Le charretier de «La Providence», Fayard, 1931[原題:《プロヴィダンス号》の馬曳き]

『メグレと運河の殺人』田中梓訳、河出書房新社メグレ警視シリーズ45、1979*

『水門の惨劇』伊東鍈太郎訳、京北書房、1947

Tout Simenon T16, 2003 Tout Maigret T1, 2007

TVドラマ 同名 ジャン・リシャール主演、1980(第46話)

TVドラマ『メグレ警視 運河の秘密』ブリュノ・クレメール主演、Maigret et la croqueuse de diamants, 2001(第34話)【註1】[原題:メグレとダイヤモンドを貪る者]

 これは中編で書くべき作品だったろう。『死んだギャレ氏』以来ここまで、ずっと全11章の小説が続いてきた。本作も11章だが、最後の一章は短く、ほとんどエピローグに近い。11の場面を構成する前にこの物語は終わってしまう。

 だがこのころシムノンはまだ、メグレの中短編を書いていなかったのだ。

 以前述べたようにジョルジュ・シムノンは20代前半から信じがたいほどの多作で鳴らしてきた。パリでは多くの著名人ともすでに交流を持っていたらしい。本連載で最初に取り上げたのは『怪盗レトン』(刊行順としては5番目)だったが、映画『倫敦(ロンドン)から来た男』(2007年版)のDVD封入パンフレットには次の記述がある。

(前略)「怪盗レトン」の宣伝のために大々的に行われた出版パーティには、パブロ・ピカソ、ジョセフィン・ベーカー、藤田嗣治などシムノンの交流のあった多くの芸術家や文化人たちが訪れ伝説となった。

 シムノンはメグレを書く前からすでに若き成功者だったのかもしれない。20代半ばで小型船《ジネット号》にタイプライターを持ち込み、執筆を続けながら、川を下って水門を抜け、フランス中を旅して回った。そして1928年から1929年にかけて二隻目の《東ゴート人(オストロゴート)号》をフェカンの造船所でつくり、再び旅に出たのである。途中、オランダのデルフザイルに寄港した際、《東ゴート人号》は浸水のため補修作業を余儀なくされた。ホテルで執筆するのは落ち着かない。そこでシムノンは打ち棄てられていた船にタイプライターを持ち込み、そこでメグレものの第一作『怪盗レトン』を書き始めたのだという逸話がある。

 シムノンはその後も《東ゴート人号》で旅を続けながらメグレものを執筆した。多くの運河を通り、水門を抜け、そうした場所に建つ古い食堂で酒を飲むこともあっただろう。巻末解説に拠るとシムノンの叔母[註:母という評論もあり。現時点では各伝記に詳しくあたっていないので不明]はベルギーのリエージュで川船の船頭たちを相手に小さな商店を営んでいたらしい。本作は、つまりシムノンが幼少期に親しみ、またメグレものを書き続けていた時期に見慣れていたはずの運河や水門、そしてその側に建つ食堂兼宿屋のマリーヌ亭という場所が舞台になっている。

 ならばシムノンはもっとこの作品を豊かにできたはずではないのか。もっともっと奥深く、こちらの心に迫る情景描写や、そうした場所に暮らし続ける人々の機微を、書き込めたはずではなかったのか。

 今回の河出書房新社版で、私は初めてメグレの肩書きが「警視」と書かれた訳文を読んだ。しかし「警視」か「警部かという問題は意外と難しいので、別途註釈内で検討しよう。以下本文内では、読んだ訳文に従い「警視」にする。【註2】

 4月初旬の雨の夕暮れ、フランスのマルヌ川から分岐する運河とをつなぐ小村ディジーの第十四水門へ、馬で曳かれた一隻の川船《プロヴィダンス号》が到着した。ブリュッセルの女性船頭は、早く行きたいから通してくれという。だが前がつかえている。船乗りや馬曳きたちは水門近くのマリーヌ亭で飲み食いして待った。だが翌早朝、馬曳きたちが馬小屋へ行ったとき事件は発覚した。真珠の首飾りをつけた、見知らぬ女性の死体があったのである。

 メグレ警視が到着し、捜査を開始した矢先、一隻のヨット《サザン・クロス号》が水門に入ってきた。ほどなくして、殺された女性の身元は、そのヨットの持ち主である元インド駐在軍大佐、ウォルター・ランプソン氏がつい数ヵ月前に結婚した相手だったとわかる。ランプソン氏は怪しげな若い友人や情婦とともに旅をしており、昨夜は妻と陸上のパーティに出て、その後行方を見失っていたのだ。

 メグレは部下のリュカも喚んで聞き取り調査を始める。ランプソン氏の友人が殺され、また道ばたでヨットクラブのバッジが発見されて、そのクラブに所属しているランプソン氏への疑いが濃厚になるが、そうした経緯を見る《プロヴィダンス号》の女性船頭は動揺していた……。

