今年もクリスマスソングが聞こえる季節。各種ミステリランキングが発表されているが、本欄で紹介したクラシック作品も健闘している。今年は、質・量ともにクラシックミステリが充実した一年だったといえそうだ。

 ダフネ・デュ・モーリアといえば、『レベッカ』などで知られる英国女性作家だが、ヒッチコック映画の原作となった「鳥」(『鳥』(創元推理文庫)収録)など短編作品にも定評がある。

 『いま見てはいけない』は、異郷のエキゾチズムとエトランジェの感覚が濃厚な五つの長めの短編を収めた、粒よりの短編集。『真夜中すぎでなく』(三笠書房)として、かつて紹介されているが、稀覯本となっていた。

 表題作は、ニコラス・ローグ監督『赤い影』(1973)の原作短編。映画『赤い影』は、過去・現在・未来を画面上に交錯させた心理スリラーで、イギリス映画ベスト企画の常連作。水の都ヴェネチアの街が多数の影がひそむ迷宮のように描かれ、散りばめられた赤のイメージが今観ても鮮烈だ。

 原作「いま見てはいけない」は、『赤い影』の骨格と大きくは変わらない。

 ヴェネチアに滞在する夫婦が双子の老嬢に出会う。夫婦は幼い娘を亡くしたばかりだったが、盲目で霊視能力をもつという双子の姉が、夫婦の間には幼い娘の姿が見えるという。老嬢からの謎の警告。街で発生する連続殺人。妻の失踪。喪失感にさいなまれる夫婦の心理を底流に、現実と幻想が混濁していくような感覚に包まれる。無意識の怪物に急襲されるようなショッキングな結末は、様々な解釈に読者を誘うだろう。

 ある意味、表題作以上に感嘆したのが、「ボーダーライン」。駆け出しの女優が父の死に接するが、死の瞬間、父は娘を凝視し「なんてことだ」と叫ぶ。娘は、父の死に際を訝り、父が訪れたがっていたアイルランドに向かう。物語はまったく予期しないような展開をみせ、ヒロインのめくるめく体験に伴走させられる。「境界」で眺める「花火」のこの世のものならぬ美しさ。政治的なボーダーが人間存在のボーダーに重ね合わされる構成のスリリングなこと。本編は、優れたミステリであり、恋愛小説であり、陰謀小説でもある。

 「真夜中になる前に」は、クレタ島が舞台のミステリ、宝探しの要素をもつ短編だが、絶望的なまでの決着が見事。「十字架の道」は、聖地エルサレムを訪れたイギリスのツアーの一行を描いた意地悪なコメディだが、単なる風刺劇には終わっていない。「第六の力」は、荒涼とした東海岸の施設で密かに進められている人間内部のエネルギーを取り出そうとする実験を描いたSF、とその作風は幅広い。

 デュ・モーリアは人間心理のひだの描写に長けてはいても、そこに分析的な解釈をもちこもうとはしない。本短編集は、表題作のタイトルに象徴されるように、いずれも禁忌に踏み込んでいく人間が描かれている点で共通しているが、作者は、そうした人間のふるまいにこそ残酷さも美しさも驚きも広がる豊穣な物語世界を見出そうとしているかのようだ。

 J.J.コニントン『レイナムパーヴァの災厄』(1929)は、クリントン・ドリフィールド卿登場の本格ミステリ。といっても、おおかたの読者には、この名探偵に、なじみがないだろう。我が国では、戦前に、そのシリーズ作『九つの鍵』『当たりくじ殺人事件』が抄訳で紹介されているのみなのだから。

 コニントンは、英米でも忘れられた黄金期の作家だったが、最近では電子書籍での復刊が相次ぎ、その復権を訴える研究書も出ているという。この長編も、つい吹聴したくなる驚きを備えた一冊だった。

 警察本部長を辞したドリフィールド卿は、深夜、片田舎レイナム・パーヴァに向かう途上で、外国人ともう一人の男が娘を争い殴り合いをしている場面に出くわす、というのが本書の印象的な冒頭。翌朝、その外国人が自動車の中で死体として発見され、殺人事件の疑いがかかる。関係者の証言から事件の闇が広がる中で、再び村に来ていた外国人の殺人が発生する。一方、ドリフィールド卿の私生活の面では、滞在中の卿の姪で実の娘のように可愛いがっていたエルジーがアルゼンチンから来た男と電撃結婚したことを知らされる。やがて、事件の疑惑は、エルジーの夫に、さらにドリフィールド卿にまで及んでくる。

