想像もしてなかったプレゼントが突然届けられた。フレドリック・ブラウンのミステリ短編集は2冊で(『真っ白な嘘』『不吉なことは何も』[旧題『復讐の女神』])、これで彼のミステリ短編の精華はすべて、というのがこれまでの常識というやつ。そこに第3の短編集が加わるとは。

■フレドリック・ブラウン『死の10パーセント』(創元推理文庫)■


 心配は、前記2冊はいずれも名短編集だったが、今度の短編集はそれらと肩を並べうるものなのかというもの。結論からいって、『死の10パーセント』は、ブラウンらしさが発揮されたバラエティに富む短編が集められ、クオリティの面でも前2冊と遜色ないものだった。
 編者は、小森収氏。多くは邦訳され雑誌に眠っていたものだが、本邦初訳の3作も加わった全13編。オードブルから始まって、魚料理、コールドミートといった具合にフルコース仕立てで並べられているのも粋。巻頭のウィリアム・F・ノーランの「序文」は、英語の別短編集のものだが、作者のあまり知られざるポートレイトとなっている。
「5セントのお月さま」“5セントでお月さまを”と、望遠鏡を貸す商売をしている男は、妻の手術代のためにどうしても50ドルを稼ぐ必要があったが、とんだ事件に巻き込まれて。作者の持ち味を生かした軽妙な短編。
「へま」ドイツスパイに親族の安全と引き換えにスパイ行為を強要されたドイツ系アメリカ人。恐るべき“へま”が待ち受ける。
「女が男を殺すとき」エドとおじのアム登場するハンター物。妻が自分を殺そうとしているという男からの依頼。エドは、遠い親戚になりすまして家庭に潜入するが。私立探偵物として、意外な依頼から意外な結末まで首尾整った一編。
「消えた役者」同じくエド・ハンター物。失踪した息子を探してほしい旨の依頼。役者の息子探しには想像を裏切る犯罪が隠れていた。
「どうしてなんだベニー、いったいどうして」通り魔物。最後の1行が怖い。
「球形の食屍鬼グール厳重に管理されている遺体保管室の死体の顔がえぐられた事件。奇想天外な密室物。
「フルートと短機関銃のための組曲」脅迫された政治家が演奏中に短機関銃で射殺されて。小男の名探偵を主人公にした謎解き音楽ミステリ。
「死の警告」これから起こる殺人を通報してきたペテン師による不可能犯罪の真相。
「愛しのラム」妻の帰りを待ちわびる画家の焦燥。サイコ・サスペンスへの転調が忘れがたい。
「殺しのプレミアショー」ニューメキシコの小さな町で催されたB級映画『死のカーニバル』のプレミアショーで起きた俳優殺しの謎に酔いどれの警察署長が挑む。手がかり、伏線も冴えた謎解き物。
「殺意のジャズソング」かつてのジャズミュージャン同士が今は中古車販売業にいそしんでいるところに、昔のジャズ仲間がやってきて、メンバーの一人が殺される。解決したかにみえた後の真相が見事。作者のジャズ通ぶりもうかがわせる。
「死の10パーセント」俳優志望の男が10パーセントの取り分でマネジメントを任せたが…。ショートショートだが、結末の問いかけは強烈。
「最終列車」オーロラが見える街で、男を救うはずの最終列車。掉尾を飾るにふさわしい名品。

 驚いたのは、謎解き物への傾斜で、「球形の食屍鬼グール」「フルートと短機関銃のための組曲」「死の警告」「殺しのプレミアショー」「殺意のジャズソング」といった非シリーズ物の短編では、しっかりと背景を作り上げ、魅力的な主人公を配して優れた推理譚にしており、本格ミステリファンも満足させること請け合い。
ブラウンらしい軽妙な短編、怖さを伴った切れ味鋭い短編、首尾整ったエド・ハンター物、非シリーズ物の謎解き短編と、様々な傾向の作品が集められ、ブラウンの短編の魅力を余さず伝える短編集の誕生に祝杯をあげたい。