 馬小屋に《サザン・クロス号》の水夫のベレー帽が落ちているのが後で発見されるなど、これ見よがしな手がかりがメグレにもたらされる。だが効果を上げていない。正直なところ前半は退屈である。おそらく本作においてシムノンは、最初から犯人当てのスリルなど重視していなかったのだろう。なぜなら読めばわかるが、とある理由によって、すべての読者は一瞬で犯人の見当がついてしまうはずだからである。そのため前半の捜査の部分がかえって邪魔に思えるのだ。

 本作はジャン・リシャール版のTVドラマだけでなく、ブリュノ・クレメール主演のドラマにもなっている。そこで読了後に両者のDVDを観てみた。本連載でブリュノ・クレメールのメグレが関連するのは初めてなので、ここでは後者のドラマに触れてみたい。

 クレメール版のシリーズの総タイトルはずばり『Maigret』[原題:メグレ]。やはり本作のドラマに先んじていくつか観てみた限りでは、どれも誠実かつ丁寧なつくりで好感が持てる。だが全体的に動きに乏しいのはちょっとばかり残念なところかもしれない。クレメールはジャン・リシャールと比べると感情をあまり表に出さない演技なので、正直にいうと観ていて眠くなることも……。現代的なつくりのドラマだが、ジャン・リシャールのシリーズに比べると上品すぎるのだろうか。

 本作のドラマ版では原作よりも各人物の登場シーンを増やし、複数のミスディレクションを示すことで犯人当ての妙味をつくり出し、物語に厚みを与えようと努力しているのが窺える。ふつうはドラマ化というと人物が整理されて少なくなるものだが、この場合は設定や場面が増えているのだ。ドラマのタイトルが大きく変更されているのは珍しいが、これは殺された女性が宝飾品に強い執着を持っていたという性格が後づけされたためである……。

 書き添えておきたいのは、両方のドラマ版でいずれも実際に馬曳きが川船を曳いてゆくシーンがうまく挿入されていたことだ。なるほど、運河の脇には小道があり、かつてエンジンのない川船は道沿いに馬曳きが馬を操ってロープで船を引っ張り、運河を進んでいったのだということがよくわかった。演出はそれぞれ異なるものの、どちらも情景が匂い立ってくるいい映像だった。

 本作の読後感は決して悪くはない。それどころか、最後には一瞬の煌めきにも似た、宗教的とさえいえる強い印象を残す。それは犯人が特定された後、メグレがその人物から過去の出来事を聞き出し、犯行へ至る動機を確認してゆく一連のシーンがとても素晴らしいからだ。登場人物たちの抱える悲しみも、すべて痛ましいほど伝わってくる。

 そして《プロヴィダンス号》とは、英語風に読めば《プロヴィデンス号》、すなわち《神の摂理号》の意味でもあるのだ。本作はそのようなことが書かれている小説である。

 本作は、おそらくシリーズのなかでは凡作か水準作の部類に位置づけられるだろう。だが実質エピローグである短い第11章も含めた最後の二章に込められた各人の想いは、なかなか読者の頭から離れないだろう。

   *

 さて、ここまで初期の4作を読んできた。

 本連載の「はじめに」で、メグレものの書誌は混乱していて特に初期作品は順番に読むのが難しいと述べた。これは、刊行順にしたもの、シムノンの執筆開始順にしたもの、執筆終了時を基準にしたもの、いろいろ考えたがわからないのでいくつかの方法を混ぜ合わせたもの、と資料作成者の立場が分かれるからだと思う。この問題は頭が痛くなるので深く追究しない立場を私は採るが、実際にどれだけ面倒なのか、再確認の意味も含めていくつかの資料を比較してみたい。

 まず Omnibus 版メグレ全集( http://www.toutsimenon.com )記載の書誌から引用し、メグレシリーズ第一期の執筆時期と刊行時期を列記する。いずれも初版は Fayard(ファイヤール)発行。シムノン全集とメグレ全集では同じ出版元なのに順列が異なるが(後述)、以下はメグレ全集版の収録順序である。[註:「印刷終了」時期と「発行」時期は厳密にいうと異なるようで、書誌によって発行年がずれていることがある。だがここではメグレ全集の記述に従い「印刷終了」時期を示す。年だけでなく月まで記載されているのはメグレ全集版のみ。公式ウェブページの記載とメグレ全集の書誌が異なる場合、『メグレ再出馬』を除きメグレ全集版を採用した]

