L’outlaw, Gallimard, 1941/5/25(1939/1-2執筆)[原題:ならず者]
The Outlaw, translated by Howard Curtis, Harcourt Brace Jovanovich, 1986[米]*
Tout Simenon t.22, 2003
Les romans durs 1941-1944 t.5, 2012, 2023

 ふたりがサン゠タントワーヌ通り:リヴォリ通りと直結し、パリ中央部のセーヌ川に沿って右岸をまっすぐに走る道]に到着したのは、ちょうどサン゠ポール映画館が終わったころだった。道はバスティーユからパリ市庁舎まで閑散として、空ろな一本溝となってコンコルド広場まで続いており、ときおり豆粒の通行人が歩道の上で足を振り、ときには無謀にも車道を斜めに横切っていた。
 彼らははるか遠くのグルネル:パリ15区、エッフェル塔の南側に当たる地域]、しかもグルネルのいちばん外れ、パリの地図にも載っていない、舗装もされていない道からやってきたのだった。どれほど長い時間、ふたりは同じペースで歩いてきただろう、ヌウチは相方の腕にぶら下がったまま? 
 ふたりはそこへ行くことを了解したのだ。そのときはまだ通りにいくらか活気があり、寒さのため通行人はほとんどいなかったものの、カフェの曇りガラスの向こうには人の姿もあった。
「もしラルティクが家にいなかったら?」サン゠タントワーヌ通りよりもさらに長く、さらに単調な道を半ばまで歩いたところで、ヌウチはその可能性に気づいた。
 彼女は間違っていた。スタンは彼女をきつく、本当に怒り狂ったかのような目つきで見つめ、それから辺りを見回して並木のベンチに走り寄った。
「灯りがないわ、スタン」
「やつは寝ているんだよ!」(瀬名の試訳)

 この連載も、次第に第二次世界大戦へと迫りつつある。それはまたシムノンがメグレ第二期の長篇を書き始める時期でもある。先ごろ新訳刊行がなされた『メグレとマジェスティック・ホテルの地階』第64回)が執筆されるのが1940年1月。今回読む『L’outlaw(ならず者)が1939年1〜2月の執筆であるから、1939年9月1日のドイツ軍ポーランド侵攻と9月3日の英仏宣戦布告まであと7〜8か月、『マジェスティック』まであと1年足らずの作品へと辿り着いたことになる。
『フールネの市長』第97回)、『家の中の見知らぬ者たち』第98回)とテーマ性重視の長篇が続いたが、いったんこの2作で手応えを摑んだためだろうか、シムノンは今回あえて〝軽い〟読み心地のエンターテインメントスリラー小説へ戻ろうとした節が見られる。また既存作からのシチュエーションやイメージの再利用も目立つ。二番煎じでよいから楽しんでもらえる作品にしよう、という意識が働いたのかもしれない。しかしそれだけではなく、本作にはいままでになかったちょっとした驚きも用意されている。
 ここまで数作、前半と後半を「第一部」「第二部」に分ける趣向が続いており、本作もほぼ真ん中で2つのパートに分かれるのだが、この転換ぶりが鮮やかなのだ。ただしその効果が逆に、すべて読了したとき、うまく活かされなかったのではないかという無念感も残すことになる。

 舞台は現在進行形のパリ。「戦争」の言葉こそ出ないが移民の数は膨れ上がり、都市のあちこちで大規模な道路工事が夜通しおこなわれ、移民の男たちはそうした過酷な肉体労働で日銭を稼がなければ生きていけない。凍える1月の夜、いわば戦争突入直前の不穏なパリに、男女ふたりの不法移民が彷徨い込んだ。リトアニアの都市ヴィルニュスで育ったがいま故郷はポーランド政権下にある、半ばリトアニア人、半ばポーランド人のスタニスラス・サドラック(通称スタン)と、ブダペストの弁護士の家に生まれたハンガリー女性ヌウチ・ケルステン【註1】である。彼らはアメリカで知り合い、スタンが揉め事を起こしたのをきっかけに、手に手を取り合ってフランスへ逃げてきたのだ。しかしふたりにはもうほとんど所持金がない。今夜の宿代さえ払えないのだ。
