書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 この連載が本になりました! 『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』(書肆侃侃房)は絶賛発売中です。

 (ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。
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川出正樹

『終止符には早すぎる』ジャドスン・フィリップス/矢口誠訳

新潮文庫

 いや、嬉しいなあ。ジャドスン・フィリップスの『終止符には早すぎる』を日本語で読める日が来るなんて。植草甚一の唯一無二のブックガイド『雨降りだからミステリーでも勉強しよう』(ちくま文庫)の中で絶賛されているのを目にした時、彼が監修した《クライム・クラブ》が続いていれば間違いなく収録されていただろうに、と詮無い思いをしたものだけれど、まさか六十年以上の月日を経て翻訳されるとは。一九五〇代から六〇年代にかけての都会の息吹に触れることができる小説、とりわけサスペンスや犯罪小説に目がない身としては、それだけでもウキウキしてしまうのだけれども、ミステリとしての完成度も高いので大満足です。

 物語は、殺人者として糾弾してきた相手を名誉毀損で訴えたいという友人の相談に乗って欲しいと上司から言われた若手弁護士コーニーが、第二次世界大戦の英雄とも称される依頼主のマットに会うためにアスレチック・クラブを訪ねるシーンで幕を開ける。ショッキングな暴行事件から予期せぬ殺人事件へと次々に不測の事態が起こり、コーニー同様、一体何が起きているのかとページを繰っていくと、三分の二を過ぎたところで不意打ちのような緊急事態が発生、ここで一気に転調して、ちょと前例をみないタイプの真相解明シーンが展開されていく。このひねりの利いたユニークなプロットを、文庫本で三百ページというライトボディで軽妙かつ読後感よく仕上げた手腕に唸ってしまう。禁酒法時代と第二次世界大戦という二つの重大事を遠景に置き、六〇年代初頭のニューヨークの空気と住人を鮮やかに描いた肩の凝らないエンターテインメントの秀作です。

 小山正氏による十八ページに及ぶ解説と四十ページに達する大部の作品リストも嬉しい。新潮文庫の《海外名作発掘》企画HIDDEN MASTERPIECESに、また一冊、エヴァーグリーンな逸品が加わった。

 

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    上條ひろみ

    『ハウスメイド2 死を招く秘密』フリーダ・マクファデン/高橋知子訳

    ハヤカワ・ミステリ文庫

     明けましておめでとうございます。2026年もよろしくお願いいたします。

     新年早々うれしい悲鳴です。昨年12月刊行の翻訳ミステリがおもしろいものばかりで悩ましいのです。ニューヨークを舞台に登場人物たちの過去が交錯し、傑作として名高いジャドスン・フィリップス『終止符には早すぎる』(矢口誠訳/新潮文庫:富豪の投資家マシュー・ヒグビーにフィッツジェラルドのグレート・ギャツビーみを感じた)、不思議な力を持つ未解決事件捜査官ヴァン・リードが、42年前の少女失踪事件に挑むジェス・ロウリー『怪物の森』(北綾子訳/新潮文庫:犯人の姿を想像すると怖すぎる)、ワイオミングの山奥で猟区管理官ジョーと鷹匠ネイトが極悪暗殺者チームと対決するC・J・ボックス『群狼』(野口百合子訳/創元推理文庫:ジョーとネイトの状況も今後は変わってきそう)、パン屋店主殺害事件が思いもよらぬ展開を見せる、マウリツィオ・デ・ジョバンニのP分署捜査班シリーズ『対立』(直良和美訳/創元推理文庫:パン屋のこだわりは天然酵母! 刑事たちの私生活も読ませます。ドラマ早く見なくちゃ)、そしてお待ちかねの続編フリーダ・マクファデン『ハウスメイド2 死を招く秘密』(高橋知子訳/ハヤカワ文庫HM)、どれも全部おもしろい。できれば全部読んでいただきたいのですが、どうしても一冊選べと言われたら、おもしろすぎてあっという間に読んでしまった『ハウスメイド2』かな。