  • 『怪盗レトン』 執筆=正確な執筆時期の特定は難しい。おそらくは1929年9月(シムノン自身の記述に拠る)か1929-1930年の冬。より確かと思われるものとしては、1930年の春(4月か5月)。印刷=1931年5月。(本書は単行本初出というのが定説だった。ところがペンギン・クラシックスの新英訳版『Pietr the Latvian』2013の奥付に «Ric et Rac» 1930年連載が初出と書かれているのに気づいて驚愕した。これについては註釈参照)【註3】
  • 『メグレと運河の殺人』 執筆=1930年夏。印刷=1931年3月。
  • 『死んだギャレ氏』 執筆=1930年夏。印刷=1931年2月。(本作と『サン・フォリアン寺院の首吊人』が1931年2月20日にシリーズ最初の作品として同時刊行された、とメグレ全集にはある。実際に海外古書サイトで検索しても、『ギャレ氏』『サン・フォリアン』ともにオリジナル版の発行は1931年2月と書かれている。各書誌で『死んだギャレ氏』の方が先に記されているのは、同時刊行物をタイトルのアルファベ順に並べているからだろう。「メグレシリーズの刊行第1作は『死んだギャレ氏』である」という従来から日本で流布していた説は、厳密には正しくなかったわけである)
  • 『サン・フォリアン寺院の首吊人』 執筆=1930年夏から12月にかけて。印刷=1931年2月。
  • 『男の首』 執筆=1930年9月から1931年3月にかけて。印刷=1931年9月。
  • 『黄色い犬』 執筆=1931年3月。印刷=1931年4月。
  • 『メグレと深夜の十字路』 執筆=1931年4月。印刷=1931年6月。
  • 『オランダの犯罪』 執筆=1931年5月。印刷=1931年7月。
  • 『港の酒場で』 執筆=1931年7月。印刷=1931年8月。
  • 『ゲー・ムーランの踊子』 執筆=1931年9月。印刷=1931年11月。
  • 『三文酒場』 執筆=1931年10月。印刷=1931年12月。(ピエール・アソリーヌ氏の書誌では1932年作品扱い)
  • 『メグレと死者の影』 執筆=1931年11月。印刷=1932年1月。
  • 『サン・フィアクル殺人事件』 執筆=1931年12月。印刷=1932年2月。
  • 『メグレ警部と国境の町』 執筆=1932年1-2月。印刷=1932年3月。
  • 『霧の港のメグレ』 執筆=1931年10月。印刷=1932年5月。
  • 『メグレを射った男』 執筆=1932年3月。印刷=1932年4月。
  • 『紺碧海岸のメグレ』 執筆=1932年5月。印刷=1932年7月。
  • 『第1号水門』 執筆=1933年4月。«Paris-Soir» 1933年5月23日号-6月16日号に25回掲載、印刷=1933年6月。
  • 『メグレ再出馬』 執筆=1933年6-11月(1934年1月にも手を加えていたようである)。«Le Jour» 1934年2月20日号-3月15日号に24回掲載、印刷=1934年3月。

 これを踏まえた上で、以下の各書誌を検討してみよう。

【1】ピエール・アソリーヌ氏の評伝『Simenon』(初版Julliard, 1992、英訳Alfred A. Knopf, 1997、増補版Gallimard, 1996)巻末リスト、森英俊編『世界ミステリ作家事典[ハードボイルド・警察小説・サスペンス篇]』(国書刊行会、2003)ならびに 2002-2004年に刊行されたOmnibus版シムノン全集 の掲載順序

死んだギャレ氏/サン・フォリアン寺院の首吊人/メグレと運河の殺人/黄色い犬/怪盗レトン/メグレと深夜の十字路/オランダの犯罪/港の酒場で/男の首/ゲー・ムーランの踊子/三文酒場/メグレと死者の影/サン・フィアクル殺人事件/メグレ警部と国境の町/メグレを射った男/霧の港のメグレ/紺碧海岸のメグレ/第1号水門/メグレ再出馬

【2】Francis Lacassin, Gilbert Sigaux両氏の研究書『Simenon』(Plon, 1973)巻末書誌 ならびに 長島良三編『名探偵読本2 メグレ警視』(パシフィカ、1978)の順序

怪盗レトン/死んだギャレ氏/サン・フォリアン寺院の首吊人/メグレと運河の殺人/男の首/黄色い犬/メグレと深夜の十字路/オランダの犯罪/港の酒場で/ゲー・ムーランの踊子/三文酒場/霧の港のメグレ/メグレと死者の影/サン・フィアクル殺人事件/メグレ警部と国境の町/メグレを射った男/紺碧海岸のメグレ/第1号水門/メグレ再出馬

【3】2007-2008年に刊行されたOmnibus版メグレ全集の掲載順序[再掲]

怪盗レトン/メグレと運河の殺人/死んだギャレ氏/サン・フォリアン寺院の首吊人/男の首/黄色い犬/メグレと深夜の十字路/オランダの犯罪/港の酒場で/ゲー・ムーランの踊子/三文酒場/メグレと死者の影/サン・フィアクル殺人事件/メグレ警部と国境の町/霧の港のメグレ/メグレを射った男/紺碧海岸のメグレ/第1号水門/メグレ再出馬

【4】2013年11月から新訳刊行が始まったペンギン・クラシックスの順序

怪盗レトン/死んだギャレ氏/サン・フォリアン寺院の首吊人/メグレと運河の殺人/黄色い犬/メグレと深夜の十字路/オランダの犯罪/港の酒場で/男の首/ゲー・ムーランの踊子/三文酒場/メグレと死者の影/サン・フィアクル殺人事件/メグレ警部と国境の町/メグレを射った男/霧の港のメグレ/紺碧海岸のメグレ/第1号水門/メグレ再出馬

