書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 この連載が本になりました! 『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』(書肆侃侃房)は絶賛発売中です。

 (ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。
  6.  

 

川出正樹

『銃を持つ花嫁』フィリップ・マーゴリン/加賀山卓朗訳

新潮文庫

 新潮文庫の《海外名作発掘》企画HIDDEN MASTERPIECESが始まって早三年、ライオネル・ホワイト『気狂いピエロ』(矢口誠訳)を皮切りに、ロス・トーマス『愚者の街』(松本剛史訳)、マット・ラフ『魂に秩序を』(浜野アキオ訳)など本当に面白い埋もれた名作が居並ぶラインナップに、四月、一気に三作が加わった。

 ある日を境に五年間口を閉ざしたまま奇妙な遺言を残して亡くなった母親の真意が判明する瞬間思わず絶句する、レバノン内戦に材をとったワジディ・ムアワッドの戯曲『灼熱の魂』(大林薫訳)。厳冬のマンハッタンで突発した不条理なマンハントが加速度をつけて破局へと突き進む様を活写するチェスター・ハイムズのパルプ・ノワール『逃げろ逃げろ逃げろ!』(田村義進訳)。そして、背中に回した右手に六連発銃を握り波打ち際に立つ、ウェディングドレス姿の女性のバックショットから着想を得たフィリップ・マーゴリンの大胆かつ周到に構築されたノンストップ謎解きサスペンス『銃を持つ花嫁』。いずれ劣らぬ面白さだが、悩んだときは趣味を優先ということで『銃を持つ花嫁』を推す。

 結婚式を挙げた日の深夜、太平洋に臨んだ自宅で裕福な実業家レイが射殺された。犯行直後、被害者のコレクションのアンティーク銃を手に近くの浜辺で立ち尽くしていたところを偶然写真に撮られた新妻メーガンに嫌疑がかかる。だが彼女は、脳震盪を起こすほど強打されていて、事件当時の記憶が無かった。十年後、くだんの写真でピューリッツァ賞を受賞し一躍キャリアを軌道に乗せた写真家キャシーの回顧展を訪れた小説家志望のステイシーが、この奇蹟のショットに触発されて創作欲を掻き立てられて当時の関係者に取材を始めたとき、新たな悲劇の幕が上がる。

 “銃を持つ花嫁”という蠱惑的な題材を核に二段構え三段構えにプロットを構築し、スピーディーな展開で次々と新事実を明かし、一気呵成に読ませる謎と企みに満ち満ちたエンターテインメントだ。真相が明かされた瞬間、ばら撒かれてきた赤い鰊の中に、あまりにも大胆不敵に配されていた手がかりに唖然とした。犯人宛の謎解きミステリとしては、映画「サスペリアPART2/紅い深淵」に通じるといっても過言ではない。

 かつて北上次郎氏が、「物語を面白く語ること、それに命をかけている作家」と表したフィリップ・マーゴリンの本領は、二十一年ぶりの訳出となった本書でも健在だ。騙されたい、翻弄されたい、驚きたい、そんな読者はMust Buy!

 

上條ひろみ

『骨と作家たち』キャロル・グッドマン/栗木さつき訳

創元推理文庫

 ニューヨーク州北部の山間部にある大学で、25年まえに非業の死を遂げた教授の追悼式がおこなわれることになり、その教え子たちが25年ぶりに再会。しかし、なぜか同窓生たちはひとり、またひとりと謎の死を遂げ、そしてだれもいなくなるのか?な展開に。おりしも大雪のため警察も駆けつけることができない状態。これ絶対みんな好きなやつでしょ!とうれしくなったのは、キャロル・グッドマンの『骨と作家たち』。自然豊かなキャンパスで展開される、ゴシック・ロマンス風味の謎解きミステリです。現在と25年まえの出来事が交互に語られるのですが、前半はいわばジェットコースターの登りの部分。ここでじっくりと怪しさ全開の登場人物たちの基本情報と微妙な引っかかりを楽しんだあと、最初の犠牲者が出たあたりから物語は一気に加速し、ノンストップでたどり着いた先には驚きの真相が待っています。最初に戻ってもう一度読みたくなるやつね。地味な苦学生と華やかなセレブ学生のあいだの危うい友情物語としても読み応えあり。