     謎の富豪のペントハウスでハウスメイドをすることになったミリー。今度は住み込みではなく通いですが、病気の妻ウェンディの部屋には何があってもはいるなと言われます。そんなことを言われたら余計気になるよね。DVの疑いありと見たミリーはウェンディの力になろうとしますが、今回は前作で力になってくれた頼りになるエンツォが不在のため、ひとりで奮闘するしかありません。優しくて人を信じすぎるミリーがなんとも危なっかしくて、恋人のブロックに捨てられまいとする姿がなんともいじましくて、終始ツッコミながら読んでいました(ブロックにはちょっと、てかだいぶイラッとするよね)。そして、なんとなく思い描いていた予想が見事に裏切られる快感。えー!とのけぞりました。まさに“最後まで気を抜くな”。三作目も楽しみです。

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霜月蒼

『赤く染まる木々』パーシヴァル・エヴェレット/上野元美訳 

早川書房

 ミシシッピ州で見つかった凄惨な白人殺し。かつて白人たちによる黒人のリンチ殺人が横行していた時代を思わせる惨殺であり、しかも死体のそばには、黒人差別の忌まわしい歴史の象徴ともいうべきアフリカ系の少年エメット・ティルそっくりの遺体があった。だがこれははじまりにすぎなかった。捜査を開始したミシシッピ州捜査局の捜査官たちを尻目に、同様の事件がつぎつぎに発生していく……。

 昨年の海外文学の話題作のひとつ『ジェイムズ』の著者パーシヴァル・エヴェレットによるクライム・スリラーが翻訳された。『ハックルベリー・フィン』を奴隷のジムの声で語りなおした『ジェイムズ』同様、芯にはレイシズムの問題が据えられているが、本作はもっと激越で、諷刺的で、皮肉で、陰惨で、ユーモラスで、悲劇的で、恐ろしく、そして何よりもstrangeな小説だ。「双子のような捜査官コンビ」をはじめとする犯罪スリラーのクリシェを使い、コミカルですらある奇怪な展開を積み重ねながら、エヴェレットはわれわれをstrangeな場所まで連れていってしまう。そういう意味で本作はミステリーではないのだが、ミステリーの形式を借りなければ本作は成立しなかっただろう。

 本書をstrangeというのは、無残に平然と吊るされる黒人たちの死体の光景を歌う名曲「奇妙な果実 Strange Fruits」が、本書のイメージになっているからである。このイメージが、現在と過去の「罪」を貫く縫い針の役割を果たす。書きぶりは稠密ではなく軽快ですらあって、strangenessと相まって奇想小説の方向に浮かんでいきそうになるのをつなぎとめるのが、「これは現実だ」と突きつける第64章の衝撃である。ミステリーではない。だがこれは人間のなす犯罪についての見事な小説である。

 

