・La tête de Joseph « Gringoire » 1939/10/26号(n° 572)* [ジョゼフの首] ※初収録:Œuvres complètes, t.25, Éditions Rencontre, 1969 [全集]第25巻 ・執筆:ニュル゠シュル゠メール(シャラント゠マリティーム県)不明(1939?)/夏 ・Little Samuel à Tahiti « Gringoire » 1939/11/23号(n° 576)* [タヒチのリトル・サミュエル] ※初収録:Marcel Berger編纂, Les Plus Belles Histoires de mer, Émile-Paul Frères, 1940/4/20(再刊1951/12/18)[もっとも美しい海物語たち] ・Simenon nous écrit, « Reflets » 1940/4「Le Cinéma en Belgique」特集号, Sur le cinéma所収, Les Amis de Georges Simenon, 2000/3/24, pp.13-19, 300部* [シムノンはこう書いている](映画について) 復刻研究同人誌 |
今回は1939年の夏から冬にかけて書かれたと思われる短篇2篇とエッセイ1篇を紹介する。2つの短篇は後の《シムノン全集》第22巻に「Nouvelles introuvables 1936-1941」(未収録短篇集1936-1941)として収録されたが、初出はいずれも週刊紙《グランゴワールGringoire》である。
シムノンは戦時中の1939年から1941年にかけて、この《グランゴワール》紙に短篇を発表した。いくつかは戦後の英語読みもの誌《リリパットLilliput》に訳載されており、また後期掲載の作品は短篇集『エミールの船Le bateau d’Émile』(1954)や『ちびっこ三人のいる通りLa rue aux trois poussins』(1963)で書籍化されることになる。1940年以降執筆の作品は、年代ごとにまた別途取り上げたい。
ジョルジュ・ルフラン『フランス人民戦線』(文庫クセジュ、1969)(原著1968の抄訳)や海原峻『フランス人民戦線 統一の論理と倫理』(中公新書、1967)を読むと、《グランゴワール》は当時の右翼政治週刊紙で、1936年末の発行部数は6万4千。フランスではかのスタヴィスキー事件以降、勢力を拡大していた右翼への危機感から1935年に「フランス人民戦線」という組織が設立され、反ファシズム運動を展開したが、1937年のレオン・ブルム内閣総辞職で崩壊し第二次世界大戦へと至る。《グランゴワール》はこの人民戦線に対抗する側のオピニオン紙だった。
以前から何度か述べているように、おそらくシムノン自身はとくにこれといった政治的信条を持っておらず、左翼系であろうが右翼系であろうが依頼された媒体ならばどこにでも原稿を送ったのだと思われる。戦時中は書籍のかたちでの小説発表が困難な時代だったので、部数の多い雑誌への定期的寄稿は映画の原作権と並んでよい収入源だったのかもしれない。
■ 「ジョゼフの首」1939■
この〝首〟の話は、コロン[パナマの都市]やパナマ市を一度も訪れたことがない人にとって、またジュールが握手したことのない人にとっては、正真正銘の逸話である──その話は火曜の朝8時、コロンにあるジュールの家で始まった。ナポという黒人の使用人がカウンターの背後の鏡を磨いており、すでに外は暑く、工事用クレーンが軋みを上げ、独特の匂いが立ち籠めていた。ジュールの家はバーないしカフェでもある。
ジュールは紫色のタイで身支度をする。店にタキシード姿で片眼鏡の〝男爵〟と呼ばれる男が入ってきた。すでに地元の蒸留酒チチャで酔っているのがわかる。彼は夜通し《ワシントン・ホテル》で英国人相手にブリッジの賭けをして、いつもいかさまで勝ち、明けるとこのように店に現れるのだ。
男爵は200ドル勝ったという。だがその朝の彼はいつもと違って、さらに50ドル貸してほしいとジュールに申し入れてきたのである。