【註1】原文はNouchi(ヌウチ)で、シムノンが移民の若い女性キャラクターによく用いる名だが、なぜかハワード・カーティス翻訳の英語版ではNoschi(ノシ)と綴りが変わっている。
 知り合いの店は閉まっている。ヌウチはフランス語が話せない。スタンは彼女を街角のカフェに落ち着かせ、2時間経って戻ってこなければフォーブール゠モンマルトル[複数のオペラ劇場やホテル、レストランが集う繁華街。現在私たちが知るモンマルトル界隈よりも南側にあたる]にある《エトランジェ》ホテルで部屋を取るよういい残して、金の算段のためひとり奔走する。しかし結局うろうろしただけで収穫はなく、ホテルに向かうと、ヌウチが姿を消していた。いったんはチェックインしたようなのだが、何者かわからない中年男性についてゆき、それから戻ってこないのだという。
 焦りながらスタンが最後の手段として考えついたのは、国家治安局(シュルテ・ナショナルSurete Nationale)に所属する知己のフランス人刑事inspecteurミゼリに連絡を取って呼び出し、外国人ギャング団の情報を提供して、見返りに報奨金5000フランをいただこうというものだった。
 スタンはプティ・シャン通りのビストロでミゼリ刑事を待つ。夜が明けそうだ。この24時間、ヌウチと自分はゆで卵しか食べていない。リトアニア育ちのスタンには見たことのない食べ物が売られている。燻製ソーセージで「アンドゥイユandouille」というらしい。彼は払うあてもないままそのアンドゥイユとパンとワインで空腹をごまかす。
 ついにミゼリ刑事が来た! スタンはポーランドのギャング団メンバーを知っている。彼らの名前を売れば必ずフランス政府は報奨金を払うはずだ。ギャング団のリーダーはフリーダという名の美女である。しかし途中まで聞いたミゼリ刑事の反応は薄かった。「そいつらはいまパリにいるのか?」スタンは答えられない。ミゼリはむしろスタンがポーランドからの不法侵入者であることを見抜き、逆に脅しをかけてくる。それでもスタンは窮状を訴え、自分はギャング団に命を狙われる覚悟で告発しているんだ、5000フランがいますぐほしい、その取引でフランス政府も安心できるはずだ、その後で自分たちを国境へ送り届けてくれと願い出たが、シュルテ所属のミゼリ刑事は「そいつらポーランド人たちはパリにいるのか? ならばおれにできることはない。地元警察、つまりパリ司法警察局(オルフェーヴル河岸Quai des Orfevres)に頼むんだな。金をもらえるかどうかは司法警察次第だ。それにおれはいま手持ちがない」とつれない返事で出て行ってしまった。
 仕方なくスタンは《エトランジェ》ホテルに戻ったが、朝になってもヌウチは帰らない。彼女の書き置きと100フランの小切手が残されているだけだ。彼女はどうやって金を手に入れたのか? 金策のためにどこかで見知らぬ男と寝たのだろうか? 彼は眠りに落ちつつヴィルニュスにいたころのことを思い出す。母は自分が6歳のときに亡くなったこと、いったんは医学の道を目指したこと、政治思想に関する疑惑をかけられ、しかもフリーダ・スタヴィスカイアという悪女に関わったばかりにポーランド兵殺害の現場に居合わせ、故郷を出る羽目に陥ったこと……。そのフリーダはいま仲間とパリに潜伏し、ヴォージュ広場近くの《ビラーグ》ホテルに泊まっているはずなのだ。彼女は美人だが、他者を殺めることを何とも思わず、悪漢を集めて郊外の農場を襲撃し、女や子どもまで殺して金品強奪の悪行を繰り返す女なのである。10代のころ彼女は自分の恋人の頭を斧で割ってさえいる。いまも次の襲撃先を狙い定めているはずだ。
 起き上がってスタンは《ビラーグ》ホテルへと向かった。フリーダの部屋の灯りがついている。彼はホテルの部屋の様子を探ろうとしたが、そこでは悪漢どもが酒宴を繰り広げており、フリーダは顔なじみのスタンが自分の仲間になろうとやってきたのだと思ったのか無理やりに引き込んで歓迎し、放そうとしない。スタンは雰囲気に呑まれてしまい、情報を売って金を儲けるはずだったその相手と日夜をともにすることになってしまう。
