書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。
この連載が本になりました! 『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』(書肆侃侃房)は絶賛発売中です。
(ルール)
- この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
- 挙げた作品の重複は気にしない。
- 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
- 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
- 掲載は原稿の到着順。
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千街晶之
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『小路の奥の死』エリー・グリフィス/上條ひろみ訳
創元推理文庫
十月に出た翻訳小説で一番面白かったのはマリアーナ・エンリケスの『秘儀』だったけれども、ミステリに含めていいかと言われると微妙なラインだと思うので、ここではエリー・グリフィスのハービンダー・カー刑事シリーズの第三作『小路の奥の死』を選んだ。地元のサセックス警察からロンドン警視庁へと転任したハービンダー。彼女は、ある名門校の同窓会で下院議員が変死した事件の現場に臨場したが、そこにいたのは彼女の部下であるキャシー・フィッツハーバート刑事。キャシーも同窓会の出席者だったのだが、プロローグでいきなり明かされる通り、実は警察官にあるまじき過去を隠している。本書はハービンダー、キャシー、そして同窓生の一人アナの視点で展開するが、キャシーとアナのパートは心理サスペンス色が濃厚だ。政治家・女優・シンガーといったセレブたちが参加した同窓会は複雑な愛憎や確執を背後に秘めており、読者としてはそれをどう解きほぐすかが興味の中心となるけれども、いつの間にかミスリードされて真相から遠ざかってしまうあたり、著者による心理操作テクニックは抜群と言える。アン・クリーヴスと似た作風のミステリ作家であり、特定の集団内に犯人がいる設定で意外性を演出する巧さも共通していると言えそうだ。
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上條ひろみ
『奇妙な花嫁候補』アリスン・モントクレア/山田久美子訳
創元推理文庫
自分が解説を書いた作品ですが、十月刊ではぜひともアリスン・モントクレア『奇妙な花嫁候補』を推させてください。第二次世界大戦直後のロンドンで、女性ふたりが互いの得意分野を活かすために結婚相談所をオープン。しかし訪れるのは訳ありの依頼人ばかりで、毎回殺人などの事件に巻き込まれてしまう〈ロンドン謎解き結婚相談所〉シリーズの第五弾です。今回の依頼人は余命宣告を受けた人妻で、依頼は自分の死後、夫に相応しい後添えを紹介してほしいという風変わりなもの。しかし依頼人はその直後に森のなかで死体となって発見されます。ヒロインのふたり、元スパイのアイリスと元上流階級のグウェンは正反対のタイプなのに、どちらにも共感できてしまうという奇跡(今回グウェンはちょっとオーバードライブ気味で、「冷静になって!」と言いたくなったけど、気持ちはわかるよ)。私生活も波乱含みのふたりですが、大人な会話がなんともカッコいいし、読んでいてこんなに気持ちよく、読後もさわやかな気分が続くシリーズはなかなかありません。
第二次世界大戦で夫を失った女性が、特技を生かして仕事をはじめるケイティ・ティージェンの『事件現場をドールハウスに』(杉田七重訳/創元推理文庫)は、どこか〈ロンドン謎解き結婚相談所〉シリーズと似ていますが、舞台はアメリカ、バーモント州の田舎町。こちらのヒロイン、メープルは趣味のドールハウス作りがお金になると気づき、ついでに不審死の現場をドールハウスで再現して、謎解きに役立てようとします。メープルが写真記憶の持ち主なため、克明に現場を再現できるところがミソ。不屈のヒロインが頼もしく、実在の人物がモデルというのもびっくり。シリーズ一作目です。
ジェニファー・コーディー・エプスタイン『血痕の記憶』(唐木田みゆき訳/ハヤカワ文庫HM)も歴史物で、舞台は19世紀パリ。実在した精神病院で行われていたというヒステリーの治療実験の様子が生々しいゴシック・ミステリです。血まみれで運び込まれた少女の秘密と病棟付添人ロールの壮絶な半生、読者を煙に巻くラストまで読み応えたっぷり。
競馬界にそれほど詳しくないわたしですが、フェリックス・フランシス『虎口』(加賀山卓朗訳/文春文庫)は、その小気味よさにくいくい読まされてしまいました。主人公のハリイが競馬の知識皆無で、競馬界のことが基礎からわかる作りになっているおかげかも。馬主の依頼で厩舎の火災を調べるうちに明らかになっていく調教師一家の秘密。お仕事しながらちゃっかり恋愛もするハリイ、いいキャラ。
十月は拙訳書も出ました。エリー・グリフィスの〈ハービンダー・カー〉シリーズ第三弾『小路(こみち)の奥の死』(創元推理文庫)です。ロンドン警視庁の警部になったハービンダーが活躍します!