ジュールは店の扉を開けて外の様子を眺める。小さな客船《サンタ゠クララ号》が到着したようだ。コロンには《サンタなんとか》の日もあれば《Wなんとか》の日や《Villesなんとかの日》もある──《W》とは《ウィスコンシン号》だの《ワイオミング号》だのWで始まる船ばかりが着く日のことだ。名前によってどこから来てどこへ行く船か見当がつく。
ジュールは店を出て車を拾い、市場を抜けて銀行へと向かった。そして男爵の金が領事館へ送金されたことを確認してから、今度は到着したばかりの《サンタ゠クララ号》の舷門へと向かい、船で働いている友人フェリクスと無言で握手を交わし、そしてジュールを待つ機関長と面会した。ジュールは南米で密輸に関与していると噂される人物で、フランス出身ともベルギー出身ともいわれ、また本名はジュールではなくジェフだとされているが、彼自身は知ったことではない様子だ。
ところでフェリクスは3人の観光客の相手をすることになった。フランスのランスからやって来て世界一周旅行をしている若い新婚カップルと、アトランティックシティから来たブリッジ好きの未亡人である。フェリクスは高級車へと彼らを案内する。朝のコロンの街で見るべき場所はさほどない。それに船は午後2時には出発するのだ。そこで唯一の観光スポット、シリア人が運営する市場へと向かうことになる。フェリクスは観光客が求めるものが何であるかを知り尽くしており、言葉巧みに市場で3人の旅行者に買い物をさせる。土産品としてワニのぬいぐるみも買わせ、そしてフェリクスは誘った。「少しばかりジュールの店に寄りましょうか。戦前のペルノーがあるんですよ、コロンでは飲んでも捕まらないんです……」彼はガイド役ではない、あくまで同胞の役に立つよう務めているのである。
熱い水煙が地面から湧き立つ。そのころ、ジュールの店の隅に座る男爵は、黒人のナポにチチャを注文しつつ、「おまえだって50ドルの蓄えはあるだろう?」などと尋ねていた。しかしナポは耳を貸さず、カウンターの向こうで自分の仕事をするだけだ。
「フェリクスはどこにいるんだろう?」
「さあ、《サンタ゠クララ号》の上じゃないですか……」
「なあ、50ドル貸してくれ。弟のジョゼフを見つけたんだ……」
ナポは驚いて顔を上げる。男爵は言葉をつけ加えた。
「いや、弟そのものじゃない。おれが見つけたのは弟の首だ……」
そこへフェリクスが3人の旅行者を連れて店に入ってきた。自分はアブサンを注文し、顔を合わせた男爵を旅行者らに紹介する。
「こちらは正真正銘の男爵、ヴイユ男爵です……。オスマン地区の金融業を一手に引き受ける大金持ちの男爵のおひとりで……、〝おひとり〟といったのはご兄弟があるからですが……」
「最初にこのコロンの地を踏んだのは弟のジョゼフだ」と男爵は語り出した。「あいつはエクアドル、ペルー、チリと巡る予定で……まだ35歳だった……だが結婚し、《サンタなんとか号》に乗って出て行き、小汚いビストロでチチャを飲んだ……。いまでも間違いっこないが、正真正銘、そこにいたのはジュールとフェリクス、それにあとひとりかふたり、とりわけミミルって男だ。だがそいつらにとってまずいことには、ジョゼフは他のみんなと同じように、美人でもない女からチチャを注いでもらったものの、決して楽しい時を過ごせなかった」
「チチャってのはうまいの?」とアメリカ女が訊く。男爵は答える。
「酷いもんだよ! 本当はチチャ・デ・ムコスchicha de mucosって名だ、地元の奴らはとうもろこしを噛んでつくるんだからな」
若い新婦は新郎の腕にすがる。新郎が尋ねた。「飲むとどうなる?」
「いまにわかるさ……」
そのとき、ジュールが店に戻ってくる。フェリクスは話を続けた。
「ジョゼフはこのコロンで1年間暮らした……。兄やおばは奴を心配していた。毎晩チチャで酔って、ヨーロッパへ戻ろうとしなかったからだ。それでソーセージ屋台をふたつ持っているミミルのせいでまずいことが起こった」
ミミルは黒人に街路の屋台を任せて、ときおり様子を見に来るのである。ちょうどフェリクスが話し始めたそのとき、パナマ帽を被ったミミルが寂しげな顔つきで店に入ってきた。ミミルはジュールと無言で握手し、ふたりは奥の部屋へと消えていった。
旅行客がフェリクスに話の続きを促す。
