往年の銀幕時代。映写幕に銀皮膜を塗られたスクリーンからは、今とは比べ物にならない美しい光芒が投じられたそうだ。今回紹介する本は、ミステリの範疇にあっても、コメディ、ロマン、冒険、恐怖とジャンルは多様、なぜか映画に縁がある作家の作品が揃った。

 名探偵競演! 謎解きミステリ愛好者にとっては、魅惑の響きをもつ言葉だろう。それぞれの紙上探偵が競演する合作の代表としても知られ、『クイーンの定員』にも選定されている短編集、パーマー&ライス『被告人、ウィザーズ&マローン』がこの度単行本になった。収録作は、過去に邦訳があったが、今回は新訳で単行本化。

 一方の雄、クレイグ・ライス創造によるジョン・J・マローンは、古くからのファンにとってはおなじみだろう。小男のアイルランド系弁護士で、「依頼人に敗北を味わわせたことがない」と豪語する。アルコールと金髪の女性には目がない。長編11作はすべて邦訳があり、名短編集『マローン殺し』も紹介されている。

 かなた、スチュアート・パーマーが創造したヒルデガード・ウィザーズ。オールド・ミスの学校教師で、ドレスアップしても「着飾った案山子」と評される。おせっかい気味な詮索屋だが、活力あふれ、行動力で周囲をあたふたさせる。長編で邦訳があるのは、『ペンギンは知っていた』のみだが、十作を超える長編で活躍し、映画でも人気を博したという。二つ目の邦訳長編『五枚目のエース』がまもなく書店に並ぶはずだ。

 強烈な個性をもつ二人だが、それでも水と油にならないのは、マローンとヒルデガード(ヒルディ)も、どちらもスクリューボール・コメディ的な要素たっぷりの作風に属しているからで、さらに、著者同士が気の合う友人同士だったということもあって、大物対決というよりは、バディ物のように、二人のかけあいは息が合っている。

 冒頭の短編「今宵、夢の特急で」は、二人の出会い編。弁護料を回収すべく、NY‐シカゴ間の特急スーパーセンチュリー号に乗り込んだマローンは、ひょんなことからヒルディと知り合いになる。やがて殺人事件が発生し、マローンは窮地に。ヒルディの絶妙のアシストにより、意外な犯人が指摘される。車室に残された死体の発覚を恐れた二人の死体移動のギャグが笑いを誘う。本作は、収録短編のプロトタイプになっており、大概はマローンの「不徳」のいたすところにより、殺人容疑などをかけられ、ヒルディが奔走するというつくりになっている。

 こじれた事件の展開を縫うように、台詞の掛け合いがあり、マローンの酒癖、女癖の発揮やアイルランド民謡の歌唱があり、ヒルディのコスプレや暴走があったりと、絵になるギャグを連発しつつ、意外な犯人を備えたフーダニット短編としても、粒が揃っているのだから、愉しめること請け合いである。

 死刑執行が迫った被告人を救い出そうとするデッドライン物「被告人、ウィザーズとマローン」、 マローンの惚れた美女が殺人容疑に問われ、法廷における弁舌が冴える「ウィザーズとマローン、知恵を絞る」など、プロットも一作ごとに工夫が凝らされている。

 マローンとの名コンビ、ジェークとヘレンのジャスタス夫妻が名前しか出てこないのが少々残念だが、秘書のマギー、バーテンダーの天使のジョー、フォン・フラナガン警部などおなじみの面々も登場。マローンを常に支える秘書のマギーがいじらしい。

 二人の活躍は、映画化もされているというから、その出来具合を想像するのも一興。往年の名画風を意図したとい邦題も気分が出ている。

 ところで、スクリューボール・コメディは、1930年代半ばから40年代にかけて流行したコメディ映画の形式を指し、常識外れの登場人物たちによる恋愛喜劇、といった辺りがオーソドックスな理解だろう。一般に、その嚆矢は、『或る夜の出来事』(1934)とされる。『赤ちゃん教育』『ヒズ・ガール・フライデー』など、ときに狂騒的なまでのリズムでお話が転がっていくラブコメディは、マローンの世界を表現するにも相応しい。

 この映画の本質は、女性が意中の男性を射止める(manhunt)という言われ方をすることがあるが、そうであるなら、本来の犯人探し(manhunt)とも相性がいいわけで、ジャンル映画の手法をミステリにうまく輸入した代表選手がライスということになるのだろう。

 このスクリューボール・コメディという形式、同時代のクイーン『ドラゴンの歯』やハリウッド物、カー『連続殺人事件』辺り、クェンティンの作などにも影響を与えていそうで、同時代のミステリへの影響は軽視できないものがあると思う。

『被告側の証人』は、古典的名作『矢の家』(1924)や『薔薇荘にて』(1910)で知られるA.E.W.メイスンの1914年に刊行された、エキゾティズム漂う長編。思わぬ佳編に当たった感じだ。 

