書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 この連載が本になりました! 『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』(書肆侃侃房)は絶賛発売中です。

 (ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

 

  1. 千街晶之

    『私立探偵マニー・ムーン』リチャード・デミング/田口俊樹訳

    新潮文庫

     1940年代から80年代まで数多い作品を発表していたものの、いまひとつ全貌を掴みにくい作家だったリチャード・デミング。その日本オリジナル編纂の傑作選がついに登場した。これはミステリ翻訳史におけるひとつの事件と言っても過言ではないだろう。主人公は、戦地帰りで片足が義足の私立探偵、マニー・ムーン。腕っぷしの強いタフガイで(正当防衛とはいえ人もバンバン殺す)、関わる事件は裏社会の勢力争いや麻薬絡み……と紹介するとよくある私立探偵小説という印象を受けそうだが、実はこのムーン、最後に関係者一同を集めて名推理を披露する頭脳派探偵でもあるのだ。しかも彼が解く謎は、密室殺人、容疑者が留置場にいたという完璧なアリバイがある殺人、ムーンを襲って返り討ちにされた男が持っていた筈の拳銃が消えていた事件……といった不可能犯罪の数々。機械的トリックあり、意外な犯人や意外な動機あり、どう読んでも立派な本格ミステリである。もちろんハードボイルドと本格ミステリが融合した作風の小説家は他にも多いのだが、ここまでアクションと不可能犯罪を両立させた作家は稀だろう。理屈抜きに楽しめる一冊だ。

     

上條ひろみ

『夜明けまでに誰かが』ホリー・ジャクソン/服部京子訳

創元推理文庫

『自由研究には向かない殺人』にはじまる「向かない三部作」+前日譚でミステリクラスタを夢中にさせたYAからの刺客、ホリー・ジャクソンの新作『夜明けまでに誰かが』は、一気読み必至の傑作サスペンス。高校生四人、お目付け役の大学生二人の計六人が、キャンピングカーで春休みの旅行に出かけたところ、道に迷った挙句にタイヤがパンクし、携帯の電波も届かない人里離れた場所で立ち往生してしまいます。さらにキャンピングカーは何者かに狙撃され、狙撃者からメッセージが届きます。六人のうちの誰かがある秘密を抱えている、それを夜明けまでに明かさないと殺す……文字通り密な状態で、互いに疑心暗鬼になりながらも協力し合わなければならず、もちろん全員が何らかの秘密を抱えている……サスペンスが高まるしかない状況です。内向的で自分に自信のない主人公のレッドは、「向かない」三部作の優等生ピップとはまったくちがうタイプだけど、健気でやさしくてひたむきで応援したくなるキャラというところは似てるかも。お盆休みに読むなら本書がイチ推しです。

 リチャード・デミングの『私立探偵マニー・ムーン』(田口俊樹訳/新潮文庫)は、ありそうでなかったハードボイルド×謎解きミステリwithちょっぴりユーモアな作品集。こういうのを待ってたよ! 第二次世界大戦に従軍して右足の膝から下を失ったため義足を装着、元ボクサーで顔に傷跡あり、醜男呼ばわりされながらもなぜか女性にモテモテのタフガイ、マンヴィル・ムーンがとにかく魅力的です。

 犬好きさんに絶対読んでもらいたいのが、ブレイク・マーラの『ロンドン、ドッグパーク探偵団』(高橋恭美子訳/創元推理文庫)。犬飼いあるある満載で、カバーのイラストも可愛いし、帯の「登場犬」紹介もナイス! 愛犬を介した犬友たちのグループが殺人事件の謎を解く愉快なシリーズ第一作です。大酒飲みでも浮気者でももれなく自分の犬をめっちゃ愛しているのが微笑ましい。

 マシュー・リチャードソン『スパイたちの遺灰』(能田優訳/ハーパーBOOKS)はリーダビリティ抜群のディーヴァー絶賛案件。MI6の伝説のエージェント、スカーレット・キングが、諜報史が専門の冴えない准教授マックスに、半世紀にわたる諜報活動を綴った手記の出版を依頼。しかし直後にスカーレットは殺害され、マックスはMI5に追われることに。愛や裏切り、驚きの展開、スパイの矜持、陰謀満載のスパイ・スリラーです。スパイものはあんまり……という人にこそ読んでほしい。絶対におもしろいから。

 

