「今の翻訳ミステリー大賞シンジケートは、過去の名作についての言及が少ない!」ーーそんなことをお思いの方はいらっしゃいませんか?

そういう方向けの連載が今回から月イチで始まります。犯罪小説が大好きでしかたがないという小野家由佳氏が、偏愛する作家・作品について思いの丈をぶつけるコラムです。どうぞご期待ください。(事務局・杉江) 

 87分署シリーズで有名なエド・マクベインは、複数のペンネームを作風によって使い分けている作家である。中でも本名のエヴァン・ハンター名義の作品はシリアスなストレート・ノヴェルで……といった紹介がいまいちピンとこないのは、僕が読んだ初めてのハンター名義作品が『悪党どもとナニー』(1972)だったからでしょう。
 マフィアのボスの息子が誘拐されてしまった、という発端から大小様々な悪党を巻き込んでの大騒ぎが始まるこの作品は、ただただ楽しいクライム・コメディで、読み終える頃にはすっかり「エヴァン・ハンター名義は、こういうイカしたクライム・ノヴェルを書いてるんだな」と思うようになってしまっていました。
 その後、『暴力教室』(1954)『黄金の街』(1974)などのハンター作品を読んで、シリアスなストレート・ノヴェルを書くという世評が間違っているわけではないことを知りましたが、それでも、それらの作品からも犯罪小説の香りと、全体に漂うユーモアとペーソスは感じられました。
 周りの環境、あるいは時の運などに恵まれなかった故に苦境に陥ってしまっている人たちのことをしっかりと見据え、彼らが何を考え何をするのかをリアリティを持って描く手際、それでいて暗くならない全体の雰囲気。一見、正反対の作風に思える『悪党どもとナニー』と『暴力教室』ですが、その部分はちゃんと通じているのです。
 僕は恐らく、そこが好きなのです。シリアスであろうと、ユーモアであろうと、彼の作品は楽しく読めてしまう。
 中でも今回紹介する『ハナの差』(1967)は、何もかもが好みな作品でした。
 落ちぶれに落ちぶれた男が自分の人生を賭けて奔走する、いかにもハンターらしい、イカしたクライム・ノヴェルです。
 
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 アンドリュー・ムラニイはその日、金策のために街を駆けずり回っていた。
 絶対に当たる大穴の情報を仕入れたが、馬に賭けるための金がなかったので、どうにかして種銭を手に入れようとしているのだ。
 しかし、定職にも就かず、妻にも捨てられた三十九歳のギャンブラーに金を貸してくれる人など何処にもいない。
 こいつなら、と思ったアテも外れ、肩を落としながら歩いていたところ……突然現れたキャデラックに連れ込まれる。なんだなんだと思っている内に気絶させられ、気がつけば奴らが運ぶ棺桶の中。何故だか知らないが、ギャングどもに攫われてしまったらしい。
 何もかも分からない中、彼はどうにか決意する。
 殺されてたまるか。俺は逃げ延びて、あの大穴に賭けるんだ。金目の話なら、逆に利用してやろう――かくして、ムラニイ君の一世一代の大冒険が始まった!
 本来なら何も関係ない騒ぎに主人公が放り込まれる、いわゆる巻き込まれ型のストーリーです。
 これが、とにかく面白い。
 粗筋で述べた突拍子もない冒頭から最後の最後まで、ひたすらにハイテンションに物語は展開していきます。
 墓場からユダヤ教会、図書館に至るまであちらこちらで繰り広げられるギャングとムラニイ君の追いかけっこはとにかく波乱万丈、バカバカしいことから恐ろしいことまで目白押しの珍道中で、しかも一章一章「あっ、そっちに転ぶの?」という意外な展開がある。台詞や地の文に散りばめられたユーモアも、読者をいちいち笑わせる。
 あっちこっちに飛ぶ展開は、ともすればチグハグな印象を読者に与えかねない程なのですが、そこをしっかり手綱を引いて、あくまでムラニイ君の物語としてまとめあげている。ハンターの小説巧者である所以でしょう。
 
