第14回『死を呼ぶペルシュロン』——奇妙奇天烈、虚々実々、サイコ・サスペンスの夜明けぜよ!

全国15カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁

「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!

加藤:杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』をテキストに、翻訳ミステリーとその歴史を学ぶ「必読! ミステリー塾」。今回もどうぞお付き合いください。

 さて、今回取り上げるのはジョン・フランクリン・バーディン著『死を呼ぶペルシュロン』。1946年の作品です。

こんなお話。

精神科医マシューズのもとにやって来たのは、髪に真っ赤なハイビスカスを挿したジェイコブという名の青年だった。ジェイコブは小人たちに雇われ、髪に花を挿したり、小銭をばらまいたりしているという。正気を疑うマシューズだったが、これから小人の一人と会うというジェイコブに同行すると、そこにはユースタスと名乗る小人が現れ、次の仕事はペルシュロン(大柄な馬車馬)をハリウッド女優に届けることだと指示を与える。慌ててその場を立ち去ったマシューズだったが、やがてそのハリウッド女優が死体で発見され、ジェイコブが逮捕されたことから悪夢のような事件に巻き込まれてゆく。

 いつものようにもちろん初読。作者の名前も作品名も、これまでに聞いた覚えがありません。

 ジョン・フランクリン・バーディンは1916年生まれのアメリカの作家。広告会社で働きながら『死を呼ぶペルシュロン』『殺意のシナリオ』『悪魔に食われろ青尾蠅』を執筆し、生涯に10作の長編小説を書いたものの、作家としての成功とは程遠かったようです。

 本作をはじめとする前述の初期3作は、人間の心の不安定さやその奥底の闇を描いたサイコ・サスペンスの走りとでも言うべき作品だったそうですが、当時のアメリカのミステリー界では受け入れられず、長く見向きもされなかったのだとか。それから20年の時を経た1970年代に、ようやくイギリスのミステリー作家で評論家でもあるジュリアン・シモンズによって「再発見」され、今日の評価となったのだそうです。

 本書『死を呼ぶペルシュロン』は当時まったく話題にならなかったとはいえ、ジョン・フランクリン・バーディンの記念すべき処女作。

 精神疾患や精神病院を扱ったミステリーとしては、この連載の8回目に取り上げたパトリック・クェンティンの『迷走パズル』があったわけですが、本書は随分と作風が違います。

 現実と妄想が入り乱れたような、全編に漂う名状しがたい不安定感。タイトルからは想像がつかないヘンテコでぶっ飛んだ話でありました。

 そうそう、そーなのです。この『死を呼ぶペルシュロン』を読み始めたときは、正直なところ、あまり期待はしていませんでした。杉江さんの目利きを疑うわけじゃないけど、ほら、なんてーか、ぶっちゃけ、このタイトルってどーなんでしょう。あまり面白そうじゃないっていうか、ハッキリ言って陳腐というか。そもそもペルシュロンって何やねんって話です。もう少し何とかならなかったのだろうかと思いません?

 しかし、そんな期待値ミニマムで読み始めた本作でしたが(もしかしたらそれ故か)、なんということでしょう、目が覚めるような奇妙な話で、最初からグイグイ引き込まれてしまったではありませんか。とにかく掴みが凄いのです。不思議な出来事の波状攻撃に身悶えながら、気付けばひたすらページをめくってる。おらぁ、びっくらこいただよ。本当は皆さんにもこれ以上の情報なしで読んでいただきたい。

 次から次へと話が展開して、観客に考える暇を与えないような映画を「ジェットコースター・ムービー」って言ったりするけど、本作もまさにそんな感じ。でも、なにか根本的なところが違う気がするんですよね。先の読めないところが魅力であるのは確かなんだけど、物語の起伏の幅やスピード感が売りではない。ジェットコースターとは少し違った乗り物という感じ。

 これって、壊れてないよね、落っこちないよね、停まったりしないよね、というように足元レベルの不安を抱えながらノロノロ進むヘンな居心地の悪さ。全方位的な不安感に手は汗ばみ、喉は渇き、今夜もまたまたビールが旨い。

 そんなこんなで、僕は本作をジェットコースターならぬ「花やしきのローラーコースター小説」と勝手に命名しました。

 私ごとで恐縮ですが(いつものことですが)、僕はかつて5年くらい浅草に住んでいたのです。ちなみに花やしきの公式サイトには、あの超有名なローラーコースターが以下のように紹介されています。

 最高時速たったの42km/h! 落したボルトは数知れず(←ウソ)昭和28年に生れた日本現存最古のコースターも60歳を超えました! 「還暦」は迎えたけど、まだまだ元気に下町のど真ん中を爆走中!