■アーサー・J・リース『叫びの穴』(論創海外ミステリ)■


 作者アーサー・J・リースは、戦前の雑誌での一編の邦訳を除けば、本邦初お目見えの作家。オーストラリア出身という以外に経歴はよくわかっていないが、本書解説の幻ミステリ研究家・恵夢恵氏によれば「残された最大の幻本格派作家」であり、「プレ黄金期の花形作家」。戦前の名評論家、井上良夫も他の著名作家を上回る最大級の賛辞を与えており、本書についても「最初から一部の隙もなく組立てられている筋の妙味が読んで行くにつれて感じられて来て、この点の探偵小説の面白みをまさに満喫させてくれる」と称賛している。デビューは1916年で、本書『叫びの穴』(1919) は第三作。グラント・コルウィンというアメリカ人とイギリス人のハーフの名探偵を登場させている。
 舞台は、英国東部・北海に面したノーフォーク州。ツェッペリン飛行船が同地に爆弾を落とした翌々日のこと。滞在中のホテルで、コルウィンは、ある若者がテーブルにナイフをつきたてている光景を目撃する。若者はすぐに気を失って倒れ、そばにいた医師とともに、介抱するが、意識が戻った若者は、唐突にホテルから姿を消す。翌日、彼が殺人容疑で指名手配されるというニュースが舞い込んでくる。若者は、湿地のはずれにある宿で、逗留している考古学者を殺害し、所持金を奪い逃走中だという。興味を惹かれたコルウィンは、殺人事件の捜査に加わる。遺体は、〈叫びの穴〉という怪奇な伝説が残る穴居時代の縦穴に隠されていた。
 メインの事件は、この考古学者殺しだけだが、北海に吹きさらされている荒涼とした陰鬱な湿地の風土を背景に、宿の住人たち-不気味な風貌の宿の主人、耳が聞こえない給仕、表情のない美貌の娘、その祖母で精神を病んでいる老女等-をはじめ土地の人々をじっくり描くほか、現場に残された手がかりの数々や捜査に当たる警視との反目も揺るがせにせず叙述し、重厚感がある。
 こうしたどっしりとした構えの一方、深夜、死体を安置した部屋の扉から手が出てくるのを探偵が目撃するシーン、検視審問、青年の逮捕と黙秘、裁判、秘めたる愛…というドラマティックな展開に怪奇趣味も加わって、若干ヴィクトリア調の名残を感じさせつつも、ロマン性豊かに読ませる。
 なお、本書は、冒頭のツェッペリン飛行船の爆弾、戦争神経症の若者、戦争による陪審員の不足(検視審問のため「村のまぬけな連中を十二人ばかり集めさせたい」との警視の台詞あり)、盗まれた金を戦時公債に投資してたら被害者は殺されなかったとうそぶく検死官などが描かれ、第一次大戦下の影響が色濃いミステリとしても興味深いし、作者の同時代批評精神も垣間見ることができる。
 つくりの重厚さ、ドラマティックな展開以上に、本書の美点は、手がかりの一点一点を揺るがせにしないフェアネスと推理の面白さを基軸にしている点で、コルウィンの推理は、現場に残された細かな手がかりから導き出されている。これに、警視に反駁させ、再説明するなど、フェアな推理に努めている。事件現場を錯綜させすぎの気味はあるが、大詰めを迎えたところで、言及されなかった手がかりに基づき真相をさらに転じる趣向は心憎い。
 クリスティーやクロフツの登場前夜に、これだけ本格ミステリの醍醐味をもった物語性豊かなミステリが書かれていたことは驚きであり、さらなる作品の紹介に期待したい。

■オーエン・デイヴィス『九番目の招待客』 (奇想天外の本棚) ■


 アガサ・クリスティー『そして誰もいなくなった』(1939)は、作者の最大ヒット作であり、その作品を誰もが知っている点では、20世紀ミステリの最大の成功作といっても過言ではないだろう。今年になっても、ミシェル・ビュッシ『恐るべき太陽』、グレッチェン・マクニール『孤島の十人』といったオマージュ的作品が出ているのも、作品の影響の大きさを物語る。
 『そして誰もいなくなった』の先行作として取り沙汰されている作品はいくつもあるが、〈奇想天外の本棚〉から出た本書『九番目の招待客』(1932) は、その本命格だろう。同書冒頭の山口雅也氏と酔眼俊一郎氏の「炉辺談話」に基づき少し詳しく書けば、グウェン・ブリストウとブルース・マニングによるThe Invisible Host(1930)という小説が先行し、それを戯曲化したのが本書(ただし、同戯曲に基づく初演は1930年)となる。さらに、1934年には、The 9th Guestとして映画化もされている。(なお、The Invisible Hostは、同人出版で、『姿なき祭主』として翻訳もある(翻訳はお勧めできないが))
 気になる本戯曲のあらすじはというと――