吉野仁

  1. 『真実の眠る川』ウィリアム・ケント・クルーガー/宇佐川晶子訳

    ハヤカワ・ミステリ

  2. 『真実の眠る川』は、W・K・クルーガーの単発作で、時代は1958年、アメリカ中西部の最北部ミネソタの小さな町で地主の死体が川で発見される、というミステリだ。最初の視点人物は郡の保安官ながら、次第に関係者をめぐる群像劇へと広がっていく。いっけんよくある田舎の殺人事件に思えるが、そこはクルーガーならではの、深みのある鮮やかな描写で読ませるのに加え、いまだ戦争の影を落としていたり、過去を引きずっていたりする状況、とくにスー族の男とともに彼の妻である日本人女性キョウコが登場することなどから、物語のゆくえを追わずにおれなくなってしまう。最後はしみじみとした情趣を抱く良質な作品だ。一方もうすこし西よりのワイオミングを舞台にした、C・J・ボックス『群狼』は、〈猟区管理官ジョー・ピケット〉シリーズの最新刊ながら、暗殺者チームが登場するなど派手なアクション成分が多めの活劇サスペンスとして文句なしに面白いだけでなく、主人公の家族や相棒がそれぞれ人生の転機をむかえる事情なども加わり、シリーズのなかでも劇的な一作となっている。これからどうなっていくのだろうと次作以降が気になるばかり。活劇シリーズものといえば、マーク・グリーニー『暗殺者の奪還』は、なんとロシア国内に潜入し、恋人を救出するという正統派冒険活劇が存分に描かれている。いくらグレイマンとはいえ、けっして安易な作戦ではないだけに、その過程の凝った描き方にぞくぞくさせられた。マイクル・コナリー『迷宮』は〈女性刑事レネイ・バラード〉シリーズの最新作で、まずはバラードが銃とバッジを盗まれ、それを秘密裏に解決しようとボッシュに協力を求める、という話からはじまるが、やがて未解決殺人ブラック・ダリア事件の真相に迫るというエルロイも驚きの展開を見せるのだ。ジェス・ロウリー『怪物の森 未解決事件捜査官ヴァン・リード』もまた未解決事件をあつかっている。女性の生き埋め死体が発見されたことから、ヴァン・リードは科学捜査官ハリーとコンビを組み、何十年もまえに起きた少女失踪事件を捜査する。こうした現代の科学捜査で未解決事件に取り組む物語は、おそらく「CSI」や「Xファイル」など映像ドラマの影響も大きいようで、そうした感覚がこの作品にもあらわれており興味深かった。最後に、ジャドスン・フィリップス『終止符には早すぎる』は、新潮文庫「海外名作発掘」にふさわしい読みごたえのミステリだった。1962年発表で、ニューヨークを舞台にした作品である。息もつけないほどの緊迫感が伝わる終盤の場面は、おそらく作者ならではの筆の巧さによるもので、なるほどこれを植草甚一さんが絶賛したのもうなづける。いろんな意味で、驚かされた。なにかきわめて上質の舞台劇を見たような味わいがいつまでも胸に残るのだ。これはもうたまらないです。

  3.  

酒井貞道

    1. 『終止符には早すぎる』ジャドスン・フィリップス/矢口誠訳

      新潮文庫

 植草甚一氏が称賛したが長らく――本当に長らく――未訳のままだった名高い作品が、遂に翻訳刊行された。内容は評判に違わぬ素晴らしさで、ミステリの技法やフォーマットを存分に活用しつつ、登場人物(複数)の生き様を鮮烈に煌めかせるのが主眼の物語となっている。冒頭では、馬主になりたいとその申請をした大富豪が、申請先の有力者に殺人者との噂を立てられて手続が止まってしまったとして、有力者を訴えるよう弁護士に依頼したことが語られる。主人公はこの弁護士なのだが、彼は一部シーンを除き基本的に影が薄い。代わりに前面に出るのは大富豪の特徴的なキャラクター(誰からも好かれているのに、友達がまるでいない)と、大富豪の恋人である女性、そして彼女の年若い娘だ。二人の女性の自宅が襲撃される事件、そして殺人事件が起きるに及び、物語は一気に動き出すのであるが、その傍らで丁寧に紡がれる登場人物の素描が、物語の味わいを段々と深めていく。それが頂点に達するのが、真相解明シーンなのも心憎い。おしゃれなミステリと言う他ない。表紙もおしゃれ。

 

