書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。
さあさあ、たいへんなことになってきましたよ。7月に続き8月も豊漁で、春先の凪が嘘のような新作ラッシュがやってきました。今年はどうなってしまったのかというほどに良作が大量に刊行されていますが、おなじみ書評七福神はどんな作品を選んだのでしょうか。
(ルール)
- この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
- 挙げた作品の重複は気にしない。
- 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
- 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
- 掲載は原稿の到着順。
川出正樹
『もう年はとれない』ダニエル・フリードマン/野口百合子訳
創元推理文庫
外連を廃した定番のプロットと常道のストーリー展開で犯罪小説/襲撃小説の面白さを、基本に忠実にリニューアルした21世紀のクライム・ノヴェル『ゴーストマン 時限紙幣』。北欧を代表する警察小説《ハリー・ホーレ》シリーズの第一作で、オーストラリアを舞台にしたジョー・ネスボの『ザ・バット 神話の殺人』。
いずれ劣らぬ力強いデビュー作を押さえて頭一つ抜けていたのが、これまた新人の第一作である『もう年はとれない』だ。第二次世界大戦を生き抜き、三〇年間にわたってメンフィスの悪党どもから畏怖されていた伝説の名刑事バック・シャッツ。齢八十七となるシニカルで頑固なかつてのタフガイが、肉体と記憶力の衰えを痛感しつつ、ラッキーストライクと357マグナムを携え、孫とともに仇敵であるナチスの元将校と金塊の行方を追う姿がなんともかっこいい。単なる元気なジジイの大暴れ小説ではなく、ヒーローが死と老いから目をそらさず、諦念を抱きつつも信念を曲げることなく日々を送る姿が胸に響く、滋味深く爽快な作品だ。
千街晶之
『ゴーストマン 時限紙幣』ロジャー・ホッブズ/田口俊樹訳
文藝春秋
八月の新刊は、シンプルで切れ味のある謎解きを楽しめるヘレン・マクロイ『逃げる幻』、犯人が悪夢に出てきそうなマーガレット・ミラー『悪意の糸』といった作品も印象的だったが、最も圧倒されたのはこの作品。徹底的にクールでスタイリッシュな文体で描かれてゆく、全く無駄のないプロたちの犯罪計画。極悪人にも極悪人なりの、裏切り者にも裏切り者なりの魅力がある(あと、とにかく田口俊樹氏の訳文が素晴らしいということは特筆しておきたい)。いい意味で映画的なのに実は小説ならではのテイストでもあるだけに、今後予定されている映画化が気になって仕方がない。
吉野仁
『ゴーストマン 時限紙幣』ロジャー・ホッブズ/田口俊樹訳
文藝春秋
時間とお金をかけたハリウッド映画の強奪クライムものを見ているがごとき痛快さ。参りました。これが20代半ばの書き手によるものだというのも驚き。今後が末恐ろしい。そのほか、遅れて読んだジョエル・ディケール『ハリー・クバート事件』もまた今年の収穫といえる読み応えで、ライターズ・ブロックにかかった主人公、その恩師である作家の事件、しかも15歳の少女殺害容疑という基本設定をはじめ、過去の事件を様々な角度から明らかにしていくプロットが、巧み。
北上次郎
『もう年はとれない』ダニエル・フリードマン/野口百合子訳
創元推理文庫
主人公の年齢が87歳ということは新記録だ。これまで、ハードボイルド、スパイ小説、警察小説などのエンターテインメント主人公の最高齢は、胡桃沢耕史『六十年目の密使』の八十五歳であった。このときの相手役ヒロインの年齢は六十歳。それで愛をささやくのだから、さすがは老人小説第一人者だけのことはあった。いや、老人小説というよりも、爺様小説である。本書の内容をまだ何も紹介していないが、この年齢の設定だけで素晴らしい。たぶんこの記録は今後も破られないだろう。
霜月蒼
『ゴーストマン 時限紙幣』ロジャー・ホッブズ/田口俊樹訳
文藝春秋