吉野仁
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『血痕の記憶』ジェニファー・コーディー・エプスタイン/唐木田みゆき訳
ハヤカワ・ミステリ文庫
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『血痕の記憶』は19世紀のパリに実在した精神病院をモデルにしたミステリである。フィクションとして改変されてはいるものの、当時の〈ヒステリー症〉の権威シャルコー医長や研修医のフロイトをはじめ、バビンスキー、トゥレットなど反射や症状などに冠された名を聞いたことのある医師が実名で多く登場する。物語のヒロインは自身も患者だった病棟付添人のロールで、彼女の視点から、病院に運ばれた記憶喪失の少女への催眠療法を用いた治療の実態が生々しく描写されていく。そこにぐいぐいと引き込まれた。まさしくこれはサイコサスペンスだ。現在の知見からすると素人でも分かるいかがわしさやおぞましさがこれでもかと描かれており読んでいて辛くなるものの、最後にあっと驚く真相が待ち受けている。ほんとうに可能なのかという疑問も残るが、そのどんでん返しにやられてしまった。そして先月間に合わなかった9月刊のハヤカワ・ミステリ文庫、キンバリー・マクリート『母の嘘、娘の秘密』もなかなかの面白さだ。これは現代のニューヨークを舞台にした母娘の物語で、ヒロインが母に呼ばれ実家に帰ると母がどこにもいないという幕開けである。やがて母の視点による失踪前の出来事と娘の視点によるその後の経過が交互に描かれる。隠された家族の過去や秘密が次第に暴かれ、最後にすべてが明かされるというドメスティック・サスペンス。その展開の妙よ。エリー・グリフィス『小路の奥の死』は、〈ロンドン警視庁犯罪捜査課警部ハービンダー・カー〉ものの三作目。同窓会で下院議員が死亡した事件をめぐり、女優やバンドのシンガーなど有名人の同窓生とともに、ハービンダー・カーの部下である刑事キャシーが関係者として関わっている。青春群像劇要素が横溢しており、これまでのシリーズ作品とは雰囲気の異なる作品ながらも、英国ミステリらしい謎解きとして読ませる。青春群像といえば、グレース・D・リー『十二支像を奪還せよ』もまた、中国系アメリカ人の若者たち五人が個性ゆたかに描かれていた。世界中の美術館などに展示されている、もともと中国のものだった彫像を盗み返すという一種のケイパー(強奪犯罪)ものなのだが、侵入強奪逃走といった犯罪過程もさることながら、次々と変わる語り手それぞれの背景や思いがつづられているあたりが読みどころだ。青春ではないが主人公に若さを感じたのが『虎口』。フランシス息子フェリックスによる新・競馬シリーズ文春文庫版の第2弾で、一族の争いが見られる厩舎で起こった火災現場から当主の一人娘の遺体が発見され、といういかにも競馬シリーズらしい事件に、弁護士である主人公が調査員としての活躍を見せる物語。……なのだが、全体にユーモアとロマンスにあふれ、若々しさが横溢していて、それが最後の最後まで読み手に多幸感をもたらしている。読んで幸せな気分になりたい人は必読。逆に、なんともいえぬ思いを感じさせられたのが、ジョーダン・ピール編『どこかで叫びが ニュー・ブラック・ホラー作品集』で、これは「黒人作家たちによるホラーの最前線」とカバーにあるとおり、十九人の黒人作家による短編が収録されており、奴隷制の時代からその後の黒人差別までを背景にした現代ホラーを読むことができる。趣向も形式もさまざまで、恐怖の源泉になにがあるのか、どんな因果によるものなのかが分かりやすく感じられるものもだけでなく、自分にはうまくとらえられなかった作品も残ったので、いずれ再読せねば。ホラーといえば、帯に「南米ホラー」とあるマリアーナ・エンリケス『秘儀』は、〈闇〉の力をもつ〈教団〉にかかわった親子をめぐる物語で、上巻は八〇年代アルゼンチンを舞台とした父と子のロードノヴェル、下巻の前半はその妻および母の語りで描かれる六〇年代から七〇年代にかけての〈教団〉の模様、そして下巻後半は九〇年代以降の物語が語られていく。と、ここで短くまとめることは不可能なほど多様多層で不気味で豊穣な物語であるラテンアメリカ文学といえばいいのか。ものすごいものを読んだという実感とともにいまだ消化しきれない不安な気持ちも残る。モダンホラーに興味があるなら、いますぐ読んでくれ。
霜月蒼
『虎口』フェリックス・フランシス/加賀山卓朗訳