「彼のせいだともいえるし、そうじゃないともいえる! ある朝、《ヴィル・ド・ヴェルダン号》が着いた日、ミミルがここへ来たんだ。そのときジョゼフがここにいた。いきなりミミルが奴にいった。『誰が乗船していると思う? おまえの兄さんだよ! いま関税で引っかかっているが、あと半時間もすりゃヴイユ男爵はここに来るだろう』──ジョゼフはチチャで酔い潰れて何も聞いちゃいなかった。だが妻の手を取っていった。『心配ないさ。兄はおれたちの分の金を渡したいだけだ』……」
フェリクスの話は決してでたらめではなかった。だが正確ではない。
「見ての通り、兄の方はジョゼフよりもチチャに溺れていた。つまるところ兄は飲み代を弟にせびりたかったのさ! おれは黒人街で家を与えていたが、それは奴のおばが送金をやめてしまったからさ。それで兄はさほど酔い潰れていないときは、タキシードを着て《ホテル・ワシントン》の庭に行ってブリッジで勝つ……」
ジュールが台所から出てくる。ミミルが男爵の前に座る。ジュール、ミミル、フェリクス──かつてのように3人が揃う。
ミミルが呟き、ポケットに手を入れる。「いいか、男爵……、まだ酔ってないか? 弟の顔がわかるか?」
そして彼はテーブルの上に、ティッシュぺーパーで包まれたものを両手で置いた。
男爵は訊いた。「こいつをモーゼスから買ったのか?」
「奴の店で今朝見つけたんだよ。ジョゼフだとわかった」
「おれも見た……」
「どうして買わなかった?」
「金がなかったんだ……寄越せ!」
「まあ待てよ、こいつはおれのじゃない。船の客がおれに買うよう所望してきたんだが、これに100ドル出すというんだ……」
「たいてい50ドルだぞ」
「インディアンならそうだが、白人じゃ話は別だ」
新婚カップルとアメリカ女は後ろでじっと聞いており、ついにアメリカ女が尋ねてきた。「それは何?」
「男の首だよ。聞いたことはないか? 熱帯雨林に暮らすヒバロ族は、敵の頭を切り落として乾燥させ、拳の大きさまで縮めるんだ」
「なんて恐ろしい! それ、本当に人間の首なの?」
「近くで見たいか?」
そこでフェリクスが立ち上がり、それを手に取っていった。
「もっとも驚くべきことは、これがそこにいる男爵の弟、ジョゼフの首だってことだよ。おれたちはちょうど今朝、なんでも売っているモーゼスの店でこれを見つけたって次第さ。購入できるのはひとりだけだ……」
「いくら?」とアメリカ女。
「200ドル……、いいか、こいつは掘り出し物だ、もう売買は禁止されているからな、モーゼスの店でなけりゃ手に入らない……。でももう売れちまった……」
ジュールはチチャの瓶を持って男爵のもとへ行き、酒を注いだ。
「どうだい、男爵?」
「50ドル貸してくれたら……」
「昨晩の儲けを手放してなけりゃあなあ」
「ジョゼフの首!」
「酔ってろよ、馬鹿野郎」
「馬鹿でも何でも構わない。そいつはジョゼフの首だぞ!」
手から手へと首はパスされてゆく。ミミルはティッシュペーパーに包み直してポケットにしまい入れた。
「200ドルはフランに換算するといくらです?」と新郎が聞く。
そこへ男爵がフェリクスの団体に目を向けていった。「おれのところに400ドル入る。それで分割する……どうだ?」
フェリクスが溜息をつく。「もしあなたがそんなにご所望でしたら……」
「いくらです?」
「400……」
「私が買うわ!」とアメリカ女が叫んで手提げ鞄を開ける。
フェリクスがいう。「彼は400ドルといいました。もしわれわれが買うなら上乗せで50ドル……」
アメリカ女が金を差し出す。「さあ、持っていってちょうだい!」
──もうその日は《サンタ゠クララ号》より後の船はない。ジュール、ミミル、フェリクスの3名はカードゲームのブロットで時間を過ごした。フェリクスの妻のひとりルイーズも同席している。
「おまえがまず30ドルもらうわけだ。モーゼスの店での買値は……」
「違う、40ドルだった!」
「まあいい、410ドル残ることになる。3人で分けると……」
フェリクスが笑う。「ジョゼフの首に100ドルとは! 奴は一度だってそんな大金を持ってなかったぞ」
店の隅で誰かが動く。立ち上がったのは男爵だった。そして彼らに近づいていった。誰かひとりにアメリカ映画のような見事なパンチを食らわせるために。だが酔って距離が測れず、彼の拳は空を切り、崩れ落ちた。フェリクスがいった。
