、移転先が黒猫というだけに、起きる騒動は、より過激になる。SF風ではあるが、脳移植は、猫への人格移転のための口実にすぎない。
カントレルは、学会において、脳移植の成功を発表。マスコミは騒然となり、人々は教授の頭脳をもった猫に殺到する-という流れになるのかと思いきや、作者が選んだ展開は、もう少しドメスティックなもの。黒猫は、散歩の途中悪童どもに追われ、ある女優のもとに保護される。以降、教授猫をめぐって、登場人物たちの様々な思惑と策略がめぐらされるが、
最後には大団円が待っている。
ティムは、やや短慮のところもあり、ウッドハウスの小説のウースターめいたところもあるが、シャーロック・ホームズならどうする?と思考を巡らせるところは、シェリンガム的でもある。ティムの旧友ダンカン・グレイ夫婦との関係性も爽やかだ。(売れない物書きダンカンには、いささか作者の自画像が投影されていないか)
すべての登場人物に望ましい結末というのは難しいものだが、論理的にうまいところに着地させるのが、探偵作家バークリーらしいところ。
難しいことは抜きに、痛快なユーモア小説として、大いに楽しめる作品。
以下は、蛇足に過ぎないが、本書の脳の移植先が「雌の黒猫」というところには、性取り違えコメディ的要素がある。
猫芸の調教師に売られた教授黒猫は、小さな羽飾りついた帽子をかぶって、小さな赤いベルベットのドレスを着ることを強制され、一線を越えていると反抗するが、さらに様々なレディ猫の扮装をさせられ、屈辱で腹が煮えくり返る。この場面に、ずっと後年のフランシス・アイルズ名義『被告の女性に関しては』(1939)の一場面を想起した。本書のオチ的な結末も含め、作家のことをさらに知りたい読者には、見逃せない要素だろう。
■ジム・トンプスン『ゴールデン・ギズモ』(文遊社)■
版元の奮闘で、トンプスンの長編未訳もかなり減ってきた。本書は1954年の作。同年は『深夜のベルボーイ』『死ぬほどいい女』『失われた男』など5冊の長編が書かれた執筆旺盛期。『バッドボーイ』(1953)、『漂泊者』(1954)の自伝的二部作の間の作品だ。
舞台は、ロサンジェルス。主人公トディ・ケントは、貴金属の訪問買取りをしている男。数々の詐欺で、ほかの街ではいられなくなったが、現在は、貴金属仲買人の男に腕を買われてよい稼ぎを得ている。トディは、買取りをしようと訪れた家で、顎のない男、美しい女ドロレス、人の声で喋る巨大なドーベルマンと出逢い、危険を感じて逃げ去る。自宅へ帰ると、さきほどの家で見かけた金時計があり、さらにその後、金時計が消え、妻のイレインがベッドで殺されていた。そこから、トディは、必死の逃避行を繰り広げる。
犯罪的界隈で生きる主人公、妻は元映画の脇役女優で浪費家の大酒飲み、ある事件をきっかけに日常的足場が崩れ落ち、主人公は足掻き続けるという設定は、いかにもジム・トンプスンと感じさせる。しかし、本書には、他の作品とも違ったニュアンスが感じられる。我々がパルプ小説というときにすぐさま感じる派手さや安手さ、荒唐無稽の度合いが強いのだ。そもそも、顎のない男や人語を喋る犬、この世のものとも思えない美女が登場する冒頭からして、現実世界から遊離している。トディがドロレスと巨大な犬に追われて、ストリップ小屋に入り込み、その舞台にコメディアンとともに立たざるを得なくなったり、売春宿のカラクリ扉を抜けたり、浮浪者の伝道集会に紛れ込むといった場面は、シュールですらある。そもそも、金時計が現れたり消えたり、妻が突然殺されるというという冒頭の事件も十分シュールリアリスティックではないか。
ジム・トンプスンは、世評でいわれるよりプロット構築に秀でた作家だと思うが、この作品では、筋をあまり考えずに、いかにも通俗パルプ小説的枠組みの中でのアドリブを連発し、物語のライブ感を楽しんでいる雰囲気すらある。
この後、国際的組織が絡んだり、メキシコ国境を越えたティファナまでの逃避行といった派手な展開やどんでん返し、謎の美女といった属性しか与えられないドロレス、といったトンプスンらしからぬ小説づくりは、そうした思いを一層強くする(ドロレスに感じられないファム・ファタル的要素は、妻のイレインの描写によく発揮されている) 。