 いいですねえ、このノリ。浅草での懐かしい日々が思い出されるなあ。吾妻橋の向こうにアサヒビールの本社が完成したばかりで、隣で金色のウンチが眩く光ってたっけ。[編集部註:アサヒビールのホームページによれば”屋上の「炎のオブジェ」は躍進するアサヒビールの心の象徴です”とのこと

 そうそう、還暦と言えば、この4月に西城秀樹さんは60歳の誕生日を迎えられたそうですね! もう、さんざんいろんな人が言ってるけど、畠山さんにも言わせてあげるよ、さあどうぞ。

畠山 :ヒデキ、カ〜ンレキ〜! \(^o^)/

 ……日本中の“還暦を迎えるヒデキさん”はもれなくコレをやらされているんだろうな。

 西城秀樹の還暦と上戸彩(なぜ私はいつも“綾戸智絵”と言い間違うのだろう)のご懐妊にそりゃアタシも歳とったわけだわとしみじみ思った最近。しかもこんなに歳をとってもまだまだ読んだことのない名作傑作があるのです。

 そして今回(もまた)初めて読む『死を呼ぶペルシュロン』……おーっと! 面白くて一気読みしちゃいましたー! ヒデキ、カンゲキです(←ン十年の時を経て妙に気に入った)

 全く聞いたことのない作家であり、もちろん作品のことも知りませんでした。そして加藤さんと同じく「そそられないタイトルじゃのう……」と気分はローギアで重たい発進。ところが読みだしたらあれよあれよの展開でひと休みするタイミングなし。堪能しました。

 場面ごとに思ったことがいくつもあるのですが、これから読む方にはぜひころころ変わる展開を楽しんでいただきたいので、抽象的な感想になることをお許しいただきたいです。

 まずツカミがいいですよね。青年ジェイコブが精神科医マシューズの診察を受けにきて、第一声が「先生、俺、きっと頭が変なんです」。

 お言葉どおり、こっちも1頁目から “頭が変”になりそうな予感です。

 語り手はこのマシューズ。精神科医として身につけた人間観察力が武器。そして読者は彼と共に欠落した時間を少しずつ埋めていくのですが、彼が最初っから何かを間違っている可能性がつきまとうのでマシューズを全面的に信用することができないのです。でた! ミステリー読みがこよなく愛する「信用できない語り手」

 基本的にマシューズは感じのいい人なので、できれば裏切られないで欲しい、救われて欲しいと願いながら読み進めました。

 それともう一つはアンダスン警部補という現実を具現化したような人物の存在。もちろんアンダスンにしても“最初から違ってました”という可能性があるので、ここでもやはり祈る。アナタに裏切られたらアタシお終いよみたいな気持ちで。

 特徴的なのは全体を覆う「記憶がないゆえの不安感」でしょうか。

 考えてみると私はお酒が飲めないので「記憶がない」という経験がないのです(モノ忘れは別よ♪)。想像するしかありませんが、飲み過ぎで翌朝記憶がないのって不安でしょうね。どうやって帰ってきた? 飲み代払ったか? いろいろ汚さなかったか? 致命的なことやらかしてないか? 今日、会社にオレの机はあるのか? みたいな。そして頭痛と吐き気を堪えながら出社すると、何か言いたげな同僚の中途半端な気遣いがさらに不安を増大させる……Oh, これぞ日常の心理サスペンス。

