論創海外ミステリがまたやってくれた。アンドリュウ・ガーヴの実に42年ぶり!の邦訳。

ガーヴといえば、1950年の『ヒルダよ眠れ』以降、60年代にかけてサスペンスを主軸に、ときに本格ミステリ、ときに冒険小説の味わいを濃厚にもつ、多面的で多彩な作品群を発表した作家。作品の多くは、ハヤカワ・ポケット・ミステリで紹介され、我が国でもファンが多かった英国ミステリの雄だが、現在、新刊で入手できるのは、『ヒルダよ眠れ』しかないようなのは、残念だ。

 ガーヴ名義の代表作は?となると、ファンの間では、ちょっとした口論が起きるかもしれない。次第に明らかになる悪女の肖像が素晴らしいマイルストーン的作品『ヒルダ〜』、冒険の醍醐味+どんでん返しの『レアンダの英雄』、幻惑のストーリーと長く記憶に残るクライマックス『ギャラウエイ事件』、奇抜すぎる犯罪計画『メグストン計画』などその候補はいくつもある。ちなみに筆者は、地味ながら謎が解けていくプロセスが実に気持ちいい『カックー線事件』がお気に入り。

 この度、紹介された『殺人者の湿地』(1966)は、そうしたひいき筋の口論のタネを付け加える秀作だ。

 ノルウェーで休暇中の青年、アラン・ハントは、埠頭に降り立った一人の娘に眼をとめる。歳の頃は、せいぜい二十歳。抜群のプロポーションと深いブルーの瞳をもつグウェンダは、もぎたての果実のようだった。厳格な彼女の両親の目をかいくぐり、夢見がちな生娘とひとときの情事を楽しむことは、女たらしのアランには簡単なことだった。

 しかし、偽りの住所を教えて英国に帰ったアランの前に、ある日グウェンダが現れ、おなかに赤ちゃんがいる、と告げる。富豪の娘と婚約中のアランにとって、グウェンダは邪魔者にすぎなかった。

 ここまでが小説の冒頭部分。アランは、「道徳心や良心が欠落した」「根っからの悪党」。エゴイストが自らの将来のために交際した娘が邪魔になり、犯行を企てるという倒叙的な展開から、アイラ・レヴィンの名作『死の接吻』を連想するむきもあるだろう。

 しかし、一見単純に見えた道行きが第二部に至って、霧に包まれるように視界不良になっていくところが、本書の真骨頂。グウェンダの失踪が明らかになって捜査陣が乗り出すが、単純な倒叙ものではないことが次第に読者にも明らかになってくる。

 犯罪の進行を描きながら、決定的な犯行場面の描写を回避するというプロットは、クロフツの半倒叙といわれる作品や、ヘンリー・ウエイド『塩沢地の霧』といった作品を連想させもする。が、本書終盤で示される意想外のアクロバットは、思わず人に話してみたくなるようなシンプルかつ大胆なものだ。

 舞台は、英国東部の広大な湿地(フェン)。地下洞や孤島、砂州、大森林といった迫力ある大自然を物語の舞台に用いてきたガーヴらしい設定で、沼沢地に群生する植物群や、泥炭、用水路、排水溝などの湿地の風景は、本書に独特の彩りを添えている。

 捜査に当たるニールド警部とダイソン巡査部長の造形もいい。人物描写はさらりとしたものにすぎないが、二人の信頼関係に基づくトライアル&エラーに説得力を与えている。

 犯罪を題材にしつつも、作品の読後感の良さはガーヴの作品に共通するものだが、ガーヴらしからぬ邪悪さに始まった本書もその例外ではない。ここにも巧者ガーヴの一種のアクロバットがあるともいえるだろう。

 240頁という短めの長編ながら、簡潔さの勝利と呼びたい力強いプロットとすっきりした結末は、本書を一読忘れ難いミステリにしている。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)

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 ミステリ読者。北海道在住。

 ツイッターアカウントは @stranglenarita

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