 GWはミステリーチャンネルで録画しておいたドラマ「刑事マシュー・ヴェン 哀惜のうなり」と「シェトランド シーズン7」を見まくって、個人的にアン・クリーヴス祭りでした。というわけで『哀惜』につづくシリーズ第二弾の『沈黙』(高山真由美訳/ハヤカワ文庫HM)は、待ってましたとばかりに一気読み。前作に負けず劣らずのおもしろさです。地道な捜査過程や複雑な人間関係が丁寧に描かれていて、読めば読むほど謎に絡め取られていく感じがたまりません。家族と決別した罪の意識から自由になれない実直なマシューだけど、パートナーのジョナサンとの穏やかな日常に救われているのね。ドラマで見たあの美しい海辺の家に住んでるふたりがうらやましい。

 イタリア版『太陽がいっぱい』のような、ジャンリーコ・カロフィーリオ『過去は異国』(飯田亮介訳/扶桑社ミステリー)も印象的でした。善良な大学生が悪に染まっていく過程があまりにも自然でぞっとします。犬好きならデボラ・ホプキンソン『こうしてぼくはスパイになった』(服部京子訳/東京創元社)ははずせません。主人公の愛犬リトル・ルーはおそらくキング・チャールズ・スパニエルでしょう。この子がスパイ活動に支障をきたしてしまうほどかわいい! 大型犬好きにはスティーヴン・キング『フェアリー・テイル』(白石朗訳/文藝春秋)がおススメ。こちらはジャーマンシェパードがいい仕事をしてます。

 

千街晶之

『灼熱の魂』ワジディ・ムアワッド/大林薫訳

新潮文庫

 ミステリの世界には奇妙な遺言がしばしば登場する。双子の兄弟のうち長生きしたほうが全財産を受け継ぐとか(ロジャー・スカーレット『エンジェル家の殺人』)、三人の男孫のうち一人と結婚することを条件に恩人の娘に全財産を譲るとか(横溝正史『犬神家の一族』)。レバノン生まれでカナダ在住の劇作家ワジディ・ムアワッドの戯曲『灼熱の魂』に出てくる遺言も、それらに劣らず奇妙なものだが、これほど痛切な想いが秘められた遺言もまたとないだろう。ジャンヌとシモンという双子の姉弟は、死んだ母親ナワルの遺言の内容を公証人から告げられる。自分の亡骸は棺に入れず、裸のままうつ伏せで埋めること。ジャンヌは父親を探し出し、公証人から渡された手紙を渡すこと。シモンは兄を探し出し、公証人から渡された手紙を渡すこと……。だが、ジャンヌもシモンも自分たちの父親は死んだと聞かされており、兄がいることも知らなかったのだ。五年前から誰にも口を利こうとしなくなっていたナワルの真意は奈辺にあったのか? 双子が母親の過去を探るスタイルで次第に明かされる、ナワルが戦禍の中で辿った苛酷すぎる生涯。虐殺、強姦、拷問、永遠に終わらない報復合戦……そして双子が最後の真実に到着した時、遺言に籠められたナワルの想いが明らかとなるのだ。日本ではドゥニ・ヴィルヌーヴ監督が撮った映画版を先に観て内容を知っている人も多い筈だが、戯曲であるぶん、映画や小説よりも読者が行間を想像する余地がある。ひたすらやりきれない真相に打ちのめされる作品だけれども、まさに今、現実の世界で繰り広げられている最悪の地獄をシンボリックに凝縮した傑作だ。

 

霜月蒼

『過去は異国』ジャンリーコ・カロフィーリオ/飯田亮介訳 

扶桑社ミステリー

 青春小説と犯罪小説は相性がいい。どちらも、終わりの予感を感じながらも、つかの間のカラフルな昂揚に耽溺する物語だからだろう。あらかじめ喪失の決まっている歓喜の物語とでも言おうか。イタリア作家カロフィーリオの『過去は異国』は、その新たな作例である。

「僕」で語る主人公は20代前半の大学生である。いまでは真っ当な社会人となっている彼のもとを、その過去を知るという女性が訪れることで「僕」は回想に引き込まれ、物語ははじまる。カリスマ的な魅力をもつ美青年フランチェスコと知り合った「僕」は、彼のイカサマ博奕の相棒となり、博奕と恋愛と享楽の日々に溺れてゆく。刹那的で愚かしいけれど、そうであるがゆえの尊さの輝く不道徳の時間が切なく美しい。だが徐々にふたりは深刻な犯罪への足を踏み入れてゆき、一方で連続レイプ犯を追う官憲の動きが随所に挿入されて、破滅と喪失の匂いが濃く立ち込めてゆく。

 犯罪小説も青春小説も、プロットにバリエーションは多くない。極言してしまえば、喪失か獲得の二択であり、たいがいの場合は前者だ。だから問題は「どう書かれているか」にある。カロフィーリオの語りは、美しくあるのと同時に、主人公の罪悪感を映す悪夢じみた不安のイメージをちりばめる。それが読む者の心の底にある記憶を媒介にして、刺さってくるのだ。

