書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。
この連載が本になりました! 『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』(書肆侃侃房)は絶賛発売中です。
(ルール)
- この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
- 挙げた作品の重複は気にしない。
- 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
- 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
- 掲載は原稿の到着順。
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千街晶之
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『デスチェアの殺人』M・W・クレイヴン/東野さやか訳
ハヤカワ・ミステリ文庫
「すみません、アンソニー・ホロヴィッツとM・W・クレイヴンとベンジャミン・スティーヴンソンを同じ月に出さないでいただけますか?」と東京創元社と早川書房とハーパーコリンズ・ジャパンに贅沢な文句を言いたくなるほど、九月は月間ベストどころか年間ベスト級の本格ミステリの傑作が揃い踏み状態だった。その中から選んだのはM・W・クレイヴンの『デスチェアの殺人』。お馴染み、「刑事ワシントン・ポー」シリーズの最新邦訳である。発端は、カルト教団の指導者が木に縛られ石を投げつけられて殺されるという凄惨な事件。だが、ポーたち重大犯罪分析課の面々が捜査を進めてゆくと、それどころではない陰惨な事実が明るみに出る。その事実というのはこのシリーズ中でも極悪非道ぶりにおいて一番であり、ひたすら胸糞が悪いとしか言いようがない。にもかかわらず、終盤のどんでん返しの畳みかけにはわくわくさせられるので、本書全体の感想としては「最低の出来事が描かれているのにミステリとしては最高に面白い」となる。こんな矛盾した読み心地の作品はなかなかない。シリーズ最高傑作と言っていいだろう。なお他の二作も、スティーヴンソンの『真犯人はこの列車のなかにいる』は前作『ぼくの家族はみんな誰かを殺してる』より地味に見えつつ、実は作者が苦労と楽しみをほぼ同じくらい味わいながら書いたであろうことが察せられるフェアプレイの極致のような異常本格ミステリだし(『デスチェアの殺人』と同じ月でなければこれを月間ベストに選んでいた)、ホロヴィッツの『マーブル館殺人事件』も作中作の扱いに工夫が感じられる成功作で、是非これらも読んでいただきたい。
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上條ひろみ
『宮廷医女の推理譚』ジューン・ハー/安達眞弓訳
創元推理文庫
どちらも上下巻の『マーブル館殺人事件』と『デスチェアの殺人』を立て続けに読んで深刻な睡眠不足に陥り、ようやく眠れると思ったら金縛りにあいました。恐るべし9月刊の本たち。おもしろすぎて絶対に眠らせてくれません。もちろんどちらも超弩級にお勧めなのですが、それはもう皆さん充分ご存じかと思うので、9月はあえてこちらで。アメリカ探偵作家クラブYA部門受賞作、ジューン・ハー『宮廷医女の推理譚』(安達眞弓訳/創元推理文庫)。朝鮮王朝時代の若き宮廷医女(イニョ)と捕盗庁(ポドチョン)の青年が殺人事件の謎に挑むバディもので、謎解きの楽しみはもちろん、血生臭い宮廷スキャンダルあり、迫力のアクションシーンあり、むずキュンロマンスありで、韓国ドラマ(特に朝鮮王朝もの)ファンにぜひお勧めしたい一冊です! これでもかと流血シーンがあるのに、なぜかめっちゃ爽やかな読後感なんですよ。韓国ドラマを見ていると必ず出てくる歴史的用語は、訳註で詳しく解説してくれるし、巻頭には用語集もついているので安心。韓ドラ初心者もぜひトライして沼落ちしましょう。著者のジューン・ハーは韓国生まれですが、三歳でカナダに移住したため英語で執筆しており、日本生まれイギリス育ちのカズオ・イシグロと同じディアスポラ作家です。
アンソニー・ホロヴィッツ『マーブル館殺人事件』(山田蘭訳/創元推理文庫)は、〈アティカス・ピュント〉シリーズ第3弾。毎回緻密な謎解きで驚かせてくれるホロヴィッツさん、最後にすべての謎が解けたときの爽快感たるや、ミステリ読みでよかった!と幸せを噛み締めたくなるレベルで、まさに匠の技。癖つよなクレイス家の人たちに振り回される苦労人編集者スーザンには幸せになってほしい。
