書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 書評七福神の二人、翻訳ミステリーばかり読んでいる翻訳マン1号こと川出正樹と翻訳マン2号・杉江松恋がその月に読んだ中から三冊ずつをお薦めする動画配信「翻訳メ~ン」、四月はこういうご時世なので更新できないかもしれません。三月の動画はこちらです。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

北上次郎

『深層地下4階』デヴィッド・コープ/伊賀由宇介訳

ハーパーBOOKS

 地下深くで眠っていた菌が蘇り、地上に蔓延して人を襲うバイオホラーだが、純粋な水に初めて触れるシーンが鮮やかだ。歓喜に震えるような爆発場面が臨場感あふれる筆致で描かれているのだ。こういうディテールが素晴らしい。ラストがやや駆け足だが、それは許されたい。

 

酒井貞道

『嗤う猿』J・D・バーカー/富永和子訳

ハーパーBOOKS

 エンターテインメントに徹した作品で、シリーズ探偵ならぬシリーズ犯人《四猿(4MK)》を徹底的に有効活用している。派手でケレンたっぷりの猟奇殺人が、シリーズ前作の《四猿(4MK)》の再来と騒がれ、次第に本当に前作のあれやこれやと繋がっていく。しかも一々がドラマティック、ダイナミックで緊張感たっぷり。本書後半で味わえる、ストーリーに振り回される感覚は、この種のミステリを読む醍醐味そのものである。作者がジェフリー・ディーヴァーの正統後継者と目されるのもむべなるかな。そしてこれはディーヴァーには意外とない要素だが、シリーズ二作目の本書の幕切れが強烈で、続きがめちゃくちゃ気になるのである。主人公の刑事サミュエル・ポーターの心理描写もなかなかスリリングで読ませる。ディーヴァーよりも血と肉を掘り下げてる感じがします。本年秋には続篇の翻訳刊行されるとのことで、待ち遠しい!
……でも今月は、『ザリガニの鳴くところ』も捨てがたいんだよなあ。静かに沁みる話でした。

 

千街晶之

『隠れ家の女』ダン・フェスパーマン/東野さやか訳

集英社文庫

 1979年、CIAベルリン支局の末端職員ヘレンは、幹部による性的暴行を目撃し、それを上層部に告発しようとするが、組織は揉み消しを図る。2014年、アメリカでウィラードという男が両親を殺害した。ウィラードの姉アンナは、家族の身に何故このようなことが起こったのかを知ろうとするが……。時代を異にする二つの物語がパラレルに進行し、冷戦期と今世紀にまたがる巨大な悪が浮上してくる。ヘレンとアンナを取り巻く多くの関係者の、誰が敵で誰が味方なのか。本心を隠した人間ばかりが集まったスパイの世界で、二人のヒロインは真実と虚構が交錯する迷宮へと敢えて踏み込んでゆく。過去パートの後半、諜報組織の女性たちが共闘するくだりは、時代も舞台設定も異なるもののイギリス製のドラマ『ブレッチリー・サークル』(別題『暗号探偵クラブ~女たちの殺人捜査』)をちょっと想起させる趣がある。

 

川出正樹

『ザリガニの鳴くところ』ディーリア・オーエンズ/友廣純訳

早川書房

『ザリガニの鳴くところ』は、二〇二〇年を代表する翻訳小説だ。プルーフ版を読み終えて、静かな余韻に浸りつつ、瑞々しい物語を?みしめるように思い起こしていたのが早二ヵ月前。苛烈なれど美しく荒々しくも繊細な一人の女性の、孤独と自立、愛と憎しみ、偏見と羞恥とがないまぜとなった半生記を、ようやくここで取りあげる挙げることが出来、ホッとしている。

 ノース・カロラニナの湿地地帯を舞台にした自然文学として、六歳にして一人で生き延びなくてはならなくなった少女の成長譚として、そしてスモール・タウンを舞台にした『アラバマ物語』に列なるアメリカン・ミステリの伝統に則した骨太なドラマとして心から堪能。交互に語られる少女の成長譚と若者の不審死の行く末が気になりつつも、じっくりと味わいながら読んだ。

 幾度もの拒絶によって自分の人生が決められてきた“湿地の少女”カイアの、「なぜ傷つけられた側が、いまだに血を流している側が、許す責任まで背負わされるのだろう」という述懐が胸に刺さって抜けない。これは、Must buy!

 

霜月蒼

『七つの墓碑』イーゴル・デ・アミーチス/清水由貴子訳

ハヤカワ文庫NV

 霧雨に煙る墓地に並ぶ七つの墓碑。そのひとつの足元には喉を切り裂かれた死体が横たわり、犠牲者をふくむ七人の名が墓碑には刻まれていた――という幕開けは連続殺人鬼ものかイタリア産だけに陰惨なジャッロ風グランギニョールかと思わせるが、次のページでいきなり殺伐とした刑務所内の話がスタートするから驚く。殺人を予告された七人はマフィアの構成員ばかりだったのだ。つまり本書、影なき殺人鬼とムショ帰りの荒くれ者の対決の物語――ダリオ・アルジェントVS深作欣二みたいな怪作だったのだ! 