 

酒井貞道

『沈黙』アン・クリーヴス/髙山真由美訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 デヴォン州北部で警部を務める、マシュー・ヴェンが主人公のシリーズの第二弾である。アン・クリーヴスの魅力は、意外と伝えづらい。丁寧に人物を素描し、丁寧に人間ドラマを点描方式でじっくり描き出しつつ、丁寧に謎を解きほぐし、丁寧に情感を盛り込む。丁寧に寓意表現すら盛り込む。そしてそれら全ては、真相・プロットの丁寧な設計に裏打ちされており、ミステリとしての起承転結にも間然とするところがない。つまり、何もかもが丁寧なのである。こういう作風では、紹介するこちらも興奮しながら語りづらい。じっくりじわじわ胸に沁みてくるタイプの小説なので、鼻息荒くまくし立てることができず、未読者には地味な印象を持たれてしまうかもしれない。おまけに、気読者の印象に最も残るのは、恐らくほぼ毎回、真相または事件の結末なのだ。未読者に一番の魅力を語ろうとした瞬間に、ネタバレになってしまう。これでは本当に語りにくい。『沈黙』もそういう作品である。地域の保健サービスを監督していた男が、娘のガラス工芸作品で殴られて殺される。この事件の描写過程で、関係者やシリーズ・レギュラー陣のそれぞれの人間ドラマが、ゆっくりと花開いていく。その果てに、なかなか心に来る真相が明らかにされる。その過程、その結末、全てが本当に丁寧に描かれている。これぞ現代イギリス本格ミステリの精華。でも読んでいただかないと、わかってもらえないだろうなあ(ネタバレして良ければもうちょっと語れるけれど、無理ですからね)。

 

吉野仁

『逃げろ逃げろ逃げろ!』チェスター・ハイムズ/田村義進訳 

新潮文庫

 まさかまさかまさかチェスター・ハイムズが令和のいま邦訳されるとは予想だにしなかった。『逃げろ逃げろ逃げろ!』は最初フランスで1959年に発表された長編なのだ。しかし読みはじめるとその驚きと喜びだけで終わらない。舞台はニューヨーク、年の暮れに酔った白人警官が自分の車を盗まれその腹いせのような形で夜間の黒人清掃員を殺してしまうというのが物語の発端。なんていかれた話だ。理不尽で不条理なサスペンスを感じる一方、この時代のアメリカに生きていない自分は、人種差別意識とその構造などの問題をどうしても頭で理解しようと考えてしまうのでやっかいだ。それでいえば、ワジディ・ムアワッド『灼熱の魂』もギリシア悲劇を思わせる展開に驚きつつ、このミステリ劇のなかで暗示されている実際のできごとや歴史については教えてもらうことでしか理解に近づかないからもどかしい。しかし戯曲を読むというのも面白い読書体験だった。豊作がつづく新潮文庫のもう一冊、フィリップ・マーゴリン『銃を持つ花嫁』は、あるモノクロ写真、花嫁姿の女性が海にむかって立ち、その手に拳銃が握られている作品がモチーフとなっている異色作。リーガルスリラーの名手がひねりにひねったサスペンスをつくりあげて、すごい。なにもかも一枚上手のマーゴリン。帯に文芸スリラーとあるイヴ・ラヴェ『迂回』は、シチリア旅行に訪れた夫婦が、何もかも思うように事が運ばず、すべてあいまいなまま旅をつづける物語で、わたしはこの小説の主人公の名がアメット(Hammett)・メルヴィルであるからたぶん「バートルビー」と『マルタの鷹』が下敷きではないかと思い、たいへん考えさせられ興味深く読んだ。ジャンリーコ・カロフィーリオ『過去は異国』はイタリア作家によるサスペンスで、大学生の主人公がいかさまポーカー師の相棒をつとめるようになる青春犯罪ものなのだが、たしかにハイスミス『太陽がいっぱい(リプリー)』を思わせる面が全編にわたって感じられた傑作だ。エミコ・ジーン『鎖された声』は、二年前に失踪した少女が戻ってきたが彼女は行方不明になっていたことについて何も語らなかった、というサスペンス。読んでいて辛い気持ちになった。あと、この物語の時代がいったいいつなのかと迷う書き方をしているのが気になった。カミラ・レックバリ&ヘンリック・フェキセウス『奇術師の幻影』は、三部作の完結篇で「驚愕のドンデン返し」があると知ったうえで読み、確かにまさかの結末ながら、前二作を読み返す余裕がないのは恨めしい。アルネ・ダール『円環』は、作者の新シリーズで捜査班Novaのチームが活躍する。エコ・テロリストの容疑がかかる元警部をそのかつての部下が追うという物語ながら、これもひねりがすごく効いている。アン・クリーヴス『沈黙』は『哀惜』につづく刑事マシュー・シリーズ第2弾。患者救済組織の所長が何者かに殺され、それを発見したのが所長の娘、というのが物語の発端でベテラン作家だけに人物と人間関係をじっくり描いていて読ませる。だが視点人物がつぎつぎ変わるため頭の悪いわたしは人物表が添付されていて助かった。キャロル・グッドマン『骨と作家たち』は、大学キャンパスを舞台に、かつて悲劇的な死をむかえた教授から創作を学んだ教え子たちが集まり、現在と〈あの頃〉が交互に語られるなか事件がいくつも起こるだけにとどまらず、ミステリや文芸に関する話題も盛り込まれて興味深い。本の話題と言えば、スティーヴン・キングの大作『フェアリー・テイル』を読むと、あらためてキングはダン・J・マーロウ『ゲームの名は死』が心の底からお気に入りなのだなと思ったものだ。そして、愛犬とともに旅に出る異世界冒険を本当らしく感じさせるために前半「サルでもわかる在宅介助」を徹底して書きこんでいるのも恐れ入るばかり。C・J・ボックス『暴風雪』は、行方不明となった英国女性を探す話で、牧場、養魚場などが印象に残ったほか、もちろん行ったことなどないワイオミングの厳寒の風景などを勝手に思い浮かべながら先の読めない物語を楽しんだ。楽しんだといえば、デボラ・ホプキンソン『こうしてぼくはスパイになった』は、第二次世界大戦註のロンドンで暗号解読に挑む少年少女の物語。シャーロック・ホームズからの引用もふんだんにあるだけでなく、相棒となる救助犬の登場もうれしい探偵スパイものなのだ。

