ギミック。gimmick。

 観客全員に死亡保険をかけたり、恐怖シーンで客席に微電流を流したり、結末を二通りつくった映画監督ウィリアム・キャッスルが「ギミックの帝王」と呼ばれていた——

 プロレスラーのキャラを立てるための、「元ナチスの将校」とか、「脱獄囚で全米を試合しながら逃走中」(まさか)という「設定」をギミックと称する——

 などということを知らされると、「ギミック」ということばに、愛着が沸いてくる。「鬼面人驚かす」とか、「稚気満々」という風情がいい。

 ギミックには、(手品師などの)秘密の仕掛け、たね、策略など多くの意味があるようだが、「客の興味を引く仕掛け」と捉えると、ミステリとも、無縁ではない。無縁でないどころか、実になじみがいい。

 エラリー・クイーンの「読者への挑戦」というのもギミック。本格ミステリの黄金時代には、結末の袋とじや、プロローグとエピローグを逆転させる、証拠品を綴じ込む、などの派手なギミックがみられた。

 本格ミステリに「手がかり索引」というギミックを付け加えたのが、米国のC・デイリー・キング。ミステリ作家として長編で活躍した期間は、わずか10年に満たないが、『海のオベリスト』『鉄路のオべリスト』『空のオべリスト』のオベリスト三部作、さらに不可能犯罪ばかりを扱った輝かしい短編集『タラント氏の事件簿』で、本格ミステリファンに受けがいい。

 「手がかり索引」という趣向は、巻末で解決の手がかりの該当箇所を何ページ何行目と示し索引化したもの。フェアプレイ精神を煮詰めていくと、ここまで行き着いてしまうという点で、「読者への挑戦」と同様、本格ミステリの一つの理想型が生み出したギミックだ。クロフツ『ホッグズ・バックの怪事件』、ディクスン(カー)『白い僧院の殺人』などでも、この趣向が使われている。

 キングの非凡なところは、『空のオベリスト』では、自らが生み出した「手がかり索引」というギミック自体を逆手にとって、結末で予想もしないサプライズをもたらしている点だ。ギミックすら、本格ミステリの構造に取り込んでしまう、このフロンティア精神。

 手がかり索引というギミックに加えて、オベリスト三部作では、『海〜』や『鉄路〜』での心理学者の推理合戦、『鉄路〜』のプール車での変死体という魅力的な謎の提示、『空〜』でのプロローグとエピローグの逆転など、本格物好きのミステリ読みは、思わず顔がほころんでしまう仕掛けが施されている。

 本書『いい加減な遺骸』(原題 Careless Corpse、1937)は、オベリスト三部作に続いて書かれた通称ABCシリーズの第一弾。タイトルの頭韻をとってこう呼ばれているのだが、シリーズがCから始まっているのがなぜかは判らない。

 探偵役は、オべリストシリーズで探偵役を務めるニューヨーク市警のマイケル・ロード警部。彼は、『空のオベリスト』事件での手痛い失策の傷が癒えておらず、警視への昇進を受諾するものかどうか思い悩んでいる。シリーズでおなじみの統合心理学者ポンズ博士は、悩めるロードに、富豪ノーマン・トリートの元で一緒に休暇を過ごすよう勧める。かくして、ロードは、連続毒死事件に遭遇することになる。

 トリートの住まいは、ハドソン川に浮かぶ孤島にあるケアレス城。そこに集うのは、著名でエキセントリックな音楽家たち。ノーマン・トリートは、音楽に関する装置を発明し、何やら画期的実験を試みるらしい。中心になる謎は、毒物がもたらされるはずのない状況での毒死という不可能犯罪。

 これ一発というギミックはないが、作品全体が四楽章からなる「死響曲」(タナトフォニー)に模され、登場人物表が「演奏者」とされている構成、屋敷やボートなどの見取り図(後半の表は先に見ないように要注意)にも、本格ミステリ読者を惹きつける要素はたっぷり。

 既に黄金期に翳りが見えている1937年という時代もあるのか、意図的にリアリティには背を向けて、本格ミステリの特徴的なエッセンスをデフォルメ・強調していった日本の一部の新本格作品に近いような肌ざわりだ。