 むき出しの拳みたいな剛毅なストーリーテリングは力強く、とことん動物的な暴力者かと思えば、『闇の奥』とか『夜の果てへの旅』などの古典文学の愛好者でもある主人公像もおもしろい。主人公の回想場面にはプリズンものの面白さまである結構な拾い物。ありふれたサイコ・キラーものかと思って読むのを後回しにしてごめん。

 なお品のない小説は苦手という方は話題作『ザリガニの鳴くところ』を、悠然と進む物語がお好みなら読みやすいル・カレみたいな趣の『隠れ家の女』(ダン・フェスパーマン)をどうぞ。

 

吉野仁

『隠れ家の女』ダン・フェスパーマン/東野さやか訳

集英社文庫

 まず、オーエンズ『ザリガニの鳴くところ』は、その圧倒的な評判どおりで、ページをめくるとたちまちアメリカ南部を舞台にしたこの小説世界に引き込まれてしまい、孤独なヒロインの少女に感情移入し続け、ともに半生を生きているような感覚を味わった。今月は、もうこれ一作でいいのではないかと思うほどだった。『隠れ家の女』を読むまでは。題名はやや地味な感じがするかもしれないが、これは久々に出会った傑作スパイスリラーだ。一九七九年、冷戦下のベルリンにおけるCIA女性職員を主人公にした物語と二〇一四年のアメリカで起きた殺人事件めぐる物語が交互に語られていくという構成である。スパイものとはいえ、ル・カレともフリーマントルとも異なるタッチで、末端の女性CIA職員を主人公にしたところが大きな鍵となっている。ベルリンやパリにおける、さまざまな工作、接触、逃走といった場面の迫力も十分だし、細部もよく描かれており、現代アメリカの探偵行の章にしても、謎が謎を呼ぶうえに意外なひねりがあるなど、六百数十ページを一気に読ませる面白さだ。スパイスリラーはほとんど読んだことがない(あまり興味がない)という人なら『ザリガニ』を薦めるが、もう『ザリガニ』読みました、という方は、ぜひこちらもどうぞ。

 

杉江松恋

『七つの墓碑』イーゴル・デ・アミーチス/清水由貴子訳

ハヤカワ文庫NV

 総合点では間違いなく『ザリガニの鳴くところ』なのだが、他の方も言及すると思うので偏愛する作品をあえて挙げておきたい。『七つの欺瞞』、もしかすると今まで読んだイタリア・ミステリの中でいちばん好きかも。

 構成は錯綜しているように見えて実は単純で、過去に何かがあったことが匂わされ、その関係者七人が次々に殺されていくという『喪服のランデブー』形式である。そのうちの一人が出所した主人公で、おとなしく殺されるようなタマではなく、暴力をふるいながら自らの目的のために驀進していく。この主人公の内面が読者に明かされないのが語りの上のポイントで、過去の事件について何か秘密を抱えているのはたしかだが、それがどういうことなのかはわからない、ということが引っ掛かりとなって、キャラクターに惹かれていく。うまいやり方だ。余計なことは言わないが無口というわけでもない。この程良い感じが好ましく、作者のセンスを感じる。

 とにかく派手に人が殺されるし、残忍な場面も多い。決して万人向けの小説ではないのだけど、どうしても好きになってしまう要素がある。というのも、これは本の小説でもあるのだ。各章の頭に『モンテ・クリスト伯』など有名な小説からの引用が置かれていて、それが全部主人公のいた刑務所図書館の所蔵だということになっている。この男、もともとはまったく本など読まなかったのに、服役中に先輩ギャングから読書の悦びを教えられたのである。そのことによって狂犬のようだった内面に変化が生まれて、奥行ができた。作者はそこまで書いていないが、出所後の彼の行動は、もし本を読まない人間のままだったら違っていたはずだ。本を読むようになったために弱点が生じたのである。読みながら中国神話に出てくる混沌を思い出した。混沌は目が見えず耳も聞こえなかったが、気の毒に思う人が体に感覚器官となる穴を穿ってやると、そのために死んでしまったという。理性のない犯罪者が本を読んだらどうなるかという小説でもあって、そんな趣向のある小説、好きになるに決まっているではないか。

緊急事態宣言が発令されて、落ち着かぬ日々をお過ごしの方も多いと思います。外出せずに自宅で過ごすことが奨励されています。ぜひ翻訳ミステリーを。七福神がそのための参考になれば幸いです。(杉)

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