 スタンの立場は微妙かつ複雑なものとなった。彼はフリーダの仲間の男たちに見張られつつ、表面上は彼らの次の襲撃を手伝う一味のひとりとして振る舞うことを強要されたことになる。さっそく彼は武器となる肉切り包丁の買い出しを頼まれ、街に出たが、フリーダの仲間が陰で彼の行動を監視しているのがわかる。下手な動きはできないが、スタンはこのまま強奪団に溶けこむつもりはなかった。なんとか悪漢たちの目をごまかしてミゼリ刑事ないしは司法警察局に連絡を取り、報奨金を受け取ってヌウチと逃げたいのだ。
 だが肉切り包丁の購買時に怪しまれたことで、スタンは街頭の刑事に補導され、オルフェーヴル河岸の司法警察局へ連行された。それはスタンにとって契機でもあった。シュルテのミゼリ刑事との約束について担当刑事に話し、ここでもう一度情報提供の件を持ち出せば、少なくとも路頭でフリーダの仲間に殺されることはない。報奨金を受け取って、しかも法的援助もしてもらえるかもしれない。しかし相手と話し合ううち、スタンは不安になった。シュルテと司法警察局の間でうまく情報が事前共有されていないようなのだ。信用されずこのまま無一文で放り出されたら自分は確実に殺される……。
 スタンは目の前のロニョン警視commissaire Lognionに必死で訴える。ロニョン警視の心が静かに動き始めていた。

 最後の段落で「えーっ!」と驚かれた方も多いだろう。その通り、本作にはなんとロニョンという名の司法警察局〝警視〟が登場する! 『ねずみ氏』第79回)で初登場し、まだ《メグレ》シリーズの正典には姿を見せていない、あの〝無愛想な刑事〟の異名を取る警察署勤めのロニョンと同じ名だ。はたしてふたりは同一人物なのか? だがそこを見る前に、順を追って、まずはタイトルに注目したい。
 原題の『L’outlaw』のoutlawとはもちろん英語のアウトローで、英語がフランス語に取り込まれた一例だと思われる。Outlawとはlaw(法)のout(外)、つまり法の外に置かれた、法の保護を奪われた人のことを指す。都市の内部に住む人々は法に守られているのだが、その法治社会から追放されると、彼は壁で囲まれた安全な町にはもはや戻れず、原野で生き抜いていかなくてはならない。中世イングランド伝説の狩人ロビン・フッドが「アウトロー」の典型である、といわれるとなんだか私たち日本人には不思議な感じがするが、そこから「追放者」「無法者」「無頼漢」「逃亡中の常習的犯罪者」といった意味が一般的となったそうだ。日本で1925年(大正14年)に発表された阪東妻三郎主演の傑作サイレント映画『雄呂血(おろち)』は、まさに主人公の若侍がふとした誤解をきっかけに流浪の身となり、坂道を転がるように人生が荒んでゆき、誤解の連鎖でその心も虚無へと墜ち、最後は大勢の追っ手に囲まれ大立ち回りの末に捕縛される。この阪東妻三郎演ずる若侍が作中では「無頼漢(ならずもの)」と表現され、もともとタイトルもこれが予定されていたが、時節柄不穏であると検閲が入って変更を余儀なくされ『雄呂血』となった話は有名である。
 主人公スタンは「逃亡中の常習的犯罪者」なのでタイトルは『アウトロー』なのだろうが、シムノンが当初予定していたタイトルは『L’indicateur(密告者)だったそうだ。実際、金に困ったスタンがパリに着いたその夜考えついたことは、パリにいる知己のフランス人刑事に異国ギャング団の情報を提供して、見返りに5000フランをいただこうというものだった。スタンはヴィルニュスで長いこと暮らしていたが、政治思想の問題を疑われて、故郷を離れなければならなかったのである。しかしこうした状況が徐々に判明してくるのは私たちがこの物語を読んでゆく過程においてだ。ここが本作の最大の特徴であって、読みどころもここにある。タイトルが「アウトロー」で、冒頭から密入国した密告志願者のスタンが登場するのだから、このスタンが主人公であることは誰にとっても明らかであるわけだが、本当に彼が「アウトロー」であるのか、そもそもなぜ彼は「アウトロー」として私たちの前に登場したのか、物語の最後まで彼は「アウトロー」のままであるのか、そういった根本的なことは読み進めないといっさいわからない。小説作品として意外と野心的な叙述法が試みられているのである。