「心配しなくていい、こいつはおれが連れてゆく。ナポ、こいつは何杯飲んだ?」
「憶えていません」
フェリクスは黒人街へと向かう馬車のなかで、すでに寝入っている男爵に向けて話し続けていた。
「わかったろう? 賢いおまえさんのことだ、おれたちゃ来る船すべてでこの商売ができるぜ。〝フィフティ‐フィフティ〟でいこう……。ジュールやミミルはもう必要ない。モーゼスは1個30ドルでヒバロ族から調達できる……。がらくただろうと、ヒバロ族が何をしていようと、おれたちにゃ関係ない……」
黒人が暮らす木造の家が続く。この並びの10軒をフェリクスは所有していたが、ときおり家賃を脅し取る必要があった。5軒目の家にはボナヴァンチュールの理髪店と書かれている。フェリクスは戸を叩くのではなく、座席に座ったまま声を張り上げて住人を起こした。黒人が月明かりのもとに顔を出す。
「男爵を部屋まで上げてやってくれ……」
黒人が男爵を引き取るとフェリクスは御者に告げた。「ジュールの店へ!」
まだルイーズは店にいるだろうし、涼しいのだから最後のブロットゲームをして、ナポがミミルの屋台から取ってくるソーセージを食べようじゃないか?
かなり詳しくあらすじを最後まで書き出してみた。状況としては『異郷小説集』で見た中篇「寄港地ビュエナヴァンチュラ」(第95回)と似ており、新味はないが、作者シムノンのクセというか技巧がよく感じ取れる一篇となっている。実際、こういう短篇を書くときのシムノンの文章は、読み下すのがとても難しい。私は機械翻訳した英語版や日本語版を何度読み返しても意味がわからず、上記のように逐語的にあらすじを自分で書いてみて、ようやく初めて内容が把握できたくらいだ。随所に極端な省略があり、また視点の転換が起こるために、いま物語が誰のことを述べているのか、しばしば私たち読者は焦点を見失ってしまうのである。
今回、あらすじを書き下すに当たって、作者シムノンがあらかじめ設けていた一行空けを忠実に再現してみた。この一行空けがいずれも大きな意味を持っていることに改めて気づかされる。これらがなければ少なくとも私はまるでこの小説が理解できなかっただろうと思う──空いたところで必ず物語の焦点人物は移り変わり、場面が変わる。最初はジュールの家にやってきたタキシード姿の男爵と呼ばれる男が中心である。次の場面では街へ出たジュールに焦点が移る。次に中心となるのは旅行客3名を巧みに案内するフェリクスという男で、その次には再び舞台がジュールの店へと移り、酔った男爵が居座るその店へ、旅行客を引き連れたフェリクスがやって来る──。ここまで私たち読者は物語の真の焦点がどこにあるのかわからず戸惑わされる。南米の猥雑な港町が舞台で、タイトルが「ジョゼフの首」というのだから、おそらく地元の古い習慣でつくられた干し首が出てくるのだろうと予想はできる。作者シムノン自身がまさにそのことを冒頭で仄めかしてさえいる。この首を巡って旅行客相手に詐欺がおこなわれるのだろうということさえ私たちは予測できる。だがこの読みにくさはどうだろうか。
いったい誰が誰を騙しているのか、作中のトリックとしてではなく作者の書き方ゆえに極めて構造がわかりにくい。ふつうに判断するならば作者の技量が劣っている、単純にへたな小説であるといえるのだが、シムノンの場合はこのわかりにくさもひとつの〝味〟となるのだから評価に困る。
一般にシムノンの小説は短いものほど省略が過剰で、また場面転換がわかりにくい。だが彼の作品に浸っていると、そのわかりにくさこそが人間の知能の本質を衝く鋭利な一撃だと思えてくる。私たちがわかりにくいと感じるその部分にこそ、私たちの認知機能のエアポケットがあるのだ。読むごとに私たちはいままで気づいていなかったそれらのポイントを、まるでfMRI(磁気共鳴機能画像法)で脳機能を解析するが如くに赤く染まった脳の一点を、くっきりと見出すことができるのである。なかなか他では出会うことのない読書体験といえる。
侮れない作家、侮れない短篇である。こういう小説を自分でも書いてみたいものだが、しかし実際にこのように書いて送稿すると、編集者や読者から「わけがわからない」と困惑されてしまうのが必至であろう。職業作家としてこれらの技巧が容認されたシムノンとは、なんと幸福な作家だったのだろうと、正直羨ましい気持ちになったりもするのだ。
