突然ですが、目の前に3億円があったらどうしますか? たとえば、自宅の玄関にぽんと置かれたゴミ袋に入っているとか、中古で買った住宅の屋根裏を探索したら見つかったとか、山歩きの途中、茂みに無造作に捨てられているのがたまたま見えたとか、いろいろあるじゃないですか(あるのか?)。や、わかってます。もちろん、警察に届けますよね。でも、そういうふうに見つかるお金って、本来の所有者が名乗り出られない場合が多くないですか? だったら何ヵ月かすれば、どうせ自分のものになるんだし、警察の手を省いたところで……

 いやいやいや、くすねろなんて言いませんよ、もちろん。でも、普段なら迷わず警察に届ける人でも、そのときの気持ち次第では、ふらふらと誘惑に駆られ、直前で踏みとどまることだってないとは言えません……よね? 今月ご紹介するロス・キャヴィンズの “FOLLOW THE MONEY”(2010) は、そんな誘惑に駆られ、踏みとどまらなかった人たちを描いた連作短篇集です。

 そもそもの始まりはウェイロンとクリントという兄弟が、人気テレビ伝道師の娘で17歳のユースティスを営利目的で誘拐したこと。このふたり、もともと誘拐なんていう大それた犯罪ができるような頭を持ち合わせていません。しかも、誘拐されたはずのユースティスのほうが悪党ぶりではふたりよりもずっと上。親と折り合いが悪く、18歳になったら改名して親と縁を切るつもりのユースティスにとって、おばかなふたり組に誘拐されたのは、まさに渡りに船のようなもの。自分の誘拐に一枚噛むというはなれわざで、みごと300万ドルを手に入れるのです。

 この300万ドルが奇妙な偶然によってユースティスから詐欺師、コンビニ強盗、独身のアラフィフ女性ふたり組、ホテルのメイド、ハイスクール時代からの悪友コンビ……といろいろな人の手にわたっていく過程が連作短篇形式で語られます。前述したウェイロンとクリントの例でわかるように、登場人物はみんなどこかおばかで間抜けで、それでいて憎めない人ばかり。コンビニ強盗に入ったのに、客に諭されて、けっきょくなにも取らずに終わってしまう男なんか、その典型。お笑いコンビのコントかよ! と突っこみたくなるようなやりとりが冴えてます。

 とにかく、そんな彼らが300万ドルに遭遇するまでのドタバタがユーモラスに、そしてばかばかしく、さらには不謹慎な笑いを交えながら描かれます。抱腹絶倒とはまさにこのこと。電車のなかで読んだら、必死に笑いをこらえるあやしい人になること請け合いです。とくに救急車を呼ぶ男が主人公の第6話など、きわどくてばかばかしくて、思い出すだけでもぷぷぷ、と笑いが……。なにがそんなにおかしいのか、おおやけの場ですので、わたしの口から詳細に説明するのは差し控えさせていただきますが、ズボンのあげおろしに苦労しそうで、女性に説明するのはためらわれる症状とだけ申しあげておきましょう。あとは読者のみなさんの想像におまかせします。

 さて、こんなばかばかしくもおかしな小説を書いたロス・キャヴィンズとはどんな人物なのか。大学ではコンピュータ・サイエンスを学び、フリーでウェブデザイナーとインターネット・プログラマーをしているとのこと。二度の離婚と中年の危機をきっかけに、昔からの夢だった小説に挑戦したのが本書というわけ。最終目標は、書店で「作家のキャヴィンズさんですか?」と声をかけられるようになることだそう。

 そのためにはまず、2作めをプリーズですよ、キャヴィンズさん!

東野さやか(ひがしの さやか)

兵庫県生まれの埼玉県民。洋楽ロックをこよなく愛し、ライブにもときどき出没する。最新訳書はローラ・チャイルズ『ローズ・ティーは昔の恋人に』(コージーブックス)。その他、ブレイク・クラウチ『パインズ—美しい地獄—』(ハヤカワNV文庫)など。埼玉読書会世話人。ツイッターアカウントは @andrea2121

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