 八人の著名な男女が差出人不明の電報によって、ニューオリンズの高層ビルのペントハウスで開かれるパーティに招待される。主催者の正体をめぐり各自がさや当てをしていると、突然ラジオから主催者の声が流れてくる。ラジオの声は、これから生死をかけたゲームをするといい、ゲームに勝たねば、彼らは今夜ひとりずつ死ぬことになると告げる。ドアには電流が流され、ベンハウスからの脱出手段もない。パニックに襲われた彼らひとりひとりに死が忍び寄ってくる。

 童謡殺人・見立て殺人の趣向こそないものの、正体不明の主からの招待、招待主からの死の予告、脱出不能の場所での招待客全員の殺戮という点は、『そして誰もいなくなった』によく似ている。クリスティーが小説・演劇・映画版のいずれかから影響を受けていたとしても、まったく不思議ではない。劇作家として著名だったというオーエン・デイヴィスの「オーエン」を『そして誰もいなくなった』の招待主のU.N.オーエンとして据え、オマージュとしたというのもありうる話だ。(ただし、クリスティーがこれらを参照したという直接の証拠はないそうだ) といっても、プロットの剽窃とかいう話ではない。ミステリ史は、先行作の独創的プロットを乗り越えていく歴史でもあるからだ。さらに、『そして誰もいなくなった』の独創的なところは、童謡殺人・見立て殺人に加えて、まさに「誰もいなくなる」プロットを案出したところにある。
 と、影響関係がどうしても気になるところだが、本書のプロットは実に演劇的である。
 限られた空間、全員に訪れうる死の予告(「九番目の招待客」とは「死」のこと)、登場人物の複雑な愛憎関係、次の標的は誰かというサスペンス。恐怖、パニック、猜疑、諦念、生への意欲、愛情等様々な人間の感情を描き出すには、またとない器である。
 本編は、当時としては独創的なスリルとサスペンスで押しまくるだけではない。第三幕では生き残った人間同士の知恵の勝負になるが、そこでも、目先を二転、三転させ、観客(読者)を翻弄する。できうれば、上演作品も見てみたいものだ。
巻末には、演劇の広報用資料が載っているが、幾通りもの地方劇場向けのプレスリリース案が載っており、至れり尽くせり。当時の緻密なショービジネスの一端を窺える。

■ジョージェット・へイヤー『やかましい遺産争族』(論創海外ミステリ)■


 作者へイヤーは、英国摂政期リージェンシーロマンスの第一人者であり、多くの作品を残すほか、12作のミステリ作品も高く評価された作家。本書『やかましい遺産争族』(1937)は、ハナサイド警視物第3作。これで、創元推理文庫から出た『紳士と月夜のさらし台』(1935)『マシューズ家の毒』(1936)、論創海外ミステリから出た第4作『グレイストーンズ屋敷殺人事件』(1938) と初期4作が出揃ったことになる。