『バッドボーイ』『漂泊者』というリアリスティックな自伝的長編に挟まれた本書は、パルプ小説の派手さ、荒唐無稽さという特色に自ら身を寄せて、そこに生じるライブ感や不意打ちの感触を遊び、試した作品として、独自の個性を放っているのではないだろうか。
■ウォーターズ『ある刑事の冒険談』(ヒラヤマ探偵文庫)■
ヒラヤマ探偵文庫既刊で、〈クイーンの定員〉の2番にも選ばれた『ある刑事の回想録』の続編(1859年)が刊行された。冒頭に、前作の評判が非常によかったので、第二巻を書くことにした旨の著者 (C・W)の言葉が掲載されている。前作は実在の刑事(ウォーターズ)の回想録に見せたフィクションだが、今日の刑事ドラマの祖型といってもおかしくない上出来の作品集だった。本書には、8編を収録。
「マーク・ストレットン」 ある富裕な商人の事故死に関して、その甥は、事件は殺人であり、その犯人も明らかであるとウォーターズ刑事に指摘する。しかし、甥は、犯人に秘密を握られており、その秘密は、カナダの賭博場にまで遡るものだった。新聞記事の偽造と新聞の隠滅という部分に機智があるほか、犯人は重婚を免れるための詭計にも犯人の周到さを感じさせる。
「戯曲作家」 刑事が酒場で知り合ったアイルランド人の戯曲作家を破滅の淵から救う話。刑事はなかなかの演劇通ぶりをみせる。刑事が関わるのは、厳密には警察が扱う事件ではないと思われるが、ここでは人助けが優先される。「悪魔のように頭が切れ、山猫のように鋭い目の奴」というのが、戯曲家の刑事評だ。
「二人の未亡人」 裕福な工場主の息子の未亡人だという女性が二人現れ、真の遺産相続者が争われる。背景事情は、刑事が自ら言うように「複雑怪奇」なものだ。刑事は、フランスまで飛び、極悪な遺産奪取計画を解き明かす。
「ウィザートン夫人」 突然夫を亡くした妻が刑事に助けを求める。彼女の並外れた悲嘆には理由があるのか。事件の謎が明らかになり、女の懊悩の深さには、心揺さぶられるものがある。
「みなし子達」 火事で母親を亡くした少女たちの事件の裏にある奸計を暴く。関係者の尾行を依頼したある青年の純情がせつない。
「ヘレン・フォーサイス」 これも夫婦の離婚にまつわる遺産相続に関する事件。遺産を取り戻そうとするかなり複雑な陰謀が描かれる。
「溺死」 ワイト島の海岸で発見された溺死死体。彼は、繁盛する酒場の主人だったが、故人の姉がスコットランド・ヤードに捜査を求める。現場の海岸の捜査、酒場での潜入捜査によって、容疑者が割り出され、決定的告白の場面のための罠を仕掛ける。事件関係者のその後を扱った結末にペーソスがある。
「火の手」 誰からも信頼される農家を襲う連続放火事件。事件の背景には、美人すぎる薄幸の娘の存在があって。こちらも、不幸な結婚というドラマの迫力がある。
人々の好奇に訴える、刑事の捜査現場潜入ルポ的要素があった前作に比べ、作者は、事件の裏の人間ドラマの作出に腐心しているようにみえる。捜査の内情を実話風に語ったある種の際物から、各種の人間模様を盛り込んだ、より小説らしい方向への転換が本書では図られているかのようだ。組織の一員としての関与よりも、個人的興味から関与する事件が増えているのも、こうした傾向を裏打ちしている。このミステリ草創期の短編集の続編において、作者の関心は、早くも事件の謎解きから人間心理のドラマへと移行し、探偵を主人公にした小説は人間ドラマを扱う器になると確信しているかのようだ。
ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた) |
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ミステリ読者。北海道在住。 ツイッターアカウントは @stranglenarita 。 ■note: https://note.com/s_narita35/ |