「今の翻訳ミステリー大賞シンジケートは、過去の名作についての言及が少ない!」ーーそんなことをお思いの方はいらっしゃいませんか?

そういう方向けの連載が今回から月イチで始まります。犯罪小説が大好きでしかたがないという小野家由佳氏が、偏愛する作家・作品について思いの丈をぶつけるコラムです。どうぞご期待ください。(事務局・杉江) 

  心の中では何かしらのベクトルに沿って高い評価を下している。なのに、適切な言葉が見つからず、感想をはっきりとした文章にできない。
 チャールズ・ウィリアムズの作品は、ついこの間まで、僕の中でそういう位置づけでした。
 彼の作品はよく、巻き込まれ型のサスペンスだといわれるのですが、それがピンとこなかったのです。
 たとえば『土曜を逃げろ』(1962)は、確かに一見、そのタイプの粗筋をしています。金曜の朝に鴨撃ちに行った際、人を殺したのではないかと濡れ衣を着せられた主人公が真犯人を探しながら逃げ回る……このジャンルの一つの典型のようなストーリーです。
 しかし、どうも、この作品は巻き込まれ型サスペンスだ、と言ってしまうと何かを取りこぼしてしまっているような気分になってしまうのです。
 巻き込まれというくらいですから、この手のジャンルは基本的に主人公側は行動に何も非がないことが多いと思うのですが、『土曜を逃げろ』の主人公ジョン・ウォレンは言い訳が利かないラインの不法行為も平然と行います。警察を騙くらかしながら捜査をするのです。
 かといって、ハードボイルド・ミステリかと言われても何だか微妙で、ウォレンには一本筋が通っているようにも思えない。
 間違いなく面白い作品であるのだけれど、これは何々である、と断言できないのです。
 続いて読んだ『スコーピオン暗礁』(1956)もそうで、『土曜を逃げろ』とは話の筋が全く違うのですが、どことなく似た印象がある。だけど、いまいち言い表せない。
 この作家について、ようやく腑に落ちる表現を見つけられたのは、デニス・ホッパー監督で映画化もされた著者の代表作The Hot Spot(1953)を読み終えた時です。
 先に挙げた二作とはガラリと趣向を変えた、ストレートなクライム・ノヴェルです。
 銀行強盗を目論む中古車販売会社のセールスマンが、二人の女と恋に落ち、計画と日々の生活の両方が段々と歪んでいくという筋で、破滅へめがけて進んでいく物語は全編ノワールな雰囲気に包まれています。
 この本を読み終えた時、「いかにもチャールズ・ウィリアムズの作品だ」と思いました。
 犯罪に巻き込まれた男の話と、犯罪を企む男の話なので、本来なら性質が違う筈なのに『土曜を逃げろ』『スコーピオン暗礁』と通底するものを感じたのです。
 どこが通じているのかを考えた時、思い当たったのは、主人公のキャラクターです。
 この三作の主人公は、いずれもタフガイです。腕が立つし、場面場面で頭の冴えも見せる。
 けれど、三人とも、その裏に思想や信条はない。ただ、目の前に起こった出来事出来事に対応しているだけで、方法が法を守るものなのか破るものなのかについては拘泥しない。
 『土曜を逃げろ』『スコーピオン暗礁』は結果的に無法者から逃げるためという方向に主人公が向かっていて、The Hot Spotは主人公が犯罪を主導する方向に向かっている。それだけの違いなのです。
 いうならば、ルールのないタフガイの小説。
 ウィリアムズ作品は、僕の目にはそう映ります。
 前置きが長くなってしまいました。
 今回紹介する『絶海の訪問者』(1963)は、ここまで考えて、ようやく、評する言葉を見つけられた作品です。
 この作品は、そんなチャールズ・ウィリアムズが書いた、自身の中に厳格なルールがあるタフガイを主人公にしたクライム・ノヴェルなのです。
 
   *
 
 外洋ヨットで新婚旅行中のジョン・イングラム夫妻はある凪の朝、一隻のヨットと、そこから漕ぎ出すボートを発見した。
 ボートに乗っていたのは衰弱しきった青年で、夫妻は慌てて彼を救出する。
 聞けば、食中毒で自分の乗っていた船の乗員が全滅してしまったというのだが、ジョンは彼の様子を不審に思う。
 疑問を解消するため、青年が乗っていたヨットへ向かったジョンだが、そこで待っていたのは予想外の光景で……というのが本書の粗筋となります。
 とにかく強烈なサスペンスに全編包まれた作品で、ジョンが青年のヨットで見たのは何かを知った辺りまで読み進めてしまえば、あとは最後まで読み通すしかない一作です。
 サスペンスを生んでいる要素は主に二つです。
 一つは、辺りには水平線しか見えない中でのヨットのみが物語の舞台という、文字通りの絶海というシチュエーション。
 もう一つは、ボートで渡ってきたヒューイー・ウォリナーという青年です。
 先の粗筋で不審と書きましたが、このウォリナーという青年は、それこそルールがないとしか思えない危うい精神状態の人物で、何を切っ掛けに暴れ出すか本人にすら分からない。
 そんな男と、ヨットの中に閉じ込められてしまう。否応なしに不穏な雰囲気が漂います。
 こうした不安定な舞台に放り込まれる主人公イングラム夫妻は、対照的に、とても”正常”な人物です。夫婦仲も良好で、後ろ暗いものは何もない。
 特に夫であるジョンは、上で言ったように、自分の中に厳格なルールを持つ、冒険小説やハードボイルドの主人公に相応しいタフガイです。
 若い頃からヨットに触れていた彼は、操船技術は勿論、船員のメンタルケアや、日々の雑事に至るまで、守るべきものをわきまえた海の男で、そこには太い芯があります。
 本書の最大のポイントはこの部分でしょう。
 正常の象徴のような主人公たちが、異常の象徴のような人物に触れた時、どうするのか。
 これが物語を牽引する主題となっているのです。
 その意味で、本書はちゃんと『土曜を逃げろ』などのルールのないタフガイ小説の延長線上にある作品といえるでしょう。
 ただ、主人公をルールを持つ側に置いているだけで、描かれるのは結局、ルールを持たない者の心理、犯罪なのです。
 
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 一つ一つの展開がフックとなっている、読者に一章ごとに驚きを与えるタイプの小説ですので、具体的な展開は明かせないのですが、読み進めていくうちに気づくことがあります。
 本書の焦点が、ルールのないように見えるウォリナーのルールは一体何なのか、という謎であることです。
 イングラム夫妻は、状況の打破のため、狂気の人にしか見えないウォリナーの心理の裏にあるものを、行動や会話でゆっくりと探っていきます。
 その過程において、彼らは、自身らのルールを破るかどうかの瀬戸際にも立たされ、それがまた新たな展開を生む。
 果たして、イングラム夫妻は、相手のルールを見つけられるのか。見つけたところで、この状況をどうするのか……爆発寸前のところまで盛り上がった物語は、速度を落とすことなくクライマックスを迎え、幕を閉じます。
 
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 矢口誠氏は訳者あとがきで本書は色々な意味で異色作と書いており、僕もそれに同意するのですが、しかし、一方で作者の他作品があってこその作品でもあると感じます。
 ルールのないタフガイ小説の書き手だからこそ書けた、ルールを探る物語。
 チャールズ・ウィリアムズらしい、と評したくなる逸品だと思います。

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小野家由佳(おのいえ ゆか)
ミステリーを読む社会人三年生。本格ミステリとハードボイルドとクライムコメディが特に好きです。Twitterアカウントは@timebombbaby