書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 お盆休みに入られた方も多いかと思います。私は一足先に休みをとって、ハワイに行ってきました。そして荒れた道をジープで走っている最中に車がバウンドして、おでこにゴルバチョフみたいな傷ができました……。さて、気を取り直して今月も七福神の発表です!

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

北上次郎

『秘密資産』マイクル・シアーズ/北野寿美江訳

ハヤカワ文庫

『ブラック・フライデー』に続く第2作だが,証券界を舞台にした小説であるというのに、主人公の私生活の印象があまりに強いので、背景を忘れてしまう前作よりも今回は背景と不可分なのでサスペンスが盛り上がる。静と動のリズムもよく、テンポはもちろんよく、一気読みの傑作だ。

千街晶之

『狙われた女』ジャック・ケッチャム、リチャード・レイモン、エドワード・リー/金子浩・尾之上浩司訳

扶桑社ミステリー

 いきなり男が乱入してきて無差別乱射が始まる……という発端のみ同じシチュエーションで、その後は全く別のストーリーが繰り広げられるという、スプラッター・ホラーの三作家による競作(レイモンとリーの作品は登場人物名も共通)。表題作のヒロインを襲う容赦ない展開はいかにも「鬼畜系作家」レイモンらしいが、最も感心したのはSFスリラー仕立てのリー「われらが神の年2202年」の先が読めない展開だった。ラスト、そのネタで来るか!

霜月蒼

『秘密資産』マイクル・シアーズ/北野寿美江訳

ハヤカワ文庫

 フォルカー・クッチャーにヘニング・マンケルに『ハリー・クバート事件』などなど、東京創元社が年間ベスト級作品をフルオートで撃ってきた豊作の7月。だがハヤカワがドロップしてきた本作は現在のところ年間ベスト1であるのだ。前作『ブラック・フライデー』も快作だったが、あれが登場人物紹介編にすぎなかったと思わせる充実の第二作。ここ十年で最高のハードボイルド・スリラーであり、ローレンス・ブロックやクレオ・コイルと並ぶ最良のニューヨーク・ミステリであり、ディック・フランシスのスピリットも充填されていて、俺はもうミステリとしての決着などつかなくてもいいから、このまま主人公とともにニューヨークを徘徊していたかったとさえ思った。フランシスは逝ってしまったが、俺たちにはシアーズがいる。ラスト一行に泣け。

川出正樹

『ハリー・クバート事件』ジョエル・ディケール/橘明美訳

東京創元社


 旧き良きアメリカの生き残りのようなニューイングランドの小さな町で、三十三年前に行方不明になった少女の白骨死体が発見された。殺人容疑で逮捕されたのは、国民的大作家のハリー・クバート。かつての教え子で親友でもあるマーカスは、師の嫌疑を晴らすために独自に調査を開始する。それは同時に、デビュー作が一躍ベストセラーとなったものの二作目が書けずに煩悶していたマーカス自身の作家としての再生を賭けた闘いでもあった。

 これは、作家という特異な生き方を選ばざるを得なかった二人の男の物語だ。「人生に意味を与えろ。それができるのは二つだけ、本と愛だけだ」というハリーが語る“真理”に対して、ハリーとマーカスがいかに対峙し、作品を生み出し、生きてきたか。率直に言って冗長なところもあるし、荒削りな部分も目立つ。ミステリとしても、もの凄く尖ったことを試みているわけではない。けれども、読ませる。過去と現在を往還し、徐々に明かされる意外な真実が牽引力となり、八〇〇頁の大部を一気呵成に読み通してしまった。うん、満足。

酒井貞道

『ハリー・クバート事件』ジョエル・ディケール/橘明美訳

東京創元社


 大作家ハリー・クバートが、33年前に15歳の少女を殺した容疑で逮捕される。元教え子で今は新進売れっ子作家(ただしスランプ中)の主人公が、恩師の

濡れ衣(?)を晴らそうと独自の調査を始める。ただし主人公は、後でこの調査を本にまとめる気満々であり、無償の善意に基づく行為ではない。話が進むにつれて新事実が次々判明し、「真実と思われるもの」がころころ変わる。物語展開はかなり奔放だ。だがそれ以上に、二人の新旧作家の自己実現(またはその挫折)が鮮烈な印象を残す。70歳近いハリーは、33年前に15歳の少女との愛(純愛?)を失った挫折経験を元に、作家としての名声を得た。ただしその後の実人生はずっと孤独なままである。一方、28歳の主人公は、デビュー作こそ成功したが、以後スランプに陥って一冊も本が出せておらず、苦悩の只中にいる。事件調査の描写に加えて、二人の人生にも十分筆を費やすことで、本書は、作家になりたいという飽くなき意欲とその空回りという《作家という病の初期症状》から、栄光に包まれ得意になるとかスランプといった《中期症状》、そしてふとした拍子に気付く虚しさや老い、諦念といった《後期症状》までを、しっかりと描き抜く。平易な文体ゆえ読みやすくまた読み解きやすい作品であるが、深みはなかなかのものと見た。この点、テーマが共通するデイヴィッド・ゴードンとの比較も面白い。

吉野仁

『北京から来た男』ヘニング・マンケル/柳沢由実子訳

東京創元社


 作者による単発作。スウェーデン北部の小さな村で十九人の惨殺死体が発見された。その背後には、19世紀に生きた、ある中国人の悲惨な過去が関係していた。作者の政治思想(体験)が色濃く反映されているのかもしれないが、そんなことを感じる間もなく夢中で読んでしまった。話がダイナミックで描写が濃密なのだ。その他、遅ればせながら手にとった、アリス・ラプラント『忘却の声』は、二代にわたる認知症の家族を持つ私には身につまされる小説で、病状が進行していく様は『アルジャーノンに花束を』に似て切なく読むのが辛かった。

杉江松恋

『北京から来た男』ヘニング・マンケル/柳沢由実子訳

東京創元社


 どれも良くって目移りしてしまう一月だったが、今月は好みで『北京から来た男』を。ヘニング・マンケルは抜群のストーリーテラーなのだが、特に過去の因縁を現在進行形の事件へと誘導してきて接点を作る手法が巧い。読者の側から見ると、地面に出来た小さな穴をほじくり返しているうちに、あれよあれよという間に巨大な地下空間を見つけてしまうというような興趣がある。本書のマンケルは女性判事を導入役に任命した。彼女が自身の過去に関する小さなこだわりを払拭しようとして行動することが埋れていた大事件を発掘することにつながる、という展開なのである。重大な要素をさりげなく読者に提示する手つきがいいし、緩急のつけ方も満点の出来だ。とんでもなくショッキングなことがさらっと書かれるので、後からその事実の持つ意味に気づくと読者は大きな感銘を受けるという仕掛けなのである。長篇ミステリーのお手本のような作品だと思う。マンケル作品の中でも間違いなく上位に来るできばえだ。

 二人が挙げた作品が三つという横並びの状況になりました。『狙われた女』もアンソロジーならではの魅力的な作品です。大作・問題作が目白押しの七月、さて八月はどのような月になるのでしょうか。来月もどうぞお楽しみに。(杉)

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