 先に示したメグレ全集の書誌と照合してみると、【1】が刊行順であるのはよいとして、おそらく【2】のフランシス・ラカサン氏らによる研究書と【3】のメグレ全集は、書き始めた順番か書き終わった順番、つまり執筆順で並べている(後年のシムノン作品は末尾に執筆終了日が書き込まれているので完成順がわかりやすい)。日本でいちばん普及しているのは【2】の順番だろう。

 有名な『男の首』の位置が各資料で大きく違うのは、執筆時期が1930年9月から1931年3月であるのに対し、刊行時期が大幅に遅れて1931年9月(9番目)となっているからではないか。次の『黄色い犬』の執筆時期は1931年3月だが、翌月には早くも刊行されているのだ。『怪盗レトン』や『霧の港のメグレ』もそうだが、執筆時期と刊行時期が大幅にずれた作品は、各書誌での順序が目立って異なっているのが特徴的だ。たとえば執筆時期を基準にしたであろう【2】や【3】は『男の首』を『黄色い犬』の前に持ってきている。では【4】のペンギン・クラシックスで『怪盗レトン』が1番目なのに『男の首』の順番が遅いのはなぜだろう。メグレ全集にも記載されていない情報だが、『怪盗レトン』は1930年にまず雑誌連載で発表されていたという説があり、それが本当なら名実ともに『怪盗レトン』がシリーズ第1作となる。だから最新書誌に基づき厳密に発表順で揃えたということなのかもしれない。ならば『男の首』が9番目なのも納得できる。

 ピエール・アソリーヌ氏の評伝には、当時シムノンがある人に『死んだギャレ氏』と『サン・フォリアン寺院の首吊人』の2作を見せ、「どちらを先に読めばいいか」と訊かれて、『サン・フォリアン』の方が新しい作品だからこちらをまず読んでほしい、と答えたという話があるので、この2作は執筆順でつながっているのかもしれない。そして『死んだギャレ氏』『メグレと運河の殺人』『サン・フォリアン寺院の首吊人』の3作は1930年夏に書き始められているが、前2作は夏のうちに書き終わっているのに、『サン・フォリアン』はその年の12月までかかっている。こうしたずれがあるので、今回取り上げた『メグレと運河の殺人』が【3】の全集版のようにシリーズ第2作と位置づけられることもあるのだろう。

 ただもうひとつ、【3】のメグレ全集版で『霧の港のメグレ』の順番が遅く、しかも【1】の刊行順とも微妙に違う理由がわからない。全集には『三文酒場』と同じく1931年10月の執筆と書いてあるのだが、全集には明記されていない異説があって、それらの意見が反映されているのだろうか……。

 ……とまあ、こんなことをごちゃごちゃと考えていると、きっとあなたも額のあたりが痛くなるに違いない。だからふつうの読者はシムノンが執筆した順番を尊重した上で、あとはさほど厳密に考えず、ある程度の流れに沿って読めばよいのだということがおわかりいただけたことと思う。

 今後、場合によってはシムノンの執筆順序をしっかり調べた上で読み進める必要に駆られることもあるかもしれない。とくにメグレシリーズとノンシリーズの長編を比較するときなどは、そうした調査が重要になりそうな予感がする。

 だが少なくとも第一期のメグレは、最初に決めた通り、今度も新版ペンギン・クラシックスの順序に倣って読み進めよう。次は有名な『黄色い犬』である。

 メグレの役職が「警視」なのか「警部」なのかという謎については、この後の註釈で詳しく述べよう。

『名探偵コナン』の目暮十三(めぐれじゅうぞう)警部も西村京太郎トラベルミステリーシリーズの十津川省三警部も警部なのだから「警部」だろう、という声も聞こえてきそうだが、実は意外に奥の深い問題なのである。

【註1】

 ブリュノ・クレメール主演『メグレ警視』シリーズのDVDは、One Plus One/Paramount Home Entertainment France社から『Maigret; l’intégrale』[原題:メグレ 完全版]のタイトルで全54回分のエピソードを完全収録した英語字幕つき限定版ボックスが(http://www.dvdseries.net/dvd-9866-maigret-l-integrale.html)、Just Entertainment社から『Maigret complete collection』として同じく全54回分を収録したオランダ語字幕つきのコンパクトなボックスが(http://www.justbridge.nl/product/dvd/crime-detective/maigret_complete-collectie)、また日本では株式会社アイ・ヴィー・シーから第42話までが(BOX1が第1-8, 10, 11話、BOX2が第9, 12-18, 21, 24話、BOX3が第19, 20, 22, 23, 25-30話、その他はバラ売りのみ)、それぞれ販売された。

 ただしDVDによっては記載年が微妙にずれている場合がある。本連載ではJacques-Yves Depoix『Dossier Maigret; les enquêtes de Bruno Cremer』[原題:メグレ・ファイル;ブリュノ・クレメールの事件簿](Encrage, 2008)掲載の情報をもとに、「フランス2」で当該ドラマ版が放送されたと思われる年を表記した。今後も同様。実際には最初の4回は「A2」、第5回からは「フランス2、さらに第6シーズン開始の第25回からは加えて「RTBF」というチャンネルでも放送されたらしく、「フランス2」と「RTBF」の放送日がわずかにずれていた(しばしば「RTBF」の方が早かった)ことが混乱の原因のひとつかもしれない。