なんとなんと。先月の『秘密資産』、今月の『ゴースト・ヒーロー』(S・J・ローザン)、『もう年はとれない』(ダニエル・フリードマン)、『ゴーストマン 時限紙幣』(ロジャー・ホッブズ)と、2014年の夏はハードボイルド・サマー(ダサい)となった。渋く成熟した都会派、柔かで陽性の正義感、パルプ風の威勢のよさ、ドライで非情な世界観、と多彩な4作を読めば、「ハードボイルド」を敬遠してきた読者にも最良の入門になるはずである。
そんな中から、悪党パーカーやクリント・イーストウッド演じる「名無し」を愛する者として、『ゴーストマン』を選ぼう。映画的なイメージの鮮烈さやプロットもいいが、それをスペシャルなものにしているのは文体だ。いまどきのミステリは、発生するイベントの数やストーリーの珍奇さで評価されがちだが、思えばローレンス・ブロックもチャンドラーも、味わいの核心は文体にこそあった。本書も、クール&ドライな語り口と世界観で読む者を魅了するクライム・フィクションなのである。アタマの1ページからケツの最終行まで酔わされました。
酒井貞道
『ゴーストマン 時限紙幣』ロジャー・ホッブズ/田口俊樹訳
文藝春秋
一、48時間後に爆発する紙幣(比喩じゃない!)を奪還せよ、二、犯罪のプロフェッショナルで協働し高層ビル最上階の銀行を襲え、などと依頼内容も凄いが、ストーリー展開はもっと凄い。
矢継ぎ早のピンチ! 急転する状況! スマートなプロフェッショナルぶり! その割には苛烈なバイオレンス! しかも正義とか箴言とか説教とか感傷とか惻隠とかをバッサリ切り捨てており、
主人公たちはワルだけれど実はいい奴なんだぜ、などという世間的良識にも一顧だに与えない。更にはこの手の話にありがちな、恋愛/お色気すら抑えて、ひたすらダイナミックでドラマティックな、
物語としての激しい動きを最優先にしている。それでもちゃんと纏まっている——どころか、精緻さすら感じさせる凄いプロットがどーんと用意されているのだ。全ては計算のうち。ただし、意地悪な見方をすればこれは若者しか書けないタイプの作品で、三十歳を超えると「小説の全てを計算してやる」との大胆不敵さは消えちゃう(または作者自身が飽きてしまう)んじゃないかと思わないでもないけれど、緻密な設計の結果生じる、物語と主人公のクールさには痺れてしまいます。
杉江松恋
『ガットショット・ストレート』ルー・バーニー/細美遙子訳
イースト・プレス
8月はとんでもない犯罪小説月間になって、おそらく今年のベストテンにランクインするであろうという作品が目白押しであった。しかも(1)新人が強く、(2)過去の作家を思わせるようなところが随所にある、という古参のファンを泣かせる作品ばかりという嬉しさである。ちょっと書いてみると、『ゴーストマン』が〈悪党パーカー〉シリーズ、『もう年はとれない』が『オールド・デイック』のL・A・モース、『ザ・バット 神話の殺人』(これがデビュー作だ)がトニイ・ヒラーマン、そしてこの『ガットショット・ストレート』がカール・ハイアセン&エルモア・レナード&エヴァン・ハンターという作風なのであった(twitterで、ひとむかし前の扶桑社ミステリーを思わせるような、という感想を見かけたがいい表現だと思う)。
自分で帯の推薦文を書いたからではないが、『ガットショット・ストレート』好きだなあ。犯罪小説にもいろいろなタイプがあるが、今月のもう一つの特徴は(3)主人公に抜群の魅力がある、ということだと思う。本書の場合は「前科者だけどいいやつ(レストラン経営者志望)」「嘘つき女に弱い」「トラブルに巻き込まれやすいけど知恵でなんとかするタイプ」という、まるで『スティック』『ラブラバ』『グリッツ』あたりの1980年代レナードが大好きな読者なら随喜の涙を流しかねない人物像なのであった。ちょっと厚めの作品なんだけど、読んでみてくださいな。
『ゴーストマン 時限紙幣』と『もう年はとれない』で頭とヒモは決まり金玉という流れでしたが、各者のコメントを見ればわかるように、候補作が多くて絞るのに散々苦労した一月でした。このテンションがずっと続くと七福神死んじゃう!(でも続け) 来月もお楽しみに!(杉)