第3回では1949年に誕生した中華人民共和国でミステリ小説が国民党やアメリカに対抗するプロパガンダに用いられたことに触れました。小説の中でそれらの政党や国家は新中国を混乱させる『敵』として登場し、公安が『正義』の味方として活躍して陰謀を暴くことこそが作品の妙になっていました。犯人が個人的な利害を理由に犯罪を行うことはなく、その規模も一個人で対処しきれる範囲を超えているために当時のミステリは偵探小説というジャンルでありながら『探偵』の存在が消滅しました。

 さて、では国民党やアメリカなどの外部の脅威が去った中国では一体どのようなミステリが生まれたのでしょうか。今回は1960年以降の中国ミステリを紹介します。

 なおこのコラムでは作品の特徴を伝えるためにストーリーの核心部分に触れていることがありますのでご了承ください。

■中国ミステリの空白期間

 実は1960年から70年代にかけて中国では代表的な国産ミステリは生まれなかったようです。本稿を書くに当たり参考にしている『百年中国偵探小説精選』(編纂:劉翔/2012年)には全10巻に渡り1908年から2011年の間に発表された中国ミステリ作品が収録されておりますが、その年代の作品は掲載されていません。

 また、現在は活動を停止していると思われる『北京偵探推理文芸協会』は1996年から1998年にかけて、1949年から1998年に発表された1000以上の作品を対象としその中から優秀な作品を選出しています。それには第3回に紹介した『無鈴的馬幇』(1954年)や『黒眼圏的女人』(1956年)の他、1987年に全集として出た程小青『霍桑探案集』も数えられているのですが、やはり上述の年代の作品は入っておりません。

 しかしその年代以降の作品から空白期間の中国の様子を伺いしることができます。王亜平『神聖的使命』(1979年)は当時の時代背景と国民感情を代弁したような作品であり、また中国ミステリが設定していた『敵』である犯罪者の変化も見ることが出来ます。

■敵は共産党の中に

 この作品は主人公こそ公安のベテラン刑事であり共産党員という従来のものと変わりませんが、真犯人たちが共産党の幹部連中という地位にいるのが特徴です。

 引退を控えたベテラン刑事の王公伯が過去の事件ファイルを読み返していたところ、1967年に起きた強姦事件の異様さに気が付く。その事件では白舜という知識分子風の男が少女を計画的に強姦したという罪で15年の長期刑を言い渡されていたのだが、王公伯はファイルの不備が気になり彼の妻や被害者とされる少女から真相を聞いたところ、この事件が仕組まれた冤罪であることを知る。白舜を陥れた犯人たちは現在革命委員会の幹部の地位にいるが、王公伯は共産党の正義を体現するために果敢に彼らと対峙します。

 王公伯や冤罪をかけられた白舜、白舜を信じる妻や冤罪に加担して罪の意識に苛まされる少女が共産党に対し尽きることのない信頼と忠誠を見せる一方で、冤罪を作った真犯人連中は作中で『四人組』とまで例えられます。このような共産党内部の腐敗分子や文化大革命中に隠蔽された犯罪が描かれる作品が1980年代に登場します。

 刁斗『六面骰子』(1980年以降)は復讐に焦点を絞った作品です。

 教師の父を持つ公安の刑事肖青は死体の近くに『三』の目しか彫られていないサイコロが置かれる奇妙な殺人事件に遭遇します。その事件の前後に『一』の目しかないサイコロと『二』の目しかないサイコロが置かれた死体が見つかり、事件は連続殺人事件に発展する。奇妙なことに被害者は全員肖青の父親の元教え子だった。そして捜査を進めると被害者たちが文化大革命中に紅衛兵として一人の教授をリンチして死に追いやっていた過去が明らかになります。肖青はサイコロの『六』の目が自分の父親になると知り、復讐に駆られる犯人と対峙します。

 現場にメッセージ性の強い遺留品が残されるというサスペンス色が強い作品で、高潔な人物の過去が文化大革命の負の側面とともに露わになる展開は共産党が絶対正義としてスパイと戦っていた過去の作品群を圧倒するリアリティがあります。

 現代の中国ミステリの代表的な作家である何家弘が書いた傑作中編『黒蝙蝠・白蝙蝠』(1999年)は文化大革命の異常さと現代中国の科学捜査技術の先進性を比較した作品です。

 物語は文化大革命中に党員の孫飛虎が下放先で蒋蝙蝠という奇妙な名前の男と知り合うところから始まります。この男は文化大革命以前までは蒋百福という名前だったのですが、国民党の蒋介石を賛美するような名前だったため当局に目をつけられて蒋百福から蒋蝙蝠に改名したという過去を持っています。蒋蝙蝠はその態度が評価され党員となり、その人柄に孫飛虎も惹かれていくのですが、反革命分子を捕まえるノルマを課せられた孫飛虎の保身のために売られ、労働改造所に連れて行かれます。その結果蒋蝙蝠は労働改造所で死亡し、孫飛虎は逆に出世街道を歩くことになります。

 そして舞台は現代に戻り、孫飛虎が旅先で服毒死したことにより最新の科学技術を駆使した捜査により文化大革命の暗部に光が当てられ、これが蒋蝙蝠の意志を継ぐ何者かが高度な科学技術を利用した復讐殺人であることが判明します。

■国と国の戦いから個人と個人の戦いへ

 新中国が誕生し混乱期を乗り越えた中国ミステリは過去の共産党内部の腐敗を『敵』に設定し、文化大革命の時代がネタにされました。ですが共産党政権に対するあからさまな批判はありませんし、文化大革命自体が否定されることもありません。そして殺された腐敗分子がどれだけの悪党でも殺人犯は必ず法の名の下に裁かれます。

 中国ミステリは国民党やアメリカなどの外部に敵を求めた時代が終わると、共産党内部に敵を作り、彼らを復讐によって殺させてその復讐を遂げた犯罪者を中国国内の人間に設定することで、国同士の代理戦争めいた構造から脱却し、いち公安刑事といち犯人による個人と個人の知恵比べになっていきます。そしてこのような過程を経た現在では探偵を名乗る人物が活躍する作品が中国でも再び書かれるようになりました。

 次回は現代の中国ミステリについて述べたいと思います。

阿井 幸作(あい こうさく)

20131014093204_m.gif

中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。

・ブログ http://yominuku.blog.shinobi.jp/

・Twitterアカウント http://twitter.com/ajing25

・マイクロブログアカウント http://weibo.com/u/1937491737

●何家弘『瘋女』英訳版

●何家弘『人生?洞』英訳版

現代華文推理系列 第一集

(御手洗熊猫「人体博物館殺人事件」、水天一色「おれみたいな奴が」、林斯諺「バドミントンコートの亡霊」、寵物先生「犯罪の赤い糸」の合本版)

【毎月更新】中国ミステリの煮込み(阿井幸作)バックナンバー

【毎月更新】非英語圏ミステリー賞あ・ら・かると(松川良宏)バックナンバー