 ボートの中の毒死に続き、音楽室でのピアノ演奏中に、第二の事件発生。推理をめぐらせても、毒死の不可能状況はより深まっていき、トリートの新発明品による「音楽殺人」の可能性すら論議される。

 一度は島に乗り込んだ捜査陣だったが、ハドソン川の凍結や事故により、ケアレス城は外部とは隔絶され、管轄外のロード単独の捜査が不可避となる。一方、事態の展開に苛立つ城の客たちは、悪魔主義者、反米主義者、精霊の存在を信じる者など、その素顔が露呈されてくる。事件の進行を彩るように、登場人物たちによる音楽、芸術、科学、心理学にまつわるペダンチックな議論がなされる。

 進行が多少ぎくしゃくしている点はあるが、一部の客たちがケアレス城脱出を図る顛末、『海のオベリスト』でもみられた心理試験、発明された装置を用いた実験、そして意外な場所での真相の開示など、ドラマティックな展開にも配意している。

 毒殺方法が著しく説得力に欠ける点、真相解明のロジックが一点の手がかりに頼りすぎている点、ペダントリーが作品全体の趣向とうまくシンクロしてこない点などの弱点があり、作者の代表作とはいえないが、「遊びをせんとや生れけむ」本格ミステリの趣向がもたらす高揚感、醍醐味が味わえる作品だ。本書解説(森英俊)で、キングが「満開の花を咲かせ」たとされる、次作 Arrogant Alibi の邦訳が楽しみだ。

 ミステリ史上最初の女探偵はだれか。クイーンによると、『婦人探偵の冒険』のミセス・パスカルといい、1841年にデュパンが「モルグ街の殺人」で登場した20年後に登場したという。(エラリー・クイーン編『犯罪の中のレディたち』はしがき)

 では、最初の(職業的)女性犯罪者は?というと、クイーンは、L・T・ミードロバート・ユーステスの共著による『ストランド街の魔女』(1903)に登場するマダム・サラ、としているが、同じ作者によるマダム・コルチーの方が早いらしい。コルチーは、犯罪秘密結社「七王国」の首魁であり、凶悪なギャングや悪漢を配下にイギリスを震撼させた美貌の女賊(押川曠編『シャーロック・ホームズのライヴァルたち2』に長編の一部が紹介されている)。

 「探偵小説に登場した最初の大量殺人者が、アダムでなくイヴである事実はなかなか面白い」と編者は記している。

 エドガー・ウォーレス『淑女怪盗ジェーンの冒険』に登場する女性怪盗は、マダム・コルチーのように恐ろしい女賊ではなく、あくまで優雅で淑女らしい女義賊。

 ウォーレスは、1905年の処女作『正義の四人』以降、32年に急逝するまで活躍、スリラーを中心に長編だけで130作以上を遺した作家だが、女性怪盗という分野にも手を染めていたのだ。

 富豪たちを標的に、盗みを働いては真ん中に「J」と記された四角いカードを後に残していく女怪盗には、閉鎖になりそうな病院に寄付をするなど義賊的行動もみられる。

 厳重な警備をかいくぐった華麗な盗みの手口のエピソードが続き、ジェーンに翻弄される捜査当局だが、後半はロンドン警視庁のドーズ主任警視がその正体に迫ることとなる。

 ロンドン社交界を舞台に繰り広げられる、今となってはどこか牧歌的な趣のある盗賊物だが、第三章の衆人監視の中、絵画を盗むエピソードは、用いられる手口が秀逸。(前出『犯罪の中のレディたち』にも、この部分が収録されている)ジェーンの正体と動機は、読み進むうちに見当がついてしまうが、きびきびとした場面転換や会話、ジェーンのストレートな道義心には、前世紀前半に活躍した作者の人気ぶりの一端が窺える。

 併録の「三姉妹の大いなる報酬」は、数年前にオーストラリアで「発見」された単行本未収録作。邦訳も一部に限られている作家ゆえ、ありがた味は減じるものの、農場で暮らす若い三姉妹を主人公にした、二重の勘違いが笑いを呼ぶコメディで、スリラー作家の別の面も見い出せる。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)

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 ミステリ読者。北海道在住。

 ツイッターアカウントは @stranglenarita

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