 本書は、当時の高い評価もうなずける楽しさに満ちた作品。
 裕福な実業家サイラス・ケインが屋敷付近の崖から墜ちて死亡する。検視審問では偶発事故による死という判決が下されたが、続いて、サイラスの莫大な遺産を相続した親族が屋敷で射殺される。果たしてサイラスの死は、殺人だったのか。一族の中に犯人はいるのか。サイラスの経営する会社の事業展開が殺人に関わっているのか。
 四代にわたるケイン家の子孫が登場人物だけに、その関係も複雑。しかし、サイラス・ケインの60歳の誕生日パーティから始まる第一章は、一族を掌握しているサイラスの母エミリーの秘書兼話し相手パトリシアの視点から、一癖も二癖もある登場人物の横顔を巧みに描き分けている。ストーリーは、ほぼ会話で進むから、リーダビリティも高い。
 事件の進行には、一族の期待の星ジムとパトリシアのロマンスが織り込まれているが、さらに特徴的なのは、犯罪映画が大好きな小生意気な少年ティモシーが勝手な推理と行動で事件をかき回し続けることで、これにはヘミングウェイ部長も手を焼く。ティモシーは本書におけるコミックリリーフ役を担っているだけでなく、事件の雰囲気を演出し、読者の推理の誤導を誘う点においても、作者は実に巧く使っている。
 一族の要であり気難しいエミリーや、ローズマリーという奔放な妻のキャラクターも印象的だが、物語半ばで登場するジムとティモシーの母親ノーマの女傑ぶりは秀逸。アフリカでの猛獣狩りが趣味という御仁で、久しぶりに帰国したのは選挙に出るため。彼女の現在の夫 
であるエイドリアンの茫洋としたキャラクターともども印象深い。
 ハナサイド警視の捜査は、ノーマやエイドリアンすら容疑者に見立てて進むのだが、冒頭のサイラスの死が事故か殺人かすら、判然としない。警視のある発見を機に事件は、解決へとなだれ込む。
 犯人はうまく隠されており (より注意深い捜査があれば、もっと早期に判明しただろうにというのはさておき)、それを押し通したプロットも巧み。
 何より、これまでの作品同様、キャラクターの生きがよく、ユーモラスな会話による進行が心地よい。英国らしいユーモアミステリとして、今日の読者も十分楽しめるだろう。

■ピエール・ヴェリー『サインはヒバリ パリの少年探偵団』(論創海外ミステリ)■


 本書『サインはヒバリ パリの少年探偵団』(1960) は、フランスの作家ピエール・ヴェリーが書き下ろしたジュブナイルミステリ。1960年はヴェリーの没年に当たるから、最晩年の作となる。
 目隠し鬼の鬼とされたノエルは、学校の外で、突然現れた目の不自由な男に突き当たる。子供たちは、この男と交流するが、時を同じくして学校の向いの宝石店の二階から暗号のメッセージが示されるという不審な出来事が。続いて、ノエルが誘拐されるという大事件が起きる。学友の少年探偵ドミニックたちは、パリの市街を駆け巡ってノエルを探す危険な冒険に挑む。少年たちを導いてくれるのは、大型のプードル犬と〈やさしいヒバリ〉の童謡だけだった。

 ミステリ作家としてのヴェリーの特色は、その代表作『サンタクロース殺人事件』からもうかがえるように、ミステリとファンタジーの融合にある。ヴェリー本人も、デビュー作『絶版殺人事件』(1929) でデビュー直後に「作家自身の夢想や幻影から世界を再創造すること、それが作家の役割」「私の探偵小説が大人のためのおとぎ話になることを願っています」と書いているとのことだ(訳者あとがき)。そのヴェリーが、最晩年期に少年期の夢想や幻影をジュヴナイルとして仕立てるのは、何ら不思議なことではないのかもしれない。
 冒頭の目の不自由な男が嘘をついていることが判明したとき、その事実が少年たちの想像力をかき立て、冒険の誘惑に誘われる。

「その日の終わりに、突然、すべてが謎と危険の兆候を示し始めた。空中には、ファントマとアルセーヌ・ルパンの幻が漂っている! そこはまた、諜報機関と反諜報機関が漂う暗闇でもあり、陰謀の微粒子が飛びまわっている」

 
 プードル犬スプートニク・ドゥを連れての少年たちの冒険が描かれる一方で、ノエルの心情にも大きなスポットが与えられている。ノエルの父は大新聞社の社長だが、養子という身の上であり、父にも継母にも、学友たち誰からも好かれていないと感じている。ドミニックに好かれるための行動はいじらしいほどだ。そんなノエルが誘拐犯の一人に親しみを感じ、「親友」という関係になる。作中にも引用されるオー・ヘンリー「赤い酋長の身代金」をも思わせる展開。ノエルは、二重の意味で救い出される必要があるのだ。
 ノエル救出は、彼が抜群の歌唱力で歌う童謡〈やさしいヒバリ〉が鍵となる。その〈やさしいヒバリ〉が少年たちの歌声でパリの空に響きわたるとき、ノエルも「親友」も救われる。詩的で晴れやかな本書のフィナーレだ。
 スプートニク・ドゥの名(迷)犬ぶりに笑わせられ、身代金受け渡しまでのサスペンスに胸高鳴る。年齢に関係なく楽しめる、爽快で心優しいジュブナイルミステリの佳品。