M・W・クレイヴン『デスチェアの殺人』(東野さやか訳/ハヤカワ文庫)は「えっ、そんなの聞いてないんですけど」と読みながら不安になるのでできるだけ帯を見ないようにした方がいい気がするけど、それもまたサスペンスに一役買っているのかも。思わぬところに企みが隠されていて、最後まで気を抜けません。ポーがライナスを「スヌーピー」と呼びつづけるのがツボ。
マイクル・コリータ『穢れなき者へ』(越前敏弥訳/新潮文庫)もずっしりとした読み応えでお勧め。クルーザーで七人が惨殺されるという壮絶な事件に、メイン州の小さな島の過酷な暮らしと歪んだ人間関係が絡み、なかなか先が読めない展開です。これまでのコリータ作品とは一味違い、ちょっとルヘイン風味のエモさを感じます。
吉野仁
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『デスチェアの殺人』M・W・クレイヴン/東野さやか訳
ハヤカワ・ミステリ文庫
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〈刑事ワシントン・ポー〉シリーズの最新作、第6作『デスチェアの殺人』は、怪しいカルト教団で起こった殺人をめぐる事件を扱ったものだ。『ボタニストの殺人』がとんでもない傑作だったので期待して読みはじめたものの、前半はわりと淡々としていて、これではどうかなと思った矢先、ある場面で描かれる残虐シーンがあまりにもおぞましく読んでいられないほどだった。で、それからが驚きの連続だ。やはりクレイヴンはただ者ではない。でも比べるとまだまだ『ボタニスト』ほどじゃないかな、と思ったら、とんでもない驚愕が控えていた。ったく、どこまで驚かせるのかこの作家は。驚きの連続が得意な書き手といえば、なんといっても巨匠ジェフリー・ディーヴァーだ。今回の『スパイダー・ゲーム』は、警察出身の新人作家イザベラ・マルドナードと共作した新シリーズで、女性の連邦捜査官がサイバー犯罪専門家の教授とコンビを組んで活躍する。ふたりが追うのは腕にクモのタトゥーを入れた男だ。コンビ探偵対怪人の犯罪ゲーム戦がくりひろげられ、もちろんディーヴァーならではの仕掛けとドンデン返しもたっぷり盛り込まれたぜいたくな娯楽作である。と、9月は年末の各誌ランキング狙いもあって、各社から強力な目玉がつぎつぎに刊行されている。アンソニー・ホロヴィッツ『マーブル館殺人事件』は、『カササギ殺人事件』にはじまるシリーズ第3弾で、今回も〈アティカス・ピュント〉ものが作中作として登場し、そして編集者スーザン・ライランドが現実の事件に巻き込まれる構造自体は前二作と同じ。なのだが、その作中作を書いたのが新たな若手作家で、そこにある企みが仕掛けられているというひねった展開なのである。解説を担当したので挙げなかったが、もちろんこれも文句なし今月のベスト。で、犯人探しの本格ミステリといえば、ベンジャミン・スティーヴンソン『真犯人はこの列車のなかにいる』は、前の『ぼくの家族はみんな誰かを殺してる』の続編で、今回は有名作家が乗り合わせる豪華列車のなかで連続殺人が起こるというものだ。前回同様、語り手の「ぼく」はノックスの十戒など黄金期本格推理もののルールやお約束を語っていくメタ手法だけでなく、今回はミステリ作家の業界話なども盛り込まれていて、より面白さが増している。そのほか、まだまだ私好みの最高な作品があって、ひとつは、マイクル・コリータ『穢れなき者へ』だ。クルーザーで発見された七つの遺体の事件と父親から暴力をうけていた少年が廃屋に隠れていた女性をかくまう出来事がそれぞれに語られていくのだが、この二つの話が交互に描かれ、視点人物に危機が迫るなど最高潮になったところで場面が切り替わるというクリフハンガー手法がじつに巧みに導入されている。ページをめくらずにおれなくなるのだ。ことしの収穫、必読です。もうひとつは巨匠エルモア・レナード『ビッグ・バウンス』。12年前に亡くなったレナードは生きていれば今年ちょうど100歳だ。これはもともとも西部劇の書き手だったレナードが現代クライムのジャンルに挑んだ最初の作品で、主人公は盗みを働く流れ者の悪党だが、小悪魔めいた娘の登場で思いもよらないほうへ話は向かっていく。作中、レナード自身の書いた西部劇短編の映画化作品を主人公が見る場面があり、そうしたお遊び洒落を含めて最後の最後まで興奮させられた。馬伯庸による『風起隴西 三国密偵伝』は、「三国志」の時代を舞台にしたとはいえ豪傑や英雄が主役ではなく、間諜たちが敵の国に侵入し活動するというスパイものだ。歴史や当時の様子などまったく知らない私ながら、詳細に濃密に描かれた場面場面をじっくりと楽しんでいった。時代も風俗も知らないといえば、ジューン・ハー『宮廷医女の推理譚』は、18世紀中ごろの朝鮮王朝期が舞台なので、ますます疎い。しかし、MWAエドガー賞YA部門を受賞しただけあって、そしてルビや注釈などにも助けられ、苦もなく読んでいくことができた。ヒロインの医女と従事官青年がコンビを組んで殺人事件を探偵するのだが、知らない世界が斬新だったのに加え、意外に私はふたりのロマンスの部分もすごくよい感じで最後まで満足でした。
