書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。
第6回翻訳ミステリー大賞コンベンションも終了しました。来年もさらにパワーアップして開催しますので、どうか楽しみにしていてください。コンベンション第一部では北上さんの「忘却トーク」が話題になったようですね。今月も七福神からの贈り物です。
(ルール)
- この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
- 挙げた作品の重複は気にしない。
- 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
- 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
- 掲載は原稿の到着順。
千街晶之
『死への疾走』パトリック・クェンティン/水野恵訳
論創社
パトリック・クェンティンがほぼ同時に二冊邦訳されたとは驚きだが(もう一冊は『犬はまだ吠えている』原書房)、ストーリー展開のテンポの良さと、これでもかと言わんばかりの意外性でこちらに軍配を上げたい。ピーター・ダルースのシリーズでは『人形パズル』に近い巻き込まれ型サスペンスで、マヤ文明の遺跡やメキシコシティが舞台という設定が醸し出すエキゾティックな雰囲気、善良そうな登場人物たちが裏の顔を隠し持っていることから生じる目まぐるしいどんでん返しなど、魅力的な読みどころが多い。それにしても、シリーズ前作『巡礼者パズル』であんな経験をしたのに、懲りない男だな、ピーター……。
北上次郎
『ラットランナーズ』オシーン・マッギャン/中原尚哉訳
創元SF文庫
SF文庫の1冊だが、帯に「都市冒険SF」とあるように、近未来のロンドンの裏社会で生きる少年少女の冒険を描く長編なので、ミステリーとして読んでもいいだろう
と勝手に解釈したい。その近未来がどういう社会なのかという設定もいいが、がちがちの監視社会から16歳以下の少年少女が自由になっているというのがいちばんいい。だから犯罪組織は子供たちを使うという物語になるのだが、彼らはその境遇に甘んじないのだ。痛快であるのはそのためだ。
吉野仁
『クロニクル 1 トルコの逃避行』リチャード・ハウス/武藤陽生訳
ハヤカワ文庫NV
なぜか昨年から、ブレイク・クラウチ『パインズ』その続編『ウェイクワード』(ともにハヤカワ文庫)やジェシー・ケラーマン『駄作』(同)など、後半まったく予想もしない展開が待ち受けてる奇想天外サスペンスの刊行が続いているが、どうやらこの『クロニクル』もそれらに勝るとも劣らない驚きをもった長編作のようだ。この第一部はシンプルな逃亡サスペンスなのだが、七月刊予定の第三部になると謎の中に謎が包まれたまま展開していくらしい。いまの時点では「ようだ」「らしい」としか言えずもどかしいけど、四部作すべて読み終えるときが待ち遠しい。
川出正樹
『パールストリートのクレイジー女たち』トレヴェニアン/江國香織訳
ホーム社
どう強弁したって『パールストリートのクレイジー女たち』はミステリじゃない。けれども物語に浸る愉悦をこれほどまでに味わわせてくれる小説を取り上げなくてどうする、という沸き上がる思いを押さえきれない。
時代は大恐慌時代の真っ只中から第二次世界大戦集結までの十年間。舞台はニューヨーク州の州都オールバニーのスラム街。感情の起伏が激しい若く美しい母と、三つ年下の妹とともに、どん底のような街に移り住むことになってしまったやんちゃで賢い六歳の少年は、エキセントリックだったり普通じゃなかったりする“クレイジーな女たち”に囲まれながら、苛酷な貧困状態の中で青年へと成長していく。
瑞々しい筆致で過度に感傷的になることなく描かれる悲喜こもごも至るエピソードの何と輝いていることか。中でも、真っ暗な部屋の中で主人公がラジオに聴き入るシーンは白眉だ。トレヴェニアンが最後に書き上げた、自身の体験が色濃く反映された畢生の大作をぜひ味わって欲しい。
酒井貞道
『氷雪のマンハント』シュテフェン・ヤコブセン/北野寿美枝訳
ハヤカワ文庫NV
NVでこのタイトル、この表紙なので、てっきり軍事アクションかと思ったが、あにはからんや、良質の骨太スリラーであった。大富豪と元軍人の死と、マンハント映像の謎が、しっかりと融合していく様がしっかりと描き込まれている。二人の主人公のコントラストもいい。女性警視は警察小説要素(北欧らしい!)を、プロフェッショナルな警備コンサルタントはアンダーグラウンドな空気感を、作品に強く刻印している。続篇もあるらしいので、続けて訳されることを期待したい。
霜月蒼
『国王陛下の新人スパイ』スーザン・イーリア・マクニール/圷香織訳
創元推理文庫
ひと月遅れであるが許されたい。快作をうっかり読み落としていたのだ。
第二次世界大戦下のロンドンに移住したアメリカ育ちの数学者の卵、赤毛のマギーがスパイとして活躍するシリーズ第3作。彼女が英国の秘密工作機関SOEの一員としてナチス・ドイツに潜入する。前2作同様、クリスティーの『七つの時計』とか『茶色の服の男』の衣鉢を継ぐ「おきゃんな娘の痛快謀略スリラー」だが、本作ではナチスの暴虐が影を落とし、単なる能天気な活劇に収まらない重みをそなえた。
細かなところまで史実にのっとる作劇やLGBTへのまなざしなど、神経のゆき届いた良質のシリーズだったが、本書でさらにレベルアップした。チャーチルにチューリング、果てはキム・フィルビーまでがおいしい役で出演する楽しさも格別だし、総じて著者マクニールは、娯楽小説のツボを完璧に押しまくるセンスの持ち主。言葉の最良の意味での「翻訳ラノベ」の快作で、この痛快&軽快な味わいはクライブ・カッスラーに通じるだろう。いまのところ尻上がりに面白くなっているシリーズなので、早く第4作を読みたい。
杉江松恋
『グッド・ガール』メアリー・クビカ/小林玲子訳
小学館文庫
先月『クローヴィス物語』が刊行されたと思ったらまたサキのオリジナル短篇集『レジナルド』が出たり、『クローヴィス物語』と同じ白水uブックスからホレス・マッコイ『彼らは廃馬を撃つ』が復刊されたりと、どちらを選んでも先月と被ってしまう方面から猛烈な誘惑があったのだが、思わぬ拾い物をしたのでそっちを紹介しておきたい。『グッド・ガール』は5W1HのうちWHAT「何」を問うタイプの作品で、書きぶりがおもしろい。ミア・デネットという女性の美術教師が謎の男に連れ去られて監禁され、その後解放されるという事件が起きたことが冒頭で語られる。作者は複数の視点人物が登場させて、「その前」と「その後」、つまり誘拐前と解放後の章を交差させるように書いていくのだ。登場人物Aの前、Bの前、Aの後、Bの後といった具合に。その中間にある事件そのものについての情報が不足しているので読者はつい引き込まれ、何が起きたのかと想像を逞しくしてしまう。ズルいと言えばズルいのだが、語りの技巧としてたいへん面白い。懐かしいクレイ・レイノルズ『消えた娘』を連想しながら読んだ。
見事にバラバラ。完膚なきまでにバラバラ! みなさんの読書生活を忙しくしてしまってすみません、と七福神を代表してお詫びしておきます。さて、来月はどのような作品が紹介されますやら。どうぞお楽しみに。(杉)