【註2】

 しかし伊東鍈太郎訳の『水門の惨劇』(1947)では「警部」表記なのである。

・伊東鍈太郎訳・京北書房

「パリ司法警察からやって来たメーグレ警部の前に待っていたことは……」p.6

・田中梓訳・河出書房新社

「パリ警視庁第一特捜班のメグレ警視は……」p.9

・シムノンの原文

「Le commissaire Maigret, de la Première Brigade Mobile, …」

(Tout Maigret T1, p.135)

・ペンギン・クラシックスの新英訳版(Inspector Maigret #4, The Carter of ‘La Providence’, David Coward訳)Kindle

「Detective Chief Inspector Maigret of the Flying Squad was running through these facts again…」

 なぜ邦訳によって役職や階級表記が異なるのだろう? 以前アルセーヌ・ルパンの小説を調べていたときも同様のことがあったので、日本とフランスの警察機構の違いから、適切な役職名に翻訳するのが難しい時期があったのかもしれない。

 森英俊編『世界ミステリ作家事典[ハードボイルド・警察小説・サスペンス篇]』におけるジョルジュ・シムノンの項目では、平岡敦氏が冒頭から「ジュール・メグレ警視(初めは警部だった)の生みの親として知られるシムノンは…」(p.247)と書いている。しかしいつ「警部」から「警視」になったのか、具体的な記載はない。

 連載第1回で「訳文の比較などは努力対象外とする」と書いたが、この件は以前からの疑問点だったので、いつかは確認しなければならない。そこでこれまで読んだ『怪盗レトン』『死んだギャレ氏』『サン・フォリアン寺院の首吊人』の3作からも、メグレの肩書きなどが記されている部分を抜き出して比較してみた。プロの翻訳家のみなさまは、ミステリーの素人だとこんなことがわからないのだという驚きの気持ちで読んでいただきたい。

 まずわかったのは、これまでの4作品で、作者シムノンが一貫してメグレのことを「Le commissaire Maigret, de la Première Brigade Mobile」と記述していたことだ。これを主として古い本では「メグレ警部」と訳し、河出書房新社版などの比較的新しい本では「メグレ警視」と訳していた。創元推理文庫版『怪盗レトン』を取り上げた本連載の第1回のとき、カッコ書きで(このときはまだ警視ではない?)と疑問を書き添えたが、実はシムノンの原文はどれも同じで、訳者によってフランスの警察機構を日本のそれにどう置き換えるか見解の相違があり、それが訳文に表れていたのである。少なくともメグレはこれまでの4作で昇進していない。ずっと commissaire のままであった。

 ここから話は少し複雑になる。上記のシムノンの原文を、ペンギン・クラシックスの新英訳版は「Detective Chief Inspector Maigret of the Flying Squad」と訳している。ペンギン版なのだからきっとイギリス流の解釈で訳しているのだろうという勝手な思い込みのもとに話を進めるが、ここでフランスの警察機構とイギリスの警察機構、そして日本の警察機構の相違がそれぞれの訳文に影響を及ぼし、難しい問題になってくる。

 明らかにメグレは、シテ島のオルフェーヴル河岸にあるパリ警視庁の建物内に事務室を持っている。そこが司法警察本部ということだ。

 メグレの所属する la Première Brigade Mobile は、ペンギンの新英訳では Flying Squad。イギリス流にいえばロンドン警視庁(スコットランド・ヤード)の特務捜査隊だが、メグレの所属する部署がそれと同等なのかどうかはよくわからない。イギリス流にいえばこのあたりだろう、という部署を当てた可能性もある。

 長島良三氏はブリュノ・クレメール版TVドラマシリーズのDVD解説「メグレ警視とパリ」で、「メグレはパリ警視庁司法警察局の警視である。日本流にいえば、警視庁捜査一課の部長だ」と記している。パリ警視庁内の司法警察局というメグレの所属は、日本でいうところの東京都警視庁刑事部に当たるのだろう。だからメグレは「パリ警視庁のメグレ」と名乗っても「司法警察本部のメグレ」と名乗ってもいいのだろう。シムノンの原文でもメグレが「Commissaire Maigret, de la Police Judiciaire」と名乗る場面が何度かある。邦訳では「司法警察のメグレ」(山野晃夫、水谷準)ないしは「警視庁のメグレ」(宗左近)となっている。

 そして階級である。日本の警察組織の序列はもともとフランスのそれを参考につくられたものらしい。日本では刑事部の刑事部長が警視監や警視長、そして課長が警視、係長が警部、その下が警部補、巡査部長や巡査、といったかたちになるようだ。メグレが司法警察本部全体を取り仕切っているわけではないので、やはり「警視」あたりが順当な訳語なのだろうか。