 陽光があふれるばかりに降り注ぐ丘陵に馬を止めた若い男女の姿。休暇の終りに愛を告白された若者スレスクは、自らの今後のキャリアのために束縛を嫌い、愛した娘ステラに別れを告げる。ここまでが口絵のように印象的な発端。

 物語は、一転、8年後のインドのボンベイへ。仕事に打ち込み、名うての弁護士の地位を得たスレスクは、今は人妻になっているステラと出遭うが、その夫の総督代理は横暴で彼女を迫害していることを知る。再会の夜、総督代理は何者かに殺害され、ステラには殺害容疑がかかる。スレスクは法廷で偽証し、彼女を救うが…。

 ここからは、舞台はイギリスに戻り、まったく予期しない方向に話は旋回していく。

 謎解きの醍醐味を期待するような作品ではない。古風といえば古風。しかし、さすがにメイスンである。構えの大きい、輪郭のはっきりとした小説であり、キャラクターを重視したゆったりとした語り口に乗せられていくうちに、「何が起きたのか」という謎を中核とした筋運びは尻上がりに熱を帯びていく。クライマックスにおける真相をめぐる会話は、ドラマティックな迫力に富み、成功した舞台劇を小説化したというのもうなずける。

 法廷劇の要素をもつ作品だが、既に決着した裁判が私的なものとしてやり直されるという展開も、時代に先駆けたアイデアといえるだろう。

 現代の眼からみると、登場人物のあるこだわりには割り切れないものも感じさせるが、作中で扱われているのは、実は普遍的な男性原理と女性原理の対決という見方もできるかもしれない。 

 7度も映画化された、作者の大ロマン『サハラに舞う羽根』『四枚の羽根』)』(1902)同様、この長編も映画化され、大正時代には『強者の暴力』というタイトルで、日本公開もされているという。

 サッパー『恐怖の島』(1930)は、戦前に抄訳された『猿人島』以来、74年ぶりの完訳となる。作者は、ブルドッグ・ドラモンドを主人公としたスリラーで一世を風靡した作家。同シリーズは、数多く映画化もされたという(スチュアート・パーマーもドラモンド物のシナリオを書いている)。

 本作の主人公ジェイムズ(ジム)・メイトランドは「冒険のための冒険」に目がない典型的英国ヒーロー。勇猛果敢、諸事万般に通じ、しかも、美男ときているから少々、できすぎの存在だ。

 南米の謎の孤島での冒険がメインのこの小説、しかし、物語は、なかなか孤島にはたどり着かない。ロンドンでの謎の殺人、孤島の秘宝のありかを示す地図の争奪に、犯罪界を牛耳る盲目の小人紳士、悪党貴族らが絡んでお話は進行し、メイトランドが友人のボブ、地図の継承者の若い娘らと島に渡るのは、物語の3分の2を過ぎてから。その分、前段の煽りはなかなかで、「半人、半獣」の存在が支配する「呪われた島」への読者の期待はいやが上にも高められることになる。

 全体としては、人物やプロットは紋切り型で、前世紀の大衆冒険小説という域は出ていないが、先に読み進まずにはいられない物語の力は感じられる。

 それにしても、島のアレはいったい何だったのか。

 ロバート・ブロック著/井上雅彦編『予期せぬ結末3 ハリウッドの恐怖』は、快調な海外異色作家短編シリーズ第3弾。今回も、未訳作と個人集未収録のみセレクトされている。

 本家、早川の異色作家短編集『血は冷たく流れる』をはじめ8冊もの邦訳短編集が既にありながら、ミステリ、SF、ホラーなどバラエティ豊かで質の高い短編がこれだけ残っているというのは、まさに短編の名手の名に恥じない。

 編者は「ロバート・ブロックの小説があまりにも愉しそうに書かれている」とし、「たくさんの遊戯」をブロックから教わったと書く。恐怖の愉しみという自らの趣味の世界に遊びながら、きっちり読者をもてなすプロの仕事ぶりは、本書にもよく現れている。自身も精通した映画界にまつわる短編が多く収録されているのも特徴。

 軽みに富んだ短編の口当たりもいいが、映画の世界と接続してしまった女を描いた「プロットが肝心」、映画の都の秘密を描きドナルド・ウェストレイク『聖なる怪物』の先駆作のような「ハリウッドの恐怖」、あまりにも風変わりな帰郷を描いた「弔花」、夢魔を扱って秀逸な幻想ミステリ「影にあたえし唇は」、銀幕の彼方の幻想を追う名編「ムーヴィー・ピープル」といった作品は、恐怖のみならず、ひねったユーモア、ノスタルジーにメランコリー、そしてポエジーさえ漂う世界に読者を誘うだろう。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)

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 ミステリ読者。北海道在住。

 ツイッターアカウントは @stranglenarita

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