文春文庫
北上次郎氏だったらどう読んだだろう? と本書を読んで思ったのである。いうまでもなくディック・フランシスの競馬シリーズ――なかんずく『利腕』――を日本のミステリー界で名作の地位に押し上げたのは、一連の冒険活劇論に基づく北上氏一流の「読み」がその価値を知らしめたせいもあった。その北上氏は、90年代後半の競馬シリーズには留保をつけつつも、『審判』など次男フェリックスが参画してからの作品は評価していたし、フェリックスの単独デビュー作『強襲』には解説を寄せていた。
『虎口』もフェリックス単独名義である。5月に紹介された『覚悟』が、『利腕』のシッド・ハレー登場作ということで先代の流儀を遵守する仕上がりだったが、『虎口』にはフェリックス独自の色が強く出ている。高名な調教師一家の秘密をめぐるフーダニット仕立てで、競馬にまるで無知な青年弁護士が謎に挑むという筋立ては競馬シリーズを踏襲。けれど空気感が軽快で明朗なのである。ユーモラスな瞬間もちらほら。サスペンス小説のお手本のような先代シリーズの美点を保持しつつ、そういう独自色が織り込まれているのが楽しいのである。
先代のベストには及ばずとも、例えば『煙幕』とか『反射』とか『罰金』などには肩を並べるのではないか。北上次郎氏はちょっと抜けたところのある好漢を愛したから、本書の主人公ハリイのことも好いたのではないかとも思う。
川出正樹
『事件現場をドールハウスに』ケイティ・ティージェン/杉田七重訳
創元推理文庫
各版元から次々と大作・勝負作が投入された嬉しくも悩ましいミステリ年度末を乗り切った後には、一旦、頭と心をリフレッシュするためにウィットとユーモアに富んだ会話に彩られた軽妙洒脱な作品を読みたくなる。十月は、そんな小品を三作も味わうことができた。
面識のない二人の男が同じダイイング・メッセージを遺して死んだ謎を私立探偵“ダイナマイト”ビュルマが頭と拳を武器に追究する、ロマン・ノワールの始祖レオ・マレによる謎解きの興趣に充ちたハードボイルド『探偵はパリへ還る』(田中裕子訳/新潮文庫)。元情報部員アイリスと上流階級出身のグウェンが営む結婚相談所を訪れた二人の女性顧客からの一風変わった難易度の高い要求が思いも寄らぬ厄介な事件へと発展する、アリスン・モントクレアの『奇妙な花嫁候補 ロンドン謎解き結婚相談所』(山田久美子訳/創元推理文庫)。そして、警察が事件性なしと判断した町のトラブルメイカーの死の謎を、戦争で夫を亡くした若き女性メープルが、ドールハウスで再現した事件現場から推理を巡らして解明する、ケイティ・ティージェンの『事件現場をドールハウスに』(杉田七重訳/創元推理文庫)。
それぞれ、ドイツに国土の北半分を占領された一九四〇年暮れのフランス、大空襲(ザ・ブリッツ)による戦禍が随所に残る一九四六年晩秋のロンドン、配給制度が未だに続く一九四六年十月のバーモント州のスモールタウンと国は違えども、第二次世界大戦最中から戦後間もない時代を背景に、土地柄を色濃く反映したこの時代ならではの犯罪を核にした軽妙なエンターテインメントだ。
その中から『事件現場をドールハウスに』を推すのは、なによりも主人公の特性が新鮮だからだ。死体の第一発見者となってしまったメープルが、写真記憶とドールハウス作りという二つの武器を活かして事件現場を正確無比に再現し、謎を解く。大都会ボストンから移住して三年経つも未だに新参者扱いされる上に、強すぎる正義感故に人間関係でトラブルを招きがちな主人公が、「小さなもののなかに、大きなものを見つける」独特の才能を発揮して、小さなコミュニティの影を照射し、意外な真相を白日の下にさらす。夫の遺産がわずか十二ドル六十七セントしかなく、弁護士資格を持ちながらも女性であると言うだけで雇ってもらえないメープルが、活計を立てるためにドールハウスを販売するという設定もよく考えられている。
邦題と表紙から受ける柔らかで穏やかな印象とは裏腹に、女性に対する決めつけと差別やニュールンベルク裁判を巡る罪悪と贖罪の問題を基調とした骨太な物語をあくまでも軽妙な謎解きミステリに仕上げたデビュー作。MWA賞メアリー・ヒギンズ・クラーク賞の候補になったのも頷ける佳作で、シリーズ二作目の翻訳が今から楽しみだ。
酒井貞道
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『秘儀』マリアーナ・エンリケス/宮﨑真紀訳
新潮文庫
