書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 書評七福神の二人、翻訳ミステリーばかり読んでいる翻訳マン1号こと川出正樹と翻訳マン2号・杉江松恋がその月に読んだ中から三冊ずつをお薦めする動画配信「翻訳メ~ン」、ひさしぶりに新作動画をアップしました。よかったらそちらもご覧ください。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

千街晶之

『魔女の組曲』ベルナール・ミニエ/坂田雪子訳

ハーパーBOOKS

 ラジオの人気パーソナリティー、クリスティーヌに襲いかかる罠、罠、罠。婚約者との仲を断たれ、職場での信用を奪われ、やがて直接的な危害が彼女の身に及ぶ。およそミステリ史上、これほどまでに執念深くあの手この手でひとりの人間を追いつめる悪意も珍しいのではないか。あまりの悪辣さに読者は怒り、恐怖し、読み進めるのが耐え難く感じるかも知れない。だが、膨大な字数を費やして読者の中に掻き立てられたその感情こそが、真相から目を逸らさせるミスディレクションの役割を果たすのだ。読者を引っかけるためならミステリ作家とはここまでやるのだ、という意味でも畏怖に値する小説である。なお、下巻の登場人物紹介欄はややネタばらし気味なので先に見ないこと。

 

川出正樹

『魔女の組曲』ベルナール・ミニエ/坂田雪子訳

ハーパーBOOKS

 デビュー作『氷結』で、厳寒のピレネー山脈を舞台に、ロープウェイに吊された馬の首無し死体で幕を開ける連続殺人事件の謎をアウトドア派の美しき女性憲兵隊大尉とともに追ったセルヴァズ警部が還ってきた! 探偵自身の事件である二作目『死者の雨』の後を引くラストから待つこと二年と四カ月。いそいそとページを開いた『魔女の組曲』ですが、よもやセルヴァズが、こんなにも苛酷な目に遭うシーンで幕を開けるとは思わなかったよ。容赦ないなベルナール・ミニエ。しかも今回セルヴァズとともに主役を務めるラジオ・パーソナリティのクリスティーヌを襲う生き地獄のような状況ときたら、ここまで徹底するのかと感心してしまう。

 クリスマス・イヴの夜に差出人不明の自殺予告状が送られてきたときから、平穏に思えていたクリスティーヌの人生は狂い始める。脅迫と中傷、疎外と孤立、そして殺人。誰が、何のために、彼女を破滅させようとするのか?

 徐々にどん底から復帰していくセルヴァズ警部と、瞬く間におちていくクリスティーヌ。二人の物語がどこで交わるのか気になってページを繰っていくと、後半、エッという転調が。なるほど、こういう世界の話だったのか。ぞくぞくする猟奇性と謎解きミステリ・ファンのツボを的確に押さえつつ、テンポ良くスピーディーに展開するストーリーで、『蝶々夫人』を始めいくつものオペラを周到に配した構成が結実するクライマックスまで一気に読ませる。シリーズ三作目ですが、巧妙にネタばらしを回避しているので本書から読んでも大丈夫。〈ジャン=クリストフ・グランジェ・チルドレン〉の中でも、一、二を争うミステリ巧者の技を堪能してみてください。

 

霜月蒼

『天使は黒い翼をもつ』エリオット・チェイズ/浜野アキオ訳

扶桑社ミステリー

 名のみ聞く伝説の名作は、伝説ほどの傑作ではないことが多い。しかし本書はまぎれもない傑作である。刑務所から脱走した男が女と出会い、現金輸送車襲撃計画に着手する、という話であり、「運命の女(ファム・ファタル)」ものの常として、この男女が破滅するだろうことは容易にわかる。

 しかし小説は、何が起こるかよりも、どう書くかが重要なのであり、その点で『天使は黒い翼をもつ』は唯一無二の不穏な傑作となっている。上記のプロットは主人公の意識の奇妙な歪みによって、ひしゃげたレンズ越しに投映されたように異様な像となる。主人公は酷薄な犯罪者のように見えつつ、いくつもの罪悪感にさいなまれており、それが彼というレンズをひずませている。それはエルロイの『ホワイト・ジャズ』における「ジョニーは懇願する」のフラッシュバックに似たオブセッションの病臭を濃厚に匂わせ、ジム・トンプスンの奇怪なヴィジョンと共振するものだ。トンプスンの系譜に連なるノワール作家はきわめて稀だが、本書は、ジェイソン・スターの諸作やケント・ハリントン『死者の日』を超えるトンプスン式フィーヴァードリーム・ノワールの傑作だと思う。必読。

 なお「ありがちなトリビア系ミステリ」だろうと舐めていた「生物学探偵セオ・クレイ」シリーズがとびきりヘンなスリラー・ミステリだったことに遅まきながら気づいたので、ここでクレイ博士にお詫びしたい。新刊『生物学探偵セオ・クレイ 街の狩人』が前作の内容を無造作にばらしているので、シリーズ順に読むのをおすすめする。

 