 そうしたシムノンの企みがずばり伝わってくるのが、第二部の冒頭部分である。ここ最近のシムノン長篇では「第一部」「第二部」という区切りが作中で導入されてきた。これが本作ではいままでと異なった強烈な効果を上げている。小説のほぼ真ん中で「第一部」から「第二部」へと切り替わるのだが、あらすじで紹介した通り、第一部ではほぼスタンひとりに物語の焦点を当てて、彼の行動を通して世界の状況が語られてゆく。上述のあらすじの後、結局スタンは再びパリの街に放されることになる。彼はフリーダの仲間からどうやって逃れ、生き延びるのか? スタンの身に危機が迫る──というサスペンス溢れる状況で第一部は終わる。
 そして私たち読者がページをめくり、第二部を読み始めると、なんとそこに書かれているのはいままでまったく登場しなかった医師家庭の平凡な暮らしぶりであって、なぜそんなところにいきなり物語の視点が飛んだのか、私たち読者はわけがわからなくなって途方に暮れる。いくらか読み進めてもまだ第一部との関係性がわからない。何なのだこれは、と焦れてきたころに突然、医師の妻が使用人を呼び出す。その若娘の名がヌウチなのだ! 
 このサプライズは見事に決まっていて、それでも私たち読者はまだ理解が追いつかない。作中で第一部と第二部の間にどのくらいの時間が流れているのかも見当がつかない。スタンとともに逃げてきたはずのヌウチが、なぜいったい秘書の名目で医師の家族に仕えているのか? いかなる経緯があったのか? あまりに突飛すぎて、まったく私たちには想像がつかない。この経緯が徐々に明らかにされ、そして危機の迫るスタンがその後いかなる行動を取ってゆくかが同時に語られてゆくのだが、そのとき物語はすでに一種の群像劇となって、フリーダとその仲間の悪漢4名それぞれの行動と、さらにはロニョン警視を始め司法警察局の敏腕刑事たちの追跡状況が、すべて並行して語られるようになってゆくのだ。
 シムノンという作家はときに大胆な省略の技法を用いる、と本連載では何度か指摘してきた。最近出版された『メグレとマジェスティック・ホテルの地階』の巻末解説でも編集部がそのことを指摘している。しかし本作ではその省略技法が際立ったかたちで前面に押し出されている。パリ市中における各人の行動が次々とクロスカットされてゆくのだが、焦点となる人物が変わるときでもいっさい一行空けなどの生ぬるいわかりやすさは使われない。作者シムノンは行空けもせずにある人物からまたある人物へと視点を変える。それが物語の最後まで続く。
 この徹底した頑固さは、ちょうどブライアン・デ・パルマの映画を観るかのような、読んでいる私たちに奇妙な緊迫感を与える。1文字でも読み飛ばしてはならないという切実感をもたらすのである。だがこうした技巧は作家の側に伸びしろと余裕がないとできないことだ。30台後半を迎え、作家として成熟し、筆の乗ってきた中期シムノンだからこそ成し得た芸当といえよう。時代はいよいよ閉塞してきているが、ちょうどそのときシムノンはプロフェッショナルな作家として伸び盛りの真っ最中だったのである。運命的なこの状況が中期シムノンに唯一無二の生命力を与えたと私は思う。息が詰まりながらも身体はいきいきと動いている。ある意味不健全で、アンバランスだが、それが他の誰にも書けないシムノン小説を生み出してゆく強力なエンジンとなった。