 稲葉明雄訳の『怪盗レトン』はメグレ「主任警部」という訳語を採用しているが、日本ではあまり耳慣れない言葉だ。イギリス流ならコリン・デクスターの主人公モースが Chief Inspector で、訳語は「主任警部」ないし「警部」である。P・D・ジェイムズの主人公アダム・ダルグリッシュはシリーズが進むごとに主任警部(『女の顔を覆え』)から警視(『ある殺意』など)、主任警視(『ナイチンゲールの屍衣』)、警視長(『死の味』など)へと昇進するが、それぞれ原文は Detective Chief Inspector、Superintendent、Chief Superintendent、Commander だそうだ。フランス語の Commissaire に対するペンギン版の統一訳語が Detective Chief Inspector なら、英訳文でメグレに親しんでいる世界の読者は、無意識のうちに私たち日本人よりメグレの階級を低く見積もっている可能性がある。

 1931年発表の『怪盗レトン』で表舞台に初登場したメグレは45歳。こうした謎に対する手がかりとなりそうなのが、引退後のメグレを描いたシリーズ第一期の最終作『メグレ再出馬』(河出書房新社)や、後年のシリーズ第三期に発表された『メグレの初捜査』(河出書房新社)、『メグレの回想録』(早川書房)だ。今回だけはフライングして、(なるべく内容を読まないよう注意しながら)メグレの経歴が書かれている部分のみを調べ、原文と照合してみた。

 1934年発表の『メグレ再出馬』の冒頭では、メグレの後継者であるアマディユーという男が登場する。野中雁訳では「警視」で、「メグレの退官後に警察本部長に任命された、やせぎすの辛気臭い男だった。」とあるのだが、原文は「Amadieu lui-même était un homme maigre et triste qui avait été nommé commissaire divisionnaire quand Maigret avait pris sa retraite.」で、commissaire divisionnaireとあるから部署を統率しているわけで、現時点でのたんなる commissaire よりは上の階級だ。この邦訳では commissaire divisionnaireを「警視」として、ふつうの commissaire ならば「警部」だと位置づけたのだろう。

 この作品では司法警察局の「局長」も登場する。メグレやアマディユーの上司で、原文は le directeur de la P.J.[P.J.とは司法警察局 la Police Judiciaire の略]、「グラン・パトロン」grand patron とも呼ばれている。つまり順列は directeur>commissaire divisionnaire>commissaire だ。仮にこの局長を日本の警視庁刑事部長、つまり「警視監」「警視長」クラスと考えるなら、引退間際の役職 commissaire divisionnaireは「警視正」あたりで、commissaire である現在のメグレは「警視」と見なすこともできそうだ。あるいは commissaire divisionnaire を「警視」にするなら commissaire は「警部」である。

 1949年発表の『メグレの初捜査』は駆け出し時代のメグレの物語だ。冒頭部に登場する?未来のメグレ?の役職はやはり「le commissaire divisionnaire Maigret, chef de la Brigade spéciale…」となっている。萩野弘巳訳は「特捜部長・メグレ警視長は…」だ。邦訳文はひとまず措くとして、メグレは後にパリ警視庁・特捜隊のチーフになるのだということが再確認できる。メグレは22歳で警察官となり、巡回や百貨店の巡察といったことから仕事を始め、奉職後一年たらずでサン=ジョルジュ地区警察署の書記、すなわち le jeune secrétaire du commissariat となった。「若い警察署書記」である。このころは司法警察局(La Police Judiciaire)ではなく、治安局(la Sûreté)と呼ばれていた。

 メグレは30歳で la Brigade Spéciale「特別捜査班」に入る。そのことも書かれた1951年発表の『メグレの回想録』(北村良三訳)はかなりの異色作のようだが、そうしたところは見なかったことにして、メグレの役職に関する記述のみに触れたい。冒頭で1927年ないし1928年の司法警察局の様子が描かれている。当時は部長が朝9時に各課の課長招集のベルを鳴らし、課長のメグレはそのベルを聞いて部長の大きなオフィスに赴いていたのだという。原文は「Sur le coup de neuf heures donc, une sonnerie appelle les différents chef de service dans le grand bureau du directeur, dont les fenêtres donnent sur la Seine. 」で、司法警察局の部長(ディレクター)が各課(サービス)の課長(チーフ)を呼び出している。この部長が『メグレ再出馬』に出てきた局長「グラン・パトロン」と同じなのかはわからないが、原文は同じ directeur である。

 この訳文にはミスリードなところがあって、「ある部長は会議のはじめから終りまで立ったままでいる。窓から時々、サン・ミッシェル橋の上を通るバスやタクシーを眺める。」と続き、あたかも会議に複数名の「部長」も集まっている印象を与えるが、原文は「Certains restent debout, parfois à la fenêtre, à regarder les autobus et les taxis passer sur le pont Saint-Michel.」で、「何人かは立ったままでいる」としか書かれておらず、役職名は明記されていない。たぶん招集されたチーフの数名が立っているのだろう。