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およそ読書家たるもの、「これは自分にとって特別な小説だ」と確信や予感を抱きながら読む小説に、頻度は人によるけれど必ず出会う。私は平均すると年に一回ほどこの体験をする。2025年、それに該当するのはこの『秘儀』だ。幻想小説に大きく傾いだホラー小説であり、六部構成のうち五部が終わらないと事態の全貌はつかめない。
正確に言うと、第一部を読み通したらある程度は想像可能なのだが、その時点でも不透明な要素は多い。おまけに、第四部以降が収録されている下巻で、アルゼンチンの現代史を踏まえた社会派的、ノワール的、犯罪小説的な要素が盛大に加わり、当初の読者の想定から物語は明らかにはみ出る。そして父子の物語、愛の物語、敵側の人間(集団)の闇が総合的に結わえ付けられた上で、物語はずいぶんアップテンポに壮麗なクライマックスを迎える。それがカタストロフなのか大団円なのかは特に秘す。構想のスケールは大きく、ホラー的な超常現象の深淵は覗くことすらできないほど深いとはいえ、人間の物語に帰着してくれるのは本当に素晴らしい。第一部で息子のために限界を超えてまで頑張っているのが明らかな父親が、第二部では息子にむやみに反抗されているのが、読者としては心乱された。でも息子も、父をはっきり愛している。この点は一切ぶれない。よく考えると、他の登場人物も、それぞれの愛からは一切ぶれていない。それがこの物語を一層特別なものにしているのではないだろうか。
杉江松恋
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『小路の奥の死』エリー・グリフィス/上條ひろみ訳
創元推理文庫
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先月フライングしてでも『秘儀』を挙げておいてよかった。おかげで今月はグリフィスにできるのである。もし先月やってなかったら、問答無用で『秘儀』だった。私の2025年度、全ジャンルでもベストの作品なのだから仕方ない。
で、グリフィス『小路の奥の死』である。名門校の同窓会に出席した下院議員が死ぬという事件が起きる。鼻腔にコカインの粉末が付着していたことから薬物による事故死と最初は見られるのだが、臀部に注射痕が発見され、他人に殺害された可能性が強まる。当然だが同窓会の出席者が疑われることになる。彼らの複数視点を並列で展開しながら物語は進んでいく。出席者の中に捜査に当たる犯罪捜査課の刑事も偶然いたため、話は立体的によじれることになる。こうした形式の小説では視点人物になる個々のキャラクター造形がしっかりしていないとまったく読めたものではないのだが、その点グリフィスは信頼できる書き手だ。多彩な個性の持ち主を配するだけではなく、彼らの過去にとんでもない時限爆弾を仕掛けている。学生時代、同級生の一人が線路に落下して事故死していたのである。彼らがその同級生に対する殺害計画を立てていたことが告げられ、物語の先行きはまったく見えなくなってくる。過去の闇をどう解釈すればいいのか。現在の殺人とそれはどうつながっているのか。完璧な展開である。
なんだかレックス・スタウト『腰ぬけ連盟』みたいな設定だな、と思いながら読み続けた。インド系の女性警察官ハービンダー・カーが主役を務めるシリーズの第三作であり、彼女は探偵というよりは事態の整理役として活躍する。カーは前作まで地方都市で勤務していたのに、今やロンドン警視庁犯罪捜査課の警部様である。それが自慢で鼻高々なのが明らかなのが可愛い。カーはゲームマニアで同性愛者でもあり、警察組織にまったくなじんでいない人物なのである。読者にだけ見せる本音はときどき無茶なこともあり、そんなのでよく警察官をやってられるな、と時々感心させられる。その彼女が今や首都のエリート部署にいるわけである。その不安定な感じもまた読みどころの一つだ。主人公のキャラクター造形は巻を重ねながらどんどん味が出てきており、さらに化けそうな予感もする。この巻から読み始めても大丈夫なのでぜひお読みいただきたい。見逃すと後で絶対後悔すると思うよ。
思いのほか票の割れた10月でした。個人的には全員『秘儀』でもおかしくないと思ったのですが、私が前月やっちゃったからなあ。というわけで来月はフライングなしでお届けします。お楽しみに。(杉)
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