酒井貞道

『夜明けまでに誰かが』ホリー・ジャクソン/服部京子訳

創元推理文庫

 人里離れた場所で、六人の若者が謎の狙撃犯に狙われて、キャンピング・カーの中から動けなくなる。この数時間の出来事をサスペンスフルに描き出すのが本書だ。襲撃開始までに六人のキャラクターやグループ内の立ち位置を素描して読者の印象に残した後、襲撃開始時の焦燥、脱出のための試行錯誤(計画時はちょっと楽しそうですらある)、不運としか言いようのないシビアな出来事、挫折の動揺が、淡白ながら迫真の筆致で描かれていく。そして六人相互の疑心暗鬼が炸裂する後半こそが本番である。彼らがそれぞれ抱えている秘密が徐々に暴露されていくのだが、『卒業生には向かない真実』で、何をするかわからない作家になったホリー・ジャクソンの特徴が炸裂する。即ち、登場人物にシンパシーや反感を抱かせたうえで、意外な事実と強烈な展開により、読者の脳をゆさゆさと揺さぶって来るのである。私の読書脳は今回も脳震盪を起こしました。また、FIVE SURVIVEという原題、『夜明けまでに誰かが』という邦題、いずれも気が利いていると思います。オススメ。なお今月の対抗馬はリチャード・デミング『私立探偵マニー・ムーン』です。安心して読める軽ハードボイルド&本格謎解き小説。お洒落な点にかけては無比です。

 

川出正樹

『反転領域』アレステア・レナルズ/中原尚哉訳

創元SF文庫

 いやはや面白いのなんの。今年読んだ新刊の中で、これほど夢中になってページを繰った作品もない。アレステア・レナルズのSF冒険活劇小説『反転領域』は、謎と企みとスリルに充ちた無類のエンターテインメントだ。

 時は十九世紀、舞台はノルウェー沿岸の北極圏を探索する小型の老朽帆船デメテル号。イギリス人の外科医師サイラス・コードは、未知の大建築物が存在するというフィヨルドを目指す同船に船医として雇われた。けれども慣れない船上生活に疲弊した彼は、薄暗い石壁をひたすらよろめき歩く悪夢に苛まれて阿片を常用するようになり、探検の中止と帰還を切望していた。やがて苦難の末、極寒の現地に到達した一行は、予期せぬ事態に直面する。

 内容を紹介できるのは全体の四分の一に当たるここまでだ。この章を締めくくる衝撃の一文に唖然としつつも、なるほどこういう設定なのかと納得して読み進めるが、まだまだこれは序の口で、以後どんどんと様相を変えていく物語に翻弄されワクワクしながら一気に読み通してしまった。いや、まさかこんな話になるとは思いもしませんでした。

 辛い航海の気晴らしにサイラスが綴っていた冒険小説と本編との奇妙な相関関係は何を意味するのか。サイラスの言動に常にダメ出しをし続ける女性の真意は何か。そして大建築物は誰が何の目的で作ったのか。終盤、次々と明かされる真相に、なるほどあれもこれも手掛かりだったのかと、作者の周到さに舌を巻く。

 SFの結構の中で語られるのは、まさに鏡明が唱えた冒険小説の定義、即ち「いかにして死に肉薄し、そこから生還するか」に忠実な、潜入・遂行・脱出の物語だ。SFだからと見逃すことなかれ。魅力的な謎と解明に、胸を熱くする冒険行に惹かれる人は、ぜひ読んで欲しい。傑作です。

 今月は、トリッキーな難事件に拳と頭をフル回転させて挑むヒーローの七つの軽妙な活躍譚が詰まったリチャード・デミング『私立探偵マニー・ムーン』(田口俊樹訳/新潮文庫)、脱出不可能状況の密閉空間で六人の若者が命がけの腹の探り合いをする羽目になるホリー・ジャクソン『夜明けまでに誰かが』(服部京子訳/創元推理文庫)、そして、一周ごとに短くなるタイム・ループの中で墜落を阻止すべく正解を捜して数学教師が奮闘する特異なタイムリミット・サスペンであるキャメロン・ウォード『螺旋墜落』(吉野弘人訳/電撃文庫)もお勧めです。

 