 すなわち、ヌウチはあの夜、いったんホテルにチェックインした後、父の知人であるストーム医師と出会い、彼の診療所とアパルトマンに身を隠すこととなったわけである。しかしこのストームという医師も悪漢であることが後にわかってくる。司法警察局のロニョン警視は、部下のルロワLeroy刑事やジャンヴィエJanvier刑事に命じてギャング団の動向を追わせる。なんとロニョンはメグレシリーズでお馴染みのジャンヴィエを自分の腹心の部下として動かせる身分なのだ! きっと司法警察の試験に合格して警視になったに違いない──といいたいところだが、ここはおそらく作者シムノンのいつものクセで、以前に使ったキャラクターの氏名をなんとなく思い出して新作に流用した一例に過ぎないのだろう。本作でのロニョン警視は思慮深い人物で、『ねずみ氏』やメグレ第三期に出てくるロニョンとはまったく性格が異なる。だがここはジャンヴィエ刑事も顔を見せることであるし、《メグレ外伝》の一冊として日本のシムノン愛好家に紹介するのもよいかもしれない。興味深いのは司法警察局のオフィスからロニョン警視がシュルテのミゼリ刑事に電話をかけるシーンがあることで、これは司法警察局とシュルテが別の建物にあること、つまりパリ司法宮の一角である司法警察局とパリ警視庁本庁舎にあるシュルテが、この時代やはり別々の組織であったこと、しかも仲がよさそうではなかったことを示している。物語全般にわたって、シュルテのミゼリ刑事はのらくらしているだけでほとんど仕事もせず、そのためスタンは大切な時間をかなり棒に振る羽目に陥るのだ。
 第二部の途中からはロニョン警視やジャンヴィエ刑事らの視点によるクロスカットも挿入されて、追う者と追われる者すべての行動が同時進行的に描かれて行く。スタンを追うフリーダ側の悪漢どもは4名。痩せた看護師の男で、かつてフリーダの逃亡を手助けしたことがあるジョゼフ・シビルスキ。男爵バロンと呼ばれる男。茶髪のケラーマン。熊のイヴァン。フォーブール゠モンマルトルからバスティーユ広間にいたるパリの風景が縦横に描かれ、いくつもの通りの名前が出ては、そこで店を構え、そして暮らす市民の姿が画面に映り込んで流れてゆく。スタンはヌウチと再会し、自らの無実を証明するが、しかしその過程で大きな過ちを犯してしまう。

 こうした構成の物語が戦争直前の時期に書かれたことは感慨深い。本作は1939年のパリという都市、しかも繁華街の緊張と躍動と呼吸を切り取った、無数のモノクロスナップ写真の集合体のように思える。私たちの前にはまるでそれら大量の写真がばらまかれたかのようだ。私たちがそこから1枚、また1枚と手に取ってみると、それらすべての印画紙の裏側には、フランスだけでなくリトアニアやポーランドといった隣国の署名が刻まれている。
 物語の結末はあっけない。作者シムノンはあえて無関心を装って、スタンの生涯を放り投げてしまったように思える。それである種の無常観を読者の側に呼び覚ますのなら小説の効果といえるだろうが、これではたんに欲求不満が募るだけだろう。後半の追跡群像劇に突入してしてからの流れは残念ながら読者側の期待を上回ることがなく、ここで作者側が隠し球のネタをいくつか披露してどんでん返しや意外性を演出してくれればよいのだが、シムノンはそうしたジャンル的なお約束事に嵌まったストーリー展開が書けない、そもそも思いつくことができない作家なのだ。よって本作は以前の『反動分子』第85回)ほどにはよい作品になりきれていない。
 ただしパリの繁華街を舞台にしたことで、本作は物語と「食べ物」が切り離せない1作となった。冒頭でスタンが食する燻製ソーセージ「アンドゥイユ」が物語のなかで何度も出てくる。このアンドゥイユとは俗に「間抜け」や「とんま」、「ならず者」を意味するのだそうだ。リトアニアから来たスタンはもちろんそうしたフランス語の意味を知らない。作品中でも明示がない。しかしフランス語圏の読者ならすぐさま意味がわかるのだろう。よって今回、本作の仮称は寡黙なトム・クルーズを連想させる『アウトロー』ではなく、阪東妻三郎の『雄呂血』に通じる『ならず者』とした。

瀬名 秀明(せな ひであき)
 1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞受賞。著書に『魔法を召し上がれ』『ポロック生命体』等多数。

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