 それにしても唯一解せないのは、なぜ「ペルシュロン」なのかということかな。一応、理由の説明はあるのだけど、そんなに必然性があるとは思えないし、情況的にも“死を呼ぶ”ってほどじゃない。まぁ、そこに理詰めを求めなくてもいいんだろうけど。

 予備知識なしでタイトルを聞いた時には、立て続けに人を振り落したり踏んづけたりして死に追いやった馬の話かと思いました(笑)

加藤:『海外ミステリー マストリード100』は、一作家につき一作品が取り上げられ、発表年順に掲載されているのが特徴ですが、この『死を呼ぶペルシュロン』からが戦後の作品となります。

 でも、この作品の舞台は1944年のニューヨーク。日本人の感覚では太平洋戦争もまさに山場で、日常の真ん中に戦争があったというイメージですが、この話には全く戦争の影も形もありません。登場人物たちが戦況を話題にすることはなく、物資の不足を感じさせる描写も皆無です。日本とアメリカではこんなに違ったのかと改めて驚かされます。

 さてさて、畠山さんが書いてる通り、本作の白眉は「記憶がないゆえの不安感」とそれに伴う抜け出せない悪夢感。

 主人公の不安がそのまま読者の不安に直結するという構造が上手いなあと。

 叙述トリックではないし、主人公が読者を騙そうと意図しているわけでもないのだけれど、何と言っても彼の記憶がアテにならないんだから仕方ない。主人公をどこまで信じていいのか分からない以前に、過去に遡ってどこから不確かないのかも分からないという底なし沼。

 考えたら、「朝目が覚めたらベッドのなかで毒虫になってた」ってのも怖いけど、「目が覚めたら何も思い出せなくて精神病院のベッドに拘束されてた」ってのもなかなかのもんです。

 でも、こんなに非現実的というか幻想的な話なのに、ちゃんとミステリーとして許容できる(と思われる)オチがあるというのは凄いことなのかも知れません。

 僕の少ない読書体験から似たようなモノを探そうとすると、ポール・オースターとか阿部公房なんかが思い浮かぶのだけれど、彼らのような突き抜けたシュールさや不条理感で攻めてはこない。

 かなりギリギリの線ではあるけど現実世界をベースとしたミステリーの枠内でとどまっているのが凄いところで、物語はあくまで事件の真相を明らかにする方向へ流れてゆくのですね。

 そんなわけで、とっても楽しめたのですが読み終わった後のガッカリ感もハンパなかったなあ。不思議な夢から覚めたあとの虚脱感とでも申しましょうか。ナンダカンダで常識の地平に着地してしまったのだなあと。考えてみたら、それ自体が凄いことなんですけどね。

 とはいえ、面白い本を読ませていただきました。紹介いただいた杉江さんにはただただ感謝です。

 それにつけても(おやつはカール)返す返すも残念だと思うのが、やはりこの邦題です。老婆心ながら(男だけど)本書は明らかにタイトルで損をしていると思うのです。

 原題が『The Deadly Percheron』なので、そのままっちゃーそのままなんだけど。そもそも「ペルシュロン」は本筋とはあまり関係がなかったりするし。

 畠山さん、ここはひとつ、漢字二文字で萌るという特殊な性癖じゃなかった才能を活かして、素敵でキャッチーな邦題を考えてあげてよ。

畠山 :加藤さんは読み終わってガッカリ感があったとな?

 私はそうでもなかったですよ。「強烈すぎないほどよいイヤミス」だと思いました。賛否両論ありそうな忘れ難いラストでしたね。

 ミステリーとしての体裁は最後までちゃんと保たれるので、そんなに消化不良にはならないけど、疑ってかかればまだまだ変テコな展開を続けるようにも思えて想像が止まらない感じです。

 本作がとても面白かったので、評価の高い他二作(『殺意のシナリオ』『悪魔に食われろ青尾蠅』はともにマルティン・ベック賞受賞)もぜひ読んでみたいと思っています。特に『悪魔に食われろ青尾蠅』なんてタイトルからして“わけわかんない度”がかなり高いですよね。

 しかもペラペラとめくった2012年版の『東西ミステリーベスト100』で千街晶之さんがイヤミスの代表的存在としてマーガレット・ミラー、パトリシア・ハイスミスと並んでバーディンの『悪魔に食われろ青尾蠅』を紹介されているのを偶然発見し、ペルシュロンならぬバーディンに呼ばれたかな? という気がしています。

 ところがどちらも現在入手困難なようで実に残念。もっとメジャーになって欲しいなぁ。

 おっと、なになに? 素敵でキャッチ—な邦題?

