書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 先月のコンベンションでは七福神トークを聴いていただきありがとうございました。皆様の関心の高さを改めて思い知り、今後の励みになりました。

 さて、今月はいかなる作品を七福神たちは挙げているのでしょうか。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

川出正樹

『世界が終わってしまったあとの世界で』ニック・ハーカウェイ/黒原敏行訳

ハヤカワ文庫NV

 冒頭三ページ目で〈逝ってよし戦争(ゴー・アウェイ・ウォー)〉という訳語を目にした瞬間、これは傑作に違いないと確信した。間違ってなかった。こんなに愉快で奇天烈なエンターテインメントも久しぶりだ。

 超秘密兵器〈逝ってよし爆弾(ゴー・アウェイ・ボム)〉、世界を維持する何だかよくわからない物質〈FOX〉をはき出す〈パイプ〉、謎の武術〈声なき龍〉と仇敵ニンジャなんていうワクワクする要素を、これでもかとばかりに盛り込み、〈逝ってしまった世界(ゴーン・アウェイ・ワールド)〉を舞台に繰り広げられる冒険譚。饒舌な主人公“ぼく”の口から語られる猥雑なれど爽快で、ユーモアと風刺の効いた900頁に及ぶ謎と恋と活劇に充ちた物語を、黒原敏行氏の水を得た魚のような訳文で心ゆくまで満喫しました。もうお腹いっぱいです。ありがとうございました。

千街晶之

『狂った殺人』フィリップ・マクドナルド/鈴木景子訳

論創社

 平穏な街で突如起こった惨殺事件。警察を嘲弄するような犯人の挑戦状。ひとり、またひとりと犠牲者が増えてゆく中、ロンドン警視庁から来た警視は地元警察と対立しながらも犯人を罠にかけようとする。説明不足の結末に不満が残るが、異様な迫力に満ちた小説ではある。作中でも言及されている「デュッセルドルフの吸血鬼」ことペーター・キュルテンの連続殺人は本書発表の2年前にあたる1929年の出来事。この事件をモチーフにしたフリッツ・ラング監督の映画『M』と共通する要素(暴徒と化す住民など)が散見されるのが興味深い。

北上次郎

『血の咆哮』ウィリアム・K・クルーガー/野口百合子訳

講談社文庫

 コーク・オコナー・シリーズの第7作だが、今回は途中に挿入される老まじない師メルーの青春譚が圧巻。これだけで1冊の小説として読みごたえがある。このシリーズでは第三作『煉獄の丘』以来の傑作だ。

吉野仁

『緋の収穫祭』S・J・ボルトン/法村里絵訳

創元推理文庫

 大雨のせいで塀がこわれ、教会の墓地から子供の死体が三つ出てきた、というシーンからはじまる本作は、どこを切っても英国産ゴシック・ホラー風味でいっぱい。もちろんミステリーとしての謎、主人公の成長物語など、怪奇趣味にとどまらない読み応えだった。あと、カミ『三銃士の息子』高野優訳(ハヤカワ・ミステリ)の人を喰ったセンスとそのバカバカしさに心満たされる。

霜月蒼

『監視対象 警部補マルカム・フォックス』イアン・ランキン/熊谷千寿訳

新潮文庫

 なんとイアン・ランキンが新シリーズに着手したのである。不法行為を行なう警官を摘発する「職業倫理班」所属、警官たちから忌み嫌われる刑事フォックス登場。児童ポルノ組織への関与が疑われる刑事の内偵が本作でのフォックスの任務だが、その深層には二重三重の悪辣な政治的策謀がある。ランキンらしい重心の低い語り口が、英国風警察小説というよりル・カレ的なエスピオナージュの気配を醸し出して見事。ちょっとエルロイを思わせもするし、横山秀夫や佐々木譲を愛する日本の警察小説ファンにもうってつけ。『ペナンブラ氏の24時間書店』『世界が終わってしまったあとの世界で』など奇書系の良作もありますが、正統派好みには本書をおすすめしたい。

酒井貞道

『服用禁止』アントニイ・バークリー/白須清美訳

原書房

 最晩期のバークリーはつまらないから未訳なんだ、というのが《定評》として囁かれていたが、『服用禁止』はそれを正面から粉砕した。舞台はイギリスの農村部。果樹園を営む「わたし」の隣家には、近所から尊敬を集める気のいい資産家が住んでいた——のだが、この資産家が急死し、その死は毒物によるものだったと判明する。物語はその事件が起きる前から始まって、近隣の友人たちのお喋りを通じ、主要登場人物の人となりが、十分に描き出される(ここら辺は別名義フランシス・アイルズっぽい筆致だと感じた)。そして主人公と彼の妻は、あることをやらかして、この事件に巻き込まれざるを得なくなる(ここら辺はファルス)。ただ読んでいるだけでも面白いし、伏線もちゃんとしており、本格ミステリとして立派な骨格を有する。だが本書最大の山場は、最後の最後に用意されており、この場では申し上げられない。「やりやがった……」というのが実感、とだけは言っておこう。バークリー/アイルズの到達点であることは間違いなく、この味が好きな人はファンになって、嫌いな人はアンチになるんだろうなと思う。分水嶺として最適な作品だ。なお、1938年の第二次世界大戦開戦前夜という時代背景が色濃いのも興味深かった。

杉江松恋

『世界が終わってしまったあとの世界で』ニック・ハーカウェイ/黒原敏行訳

ハヤカワ文庫NV

 こういうことは普段書かないようにしているのだが、現時点では今年のベスト。〈ぼく〉という視点人物を通して文字通り「世界が終わってしまった」あとの世界が描かれていくのであるが、「あと」が書かれるのは第一章だけで第二章以降は「前」の話がいきなり始まり、なかなか「あと」へと戻っていかない。その自分勝手な話し方がおもしろくて、なんだこりゃ、と思っているうちに物語に引きずり込まれてしまった。あちこちに寄り道する構成を「無駄が多い」と感じられる方もいらっしゃるだろうが、だってその枝葉の部分がおもしろいんだもんなあ。寄り道の雰囲気だけをちょっと書いていくと、『カラテ・キッド』→『いちご白書』→『紅い眼鏡』→『マッシュ』となってそのあとむにゃむにゃなのであるが、これだけで上巻の内容で、下巻はいきなり『恐怖の報酬』的な始まり方をするのであった。なんというかもう、読みたいものが全部ここに詰まっている感じ。泣けばいいのか? 泣いたらこの感情は整理できるのか、と読後はしばらく茫然としていた。

 見事に分かれました。変化球あり、正当派警察小説あり、古典探偵小説ありで、ばらばらもいいところ。そうこなくっちゃ、という感じですね。来月はいったいどんな作品が上がってくるのでしょうか。どうぞお楽しみに。(杉)

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