書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 いつもより早めの梅雨入り、と思ったらなんだか記録的な大雨になったりもして、落ち着かない日々が続きます。寝冷えなどで体調を崩している方はいらっしゃいませんか? 今月も七福神は元気にお薦めの本をお届けいたします。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

川出正樹

『ハイスピード!』サイモン・カーニック/佐藤耕士訳

ハヤカワ文庫NV

 目が覚めたら隣には恋人の死体が、というミステリはいくつかあれど、これほど絶体絶命なシチュエーションも珍しい。何しろ部屋の中に残されていたDVDには、恋人が主人公の名を叫びながら命乞いするシーンが録画されていたのだから。しかも前夜の記憶はまるで残っていないとなると、あとは逃げ出すしかないのだけれど……と、ここまでで約20ページ。さあ、このあとはどうする、どうなる。

 ”高速度暗黒スリラー”の書き手を自認する、二十一世紀のブリティッシュ・クライム・ノヴェルの旗手が放つ、前作『ノンストップ!』をスケールアップしたノンストップ・サスペンス。無茶っぷりがいっそ潔い、お代に見合ったエンターテインメントです。

吉野仁

『ネルーダ事件』ロベルト・アンプエロ/宮崎真紀訳

ハヤカワ・ミステリ

 私立探偵カジェタノは、ノーベル文学賞受賞者かつ革命指導者でもあった詩人パブロ・ネルーダから調査を依頼され、メキシコ、キューバ、東ドイツ、ボリビアへと渡っていく。1973年のチリ・クーデターを背景にした探偵もの。メグレ警視をお手本にしたり、ラテンならではの混沌さ不可解さに満ちていたりするなど、英米ミステリとはひと味もふた味も違う読み応えの妙。

北上次郎

『要塞島の死』レーナ・レヘトライネン/古市真由美訳

創元推理文庫

 女性刑事マリアを主人公とするフィンランド警察小説シリーズの邦訳第3弾だが、大きなお腹で走りまわっていたヒロインもさすがに母親になっておとなしくしているかと思うと、相変わらずタフで、素敵。きみは自分が結婚していることを忘れないようにね、と同僚からたしなめられるほど、心も体も自由なヒロインなのだ。今回は衝撃的な展開が待っているが、この作家、まったく油断できない。

千街晶之

『赤い橋の殺人』シャルル・バルバラ/亀谷乃里訳

光文社古典新訳文庫

 1858年にフランスで刊行された幻の犯罪小説が、本書の訳者である日本人学者によって再発見・再評価されたという経緯からして劇的である。当時の思想や世相が色濃く反映された小説ではあるが、罪の意識に追いつめられて錯乱してゆく犯罪者の心理描写は現代にも通用するし、後半のホラー的な展開はかなりの迫力。クレマン夫婦の子供の不気味な存在感は、夏目漱石『夢十夜』の第三夜に登場する、あの主人公が背負った子供を想起させる。

酒井貞道

『ネルーダ事件』ロベルト・アンプエロ/宮崎真紀訳

ハヤカワ・ミステリ

 珍しくも南米チリ産のミステリ。だがこれが滅法面白い。キューバ出身の探偵が、チリの国民的詩人ネルーダから、人探しを依頼される。だが時期が問題だ。アジェンデ大統領率いる社会主義政権がクーデターで倒される直前という時代設定であり、現在にまで尾を引く歴史の闇が牙をむいて襲いかかろうとしているところなのだ。そんな中で、ネルーダが主人公に何を託したのか——その真相が見えてくるにつれ、読者は不可思議なまでに胸に迫るものを感じるはずだ。チリは

日本から遠く、その歴史に興味を持つ人は少数派であるかもしれない。しかし、《歴史の悲劇》や《国家による個人の人生の翻弄》は、世界のどこにでも起き得るし、事実起きている。そして、それをベースとした物語は、うまく描かれさえすれば、我々の胸を必ずや打つものである。アンプエロはそれに成功した。オススメの一冊である。

霜月蒼

『暗殺者の復讐』マーク・グリーニー/伏見威蕃訳

ハヤカワ文庫NV

 現代最高の冒険小説シリーズ第4作。凄腕の暗殺者〈グレイマン〉が、己のドッペルゲンガーのごとき敵に遭遇する。これまでのような(1)グレイマンの無双ぶりを大展開し、(2)徹頭徹尾ハイテンションの銃撃戦、というパターンを脱しているのがポイント。グレイマンに匹敵する敵役もいいが、前半をアクション少なめの謀略戦にしているのが良くて、息を押し殺すような静けさの果ての終盤の激発が鮮やかなのだ。《ゼロ・ダーク・サーティ》meets〈グレイマン〉みたいな趣もある本作、グリーニーが野心的なアクション作家であることをあらためて証明した快作であります。

杉江松恋

『ネルーダ事件』ロベルト・アンプエロ/宮崎真紀訳

ハヤカワ・ミステリ

 今年読んだ短篇でいちばんすごいな、と思ったのはロベルト・ボラーニョ『鼻持ちならないガウチョ』所収の短篇「鼠警察」である(『ミステリマガジン700 【海外篇】』に入れた短篇は、私は去年のうちに読んでいるのだ)。これは鼠を主人公にした警察小説で、自分が産んだわけではない赤ん坊と一緒に発見された牝鼠の死体の謎を鼠の刑事が解くという話である。これ、意外なほどちゃんとハードボイルドしているのだ。しかしさすがにこれ一篇だけのためにボラーニョを推すというのもなんなので、アルゼンチンのお隣チリのミステリーを挙げておく。時代設定はチリが政治的動乱の季節を迎えた頃に設定されていて、そうした混沌の中でも探偵小説は成り立ちうるのか、というのが作品の主題になっている。そのことからもわかるように、メタフィクショナルな要素が強く、「メグレものの探偵小説をテキストにしながらにわか探偵が人捜しをする」という内容である。お手本にされているメグレ自身も作中で産みの親であるシムノンに言及したことがある。にわか探偵の依頼主であるノーベル文学賞受賞者にして政治家のネルーダは懲りない漁色家として描かれているが、そこもシムノンと重なる部分があるのだ(シムノンもベッドに女性を引っ張り込むことに執着した人物だった)。作家はそういう形で「探偵小説を書く」という行為自体を楽しんでいる。読みながら、心の奥のほうにある、とても懐かしい部分を刺激されるような感覚があった。

 今月はちょっとした変化球ばやりの月という印象でした。七人中三人が挙げたのがチリ・ミステリーだったとは。さて、来月はどんな作品が挙げられてくるのでしょうか。また、お会いしましょう。(杉)

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