歴史上の人物を名探偵として活躍させる−和洋問わず、今となっては、ありふれた手法だが、その先駆けとなったのが、リリアン・デ・ラ・トーレの連作短編に登場するサミュエル・ジョンソン博士。
ジョンソン博士は、英国での初めての本格的辞書『英語辞典』の編纂やシェイクスピア全集の編集などで知られる18世紀イギリスの大文人。多彩なエピソードに事欠かない愛すべき奇人であり、その談話は今なお、英国民の人気を博している。
博士の令名が高いのは、博士より30歳以上も年下の友人ボズウェル『サミュエル・ジョンソン伝』(1791)によるところが大きい。ボズウェルが22歳のときから、この大人物に親しく接して残した大部の伝記は「今までに出た最良の伝記」(アントニイ・バージェス)といわれるほどだ。
この英国史に残る二人が、18世紀のホームズ、ワトソンとして、難事件に挑んでいくのが、本短編連作の最大の趣向。
本書は、「クイーンの定員」にも選ばれた第一短編集(1946)をはじめ、全シリーズ短編33編の中から9編を独自に精選した傑作集。いくつかの短編は、これまでも、アンソロジーや雑誌で散発的に紹介されているが、一冊にまとまった形で読むと、二人の出会いから博士の晩年までを一望することができ、シリーズ物としての魅力を改めて知らされる。
博識で頭脳明晰、エキセントリックなところもある巨漢の人情家ジョンソン博士と、少しお調子者でうぬぼれが強いボズウェルは、ホームズ&ワトソン、ネロ・ウルフ&アーチーのごとき名コンビ。このコンビが現実の二人のキャラクターによるものであることはもちろんだが、歴史上の実在の人物や事件、風俗をストーリーに巧みに絡ませているところに、本連作の香り豊かな味わいがある。
例えば、「消えたシェイクスピア原稿」は、こんな話。
シェイクスピアの故郷ストラトフォードでの記念祭に、博士とボズウェルが訪れる。かの地では文具屋の納屋から未発表のシェイクスピア戯曲が発見され町は沸いていたのだが、博士たちの面前でその原稿が忽然と消えてしまう。
博士にはふさわしい謎だが、記念祭の開催やボズウェルの訪問は史実に立脚しており、ここに実在の古書蒐集家やシェイクスピア俳優らが絡んで物語を引き立てている。博士の謎解きも、現実にあった事件のエコーを響いているものだ。この辺の虚と実のブレンド具合が絶妙で、英国史に通暁し、豊かな想像力を備えた著者ならでは。
「ディー博士の魔法の石」は、ゴシック小説の祖『オトラント城奇譚』の著者ホレス・ウォルポールが実在の手紙に記している奇怪な盗難事件の謎をジョンソン博士が解決してみせるという趣向。ウォルポール自身が登場し、彼の中世風の城館に宿泊したボズウェルが深夜『オトラント城奇譚』を読んで震え上がり、そこに幽霊のような侵入者が現れるというシーンなど洒落たものだ。
英国の、しかもなじみの薄い時代ゆえ、本書の虚実ないまぜになった面白みは、日本の読者にとっては味わいにくい面があるが、「作者付記」や真田啓介氏の詳細な解説は、鑑賞の良きガイドになってくれる。
史実や当時の風俗に取材しつつ、扱う事件も、蝋人形館の殺人、監視下から消えうせた追いはぎ、叩音で意思を伝える幽霊の謎、実在の失踪事件を扱った歴史推理、米国女スパイとの知能戦などバラエティに富んでおり、伏線も丁寧に張られた完成度の高い本格短編になっている。博士とボズウェルのやりとりをはじめ、落ち着いたユーモアも、好ましい。
追いはぎが横行し、死体泥棒や公開処刑などの血なまぐささが残る一方で、文人がロンドンの街を闊歩し、マスコミや近代警察の勃興期に重なる時代、政治的にはスコットランドとの確執からアメリカの独立戦争まで揺れた18世紀後半の英国の姿が、二人の活躍を通して、いきいきと甦る。
虚実を練りあげた馥郁たる短編ミステリを味わいながら、往時の英国に空想の翼を遊ばせる愉しいひとときを約束してくれる一冊。
ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた) |
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ミステリ読者。北海道在住。 ツイッターアカウントは @stranglenarita 。 |