■ジョルジュ・シムノン『メグレとマジェスティック・ホテルの地階』(ハヤカワ・ミステリ文庫)■


『メグレと若い女の死』の映画化を機に、ハヤカワ・ミステリ文庫から『メグレと若い女の死』『サン=フォリアン教会の首吊り男』が新訳版で刊行されたのは嬉しい驚きだったが、三冊目となる『メグレとマジェスティック・ホテルの地階』(1942) は、「EQ」誌に『メグレと超高級ホテルの地階』として翻訳掲載されたのみで、我が国では単行本化されていなかった長編(新訳)。
 メグレ物中期の代表作として知られ、シリーズ屈指の謎解きミステリともいわれる。

 パリの高級ホテルの地階のロッカーで女性の死体が発見された。発見者は、ホテルの地階で働くドンジュという男。被害者は、カンヌで働いていたときドンジュと関係があった。状況証拠は、彼が犯人であることを示しているが、メグレは、真犯人は別にいるとにらんでいた。だが、ドンジュは匿名の告発によって勾留されてしまう。そして、第二の事件が起きる…。

 本書を読むと、メグレが庶民とともにあり、庶民の哀歓に寄り添っていることが再確認できる。ドンジュという男は、超高級ホテル《マジェスティック・ホテル》の地階で働く男、〈コーヒーと軽食の準備室〉の主任である。ホテルの地階には、厨房やスタッフルーム、従業員食堂など様々な部屋があり、150人以上が働いている。どれもガラス張りになっており、捜査に当たるメグレは水族館の中の水槽の前を歩いているように感じる。ガラスの向こうでは、人々がうごめき、忙しさの絶頂時には映画の早まわしのようだ。もちろん、この水槽で働く人々は、きらびやかなホテルの上階にいる金持ちやセレブたちと対比されている。地階のロッカーで殺された女は、カンヌのキャバレーで働いていた女で、今はアメリカ人の富豪の妻の座に収まって、ホテルのスイートルームに滞在している。庶民から上流階級に渡った女がホテルの階段という通路を下りてきた地階で、過去に直面し殺されるのは象徴的である。メグレの立ち位置は、この地階で働く人々の側にある。
 殺された女のアメリカ人の夫は名望家であり、ボノー予審判事からは、メグレとは住む世界が違うクラーク氏と関わるなと命じられている。メグレはドンジュの無実を確信するが、メグレから「何もしらないお坊ちゃん」と揶揄されるボノー予審判事は、ドンジュを勾留する。犯罪捜査でも、メグレは、二つの世界に直面しているわけだ。後の、英語ができないメグレとフランス語ができないクラークが対峙するシーンは、ユーモラスでもあり、揺るぎないメグレの負けん気が発揮されていて爽快である。円熟味を増したメグレ像がここにある。
 一見単純な事件の裏に複雑な陰謀のにおいを嗅ぎつけたメグレの真相への迫り方も独特なものがある。突発的に出張し、カーニヴァルの花のパレードでにぎわうカンヌで、過去にドンジュらに「起きたかもしれない情景」を目に浮かべる。
 最重要な手がかりを手に入れるのは、冒頭の「水槽」に身を置き、ドンジュの仕事を追体験したときというのも、小説の結構として首尾一貫している。
 終章では、シリーズでは珍しく、メグレが鉄拳をふるい(「しかし、やる時はやるのだ」)、関係者が集まってのメグレの謎解きとなる。犯人候補は、絞られているとはいえ、メグレの犯罪の再構成は十分に説得的で、謎解きミステリとしての完成度も高い。
 編集部による解説では、「これからも〈メグレ警視〉シリーズを含めたシムノンの小説をたくさん紹介していきたい」とあるので、今後も期待したい。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)
 ミステリ読者。北海道在住。
ツイッターアカウントは @stranglenarita
note: https://note.com/s_narita35/


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