■ 「タヒチのリトル・サミュエル」1939■
給仕長が喫煙室の扉を開けて、煙の充満する室内に告げた。「タヒチが視界に入ったと船長にお伝え下さい」
賭けカードゲームにいそしんでいるのは、オースティン船長、赤毛の売国奴スタートコヴィッチ、学校を出たばかりに見えるほど若い燻製魚屋のショーフ、そしてこの船を建造し、いま賭けの胴元を務めているリトル・サミュエルである。全員60歳を越えている。
リトル・サミュエルはヨットの甲板に出た。サンフランシスコを出港してから6週間経つ。この航海を提案したのは彼だ。ハリウッドの映画産業で金を儲けるビッグ・サミュエルが船を買うのを知って、自分でも建造を思い立ったのである。備品や船員は欧米各地から最高のものを集めた。なにしろ「クーラー」という代物まであり、室内の温度を設定できるのだ。なんと奇妙な発明だろうとサミュエルは思う。
リトル・サミュエルはもともとニューヨークでいちばんのシャツ工房主だった。だがあるときビッグ・サミュエルと自分が同郷だと知り、真似をしたくなったのだ。ビッグ・サミュエルは西インド洋へ発ったので、自分はタヒチを選んだのである。もっとも、ビッグ・サミュエルは有名なスター俳優らを伴って行ったが、自分の友人はスタートコヴィッチとショーフのふたりだけだ。
港の中央部に杭を打ち込んでいったん停泊し、リトル・サミュエルは沖合からヨットの往来を双眼鏡で眺めた。それから3日経ち、地元のパタン医師がモーターボートでサメ狩りに出かけ、帰ってくると島の人々にニュースを告げた。「沖で《セゾストリ号》を見かけた」と。世界一美しいといわれるそのヨットの持ち主を皆で調べてみると、それはアメリカの大富豪、ムッシュー・サミュエル、すなわちリトル・サミュエルであった。
リトル・サミュエルがパジャマ姿で髭を剃りながら船窓を開けると、ヨットの周りはたくさんのボートで囲まれていた。急いで彼は甲板に上り、オースティン船長と話し合う。彼はこういう騒ぎは嫌いなのだ。船を環礁の半ばで停めたが、島の人々はすでに騒然となっていた。商店経営者のドナルドが「億万長者が来たぞ、みんな外に出ろ」と叫ぶ。人々はすぐさま欧州風の衣類を脱ぎ捨ててパレオ姿になり、ティアラをかぶり、ピローグと呼ばれる丸木舟を出し、野蛮な声を上げる。髭を剃り終えたリトル・サミュエルは双眼鏡で地元民の踊りを見る。地元の舟が横づけされた。役人からの使いで、領事館での夕食に招待したいというのだ。ショーフは「正装しなきゃ! カードは誰が胴元をやる?」と喜ぶ。
船長がまず、手続きと水の補給のため上陸し、途中で英国バーに寄った。ミルクを所望したが置かれていない。バーテンのスティーヴはかわりにウィスキーのグラスを出して、あなたは《セゾストリ号》の乗員かと尋ねてくる。自分が船長だとオースティンは答え、明日出港予定だと伝えた。
「美しい船ですね。本当にあの方が乗っているんですね?」
「世界一の船だよ」
「どのくらいご旅行を?」
「これが初航海だ。ハドソンからパナマ運河を抜けて来た。親方は全航程につき合うつもりがなかったから、サンフランシスコに迎えに行った」
「女性も乗っているのですか?」
「年老いた男3人だけだよ……」
「何をしているので?」
「カードゲームさ。他には何もない」
そのころリトル・サミュエルは喫煙室で食事をしながら笑っていた。これから晩餐会に呼ばれて、地元民の踊りや女たちを見せつけられるのだ! 彼はまた双眼鏡で岸辺の町並みを観察する。窓のそばに地元の男ふたりの姿があった。ひとりは役人に違いない。なぜ億万長者は自分たちの招待を拒否しているのかと訝っているのだ。彼らを放ってリトル・サミュエルはいった。
「ショーフ、トロイア戦争の話を聞かせてくれ……」
甲板員のひとりヘルムートは23歳の若者だった。彼は2年前、海軍に所属していたとき、ヴェネズエラの港で酔いながら友人から聞いたのだ。「タヒチに行くことがあったらタイトウという女を捜してみろ……。誰も抱いたことがないからどんな女なのかわからないんだ」