 

杉江松恋

『円環』アルネ・ダール/矢島真理訳

小学館文庫

 しかし、アルネ・ダールはなんでこんなに毎回、あらすじの紹介しにくい話ばかり書きますかね。

 国際犯罪社会化したスウェーデンで組織された特務チームを主人公とする群像警察小説『靄の戦慄』で初めて日本に紹介されたダールは、その後しばらく邦訳が途絶えていたが、『時計仕掛けの歪んだ罠』で再注目されることになった。これがあらすじを書くことが極めて難しい作品だったのである。しかも続篇が出た。その『狩られる者たち』の解説は私が書いたのだが、まったくあらすじを書けない作品の続篇はどうやって紹介すればいいのか。頭を悩ませた覚えがある。

『円環』もまたそういうたぐいの小説だ。さすがに『時計仕掛けの歪んだ罠』『狩られる者たち』ほどに手のつけようもない感じではないのだが、一度ああいう作品を読まされると疑心暗鬼に駆られてしまう。ここでそうだと思いこまされていることは、後でひっくり返されてしまうのではないか、とびくびくしながらページをめくることになるのである。『円環』という題名は、犯人が現場に残した奇妙なシンボルから採られているのだが、これだって何を意味するのかわかるまで落ち着かないではないか。

『靄の戦慄』に似たチーム捜査小説として始まる。エコ・テロリストの仕業と思われる爆殺事件が相次ぐ。某国大統領のように環境問題を軽視する政治家と手を組んでばんばん二酸化炭素を排出しようとする企業家などが、どばどば吹き飛ばされていくのである。捜査当局は犯人のものと思われる謎のメッセージを入手していた。チームを率いるエヴァ・ニーマン主任警部はそれを見て動揺する。自分が捜査のABCを教わったかつての上司、現在は警察を辞めて行方不明になっているルーカル・フリセルの口癖がメッセージの中に記されていたからだ。彼が真犯人である選択肢を排除せず、ニーマンは捜査を進めていく。

 書いていいのはこれくらいで、後はダールの語りに身を任せてページを繰ってもらうしかない。複数視点の物語なので、ほのめかしや伏線かどうかわからない記述も多く、宙吊りの感覚がずっと楽しめるはずだ。たぶん続篇も出ると思う。そっちも安心できない内容なのかなあ。

 

 ひさしぶりに全員がばらばらの4月でした。豊作ってことですかね。おひさしぶりの古典から新人まで、バラエティに富んでおりました。来月もこんな感じだと読む本が増えて大変ですねえ。ではまたお会いしましょう。(杉)

 

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