霜月蒼
『風起隴西 三国密偵伝』馬伯庸/齊藤正高訳
ハヤカワ・ミステリ
「ル・カレ系スパイ・スリラー」というのはよく見る売り文句であるが、本当にル・カレっぽい作品はめったにないことは皆さんご存じかと思うが、なんとなんと、あの冒険小説の名作『両京十五日』の馬伯庸の新作『風起隴西』は、欧米でもめったにないル・カレ調のスパイ小説なのである。
題名が暗示するように本作は魏・呉・蜀がしのぎを削る三国時代を舞台とする歴史小説。『両京十五日』がそうだったように、それを歴史小説ではなくスリラーの筆致で書くのが馬伯庸である。主人公はジョージ・スマイリーを思わせる蜀の防諜担当・荀詡。蜀の新兵器の情報を狙う魏の工作員が国内に潜入していることを知った彼は新兵器奪取作戦を阻止しようとするが、やがて蜀の高官にまで登りつめた魏のスパイ〈燭龍〉の存在に気づく……。
冷戦スパイ小説をお手本にしたと著者はあとがきに書くが、大立ち回りではなくアーカイヴ内の莫大な記録をあたってスパイの偽装や陰謀の兆候を読み取ろうとする地味な面白さはまさにジョン・ル・カレ。いわば本作は『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』meets『スマイリーと仲間たち』。おまけに最後にはロバート・リテルかよ!というような驚きまで仕掛けてあるから、ミステリでもあるのだ!
敵国から亡命してきた将軍のもたらす爆弾情報。帰ってきたスパイのデブリーフィング。封鎖された国境線。密殺される非合法工作員。馬伯庸は「お約束」の効果を最大限に引き出してみせるのが本当に巧い。あとがきで二次創作みたいなものだと謙遜するが、これほどのスパイ・スリラーはめったに書けるものではないのである。
もうひとつ、ガブリエーラ・ザール『革命と戦火の娘たち』も。こちらは革命下のモスクワと独ソ戦の戦場を舞台に、ふたりの戦う女を描く冒険小説。単にパワフルなだけでなく悲痛な決意に彩られた力作で、ケイト・クインのファンはお見逃しなきよう。
川出正樹
『真犯人はこの列車のなかにいる』ベンジャミン・スティーヴンソン/富永和子訳
ハーパーBOOKS
名探偵による謎解きを主眼とした所謂本格もののトップランナーたる三人の傑作が揃い踏みした九月、一作しか推せないのが本当に悩ましい。
一つ目は、読者が心ゆくまで謎解きを堪能できるように神業級の巧みさで作品を作り込むアンソニー・ホロヴィッツによる《名探偵アティカス・ピュント》シリーズ第三弾『マーブル館殺人事件』。代作者による人気シリーズの続編を巡る思惑が幾重にも絡み合った、作中の虚実が呼応する精緻な入れ子構造の堂々たる逸品だ。
二つ目は、現代の警察官主人公型謎解きミステリの最前線かつ最高峰である《刑事ワシントン・ポー》シリーズの第六弾『デスチェアの殺人』。常に前作と異なる趣向を凝らし、読者の予想の先を行くスリリングかつスピーディーな展開でページを繰らせる作者M・W・クレイヴンが今回仕掛けた大胆不敵な逆転劇は、私が知る限り前例のないもので、思わず唸ってしまった。シリーズが進むにつれて、マンネリに陥るどころかますます完成度が上がっていく。恐るべしM・W・クレイヴン。
どちらが年間ベスト1に輝いても納得の二作だけれども、今月は『真犯人はこの列車のなかにいる』を推す。理由は、オーストラリア発の新鋭ベンジャミン・スティーヴンソンの凄さを一人でも多くのミステリ・ファンに知ってほしいからだ。『ぼくの家族はみんな誰かを殺してる』(原題Everyone in My Family Has Killed Someone)という刺激的なタイトルに違わぬ破天荒なれど精緻に構築された謎解きミステリで昨年度日本に初めて紹介され、本格ファンの琴線に触れたベンジャミン・スティーヴンソン。親族が一堂に会した吹雪の山荘での連続殺人という定番ネタの上で、嘘つきで人殺しばかりの“ぼく”の家族全員が容疑者というぶっ飛んだ設定の謎解きミステリを構築した作者が次に選んだ舞台は、オーストラリア大陸を縦断する豪華列車だ。推理作家協会主催のフェスティバルが催される動く閉鎖空間での連続殺人の謎を、前作同様に作家にして“信頼できる語り手”兼探偵役の“ぼく”が、やむにやまれぬ事情から色々と酷い目に遭いながらも解明する。あくまでも公平な謎解きに徹すると宣言した上で、ウィットに富んだ軽妙な語り口の中に周到に伏線を張り入念に手掛かりを潜ませて語られる隅々まで目配りの行き届いた謎解きミステリの逸品だ。黄金期探偵小説の香気を放ちつつ、現代の世相や価値観に根ざし、遊び心に富んだベンジャミン・スティーヴンソンの傑作を堪能あれ。