吉野仁

『夜明けまでに誰かが』ホリー・ジャクソン/服部京子訳

創元推理文庫

 高校生4人と大学生2人の若者6人がキャンピングカーに乗りキャンプ地に向かっている途中で思わぬトラブルに陥ったばかりか、正体不明の相手に銃で狙われ、車のなかに閉じこめられてしまった。6人のうち誰かが抱えている秘密を夜明けまでに明かさなくては命はないという。これYA小説だとあなどるなかれ。なんら容赦しない書きぶりはホリー・ジャクソンならでは。つぎつぎに予想もしない事態が起こり、夜明けまでに決着はつくのかとサスペンスは高まるばかり。読み出すと止まらない傑作は多いが、こちらは緊迫がつづくあまり、途中で休まないと息ができない体がもたないほどである。今月の、というより今年のベストに挙げたい出来映えだ。読みはじめてすこし甘く見ていたが途中で大いに驚かされたといえば、マシュー・リチャードソン『スパイたちの遺灰』も同様である。諜報史を専門としている准教授マックスのもと、伝説のMI6エージェント、スカーレットが手記を出版したいと近づいてきた。それは半世紀にわたる自身の諜報活動を記したものだった。しばらくは現在を描いた章よりも手記をもとにした過去の章が興味深いものだった。なにしろスカーレットは歴史的に有名なMI6局員の部下だったこともあり、ケンブリッジ・ファイブのエピソードなど史実があちこちに盛り込まれているのだ。しかし、驚くのはその先である。今年の春にI・S・ペリー『孔雀と雀』という傑作を堪能したものだが、こちらもスパイ小説ファンは必読だ。必読といえばジャンルの愛好者はとっくに手にとっているであろうリチャード・デミング『私立探偵マニー・ムーン』、その魅力はすでにネットやSNSで語り尽くされているかもしれない。パルプマガジンに掲載されたタフガイものにして謎解き探偵小説ものの傑作選で、この時代の私立探偵シリーズ好きならば中毒になる面白さだ。で、この主人公、戦争帰りの男マニー・ムーンは右脚の膝から下が義足だったが、マーク・グリーニー『アーマード2 極限死境』の主人公、米国務省外交安全保障局の警護官ジョシュ・ダフィーは左脚の膝から下が義足なのだ。つづけて読むとそのアイデアの使い方が興味深い。今回はアフリカのガーナにおいてダムの爆破計画に巻き込まれ、敵の陰謀に立ち向かう。グレイマン・シリーズとはまた違った現実味のある派手なアクションが愉しめる。アイデアを使ったサスペンスといえば、なんといってもキャメロン・ウォード『螺旋墜落』。息子が副操縦士をつとめるLA行きの旅客機に乗ったチャーリーだが、午前0時に機は墜落した。だが目覚めると午後11時1分の機内にもどっていた。繰り返すこのタイムループが終わるまでに彼女は機の墜落を食い止めねばならないという航空サスペンス。もうこちらは集中切らさず最後まで読むしかない。ポケミスのJ・B・ターナー『復讐の岐路』はNY市警の刑事が主人公で妻の不審死を警官の弟と協力して捜査していくと事件の背後に、という展開だが、敵の策略はじめいささか物足りなさが残った。がらっと変わってリツ・ムケルジ『裁きのメス』は、19世紀後半のフィラデルフィアが舞台である。医師リディアのもとに女性の水死体が運ばれ、当初は患者が自殺したのかと思われたが、やがて意外な事実が明らかになる。当時の生々しい解剖シーンなど本格的な医療ものでありばかりか、医師も被害者も女性であるなど多層的なテーマや趣向が盛り込まれた歴史ミステリで読みごたえあり。一方、明朗で軽妙な現代ものを求めるのであれば、そして犬を飼っているのならば、ブレイク・マーラ『ロンドン、ドッグパーク探偵団』だ。友人らと愛犬をつれて公園を散歩中、死体を発見したところ、その死んでいた人物はかつての犬の散歩仲間だった。小型犬中心にさまざまな愛犬が登場し、飼い主が探偵となる犬仲間ミステリ。殺人をのぞけば世界中のどこの都市の公園でもありそうなやりとりが楽しい。楽しいといえば、今月は余兒『九龍城砦 Ⅰ 囲城』に尽きる。擬音をそのまま文字にしたり、場所や時刻を体言止めの一文で記したり、「!」を多用したりするなど中華ラノベという感じの小説ながらも、ご存じ大ヒットした映画「トワイライト・ウォリアーズ 決戦! 九龍城砦」の原作本ゆえ、映画の世界を活字で味わう面白さでいっぱいだ。武闘シーンのみならず叉焼飯をはじめ香港飯が出てくると腹が鳴る危険な本でもある。

 

霜月蒼

『スパイたちの遺灰』マシュー・リチャードソン/能田優訳 

ハーパーBOOKS

 スパイ小説を読む楽しさは「何が起きているのかわからない」ところにあるのではないか、という気がする。敵を騙すために味方を欺き、さらにそれを幾重もの欺騙で覆う。ある意味でミステリよりも隠微で慎重な騙しが行なわれるのがスパイ小説であり、本書もそのひとつである。

 かつてイギリス情報部〈MI6〉の採用試験に落ち、以来人生すべて冴えない状態になり、辛うじて大学に教職を得て、ほそぼそと諜報史の研究者として糊口をしのいでいる主人公マックスのもとに、窮状から脱する機会が舞い込んだ。MI6で名を馳せた伝説的な元工作員スカーレットが、彼を名指しして「手記を託すから出版できるかたちに整えてほしい」という依頼をよこしたのである。この手記が真実であれば、大ベストセラー間違いなしだが……?

