書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。
みなさん、こんにちは。春になりましたが、なかなか暖かくなりません。こんなときは家に引きこもってミステリー読書もいいものです。さて、二月度の七福神はどんな本を読んだのでしょうか。
(ルール)
- この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
- 挙げた作品の重複は気にしない。
- 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
- 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
- 掲載は原稿の到着順。
酒井貞道
『ブリリアンス—超能ゲーム—』マーカス・セイキー/小田川佳子訳
ハヤカワ文庫NV
失礼な話だが、マーカス・セイキーは頭があまり良くないのかも知れない。1980年以降に生まれた人間の1%に特殊能力が発現するという、人類全体を巻き込んだ規模の話で、しかも3・11後に書かれたテロの恐怖を背景とする作品であるにもかかわらず、本書の記述はUSA国内の事項に終始し、それ以外の国と地域など眼中にない。第二部以後の展開にご都合主義が強まったり、社会制度の設定や、黒幕の計画のツメが甘かったりするのも減点材料です。登場人物のキャラクターも、立ってはいるけど単純過ぎるんだよなあ……(これがご都合主義にもつながる)。
しかし、ストーリーテリングは上手い。これは認めざるを得ない。主人公は、超能者でありながら、権力の走狗として、超能者テロリストたちを狩る立場にある。その過程では人も殺す。正義感と使命感の板挟みに加えて、子が超能者として施設に放り込まれるとの不安に駆られる彼の心情は、特に第一部で読者の感情移入を誘発するはずだ。また全篇にわたって、大規模テロの陰謀を阻止することができるのかがスリリングに描かれるとともに、差別に対する糾弾が実直に打ち出されている。複雑な味わいやコク、あるいは「考えさせられる」要素とかには欠けても良くて、ストレートでシンプル、にもかかわらずスケール豊かという娯楽小説を求めている人には強くオススメしたい。実は俺もこういうの嫌いじゃないんだ。
千街晶之
『完璧な夏の日』ラヴィ・ティドハー/茂木健訳
創元SF文庫
不老の宿命に呪縛された特殊能力者たちがバトルを繰り広げる、第二次世界大戦から今世紀に至るまでの「もうひとつの世界史」。アメリカン・コミック的な設定のもとで展開されるル・カレ風の国際謀略に、戦いの中で翻弄される恋愛と友情の行方を絡めた物語は、緊迫感と切なさが拮抗していて忘れ難い魅力を放つ。イスラエル出身作家でないと書けないかも知れない、アイヒマン裁判のパロディ的なエピソードには度肝を抜かれた。邦題は原題と全く印象が異なるがこれで正解。
川出正樹
『渚の忘れ物』コリン・コッタリル/中井京子訳
集英社文庫
「お祖父ちゃん、浜辺に頭があるのよ」「なんの頭だ?」「え?」「魚の頭か?」「犬の頭か?」「それとも、キャベツか?」「人間の頭よ」。
いいなぁ、このノリ。バンコクでも指折りの犯罪報道記者だったものの、やむにやまれぬ家庭の事情から、タイ南部のしょぼくれた田舎町で母が経営する冴えないリゾートホテルを手伝う羽目になった主人公ジム。彼女が、元警察官——清廉潔白、故に出世とは無縁に交通係一筋四十年——の祖父と冒頭三ページ目で交わすこの会話からわかるように、皮肉と風刺の効いた主人公の語りが心地よい猥雑な犯罪小説です。ミャンマーからの移民問題を核に、貧困、不正、汚職といった深刻なテーマをユーモアを持って小気味よく斬る手腕は、共産主義政権下のラオスを舞台にした《老検死官シリ先生》シリーズの作者の面目躍如たるもの。こっちのシリーズの翻訳もぜひ再開して欲しいものです。
北上次郎
『猟犬』ヨルン・リーエル・ホルスト/猪俣和夫訳
ハヤカワ・ミステリ
シリーズの途中で何かの賞を受賞するとその作品がいきなり翻訳されるということはこれまでにもあったので珍しくない。それでも鑑賞の妨げにはならないという版元の判断があるのだろうが、しかしシリーズはやはり最初から読みたい。このシリーズも最初から読めば、また違った感想を抱くのではないか。そんな気がする。
吉野仁
『模倣犯』M・ヨート&H・ローセンフェルト/ヘレンハルメ美穂訳
創元推理文庫
第一作『犯罪心理捜査官セバスチャン』で、主人公は次のように描写されていた。「犬にたとえるならドーベルマンよりもむしろブルドッグといったところで、髪の生えぎわは徐々に後退しているし、選ぶ服装もファンション雑誌からはほど遠く、いかにも心理学の教授といった感じだ」。ところが「セバスチャンは女を口説くことに長けている」。相手の女性に合わせ、状況を見ながら戦術を変え、口説き、ものにしていく。で、このシリーズ、こうした異色キャラを押し出した警察群像ミステリにすぎないと思って油断してたら、第二作『模倣犯』は、面白さが倍加しているではないか。主人公をめぐるサブストーリーを活かしたうえで、『羊たちの沈黙』同工異曲設定を導入しつつも、後半、ページをめぐるのがもどかしいほどのとんでもないサスペンスが展開していく。いまからでも遅くはない。未読の方は一作目からぜひ。
霜月蒼
『強襲』フェリックス・フランシス/北野寿美枝訳
イースト・プレス
ディック・フランシスの競馬シリーズで一番大事なのは競馬ではなく、プライドを懸けた克己のドラマであり、無駄なく引き締まった物語展開である。そこを押さえないと断じてディック・フランシスの後継にはなりえない。フランシス亡きあと、シリーズを継いだ実の息子フェリックスは、そこをよく判っている。無駄な前置き抜きの冒頭が名作『度胸』を思わせる本作は、『反射』『名門』『証拠』あたりの第二絶頂期の流儀を踏襲した見事な「競馬シリーズ」の一編である。作中で幾度も変奏される「Gamble(原題)」というモチーフが、あの『興奮』の軸をなすスピリットと共鳴していることも見逃すべきではないだろう。装幀、訳文ふくめ、期待は裏切られない。ぜひ読まれたい。
杉江松恋
『渚の忘れ物』コリン・コッタリル/中井京子訳
集英社文庫
WEB本の雑誌にも書いたが、本書を読んで真っ先に連想したのは、ジャネット・イヴァノヴィッチのステファニー・プラム・シリーズだった。あのシリーズの場合は家族の誰かが不安定になり、ステファニーがそれを案じて行動するのがサブ・プロットとしてメイン・プロットと融合する構造になっていた。本書の場合、主人公のジム(女性)以外はほぼ全員が不安定である。頑固で喧嘩早い祖父、突如として夢見る夢子さんになってしまう母、極度の引きこもりの姉、女性恐怖症の気がある(そして母親とほぼ同年齢の女性と婚約した)弟と、危なっかしいキャラクター揃いなのだが、なぜか結束の強さを感じさせられる。家族小説としても完成度は高い作品だ。そこに持ってきて謎の呈示の仕方がいい。ドタバタ騒ぎで笑っているといつの間にか事件のただなかに引きずりこまれているという趣向であり、謎解き面でも満足させてもらえるのである。この夏ビーチ・リゾートに行くことがあれば、携えていきたいミステリーのベストワンですな。
SF的な設定の話あり、キャラクターの強い警察小説あり、ビーチ・ミステリーあり、とバラバラに分かれた2月でした。どうやら今年も翻訳ミステリー界は多士済々のようです。3月はどんな作品が挙げられてくるか、楽しみにお待ちください。(杉)