全てが企業の営利に優先される近未来(ちなみにセカンドネームはその人の所属する企業名になっている)。政府所属の捜査官は捜査予算獲得のため、殺人事件の被害者遺族に寄付をねだる。異常だが徹底した資本主義の論理により世界は動いている。そんな『ジェニファー・ガバメント』のマックス・バリーが、同じく徹底した論理に基づいて描いたのが『機械男』だ。作品は衝撃的な一文で始まる。

 子供のころ、ぼくは列車になりたかった。

「え? しょっぱなから誤植? “のりたかった”じゃ?」と思って二度見したのはわたしだけだろうか。もちろん、これは誤植でもなんでもない。本書の主人公であるチャールズ・ニューマンは、本当に列車という驀進する鋼鉄の駆動体になることに憧れる少年だった。

 チャールズ・ニューマン——三十過ぎ、童貞、優秀な技術者。こういっちゃ悪いが冴えない男だ。性格診断のテストを受ければ対人共感性の項で零点を取るくらいだから、当然人付き合いは苦手。それをギーク(=理系オタク)的なパーソナリティーが後押ししている。だけど、自分以外の人間は愚かだと見下しているわけでもない。他者と交流することも拒んではいない。彼は一人胸の裡をこう明かしてくれる。

 なにしろ友達はいないし、家族とも疎遠だし、この十年というものデートをしたこともないのだから。研究室管理部にいる男なんか、交通事故で女性を死なせてしまったというのに、いつもパーティに呼ばれている。どうなってるんだ。

 チャールズは大好きな研究開発の仕事を続けながら、釈然としない世界に対してほんのちょっと不満を抱えて生きている。冴えないし、ズレたとこはあるけど、間違いなく悪い奴じゃない、そんな男に転機が訪れる。ある日実験室で機械を稼働させたときに、紛失した思っていた大切な携帯電話が視界に入る。迷いなく歩み寄ってその携帯電話に手が届こうとしたとき、実験用機械に右脚が挟まれてしまう。その機械の名は〈大万力〉。

 病院で意識が戻ったチャールズは右脚の切断という事態に直面する。空気の読めない看護師や医者にうんざりする中(決して悲嘆に暮れたりはしないのに注目)、義肢装具士のローラと出会う。彼女はチャールズを見るなり、「傷口が見事だ」の、「大腿切断の方が下腿切断より自分の技術を奮えて好きだ」のと、かなりぶっ飛んだことを言い放つ。だが、技術者同士通ずるものがあり、外観が生身の脚に近いものより、技術的に最高品質のものを装着することで合意する。

 そして、脚の切断という悲劇的な事故より、もうチャールズはローラとリハビリするのが楽しみで仕方がない。しかし、このローラも並の女じゃない。カフェテリアで「誰かに気づかれるまでに何人に毒を盛れると思う?」「あたしは大勢だと思う」なんてことを言い出す女にベタ惚れのチャールズ。だが、これは障害を負った人間とそれを支える人間の関係を、恋愛関係だと勘違いしているだけだと非モテらしく自己完結し、チャールズは退院する。

 復帰した職場で自由な裁量の元、チャールズは「もっと便利な脚が作れないだろうか」と考え、義足の製作に熱中する。出来上がったのは、GPSや Wi-Fi搭載の自動目的地誘導型の高性能多機能義足。早速、連絡を断っていたローラを呼びだし感想を尋ねると、「すてき。ものすごくすてき」と言われ有頂天になるチャールズ。だが、ローラが帰った後に生身の左脚を見ると、それは「ぷよぷよで、ひ弱で、平凡」。そして、ローラに見せた義足をさらに改良し、彼は「一対」の義足を完成させる。のちに〈美脚〉と名づけられる見事な義足を前にチャールズはある決断をする。今度は自らの意思で、〈大万力〉の前に立ち……。

 この後は是非本書を読んでもらいたい。上記までの痛々しいシーンの中でさえ貫かれたポップな語り口はそのままに(特に126ページの解放感は素晴らしい)、チャールズは身体の機械化の研究/初めての恋人にのめりこんでいく。そして、ある陰謀の存在が明らかになり、彼は〈美脚〉と共に都市を疾駆する。

 本書は、ギーク青年の身体機械化と恋の物語を軽快な文体で、さらりとノンストップで描いている。それだけでも一気読み確実の娯楽作なのだが、あるテーマも通奏低音として流れている。10年以上前に刊行されながら、現在でも示唆に富んだ名著がそのテーマを端的に説明してくれている。

 既存の身体イメージ、歴史的・社会的に規定された相対的なものでありながら、しかし、遺伝学や優生学といった「科学」によって、「自然な身体」という神話に覆いつくされた、この身体イメージを打破し自己開放するための手段としての、機械身体である。(中略)それは限りない自己損壊の可能性を秘めた危険な賭けでもあった。

   (永瀬唯『肉体のヌートピア ロボット、パワードスーツ、サイボーグの考古学』

 現在の義肢は、残っている生身の部位と同等に機能し/反応し/触覚を持つことが理想であり、究極はiPS細胞の見せる夢のように全く同じ「自然の身体」の復活にあるのではないだろうか。神から与えられたそのままの身体が最上という、キリスト教的なファンタジーによるものかどうかはさておき、本書でチャールズにローラが最初に提示したのは、機能より外観が人間の脚に近いものだった。

 たとえば、ディック・フランシスが生み出した元騎手の調査員シッド・ハレーは、『利腕』で調査を中止しなければ残った右腕も義手にしてやると脅される。彼は生まれてからずっと付き合った右腕も失うことを恐れて一時調査を中断するものの、自らの矜持に従って再び調査を始める。そこで描かれる恐怖と葛藤から——70年代という時代の節電義手の性能を抜きにして——我々は「自然な身体」という身近な神話の説得力を感じることができる。

 だが、本書の主人公チャールズは自らの意思で、遥かに優れた機能があるからと生身の脚より義足を選ぶ。そこには悲劇性も葛藤も全くない。ただ単に「一番凄いものが一番いい」という無邪気な合理性の果ての高機能化だ。チャールズは「自然な身体」という神話を信じる側から見れば彼岸の人間であり続ける。チャールズがローラと結ばれたのも、彼にとってローラだけが同じ岸で寄り添ってくれた人間だったからにほかならないと、わたしは信じている。

『機械男』は軽快な語り口と、声高に語らないが考えさせるテーマが両立された、ポップでキュートでグロテスクだけど一度読み始めたら目が離せない「変な」作品だ。夏の暑さで「自然で不自由な身体」にガタがくる前に、本書で一度リフレッシュはいかだろうか。

大谷 暁生(おおたに あきお)

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駆け出しレビュアー。ボンクラな小説・映画・漫画が日々の糧なエルロイ信者。よろず仕事募集中。奇特な方はtwitterにてご連絡を。

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