ひょっとして、この作品が映画化されていれば、映画史は大きく変わったかもしれないと妄想させるような一冊が紹介された。ニコラス・ブレイク『短刀を忍ばせ微笑む者』(1939 原題 The Smiler with the Knife )がそれ。映画化を目論んだのは、不朽の名作『市民ケーン』撮影前のオーソン・ウェルズ。

 1938年、H・G・ウェルズの『宇宙戦争』の迫真的なラジオドラマ化で、リスナーにパニックを引き起こす大騒動を巻き起こした「神童」オーソン・ウェルズは、RKO映画で、自らの製作・監督・脚本・出演による2本の映画をつくることを契約する。コンラッド『闇の奥』等と並び、映画化に着手した一本が本書だったのだ。

 この辺りの事情は、ジョナサン・ローゼンバウム編『オーソン・ウェルズ その半生を語る』に詳しいが、主演女優には、50年代にTVドラマ「アイ・ラブ・ルーシー」で一世を風靡することになるルシル・ボールを起用。脚本には、ハーマン・J・マンキウィッツも参加し、準備稿も完成していたが、RKOは、ルシル・ボールの起用に首を縦にふらず、企画は断念に追い込まれたという。 

ウェルズは、その映画を「笑劇(ファース)になるはずだった」というが、ユーモラスな要素も含んでいるものの、原作を読んで受ける印象はかなり違う。

『短刀を忍ばせ微笑む者』は、『証拠の問題』でデビュー、巧みな性格描写と文学性でミステリに新風を吹き込み、前作では『野獣死すべし』という名作を物したブレイクが、5作目にして作品世界の転調を試みたとおぼしい異色作だ。

 ナイジェル・ストレンジウェイズとジョージアの夫妻は、ふとした事件をきっかけに、政府の転覆を図る陰謀がイギリス全土に張り巡らされていることを知る。ナイジェルの叔父でロンドン警視庁大幹部の要請を受けたジョージアは、組織への接近を図り、組織を操る黒幕の正体を探ろうとする。

 いわゆる潜入捜査物ともスパイスリラーともとれる設定。筋だけみると、刑事が無政府主義者の黒幕の正体を追うファンタスティックな冒険譚、チェスタトン『木曜日だった男』に似ているし、ジョン・バカンの『39階段』やエリック・アンブラーの諸作の系譜に連なる物語でもある。

 しかし、こうしたイギリス伝統の冒険譚の主人公は、いずれも男と相場が決まっていた。シリーズ探偵ナイジェルを後景に退かせ、もとは名うての冒険家とはいえ、37歳の主婦を主役に据えた本作の設定は画期的ではないだろうか。女性ハードボイルド小説の開拓者サラ・パレツキーが本書を好きなミステリ十作の一つに挙げているそうだが、そうした作品の先駆性に対する評価も含まれているのかもしれない。

 ジョージアは、捜査機関の人間すら信用することのできない世界に放り込まれる。これまでの見慣れたイギリス社会の風景が見知らぬものとなり、「誰が友か誰が敵かは不明」な状況で、彼女の孤独な探求が続く。まるで世界が裏返されたような不安と緊張がヴィヴィッドに描かれるのが、本書の大きな魅力。

 本書の刊行年には、英仏が対独宣戦を布告し、第二次世界大戦が勃発している。直前の不穏な政情を背景に、モズレー卿によるイギリスファシスト連合が国民の一定の支持を受けていた事実を思えば、物語の設定には必ずしも絵空事とはいえないアクチュアリティがあったはずだ。

 ブレイクらしさは、黒幕の正体探しの際の文学的仕掛けや、黒幕の魅力的で悪魔的な人物造形にもよく現れている。終盤にかけては、本書と同年の名作G・ハウスホールドの『追われる男』のごとく、ジョージアは組織に「追われる女」となり、ウェルズも言及している、サンタクロースに扮した脱出などの映像的な趣向を凝らした息詰まる逃亡劇が展開する。 

 この大変化球ともいえる冒険譚が、『宇宙戦争』と同年には『木曜日だった男』や『39階段』といった作品をラジオドラマ化しているオーソン・ウェルズの心に食い込んだのは間違いない。幻には終わってしまったが、ルシル・ボールがジョージアを、そして人心を魅了する悪魔的黒幕をウェルズ自身が演ずるファース的冒険映画を想像の大スクリーンに映し出してみるのは、空想がちな読者の特権かもしれない。 

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)

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 ミステリ読者。北海道在住。

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