北上次郎

『生物学探偵セオ・クレイ 街の狩人』アンドリュー・メイン/唐木田みゆき訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 最初に気になることを書いておく。このまま行くと、アンドリュー・ヴァクスの探偵バークになりはしないか。ひらたく言えば、自警団ヒーローへの道だ。
 シリーズ第1作の、前作のラインを出来れば守ってもらいたい。
 その危惧はあるものの、これはギリギリでセーフ、というのが、私の判断だ。
 次作がとても心配だけど。

 

吉野仁

『魔女の組曲』ベルナール・ミニエ/坂田雪子訳

ハーパーBOOKS

 まずは、何者かの巧妙な手口により、ヒロインがどんどんと悪者に仕立て上げられていく展開がつづく。自身の運命を大きく狂わされてしまうのだ。もっとも前半の途中くらいまでのこうした展開は、サスペンスとしてめずらしいものではない。しかし、今月いちばんに推したいほど、ぐっと面白くなるのはその先。詳しくは書けないが、なんと宇宙スケールの話にまで広がるとは驚きで、シリーズの主役であるセルヴァズ警部の視点によるもう一方の捜査展開と相まって、ミニエならではの外連味がどんどんと発揮されていく。ホリデーシーズンに連発される派手な打ち上げ花火のごときフランスミステリだ。そのほかアンドリュー・メイン『生物学探偵セオ・クレイ 街の狩人』は、第一作目とは舞台の風景を大きく変えつつも、専門である生物学だけではなく最新科学の知識と論理を総動員して事件を解決していく物語の面白さは健在で、今後も楽しみなシリーズのひとつとなった。

 

酒井貞道

『魔女の組曲』ベルナール・ミニエ/坂田雪子訳

ハーパーBOOKS

 複主人公制(シリーズの主役セルヴァズ警部と、本作単体の登場と思われる、ラジオパーソナリティーのクリスティーヌ)を採る本作は、とにもかくにも、クリスティーヌへの謎のストーキング行為が圧巻である。脅迫、家宅侵入、ハッキング、なりすまし、流言飛語、名誉棄損、器物損壊などなど手を変え品を変え、クリスティーヌを追い詰める。しかもクリスティーヌがどんなに愁訴しても、警官含めた誰もが彼女の自作自演や妄想障害を疑うように、手口は常に巧妙なのである。さらには、全900ページ近くの中で700ページが過ぎる辺りまでエスカレート一辺倒だ。セルヴァズ警部のパートは一見クリスティーヌとは全く違う事件を冷静に追っているように見えるので、そこで息抜きは可能とはいえ、この間ずっと《主人公であるクリスティーヌはストレスに晒され倒し》、《気が休まる時がない》のである。こういう作品は通常私は好まない。しつこく感じられるうえに、正直よく単調になるからである。しかし本書では全く退屈せず、最初から最後まで一気に読んでしまった。理由は色々考えられるが、クリスティーヌのこれまでの人生であるとか、彼女周辺の人物の性格や会話が丁寧かつ鮮やかに描き込まれているのが大きい(注:もちろん、その描写内容がすべて真実とは限らない。ミステリですもの、一部に欺瞞が紛れ込んでいる)。要は読んでいて楽しいのだ。この種のストーリーで、「読んでいて楽しい」と思えたのはほぼ初めてである。そしてセルヴァズ警部のパートも、加速度的にとんでもないことになっていく。いやあ楽しかった。終盤の逆転劇や決着の付け方も見事である。もちろん何がどう見事かは書けませんが。ということで、強くおススメします。

 

杉江松恋

『怪物』ディーノ・ブッツァーティ/長野徹訳

東宣出版

 

 先月、先々月言っていた作品が実は2月刊行で、いったいどれだけ解説の〆切が早かったのか、と感心している。来月もしかすると気が変わって別の作品を挙げてしまうかもしれないので署名だけ書いておくと、ヨルン・リーエル・ホルスト『カタリーナ・コード』なのである。これは本当にいい小説なので読んでください。

 で、本題なのだが、先月は『魔女の組曲』を措いて他にはないと思う。長篇ならば、の話だ。短篇集ではもうディーノ・ブッツァーティ『怪物』を力いっぱい推したい。『魔法にかかった男』『現代の地獄への旅』に続く未訳短篇集の三冊目だ。いちおうこれで企画は終了なのだが、ぜひ続けて訳してもらいたい。ブッツァーティはイタリアを代表する幻想作家の一人であり、読者を不安にさせる名人である。それまで当たり前に甘受していた日常の平和がぶった切られて、突如おかしなものが顔を覗かせる。読者の中には、あまりのことに笑ってしまう、という体験をしたことがある人がいるかもしれないが、ブッツァーティが提供するのはまさにそれだ。表題作は、見てはならないものを目撃してしまったために元の暮らしを失ってしまうという物語である。それが恐怖ではなくて笑いの方に転がる場合もあって、「エッフェル塔」という短篇などはとんでもない法螺話で呆れるしかない。この唖然とするような読書体験を、ぜひ多くの人に味わってもらいたいのである。本当、口がぽっかり開いて魂が出て行っちゃうような気分にさせられるから。

 

フレンチ・スリラーが大人気の一月でした。それも含めてシリーズものが強かったような印象がありますが、新しいブランドとして育っていくといいですね。さて、二月はどんな作品が翻訳されるのでしょうか。また来月お会いしましょう。(杉)

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