正典(コナン・ドイル本人によるシャーロック・ホームズ譚)の新訳を進めている角川書店から、新たなホームズ本が刊行された。アンソニー・ホロヴィッツ『シャーロック・ホームズ 絹の家』(駒月雅子訳)である。角川書店グループは、BBCドラマ「SHERLOCK シャーロック」のソフトを出している関係もあって、ここのところ特にシャーロック・ホームズに力を入れているようだ。

 本作は、コナン・ドイル以外の作者が書いたホームズ物、いわゆる「パスティーシュ」である。(但し茶化したりして笑いを主眼とするものは「パロディ」と称され、パスティーシュとは微妙に類別されている。いま風に「二次創作」と言えば両者が包括されるが。)

 本格的なホームズ・パスティーシュ長篇の邦訳としては、久々の刊行である。最近はアンソロジーや短篇集、もしくはやや変化球的作品——オカルト探偵との競演『ライヘンバッハの奇跡』(ジョン・R・キング)やアイリーン・アドラーを主人公にした『おやすみなさい、ホームズさん』(キャロル・ネルソン・ダグラス)など——の紹介が続いていたからだ。(わたしが翻訳したアメコミ『ヴィクトリアン・アンデッド』に至ってはホームズがゾンビと闘うという超ゲテモノだ。)本作は、何かと混ぜ合わせていない、そしてあくまでワトスン博士の視点から描いた、正統派のシャーロック・ホームズ探偵譚である。

 本作はコナン・ドイル財団により認定された、公式作品。もっとも、同財団の許可を得て刊行されたパスティーシュは、これまでにも数ある。だが本作は、それらとは一線を画している点がある。それは、コナン・ドイル財団が初めて公式認定した「続篇」であるということだ。つまり、コナン・ドイルによる六十作のシャーロック・ホームズ・シリーズに続く、六十一番の作品、という位置付けなのだ。原作が出版された際にも世界的なニュースとなり、わが国にも配信された。否が応でも期待が高まろうというものではないか。

 作者アンソニー・ホロヴィッツは英国のミステリ作家で、《女王陛下の少年スパイ!アレックス》シリーズや、《ダイヤモンドブラザーズ》シリーズは邦訳もされている。脚本家でもあり、《名探偵ポワロ》シリーズなど参加ドラマ多数。

 作品は、語り手たるワトスン博士による序から始まる。シャーロック・ホームズ最後の物語についての解説だ。そしていよいよ、事件が語られる。舞台となるのは一八九〇年。ホームズが精力的に活動しており、モリアーティ教授と対決する「最後の事件」が発生する前年のことだ。かつてアメリカで大事件に巻き込まれた美術商が、不審な出来事について相談に訪れる。ホームズは「ベイカー街不正規隊(イレギュラーズ)」の面々に手伝いをさせるが、そのひとりである少年がおかしな行動をとったところから、話は意外な方向へ進む。謎の「ハウス・オブ・シルク」とは一体何なのか、そしてホームズを待つ恐ろしい運命とは……。

 ハドスン夫人、イレギュラーズ、そしてレストレイド警部と、正典でお馴染みのメンバーが次々と登場するし、序ではホームズとの出会いが改めて語られるしで、思わずニヤリとさせられる。

 またアメリカでの出来事が事件の発端となっている、というところも、いかにもそれらしい。正典では、『緋色の研究』「五つのオレンジの種」「赤い輪」などがこのパターンなのである。

 個人的に(あくまで個人的に)残念だったのは、正典六十作とは異質な要素も入っていたところ。その内容ゆえに公表されずにきた事件、という設定なので、(正典にはない)非常にショッキングな真相が明かされるのだ。また、本作はワトスンがホームズの死後に執筆した、という設定になっているのだが、正典では用いられたことがないパターンだ。「公式続篇」「六十一番目のホームズ譚」と銘打たれているので、当方はそれこそ正典と並べたら完全に混ざりこんでしまうような作品を期待してしまっていたのだ。たとえば、ジョン・ディクスン・カー&アドリアン・コナン・ドイル『シャーロック・ホームズの功績』収録の諸作や、ロナルド・A・ノックスの「一等車の秘密」や、一時は本当に六十一番目の作品と思われてしまったアーサー・ホイティカー「指名手配の男」のような。

 とはいえ、本格パスティーシュとしてはよく出来ているし、公式続篇として本国で話題になった作品を、一年ちょっとで邦訳・刊行してくれた版元・角川書店および訳者の駒月雅子さんには、ひたすら感謝するしかない。ここのところダウニーJr.主演映画「シャーロック・ホームズ」シリーズや、ドラマ「SHERLOCK シャーロック」のおかげで、ホームズ関係書出版の機運が高まっている。ファンとしては「もっと、もっと!」と応援する次第である。

北原 尚彦(きたはら なおひこ)

東京生まれ、東京在住。青山学院大学卒。主な訳書は『ドイル傑作集全5巻』(共編訳)『シャーロック・ホームズの栄冠』他。主な小説は『首吊少女亭』『死美人辻馬車』他。主な古書エッセイは『古本買いまくり漫遊記』『SF奇書天外』他。主な編書は『怪盗対名探偵 初期翻案集』他。最近はアメコミ『ヴィクトリアン・アンデッド シャーロック・ホームズvs.ゾンビ』(小学館集英社プロダクション)も翻訳。

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