酒井貞道
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『骰を振る女神』ジョエル・タウンズリー・ロジャーズ/夏来健次訳
国書刊行会
中篇1篇、短篇2篇から成る作品集である。表題作は、ピカレスク・ロマンに、オカルティズムにすら足を踏み入れた《奇怪な運命》を混ぜた作品。コンセプトはだからとても珍妙ながら、酩酊感や熱病感すらある作者の語り口が、ノワールっぽいストーリーに絶妙にマッチしている。「ピンクのダイヤモンド」は、宝石強盗の物語が、早々に物語の枠がぐにゃぐにゃ歪み始めて、クライムノベルから、サプライズを明らかに企んでいるのがわかる異色ミステリに変容していく。これまた特異な物語だ。白眉は最後の短篇、「死はわが友」である。というのも、何が起きているのか、少なくとも最初のうちはよくわからないのである。、もちろん物語の像は徐々にはっきりしてはくるのだが、本当にその「見え方」を信用していいのか、読者も中盤では確証が持てまい。絶妙に、「見え方」を信用できない感じが付きまとうのである。この物語がフラついている感覚こそ、まさしくロジャーズそのもので嬉しくなる。そして物語の果てに確定した真相は――いやあこういう小説、私は大好きです。ロジャーズがあれだけ不安定な物語を作っておきながら、真相を毎回はっきり確定させてくれる点も、非常に好ましい。変に「未確定」に逃げないんですよね。変な作家、でも骨の髄までミステリ書き。そう思います。
杉江松恋
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『秘儀』マリアーナ・エンリケス/宮﨑真紀訳
新潮文庫
奥付は10月1日発行だから正確にはフライングになるが9月末には店頭に並んでいたので許していただきたい。それに解説を書いたのは私なのだが許していただきたい。他に年間ベスト10級の作品がごろごろしていた9月なのだが許していただきたい。マリアーナ・エンリケス『秘儀』を読んでからこの小説がいかに凄いかということを人に伝えたくて伝えたくて仕方なくなっているので許していただきたい。『バベル オックスフォード翻訳家革命秘史』と並ぶ本年のベストがこの小説だ。偉いものを読んでしまった。
冒頭、父親が幼い息子を連れて長い自動車旅行をする話が展開する。このロード・ノヴェル的な第一部だけでも結構な長さがある。何かに似ている、と思ったが実はアレで、アレに作者も触発を受けている、ということは解説に書いた。宣伝である。旅が終わってからが本題で、ここからが長い。
帯にも書かれているので明かしてしまうが、父子には特殊な能力があり、それを利用しようとする秘教団体との関係が軸になっていく。この能力が用いられる場面が題名にある『秘儀』で、相当な衝撃度なので心して読んでいただきたい。ちなみに原題は「夜のこちら側」でエミリー・ディキンソンの詩から採られている。世界の暗い側に安らぎを見出す心もあるということか。そういう陰性の心の働きに関する小説でもある。
全体としてはファンタジーなのだが、本項で紹介するのには意味がある。長大な物語の後半、下巻に入ったあたりから本作は犯罪小説としての性格を露わにし始める。個人と社会の本質的に対立する構造を描くのが犯罪小説だが、アルゼンチンにかつて存在した暗黒の時代が物語に色濃く影を落としていることがわかるのだ。これは犯罪小説読者にこそ刺さる作品なのだと強く強く言っておきたい。もちろん柄の大きさそのものも魅力で、かつての『フリッカーあるいは映画の魔』などを思い浮かべながら私は読んだ。凄いものを読んでしまった。これを読まずに2025年を終えることは許されないと思う。
さすがに力作の並んだ9月となりました。この中から本年のベストが選ばれる可能性もあるのではないでしょうか。では来月はどうなるのか、というところでまた。次月もご期待ください。(杉)
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