 加藤クン、キミねぇ、今回はずいぶんムチャぶりが多いじゃないかヒデキ、カンレキはノリノリだったがな)。それとも馬つながりだから畠山は競馬シリーズの話がしたくてたまらんのだろうと考えたのかね?……フッ、その通りだよ、いや慧眼慧眼。

 競馬シリーズの漢字二文字タイトルはあれだけの冊数が並ぶと芸術的といってもいいくらいなのだけど、よく見ると中には相当ムチャなものもあって、最たるは『骨折』。どう考えても医学書としか思えない。次点が『転倒』だろうか。まるで高齢者の健康生活ガイドブックのようじゃないか。それでもファンはそのタイトルで「ああ、今回も大ピンチなのね♡」とそれなりに萌えを感じるからスゴイ。

 おっと失礼。つい自分の世界に走ってしまいました(この連載は副題を『脱線』にしようか……)

 つまりは意味不明なタイトルでもそれなりにインパクトがあればいいんじゃないかということです。だったら本作は『馬をもっていけ』『頭が変になりました』『小人がでてきてこんにちは』『オレハダレ、ココハドコ?』『嫁は何処へ』……むむ、だんだん来週のサザエさんの予告みたいなテンポになってきた。ダメだなぁ、素人は。上手いタイトルをつける編集者さんを心から尊敬します。

 さて、4/25(土)はいよいよ翻訳ミステリー大賞授賞式&コンベンションです!

 今年の大賞候補作はこの5作です。

「ゴーストマンが容疑者なのは秘密にしてね、もう年はとれないその女アレックスのオ・ネ・ガ・イ♪」

 もう覚えましたね? どの作品が大賞に選ばれるか、今から楽しみです。

 そして読者賞の発表もありますので、こちらも乞うご期待。

■勧進元・杉江松恋からひとこと

『海外ミステリーマストリード100』の中には、他のブックガイドだったら100人のうちには入れないだろうな、という作家が何人か入っています。ジョン・フランクリン・バーディンはそのうちの1人ですが、最初に邦訳された『悪魔に喰われろ青尾蝿』を読んだときから、どこかで紹介したいという気持ちを強く持っていました。『死を呼ぶペルシュロン』が本の刊行当時現役だったのは、幸いなことでありました。しかも邦訳された中ではこれがいちばんミステリーとしては読みやすいし。

 バーディンの1940年代の長篇群は、後のサイコ・サスペンスの土台になるような示唆的なものでした。ここから遺伝子を受け継いだ作品をいくつも挙げられます。また、なんといってもバーディンは気色悪い。『悪魔に喰われろ青尾蝿』を読んだとき連想したのは、徳南晴一郎『怪談・人間時計』でしたからね。あのパースの狂った感じがそのままバーディンにも当てはまるような気がして、私の中では同じ箱に入った作家たちということになっています。サイコ・サスペンスの歴史は、このような異才によって始められていたのでした。これを読んでしまうと「ただたくさん殺すだけ」のサイコ・キラーが出てくる話なんて、可愛いものだと思えてきます。

 さて、次回はパット・マガー『七人のおば』ですね。楽しみにしております。

加藤 篁(かとう たかむら)

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愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。 twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)

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札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?) twitterアカウントは @shizuka_lat43N

どういう関係?

15年ほど前に読書系インターネット掲示板で知り合って以来の腐れ縁。名古屋読書会に参加するようになった加藤が畠山に札幌読書会の立ち上げをもちかけた。畠山はフランシスの競馬シリーズ、加藤はハメットやチャンドラーと、嗜好が似ているようで実はイマイチ噛み合わないことは二人とも薄々気付いている。

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