 こうして第二次世界大戦直後から冷戦へと至るスパイの黄金時代に暗躍したスカーレットの手記と、現在のスカーレットに翻弄される悩める大学教員マックスの物語が並行して描かれてゆく。前者は冷戦スパイ小説のスリルがあり、後者はスカーレットとマックスを密かに監視する「テンペスト作戦」を実行する勢力も描かれて、誰が誰を何によってどう騙そうとしているのかさっぱりわからない読み心地が、正統スパイ小説の愉悦をもたらしてくれる。マックスのダメ男ぶりなど、イギリスらしいユーモアも薄く敷かれており、ミック・ヘロンの「窓際のスパイ」シリーズが好みだった方に特におすすめします。

 ほか、リチャード・デミング『私立探偵マニー・ムーン』が最高にゴキゲンで楽しかった。マーク・グリーニー『アーマード2 極限死境』は、グレイマンとはうってかわって人間的で妻子もいるジョシュ・ダフィーもの。巨大ダム襲撃、ヘリ墜落地点の攻防など、いつもどおり戦闘場面の「マップ」の設定が見事で、楽しめました。

 

杉江松恋

  1. 『私立探偵マニー・ムーン』リチャード・デミング/田口俊樹訳

    新潮文庫

 あのリチャード・デミングの翻訳が出ると聞いてからずっと楽しみにしていたので、今月は『私立探偵マニー・ムーン』以外にはありえないという気持ちであった。なんと61年ぶりの邦訳らしい。高校生で偶然『クランシー・ロス無頼控』を手に取ったときは、まさかそれから40年近くなって新しいデミングの翻訳を読めるなんて、思いもしなかったことである。

 と懐旧譚風に書き始めてみたのだが、読んで驚嘆、ちっとも古くないし、むしろ新しい私立探偵小説の形を示してくれる佳作ではないか。物語の年代設定は第二次世界大戦後になっていて、主人公のムーンはフランス戦線で負傷して帰還したという設定だ。塹壕に頭から飛び込むか足から飛び込むかを一瞬迷ったがために、替えのきかない頭ではなくて足を一本失った、と嘯く。このアルミとコルクで拵えられた義足がなかなか便利な小道具になっていて、あるときは武器として、またあるときはムーンを窮地から抜け出させてくれる救命具としても機能する。さながらコブラのサイコガンである。

 さらにシニカルな彼のキャラクターが抜群にいいのですいすいと読まされてしまうのだが、一篇目を読んで驚いた。事務所で男性が殺され、唯一その部屋を出入りした女性が容疑者として疑われるが、ムーンはある根拠から彼女の仕業ではないと信じるという展開になる。ということはつまり密室もので、不可能犯罪じゃないか。慌ててページを繰っていくと、どの作品にも多かれ少なかれこうした不可能犯罪趣向とそれを成立させるトリック、推理が盛り込まれており、綺麗な謎解き小説の形になっていることがわかる。連作なので下手な作者が書くと似たりよったりの話が並んでしまうところなのだが、さすがストーリーテラーのデミング、読み味は微妙に変えてあり、トリックとキャラクターの絡みを軸にプロットを構成しているので、一つとして同じに見える話はないのであった。いや、参りました。

 一人称私立探偵小説は視点の不自由さから進行に混乱をきたすことがあり、それは物語構成上の宿命だと思っていた。その視点の不自由さを逆手にとってトリックが仕掛けられることもある。本作はそうした奇手に頼らず、正面切って私立探偵小説と謎解き小説の融合に挑み、見事に成立させている。こういう風に書くのだよ、と後進に教えているかのようである。

 

 パルプ作家と現代を代表するスリラー作家に票が集中しました。一般小説の味があるスパイ小説あり、SF冒険小説ありで、もちろんバラエティにも富んでおります。暑い夏を吹き飛ばす読書のひとときをどうぞ。また来月お会いしましょう。(杉)

 

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