 驚きの一つ目は、次第に明らかになっていく事件の背後に、ある陰謀の存在が明らかになっていく点で、その陰謀がこの時代の小説としては、まず、お目にかかれない特異なものであること。(あっさりその内容に言及している「訳者あとがき」は本編読了後とした方がいい)

 二つ目は、十分な成功を収めているかどうかはともかく、実に挑戦的でユニークな結末をつけており、その納得度も高いこと。

 卿自身や家族が事件の渦中に巻き込まれる点で、本書は、シリーズの基本的な設定とは異なる「ドリフィールド卿自身の事件」ともいえる内容になっているが、法の番人としての立場と一個の家族思いの人間としての立場で板挟みになる卿の苦悩は、同時代のパズラーの中では異彩を放っている。

 こういう作品に当たると、クラシックパズラーの世界も、また広く、深いものだと思わざるを得ない。

 『閉ざされた庭』(1945)は、アメリカの女性作家エリザベス・デイリーの邦訳4冊目。「クリスティに愛された作家」として紹介されることが多く、デビュー作『予期せぬ夜』に付された解説で、村上貴史氏は、「デイリーもいささかうんざりしているかも知れない」と書いているほどだ。一方で、古書の権威でもあり、資産家の子息でもあるシリーズ探偵ヘンリー・ガーメッジは、その育ちの良さゆえ、ドロシー・L・セイヤーズが生んだ貴族探偵ピーター・ウィムジー卿にもたとえられる。一時期、幻本であったこともあって、ビブリオ・ミステリ『二巻の殺人』が最も有名な作品だろうが、作者の本領は、上流階級のサークル内の事件を扱ったもののようで、本書も上流階級の社交の場で起きる殺人を扱った品のいい本格ミステリだ。

 ニュージャージー州の屋敷の宏壮な庭園で、客として訪れていた資産家の老婦人が射殺される。それも、ヘンリー・ガーメッジの眼の前で。ガーメッジは警察と協力して捜査を進めるが、事件の背後には、遺産相続や男女関係のもつれなどが絡んでいることが次第に明らかになってくる…。

 ガーメッジ自身の知友人の中で発生する犯罪で、サークル内の関係者の聴取が続くが、ある招かれざる客が屋敷に登場することで、事件は大きく動き出す。

 閉じた庭、閉じたサークル内の事件と大人しい設定だが、推理の前提を覆す大ネタが仕込まれているので、見逃せない。冒頭から示された太陽神信仰やアポロ像などの一種不穏な雰囲気がその仕掛けに貢献し、意外な真相に結びついていることは、作者のミステリ作家としての確かな技量を物語っている。

 何かといえばシェイクスピアの戯曲の科白を引き合いに出すガーメッジの物言いが気にならなければ、結末でこの探偵の頭脳の明晰さと心優しさに触れることができるはずだ。

 エドワード・D・ホックの生んだ怪盗ニックの文庫版全集が『怪盗ニック全仕事1』を皮切りに、創元推理文庫でスタートしたのは、嬉しい驚きだった。プールの水やプロ野球チーム、刑務所内のカレンダーなど価値のないもの、もしくは誰も盗もうとしないものばかりを盗むニック・ヴェルヴェットは、ホックの創造になる多くのシリーズ・キャラクターの中でも、最も愛されているものだろう。既に、4冊の怪盗ニックの短編集が独自編纂で刊行されているが、今回は未訳も含め、全87編の短編が全6冊に、発表順に収録されるという。

 サム・ホーソンシリーズに代表されるホックの本格短編は、フーダニットの手がかりを埋め込むために関係者のインタヴューが続く傾向があり、その運びには時に単調な印象を受けることがある。が、ニック物には、how(いかにそれを盗むか)、why(なぜ依頼人はそれを欲するのか)という興味にプラスして、様々な謎解きのヴァリエーションが駆使されており、飽きさせない。ニックのいうとおり「泥棒と探偵の両方に要求される論理は違いません」(「プールの水を盗め」)なのだ。今後の怪盗ニックの活躍を折々の楽しみとして待ちたい。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)

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 ミステリ読者。北海道在住。

 ツイッターアカウントは @stranglenarita

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