 作者がこの『メグレの回想録』で、メグレシリーズの時系列が混乱していることを認め、いいわけもしているのは面白い。北村良三氏は『メグレの回想録』で、メグレの役職を「警部」と訳している。ここでのメグレが「警部」なら引退前は階級が上がって「警視」となり、あるいはここが「警視」なら最終的には「警視正」ということになる。私もいろいろ考えたが、このとき第一特捜隊の課長(チーフ)なら、メグレは日本でいうところの「警視」に近いのではないかと思うが、どうだろう? これらの作品が世に出たことでメグレの経歴や役職がはっきりし、北村良三=長島良三氏らも後に訳語を再考し、日本での訳語が警部から警視に変わったのかもしれない。

 シムノンの原文をいろいろ見ると、inspecteurというのはどうやら「刑事」の総称として用いられているようだ。上で紹介した若きメグレもそうであったように、一般に若い刑事はこの単語で呼ばれる。その上に位置づけられるのがcommissaireであるようだ。しかし、いわゆる警部クラスも警視クラスもここに入るようなのでややこしい。

 念のためメグレの上司と部下も調べた。『死んだギャレ氏』の冒頭には、メグレの上司たちがたまたまパリ警視庁を離れているので自分が捜査に当たることになった、というくだりがある。彼らはdirecteurとsous-directeurであり、山野晃夫訳では「司法警察部長」と「次長」、宗左近訳では「警視総監」と「副総監」だ。しかしさすがにパリ警視庁の警視総監ではないだろう。これまでの結果を踏まえるなら、彼らの訳語は司法警察本部の「局長」(警視監・警視長クラス)と「副局長」(警視正クラス)あたりが妥当かもしれない。

 メグレの相棒役であるリュカは le brigadier Lucas であり、この役職は邦訳では「巡査部長」となっていることが多い。新英訳版では Sergeant Lucas だ。『怪盗レトン』に登場する相棒トランスも le brigadier Torrence だが、木村庄三郎・稲葉明雄訳では「部長刑事」となっている。ただしこの訳語は主流ではない。『サン・フォリアン寺院の首吊人』のラガス巡査(水谷準)は、原文では L’agant Lagasse だった。

 メグレがどこかの段階で一度昇進したことはわかった。では具体的にはどこで昇進したのだろう? 中短編が集中的に書かれたシリーズ第二期、パリ市内が主要舞台となった第三期の作品もぱらぱらと眺めてみた。原文だけ列記するが、シリーズ第二期の短編「メグレ夫人の恋人」は commissaire、長編『メグレと死んだセシール』も commissaire だ。シリーズ第三期本格始動作品と位置づけられる中編「メグレのパイプ」もcommissaire(「局長」は directeur ないし chef)、これと合本で刊行された長編『メグレ激怒する』ではすでに引退しておりL’ancien commissaire、長編『メグレ、ニューヨークへ行く』は現役中で commissaire だった。1972年発表のシリーズ最終作『メグレ最後の事件』は定年3年前の話で、若いdu préfet de police「警視総監」からメグレに司法警察局の le directeur「局長」への昇進の打診がなされる(ただしこれだと『メグレ再出馬』の設定と合致しない)。この作品でもメグレはたんに le commissaire「警視」と呼ばれている。ずっとメグレは commissaire なのだ! 

 ところが、偶然にもついに見つけた! 1960年発表の『重罪裁判所のメグレ』冒頭部で、メグレは「Maigret, Jules, cinquante-trois ans, commissaire divisionnaire à la Police Judiciaire de Paris.」と発言するのだ! メグレの役職は commissaire divisionnaire になっている。シムノン生誕100周年記念の2003年に刊行されたペンギン・モダン・クラシックス版(ジェイミー・キーナン Jamie Keenan の統一表紙デザインがかっこいい!)の『Maigret in Court』(Robert Brain訳)は「Maigret, Jules, fifty-three, divisional chief inspector at Police Headquarters, Paris.」と訳している。2006年に再刊された同訳者のペンギン・レッド・クラシックス版も文面は同じ。河出書房新社版の小佐井伸二訳(1977)は「メグレ、ジュール、五十三歳、パリ司法警察局警視。」となっているが、実はこの直前にスグレという人物が登場する。この者は廷吏に肩書きつきで呼びかけられるのだが、シムノンの原文ではただの commissaire、英訳文も Detective-Inspector Segré だ。しかし前後の文脈から、このスグレなる人物がメグレとほぼ同等の階級であることが察せられる。邦訳文でメグレと同じくスグレ「警視」となっているのはきっと間違いではない。

 これでわかったことがある。メグレは『怪盗レトン』の45歳の時点ではたんなるcommissaireだったが、53歳の時点では特捜隊のチーフ、commissaire divisionnaire だった。この間に一段昇級している。そしてたとえ実際の役職が commissaire divisionnaire でも、たぶん廷吏や警視庁内の同僚、部下たちからは、commissaire と呼ばれることがある。

