阿井幸作と申します。以前松川良宏氏が連載していた『非英語圏ミステリー賞あ・ら・かると』「第8回・中国編」では現代中国のミステリー賞を紹介するスペースを貰いましたが、今後はこの場を借りて中国ミステリに関する記事を発表いたします。

 現在の中国ミステリ事情に触れる前に中国の一般的な書店の紹介をしますと、ミステリーコーナーには島田荘司や東野圭吾ら日本人作家の作品が新旧問わず並べられている横で、コナン・ドイルやアガサ・クリスティー、エラリイ・クイーンなどの古典ミステリもまるで新作のように置かれていることがあります。

 翻って中国ミステリを探してみますと新作こそ数は少ないながらも置かれてはおりますが、ホラーやサスペンスなどと一括りにされている場合が多く、古典の部類に入る中国ミステリなどは取り扱っている一般書店が極めて少ないのが現状です。

 中国では依然として日本や欧米の海外ミステリが人気を博しており、中国産のミステリはまだ中国人の間に浸透しておりません。しかしだからと言って中国ミステリの歴史が浅いというわけではありません。包公や狄判事が主人公の公案小説まで遡らなくても、100年ほど前に目を向けると日本ミステリとほぼ同時期に欧米ミステリの翻訳や模倣という形で中国ミステリは萌芽しました。

 連載第1回目となる今回は1900年代初頭にシャーロック・ホームズに触発されオリジナルミステリを創作し、中国ミステリ界をけん引して『中国ミステリの父』と呼ばれる程小青の作品を紹介します。

■『霍桑探案』シリーズ

 程小青の代表作『霍桑探案』シリーズは探偵の霍桑が助手の包朗を引き連れ、主に上海で発生する難事件を物的証拠と論理的思考を頼りに解決するというシャーロック・ホームズを下敷きにしたシリーズです。

 ホームズのパスティーシュはシリーズ代表作の『江南燕』(1919年)に色濃く表れています。本作は『江南燕』という怪盗の仕業と思われる宝石盗難事件に遭遇した霍桑が現場の状況から模倣犯の犯行であると見抜き、依頼人に雇われた別の探偵と推理合戦をするという内容です。

 包朗の様子を一目見るなり、彼が今までどこにいて何をしていたのかピタリと言い当てる霍桑の洞察力は事件現場においては警察以上の捜査能力を発揮し、誰もが予期しなかった真犯人にたどり着きます。

 霍桑及び包朗のキャラクターや関係性はホームズとワトソンを忠実に再現しておりますが、本作では本物のホームズが生まれた西欧と中国の生活習慣や環境などを比較しその違いも挙げております。つまり西欧では正当な科学的捜査が中国では必ずしも通用するわけではないと作中で説明することで、本作が単なるホームズの模倣で終わっていない中国文化を背景にしたオリジナルミステリであると強調しています。

 そして『霍桑探案』シリーズで注目すべき点はミステリ部分以外に、事件の背景に当時の中国の社会問題が関わっているところにあり、裏側にスキャンダラスな真相が用意されております。

『断指団』(1921年)では被害者である慈善家が実は弱者を食い物にして私腹を肥やす詐欺師であることがわかり、『舞女生涯』(1929年)は多数の男に言い寄られていた踊り子の死がきっかけになり上流階級の不倫等のスキャンダルが暴かれ、更に『白紗巾』(1936年)は中国人でありながら戦中に日本軍に協力していたいわゆる売国奴の死から物語が始まります。

 犯罪事件にゴシップを混ぜる物語の構成は同時代のミステリ作家で『東方のアルセーヌ・ルパン』シリーズを生み出した孫了紅もやっていたことですが、程小青の作品が特徴的なのは当時の中国の社会問題を作者自身が憂慮していたことが霍桑らの発言から伺えるということです。

 例えば霍桑が混乱の末に犯人に一杯食わされる『父与女』(1933年)では高等教育を受けた青年が犯罪の片棒を担いだことに対し霍桑は自国の教育の失敗を嘆き、身代わりに死んでしまった物乞いに同情の目を向けます。自国の現状を憂い未来を懸念した程小青は自作の中で読者に問題提起をした教育的な作家でした。

■中華人民共和国建国後

 程小青といえば『霍桑探案』シリーズが有名ですが彼は一時的に断筆したのちの1957年に『生死関頭』という公安小説も書いております。

 この時期のミステリには探偵が登場せず、共産党と国民党の戦いを描写したものが主流でありそれは程小青も例外ではなかったのですが、彼が他の作家と違った点は正義である共産党ではなく国民党を主役に、つまりスパイとして中国に侵入した男の救済を書いたところでした。

 スパイとして故郷に戻った男は中国大陸の成功ぶりに驚かされます。共産党が作り上げた豊かな祖国、共産党によって教育を受けた人々、そして共産党のお陰で幸せになった自分の家族を見た彼はスパイとしてのアイデンティティが徐々に揺らいでいき、遂には中国大陸こそユートピアと信じて公安に自首します。

 彼はミステリを啓蒙の書として利用し、中国建国前は自国の直すべき点を取り上げ読者を教育しておりましたが、建国後は外からの目を利用して中国の素晴らしさを逆説的に且つ相対的に論じてきたのでした。

 昨年発売された『百年中国偵探小説精選』には100年間に及ぶ中国ミステリを代表する短編が掲載されており、第1巻目は程小青の『霍桑探案』シリーズで占められております。現代の中国ミステリが若者たちの手で徐々に盛り上がりを見せていく中、過去の中国ミステリを生み出し、支えた程小青を含む作家たちに目が向けられ、再評価されることを祈っております。

阿井 幸作(あい こうさく)

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中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。

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