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 『ハナの差』には、二人のヒロインが登場します。
 一人は、ギャングのボスの愛人メリリー、もう一人はムラニイの元妻アイリンです。
 メリリ―は、ムラニイがギャンブルをしなければ出会わなかった剣呑な美女です。
 ギャングのボス、クルーガーの愛人でありながら、決して彼に支配されることはない。冷徹に、その場その場での損得勘定を行いながら動き、ムラニイを掌の上で弄ぶ。そんなキャラクターです。
 ムラニイはこの騒動を乗り越え、金を手に入れた先に彼女との未来があると信じ、奮闘をしていくわけですが……何故か、彼はことあるごとにアイリンのことを思い出します。
 彼女は、メリリ―とは対照的に、ムラニイがギャンブルによって失ってしまった女性です。
 落ちぶれてしまった、と上で書いている通り、ムラニイは最初から無一文だったわけではありません。かつては百科辞典のセールスマンというまともな職に就いていて、妻と二人で暮らしていました。
 しかし、ある時からギャンブルの世界に首まで浸かってしまい、アイリンと別れてしまうのです。
 本書において、アイリンは現在パートに直接顔を見せることはありません。基本的にムラニイの回想の中だけにしか出てこないキャラクターです。
 ですが、過去の話が挿入されるたびに、彼女の像ははっきりとしていき、やがてはアイリンはメリリ―に負けないくらいの確かな存在感を持つようになるのです。
 この二人は、ムラニイとの関係が示す通り、現在と過去、あるいは賭け事と堅実な生活をそれぞれ象徴していて、やがて、彼がどちらを選ぶのかというところに物語の焦点が定まっていきます。
 
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 それこそ、ハナの差で決まる接戦のように、本書は最後の最後まで、どうオチるのかを読者に読ませません。
 ムラニイが散々引きずり回されたギャングが絡む大金の問題は、結局どういう構図なのか。彼はその金を手に入れることができるのか。それから、現在と過去どちらを選ぶのか。選んだとして、望むものを手に入れることができるのか……物語の中で提示された幾つもの問題には、それぞれ、意外性のある解決が待っています。
 痺れてしまうのは、この結末に愛とユーモアとしか言いようがないものがあることです。
 ハンターは、この話全体に散りばめられたものを拾い上げて、しっかりと綺麗にまとめるのですが、そのまとめ方にどうしようもない人間をそのまま愛するようなヒューマニズムがあり、僕はそこにジンときてしまいました。
 生来のどうしようもない性質と、運の悪さのせいで落ちるところまで落ちたムラニイという男と、彼が追う憧れの対象の女たち。
 彼らのことを描く小説としての軸が、とことんブレていないのです。
 
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 ひょんなことから素人がプロの悪党の絡む大騒動に巻き込まれてしまうというのは犯罪小説のひとつの典型で、有名作だとドナルド・E・ウェストレイクの『我輩はカモである』(1967)がすぐに思い出されるところですが、『ハナの差』はこの作品と比べた時、一つ、大きな違いがあります。
 それはムラニイが、最初から最後まで、まったくもって成長しないということです。
 彼はこの騒動を経て良くも悪くも別の人間にはなりません。ずっと、ムラニイのままなのです。
 僕はここにハンターらしさを感じます。
 思えば『暴力教室』だって、分かり合えない人はあくまで分かり合えないのだ、とそのまま書くだけの小説でした。けれど、ほんの少し、状況が好転する契機がある。
 ハンター作品のこの塩梅に、僕はどうしようもない人間でも真っ直ぐに受け止めてくれる優しさのようなものと、心地よさを感じてしまうのです。

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小野家由佳(おのいえ ゆか)
ミステリーを読む社会人三年生。本格ミステリとハードボイルドとクライムコメディが特に好きです。Twitterアカウントは@timebombbaby