 おそらくこういうことだと思う。私たち読者の前へ姿を現した初期のメグレは commissaire つまり「警部」だった。そしてどこかの時点でパリ警視庁司法警察局の本部長(チーフ、課長クラス)commissaire divisionnaire になった。この段階が「警視」だ。そしてメグレは引退間際に、パリ警視庁の「警視総監

du préfet de police から「局長 directeur」への昇進を打診された。だが実際にはもとの局長「グラン・パロトン」が定年退職を延ばして留まり、メグレは司法警察局の本部長 commissaire divisionnaire のまま引退した……。

 結局、メグレは「警部」か「警視」か? はっきりとはわからないが、commissaire という言葉は「警部」と「警視」を包含する。だから訳文に囚われることなく、私たちが読むメグレのうち、若々しく思えるときのメグレは「警部」、初老に差しかかったあたりからは「警視」クラスだと思っていいのではないか。現時点での判断だが、長島良三氏は「日本流にいえば、警視庁捜査一課の?課長?だ」といったほうが、より正確だったかもしれない。『怪盗レトン』のときに「警部」で、『メグレの回想録』で「警視」だとおかしいではないか、という人もいるかもしれないが、そこは“筆記者のシムノン”が脚色したのだという解釈でいいではないか。

 作者シムノンが若かったころのメグレは、確かに警部といったほうがよい働きをする。ただメグレシリーズの場合、おそらく階級の違いはさほど厳密な意味を持たない。司法警察局の一員であり、司法警察本部を統率する上司もいるが初登場時からパリ警視庁内に自分専用の事務室を構える程度の階級であり、何名もの腹心の部下を持つことのできる人物だということが理解できればいいのではないか。

 これが現時点での結論である。

 本連載ではとりあえず、今後も読んだ翻訳版の役職名で記載してゆくことにする。何か気づいたときはその都度言及したい。

【註3】

«Ric et Rac»[リックとラック]とは、二匹の仔犬が活躍する漫画の題名で、新聞紙形式で刊行されていた週刊読みものである。毎回一面に『リックとラック』の漫画が掲載されていたが、後ろのページには活字の読みものも載っていたのだろう。

 新英訳版『怪盗レトン』の奥付で気づいたので、他の書誌も改めて調べ直した。情報の出所はClaude Menguy, Pierre Deligny両氏が1989年に発表した「les vrais debuts du commissaire Maigret」[メグレ警視デビューの真実]という研究記事で、ここで初めて『怪盗レトン』の初出が単行本ではなく、«Ric et Rac» 1930年7月19日号から同年10月11日号の全13回掲載であると指摘された(こちらにその全文がある http://www.trussel.com/maig/menguyf.htm)。シムノンは以前にもこの新聞にクリスチャン・ブリュル名義で読切連作「Les enquêtes de l’inspecteur Sancette」 [ソンセット刑事の事件簿]を1929年5月18日号から1930年2月15日号まで全14回寄稿しているので、指摘には信憑性がある。

 この情報に言及している公刊書誌は、私の手元にある複数の研究書を見た限り、シムノン全集やメグレ全集を出しているOmnibus社から2004年に刊行されたClaude Menguy『De Georges Sim à Simenon; bibliographie』[シムノンのジョルジュ・シム;書誌]一冊だけであった。著者[発音はクロード・メンギーか]は先の研究記事の執筆者でもある。この本はシムノンのペンネーム時代の作品(雑誌掲載されたまま埋もれたコントを含む)から本名名義の小説、ルポルタージュ、細かなエッセイまで、およそあらゆる既発表作品のデータを網羅した労作で、書誌だけで分厚い一冊になっている。恐ろしいことにすべて著者のコレクションであるらしい。

 その『怪盗レトン』の項目で著者は先の記事に触れ、『怪盗レトン』の «Ric et Rac» 掲載契約締結が1930年5月26日付であったことから、作品の執筆時期は(シムノン自身の後年の記憶では1929年9月だが)1930年の4月か5月だったのではないか、との見解を改めて書き記している。ただ、この時点では著者のメンギー氏もまだ実際の «Ric et Rac» 掲載号を確認できていなかったのかもしれない。2007年刊行のメグレ全集でさえ、この情報には触れていない。私も本当のところを確かめたいと思い、このことに気づいてから遅ればせながら海外古書サイトなどで検索してみたが、掲載紙の実物を入手することはできなかった。

 しかし2013年11月刊行の新英訳版ペンギン・クラシックスに情報が載ったということは、この間に確認が取れて、書誌が正式に更新されたのだと思われる(私は自分で現物を見ていないので、この件については保留)。いやはや、ジョルジュ・シムノン初期作品の書誌確認作業は本当に難しい。

瀬名 秀明(せな ひであき)

 1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞、1998年に『BRAIN VALLEY』で日本SF大賞をそれぞれ受賞。著書に『デカルトの密室』『インフルエンザ21世紀(監修=鈴木康夫)』『小説版ドラえもん のび太と鉄人兵団(原作=藤子・F・不二雄)』『科学の栞 世界とつながる本棚』『新生』等多数。


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