オースティン船長は自分に上陸を許さなかったので、ヘルムートは岸に行けなかったが、近づいてくるピローグにきれいな娘たちが乗っているのはわかった。
「タイトウ?」ト思わずヘルムートは呼びかける。
「タイトウを知っているのか? 会うのは簡単だ、岸のすぐそばにいる」
「上陸は許されていないんだ」
「彼女を連れて来てほしいのか?」
「危険すぎる……、でも、いい女なのかい?」
ピローグの漕ぎ手は帰ってゆく。そのころ船長は喫煙室に親分たちを呼びに行っていた。相変わらずスタートコヴィッチの姿もそこにある。だが親分であるリトル・サミュエルはトロイア戦争の話の続きに固執し、行きたがらない。すでに彼らはシャンパンを夕方のうちに飲み干しており、彼らは船窓から次々と空瓶を投げ棄てた。「太平洋の底を抜けば、シャンパンボトルのマークがあるだろうさ!」
そして彼はいった。「戻れて嬉しい……」
夜が明け、リトル・サミュエルは地元民が環礁で何をしているのか双眼鏡でうかがっていた。
「ショーフ! 彼らは釣りをしてるんだ!」
彼は甲板に上がり、地元民が釣りをしている岬まで連れて行ってくれと船長に頼む。オースティン船長はヘルムートに命じた。「ふたりを連れて行ってやれ。おまえが艇長を務めろ」
モーターボートに乗り込むとき、リトル・サミュエルは初めて海の底を見た。紫と青色の珊瑚。赤い魚と虹の反射。ボートは走り出し、地元民から遠くないところで停まった。
「ショーフ、彼らはどんな魚を釣っていると思う?」
聞かれたのでよく見るためショーフは立ち上がった。地元民たちは笑っており、女のひとりはほとんど全裸だった。
ヘルムートは女の胸を見ながらタイトウのことを思った。おそらく会うことはないだろう、正午にはもう出港してしまうのだ。
「見えたか、ショーフ?」
だがヘルムートはリトル・サミュエルとは違うものを見ていた。よく磨かれたデッキに、なにか灰色のものがあった。彼が歩を進めると同時に、船長やリトル・サミュエルも魚へと近づいていた。
「ショーフ、これを燻製にできるかな?」
だがそのときリトル・サミュエルは派手に転倒し、海に落ちた。皆が笑い、彼は怒って、「早く船に乗りたい! 家に戻りたい!」と叫んだ。
彼は脚から血を流し、傷口は膨れ上がっていた。船に戻っても船医はいない。パタン医師が珊瑚の水からは感染が広がりやすいのだという。仕方がないので彼は島に上げられ、担架に乗せられた。知事がわざわざやって来た。
「タヒチにはいたくない! いたくないんだ!」と彼は喚く。だがパタン医師の診療所に連れてゆくほかない。そのころ、ヘルムートは暗い通りで、手を降っている地元民の後をつけていた。
タイトウ? と呼びかけると、その影は「タイトウ、そうよ……」と答えた。
地元の人々は、リトル・サミュエルの脚を切断するかどうか相談した。そして切断し、翌日、彼は死んだ。ヨットはいまだ環礁のなかで浮いていた。
「誰に知らせればいい?」と知事はスタートコヴィッチとショーフに尋ねたが、ふたりともリトル・サミュエルの身寄りなど知らない。彼の亡骸は鉄の棺に収められ、地元民はニューヨークに電報を打った。「なにか必要なことがあれば知らせてくれ」。
サンフランシスコ行きの船があったので、スタートコヴィッチとショーフはそれに乗った。オースティン船長は英国バーから沖合のヨットを眺めて「片づいてくれるといいが!」と漏らした。バーテンのスティーヴが飲み物をつくりながら同意する。
「ここがお気に召しましたか?」
「まあな、だがおれは仕事料も受け取ってない……」
そこでひと月かけて、彼はヨット内のあらゆる備品を売りに出した。リトル・サミュエルの弁護士からの手紙に拠れば、彼の財産管理は複雑で、ヨットについて決まるのはまだ先のことだという。
そこで地元民は中欧に手紙を送り、少なくとも10人の親族を見つけたが、誰も《セゾストリ号》のことはわからなかった。
オースティングも妻に子どもが生まれるというのでロングアイランドに戻った。他の船員も徐々に引き上げていった。地元民たちは何か必要なものがあればヨットに乗り込む習慣を身につけた。
そして1年後にようやく船を売ってくれとの電報が届いた。だが相続人たちの訴訟が終わらず、関係者全員は訴訟費用で借金を抱えている有様で、船はすぐには売れず、子どもたちの遊び場となっていた。