  1. 千街晶之

    1. 『終止符には早すぎる』ジャドスン・フィリップス/矢口誠訳

      新潮文庫

     かなりのミステリマニアでも、ジャドスン・フィリップスという名前だけだと「誰だっけ?」と首を傾げそうだが、別名義のヒュー・ペンティコーストだったら「ああ、あの」と思い出せる人が多少は増える筈だ。そんな知る人ぞ知る作家の五年ぶりの邦訳は、植草甚一の名著『雨降りだからミステリーでも勉強しよう』で高く評価された幻の代表作(原書刊行は一九六二年)の発掘。語り手の弁護士コーネリアス・ライアンは、第二次世界大戦の英雄だった将軍から殺人者だと誹謗されたという富豪のヒグビーから名誉毀損の訴訟について相談されるが、殺人事件が起こり、ヒグビーに嫌疑がかかってしまう。このヒグビーというキャラクターの描き方が魅力的で、誰からも好かれる人物ながら過去に謎が多く孤独に包まれた男であり、ライアンにとっては手に負えない依頼人ながらも見捨てておけない存在となってゆく。終盤は数章に亘ってある緊迫したシチュエーションが続くが、そこでヒグビーともうひとりの人物の悲痛な過去がそれぞれの口から語られるくだりは圧巻だ(後半、事件関係者たちの秘密が明かされて彼らの人物像に深みが増すぶん、一応は主人公であるライアンの存在が霞んでしまったのは否めないものの)。多作なB級作家というイメージが強いフィリップス/ペンティコーストだが、軽快でリリシズム溢れる筆致は実に魅力的で、決して凡庸な作家ではないことがこの一冊から窺える。

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杉江松恋

      1. 『溺れる少女』ケイトリン・R・キアナン/鯨井久志訳

        河出書房新社

 純粋なミステリーではないけれど、今月読んでいちばんおもしろかったのはこれなので仕方ない。新年早々に気の早い話だが、もしかすると年間を通じてのいちばんになるかもしれない。それくらいの作品である。

 一人称語り手の名はインディア・モーガン・フェルプス、頭文字をとって「インプ」と呼ばれている。小説は、「「わたしはこれから怪談(ゴースト・ストーリー)を書く、」そう彼女はタイプした。/「人魚と狼が登場する怪談だ」とも。/わたしもまたタイプした。」という文章から始まる。〈彼女〉と〈わたし〉という二つの人称が並立するのでいきなり混乱するが、基本的にこれは同一人物である。本作はインプ=〈わたし〉が綴る手記の形式をとっているが、インプは同時に手記の読み手・校閲者になることもあり、書き手に対して厳しい指摘をする。インプ=彼女が虚偽、あるいは真実を迂回したような記述をするからだ。本作の語り手は、自分で自分が信頼できないのである。

 インプの祖母と母は統合失調症であったと見られ、本人もその診断を受けて投薬治療を受けている。世界は彼女にとって含意に満ちたものであり、そのことに対する不信が時に衝動と化して心を衝き動かす。世界から送られてくる信号のいくつかにインプは拘っており、上に書かれた人魚と狼というモチーフもそうである。物語の冒頭に小説の題名にもなっている「溺れる少女」という絵画が置かれている。少女の受難がほのめかされてはいるものの、溺死事故そのものを描いたものではない。その不穏な未来の可能性、そして女性が身体を他者によって侵害・略奪され続けているという事実がインプの心を騒がすものである。性自認のありようは本作の中で重要な問題となる。

 物語の中で起きる最も大きな事件は、インプが夜道でエヴァ・キャニングという女性に出会うことだ。エヴァはなぜか全裸で、絵画「溺れる少女」を連想させるいでたちをしていた。ゴーストストーリー的な要素はこのエヴァとの出会いによって招き寄せられるのだが、ここでは詳細を省く。視界不明瞭に書かれている小説であり、内容を解読していく楽しみがある。その意味では謎によって牽引される物語であり、ミステリー読者にも強く訴えかけるものがあると私は思う。圧倒的な力のある小説であり、ぜひお読みいただければ幸いである。

 

 新年あけましておめでとうございます。12月は力作揃いで、結果を見ると票が集中したものもありますが、ほどよくばらけた印象です。滑り出しから好調と言えるでしょう。今年も良作をご紹介していきます。よろしくお願い申し下ます。(杉)

 

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