書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 すっかり暑くなりました。ワールドカップのせいで睡眠不足になっていたみなさま、体がもちませんからよく寝てくださいね。ベッドサイドにはもちろん翻訳ミステリーを。今月も七福神選定の傑作の数々をお届けします。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

川出正樹

『火曜日の手紙』エレーヌ・グレミヨン/池畑奈央子訳

早川書房

 1975年、パリ。事故死した母の葬儀を終えた三十五歳になる編集者カミーユのもとにルイという男から分厚い手紙が届く。そこには、第二次世界大戦の影が忍び寄る中、フランスのとある村で暮らす少年ルイの、幼馴染みの少女アニーに対する想いが綴られていた。しかも毎週火曜日に続きが送られてくる。差出人にも内容にもまるで思い当たる節のないこの回想録に引き込まれていくカミーユは、誰が、なぜ、手紙を送り続けるのか探り始める。

 「秘密はその持ち主とともに死すべきものだと私は考えている」と綴りつつも手紙を送り続けてくるルイが、徐々に明かしていくのは、二組の男女が織りなす狂おしいまでの愛憎劇の?末だ。一体、何が起きたのか。そして、なぜ四十年近く経った後に秘密を明らかにしようとするのか。

 ミステリとして書かれたわけではないと思う。けれども、スティーヴン・ドビンズ『奇妙な人生』やソフィー・オクサネン『粛清』に魅せられた身としては、推さずにはいられない深く胸に刺さるサスペンスの逸品だ。

千街晶之

『ローマで消えた女たち』ドナート・カッリージ/清水由貴子訳

ハヤカワ・ミステリ

 ヴァチカンの秘密組織に属する記憶喪失の神父と、夫の死を他殺ではないかと疑うミラノ県警の捜査官。二人の運命が意外なかたちで交錯する時、とんでもない犯罪計画が浮上する。本当にラストで畳めるのか不安になるくらい広げに広げた大風呂敷が読者を眩惑する怪作。前作『六人目の少女』もそうだったが、これほど一作品にさまざまなアイディアを詰め込む作家はなかなかいない。ドナート・カッリージ、今後も目が離せない作家だ。

北上次郎

『犯罪心理捜査官セバスチャン』M・ヨート&H・ローセンフェルト/ヘレンハルメ美穂訳

創元推理文庫

テレビの脚本家コンビらしく、見せ場たっぷりの物語つくりがなかなかにうまい。昔の愛人を探すためには警察のコンピュータに接近することが必要で、そのために捜査協力を申し出るとの発想がぶっ飛びもの。こんな理由で探偵役を買って出るのは前代未聞。刑事たちの私生活と事件が渾然一体となってラストまで一気読みの傑作だ。

吉野仁

『駄作』ジェシー・ケラーマン/林香織訳

ハヤカワ・ミステリ

売れない作家が他人の原稿を盗み、その小説がベストセラーになる、って話自体は、さして珍しくもないだろう。しかし問題はそれから。まさかまさかの展開が待ち受けている。度胸のある方は、お約束どおりの探偵ミステリ物などとは対極にある、この問題作に挑んでほしい。「駄作」は世界を救う、のだ。

霜月蒼

『ライフボート』シャーロット・ローガン/池田真紀子訳

集英社文庫

 今月は『駄作』に票が集中しそうなので(なかなかの秀作)、豊作すぎた5月から、読み漏らすのは惜しい本作を挙げておきたい。話はきわめてシンプル——沈没した客船から脱出、漂流する救命ボート上のドラマである。手記の体裁をとっており、漂流を生き延びた筆者の女性が裁判にかけられていることが冒頭で語られ、「彼女の『罪』は何か」という謎があるほか、ミステリの技法もあちこちに。定員オーバーのボート上の軋む人間関係は目新しい題材ではないが、読む者の臓腑をキリキリいわせる濃密さがある。手記の出自から「信頼できない語り手」の問題を考えに入れると、味わいは増幅されるはずだ。

 ノンフィクション『メキシコ麻薬戦争』(ヨアン・グリロ/現代企画室)もクライム・スリラー好きにオススメの力作。名作『犬の力』の背景もわかります。

酒井貞道

『忘却の声』アリス・ラプラント/玉木亨訳

東京創元社

 非常に先鋭的なミステリである。語り手の意識と記憶は、認知症で刻一刻と壊れていく。感情の発露とその引っ込めも、唐突かつ無軌道であり、「起きる事件の概要」「事件調査の進展」そして「主人公はどの程度疑われているのか」「主人公は濡れ衣」なのかといったストーリーの中枢すら、すんなりとは像を結んでくれない。読者は、語り手の壊れゆく世界の中から、物語をすくい取って行かねばならない。その咀嚼の過程で、語り手を含む主要登場人物の人格が鮮やかに浮かび上がってくる。綿密な咀嚼→じっくりとした吸収、という過程は、読書の醍醐味そのものだ。しかも(ほとんどあり得そうにないことだが)本書は読みやすいのである! ミステリ・ファンはもちろん、全ての小説好きに手に取っていただきたい作品だ。

杉江松恋

『窓から逃げ出した100歳老人』ヨナス・ヨナソン/柳瀬尚紀訳

西村書店

 ジェシー・ケラーマン『駄作』と最後まで悩んだのだが、笑いの度合いが高いこちらに決めた。ちなみに『駄作』も大好き。正直言って、父親(ジョナサン)や母親(フェイ)の作品よりも好きだ。読んでね。で、スウェーデン産のコミック・ノヴェル『窓から逃げ出した100歳老人』なのだが、タイトルから「虐待されている老人が自由を求めて逃亡する話なのね、おじいちゃん可哀想」とか思うとまったく予想を裏切られる。主人公のアラン・カールソンは真っ当な学歴こそないが、ダイナマイトを起爆させる能力だけは天下一品という剣呑な人物だ。その彼が数奇な運命に導かれ、内戦中のスペインから毛沢東東征時代の中国、ホメイニ革命真っ盛りのイランなどをうろうろ彷徨うのである。それが過去パートで現代の記述では、次々に仲間を増やしながら警察の追求を逃れて彼は逃亡し続ける。すっげー剣呑な老人。街で見かけたら通報するレベル。「おい、カールソン」って指名手配書が銭湯の脱衣所に貼ってあってもおかしくないです。この作品、映画化されて日本でも秋に公開されるそうなので期待している。

 なんと七人全員が別の作品を。国もバラバラに分かれ、百花繚乱というべき月でした。ますます続く豊作月間。これは今後も期待できそうです。来月もこの蘭でお会いしましょう。(杉)

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