ヘルムートは、彼のタイトウが、かつて友人の話していたタイトウではないことを知った。彼は別れようとしたがタヒチから離れることはなく、英国バーのバーテンになった。
神のみぞ知ることだが、《セゾストリ号》の船主になったのはパタン医師である。
こちらもまたふしぎな構成の短篇だ。タヒチに近づいたころから、原文では何度もOn〜という表現が使われる。一般に「私たちは〜する」という意味で、ここでは地元民のことを指しているのだと何度か読んでわかったが、これが繰り返されるがために、地元民はまるでひとつの共同体、個人というものを持たない精神合一体のように思えるのである。実際、アメリカで成り上がって夢の楽園に辿り着いたリトル・サミュエルからすれば、金持ちが来たとみるや伝統衣装とダンスで迎える彼ら地元民は、一種の群ロボットのように見えたかもしれない。
ハリウッドであぶく金を手に入れているビッグ・サミュエルを羨んで、自分も船をつくって楽園へ向かうリトル・サミュエルは、この時代に振り回された哀れな成金であるのだが、彼の心のうちはいまひとつ読み終わっても判然としない。シムノンは映画産業を虚栄の市だと思っていたはずなので、彼が楽園を目指した動機自体に皮肉が込められているとは思うのだが、いざタヒチに着くと彼は上陸を嫌がり、地元民との接触も極端に渋り、たんに船窓から双眼鏡で眺めるだけなのである。それでいて酔ってシャンパンボトルを海に投げ棄てると「戻れて嬉しいJe me réjouis d’être rentré……」というのだ。この台詞をどう受け止めればよいのか、私は迷っている。
読み違いがあるかもしれないが、リトル・サミュエルは夜の海にボトルが沈んでゆくのを感じながら、酔った自分もまた昏い海底に沈んでゆくような感覚を覚えて、その奇妙な浮遊感に、自分の思い描く理想の楽園と一体になった気がしたのではないか。それで翌朝になると彼は双眼鏡で地元民の釣りを見つけて不自然なほどはしゃぎ、初めて自ら地元民に近づこうとする。その際、モーターボートに乗り移るとき、陽射しが届く浅い海底を初めて見るのだ。その美しさに彼は魅せられる。だがまさにその海底の珊瑚によって彼は負傷し、それがもとであっけなく死ぬのである。地元民が殺したといってもよいかもしれない。
この物語はいったい誰が主人公なのかさえよくわからない。だが船主のリトル・サミュエルだけでなく、オースティン船長も、また若い船員のヘルムートも、何かしらタヒチという楽園に自分なりの理想を求めてやって来ている。だがそれらはすべて運命の巡り合わせによって彼らの手から擦り抜け、美しいヨット一艘だけが沖に残る。虚飾の遺物がタヒチの港にぽっかりと浮かんで物語は終わる。
「戻れて嬉しいJe me réjouis d’être rentré……」の台詞が、青い海に垂らした古い釣り針のように、心に引っかかって疼いてならない。そんな作品のように私は感じた。
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■ 「シムノンはこう書いている」1940■
もうひとつ、正確な執筆時期は不明だが、このころ書かれたと思われるエッセイを読む。掲載紙の《輝きReflets》というのは収容所新聞のひとつだったようだ。「ベルギーの映画」特集号に掲載された。
親愛なる同業者(コンフレール)たちへ。記事執筆の依頼を受けたが、手紙のかたちで返信させてほしい。その方が気が楽だし、考えながら書けるからだ。
1939年8月ころの映画を見てみると、スター不在の安いフランス映画の制作費は200万フラン、『霧の波止場』[瀬名註:マルセル・カルネ監督、ジャン・ギャバン主演のメロドラマ]のような高級クラスの映画で400万から600万フランだった。平均してフランスの映画はベルギーの興業会社に50万フランで売られる。この3つの数字ですべてが決まる。
まず残酷な事実としてベルギー製作の映画はせいぜい50万フラン、よくてもその倍しか稼げない。だから海外で売る必要があるが、吹き替え費用のギャラはゼロに等しいので、フランス語圏で売るしかない。だが植民地でのリターンは非常に少ない。ベルギーはどのような映画を製作したいのだろうか?
