書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。
みなさん、暑いですね。こういうときはちゃんと水分を摂って、熱中症にならないようにお気をつけください。そして涼しい部屋に戻ったら、ぜひ楽しいミステリーを。今月も七福神をお届けします。
(ルール)
- この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
- 挙げた作品の重複は気にしない。
- 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
- 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
- 掲載は原稿の到着順。
北上次郎
『ゲルマニア』ハラルト・ギルバース/酒寄進一訳
集英社文庫
1944年のベルリンを舞台に、ユダヤ人の元刑事が、ナチス親衛隊に依頼されて殺人事件の捜査に乗り出すという異色作。フィリップ・カー『偽りの街』を思い出す。空襲にあいながら捜査を続けるのが面白い。続編を早く読みたい。
吉野仁
『ゲルマニア』ハラルト・ギルバース/酒寄進一訳
集英社文庫
1944年、第二次世界大戦末期のベルリンにおいて、ユダヤ人の元刑事がSSから猟奇殺人事件の捜査を命じられるという、この基本設定だけで、すでに面白さは保証されているようなもの。全編に緊迫感が漂っているのだ。加えて、起伏ある展開や織り込まれたサスペンスなどにより、ページをめくらせる力は強く、なるほど新人とは思えない作品に仕上がっている。肝心の猟奇殺人にまつわる部分が弱いと感じたものの、人物同士の微妙な関係の流れをめぐるドラマが良く、続編への期待は増すばかりだ。
川出正樹
『夜が来ると』フィオナ・マクファーレン/北田絵里子訳
早川書房
最後の一段を読み終えて、しばし余韻に浸った後、冒頭に戻り再び読み始めてしまった。「ルースが朝の四時に目を覚ますと、ぼんやりとした脳が“トラ”と言葉を発した」という不思議な一文で幕を開ける二人の女性の物語を。
家に“トラ”がいると実感した翌朝、オーストラリアの海辺で一人暮らす老女ルースのもとに突如現れた大柄な女性フリーダ。自治体から派遣されてきたヘルパーとしてルースの面倒を見始めた彼女に対して、ルースは戸惑いつつも、これまでの人生について語り始める。宣教師の娘として暮らしたフィジーでの艶めいて光り輝いていた少女時代、父の診療所を手伝いに来た青年医に寄せた淡い思い、亡き夫との日々、そして遠地で暮らす二人の子供たちとの関係。
だが、適度な緊張感を保ちつつもゆったりとした日々を過ごしていたルースが、記憶の曖昧さを自覚し始めた当たりから物語は様相を変え始める。それまで折に触れてルースが感じていた、何か切実なことが自分の身に起こりつつあるという逃げ場のない切迫感が俄に濃密になり、危うい展開から目が離せなくなる。哀しみと幸せ、諦念と執着、そして波乱と平穏がない交ぜとなって胸に迫るサスペンスの逸品だ。
霜月蒼
『エンジェルメイカー』ニック・ハーカウェイ/黒原敏行訳
ハヤカワ・ミステリ
テリー・ギリアムとモンティ・パイソン、あるいは『未来世紀ブラジル』なんかを想起したのである。世界を滅ぼす謎の機械。世界を滅ぼそうとする悪の大物。その企てに、単身立ち向かうヒーロー。そんな007のような物語を骨格に、イギリスのインテリらしいユーモアとヒネクレを積み上げて構築した大作である。ヘンな話だし、脱線をくりかえすくせに構成は妙に緻密。プロットもときどき迷子になりかけるので読んでいて不安になるが、ちゃんと本筋に戻ってくるし、清く正しいカタルシスまで到来するのである。
『モンティ・パイソン』でやっていたアニメの感じでテリー・ギリアムが映像化するとおもしろいんじゃないかな。ギリアムはアメリカ人だけど。
千街晶之
『エンジェルメイカー』ニック・ハーカウェイ/黒原敏行訳
ハヤカワ・ミステリ
今年度の海外ミステリの大本命、ついに登場! 職人の祖父と大物ギャングの父をもつ機械職人が、あり得ないほど精密な謎の機械に関わった時、彼の周囲で怪しげな人々が出没し、さまざまな組織が陰謀を開始する。著者の奔放な想像力と巧みなストーリーテリングのもと、主人公の境遇は二転三転、次第に窮地へと追い込まれてゆく。果たして彼に逆襲の機会はあるのか、そして世界の運命は? 七百ページを超える大作だが、壮大な構想と緻密なディテールの融合から成る物語は、まるでシェヘラザードの語りのように読者を魅了して離さない。ローレンス・ノーフォークの『ジョン・ランプリエールの辞書』のような小説がお好きな方には特にお薦めしたい。
酒井貞道
『エンジェルメイカー』ニック・ハーカウェイ/黒原敏行訳
ハヤカワ・ミステリ
世界を破滅させる兵器に関しての騒動に、主人公が巻き込まれるという壮大なグランドデザインを描いた上で、そこに大小さまざまな《各登場人物のエピソード》を挿入した、圧倒的に盛りだくさんな小説である。
正直なところもっとスマートにまとまった方が好みに合うのだが、様々な人物の思惑、感情、感傷そして矜持が入り乱れる様が、とても面白いことは認めざるを得ない。善悪への問いかけ、登場人物の描き方、クライマックスでの主人公サイドの反転攻勢などには、伊坂幸太郎との近似性も見出せると思います。
杉江松恋
『エンジェルメイカー』ニック・ハーカウェイ/黒原敏行訳
ハヤカワ・ミステリ
WEB本の雑誌の連載にも書いたけど、2015年はあとで、みんながニック・ハーカウェイを読んだ年として思い出すことになるんじゃないかな。1988年がトレヴェニアンを読んだ年であったように。そして、1993年がドン・ウィンズロウの年であったように。
なるほど、前作『世界が終わってしまったあとの世界で』が多少読者を選ぶ性格の本であったことは認めよう。そのくらいの読みにくさくらい、辛抱して読まないといい物語にはめぐり合えないよ、と思うけど渋々認めよう。今回のハーカウェイは万人向け、どなたが読んでも抜群におもしろいエンターテインメントなのである。このあいだ北上次郎さんにお会いしたとき、「マッコイが褒めている時点で俺には合わないと思ったよ」と言われちゃったけど、違うんですよ北上さん。だってこれはイケてない三十路男が自分自身の弱さを克服して立ち上がり自らの一族が抱えた問題に対面しながら世界の破滅を救うために闘う話で男装の麗人スパイやら化学廃棄物セックスが大好きな美女やら(それにしても気の強い女が好きだなハーカウェイ)象さん部隊やら爆走する武装機関車秘密基地やらマッド・サイエンティストやらがぞくぞく登場する仕掛けいっぱいギミックいっぱいギャグ盛りだくさんでもちろんがつんと感動させられるという本物の冒険小説なんだから。
というわけで今月どころか今年の一冊としてニック・ハーカウェイ『エンジェルメイカー』を推す次第です押忍。
そろそろ大作も出てきて、楽しみなことになってきた六月でした。この分だと今年も大豊作間違いなし。目移りしてしまいそうなときにはぜひ七福神をご活用ください。さて、来月はどんな作品の名前が挙がりますことやら。(杉)