アメリカは2千万から3千万もする超大作を定期的に輸出しているし、フランスも限りあるスターを順番に使い回すことにしたようだ。こうした類いの映画をベルギーがつくれるとは思えない。ならば200万フランの予算でパリの大衆が喜ぶ商業映画をつくるしかない。
だが映画をつくるときは、既成のルールで物事を考えない方がよいだろう。アメリカは超大作の合間に特別な映画をつくってつねに手応えを確かめている。これは前衛映画のことではなく、新しい成功の種を見つけるための投資なのだ。
映画業界の状況は刻々と変わるので、昨日のルールは今日はもう通用しない。ならばベルギー映画はむしろそこに生き延びるチャンスを見出すべきだ。予算がなくとも、ベルギーには昔からベルギーの絵画があり、ベルギーの文学があるではないか。たとえそれがフランス語で書かれていようとベルギー的であり続けている。アントワープからシャルルロワまで、オステンドのトロール船からアルデンヌの森まで、多面的なベルギーの生活や風景や習慣がある。そういうものをそのまま使えば、よい映画になるはずではないか。
注意すべきなのは、民間伝承のようなものを必要以上に盛り込まないことだ。悲劇であれ喜劇であれ、しっかりとしたストーリーのもとで、鉱山労働者やブリュッセルの小市民の生活を描けば、それはパリのジゴロやニューヨークのギャングと同じくらい刺激的な素材となるのだ。誇張せず、地元民にしか受けない冗談などは封じて、ただあるがままに撮ればいい。ほとんどローカルな試みが失敗するのは、ローカルであろうとしすぎるからだ。「皆さん、これはベルギー映画です、ベルギーの生活を知ってください……」そんな宣伝は無用といえる。
私たちは映画をつくっている。ベルギーでベルギーの魂を込めてつくれば、その映画はカナダやアルゼンチンの人もベルギーの映画と気づくだろう。よい作品であれば継続作品にも輸出の道を開いてくれる。
急いでつけ加えるが、これはすべてたんなる個人の意見であり、あなたの質問に答えるには、私よりはるかに適任の人たちがいるだろう。
以前にもシャルルロワの文芸誌でシムノンが英雄扱いされていたことを述べたが(第100回)、ここでもシムノンはベルギー出身の映画原作者として、まさに一家言持っているであろう人物として原稿を依頼されている。それに対してシムノンはいつもの速筆で(悪くいえばかなりテキトーに)仕事をこなしている。
シムノンの映画業界に対するねじれた思いが率直に記されているが、意外にも「ローカル映画はローカル映画であろうと意識しすぎないことが肝心だ」という指摘部分は、いまにも通用する考え方であって興味深い。確かに、いわれてみれば、シムノンの小説の多くは地方が舞台だが、観光小説にはなっていない。だからこそいまでも普遍性があり、しかもフランスやベルギーなどの国そのものを鮮やかに描き出している。
私たちがシムノンを読んでフランスやベルギーに行きたいと思うのは、逆説的には彼の書く物語が観光小説ではないからだ。そして実際に私たちがフランスやベルギーに行って、そこで見て取るのは小説に書かれたそのままの風景ではない。シムノンが行間に残した空気と陽射しなのである。
瀬名 秀明(せな ひであき) |
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1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞受賞。著書に『魔法を召し上がれ』『ポロック生命体』等多数。
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