書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。
この連載が本になりました! 『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』(書肆侃侃房)は絶賛発売中です。
(ルール)
- この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
- 挙げた作品の重複は気にしない。
- 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
- 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
- 掲載は原稿の到着順。
上條ひろみ
『ハウスメイド』フリーダ・マクファデン/高橋知子訳
ハヤカワ・ミステリ文庫
8月は個人的にメイド対決になりそうだなと思っていましたが、その通りになりました。悩んだ末の推し作品は『ハウスメイド』。刑務所を出て車中生活を余儀なくされているミリーは、なぜか豪邸の奥様ニーナに気に入られ、ハウスメイドとして住み込みで働くことになります。とりあえず住むところがあってお金がもらえることに安堵したミリーでしたが、あてがわれたのは外からしか鍵がかからない狭苦しい屋根裏部屋。しかも、ニーナは言うことがコロコロ変わり、家の中は常に豚小屋のような有様で、小学生の娘セシリアはわがまま放題。イケメンで穏やかな性格の夫アンドリューだけがミリーの苦労をわかってくれているようです。しかも、若く美しいミリーに嫉妬したのか、ニーナのハウスメイドいじめはエスカレートしていくのでした。という話だと思ったら大間違い。
とにかく怖い、でも読みはじめたら絶対にやめられないエンタメスリラー。読んでいるうちにメインキャラ全員の印象がグワーンと変わる大転換小説です。なんか変だなーと思ってはいたけどここまでとは! あまりの変わりように時空が歪んでいるような感じさえします。わたしは最終章のラストのあの人のセリフが一番怖かったです。あなたはどれ?
もうひとつのお勧めメイドミステリ(?)は、ニタ・プローズ『メイドの推理とミステリー作家の殺人』(村山美雪訳/二見文庫)。こちらはホテルのメイドで、『メイドの秘密とホテルの死体』の続編で、高級ホテルのメイド主任になったモーリーが、ホテルで起きた有名ミステリー作家の殺人事件に挑みます。とにかく真面目で融通の効かないイメージだったモーリーが、ホテルの一大事に臨機応変に対処していて、その成長ぶりに驚かされました。でも、決して大それたことをするのではなく、自分にできることを一つ一つやっていく地道なスタイルは健在。知れば知るほど魅力的な亡きおばあちゃんの謎も少しずつわかってきます。
マシュー・ブレイクの『眠れるアンナ・O』(池田真紀子訳/新潮文庫)は、見事なプロットに騙される、二転三転のディーヴァー絶賛案件で要チェックです。コロナ禍のパリで起きた元バレエダンサーの転落死を皮切りに、それぞれに秘密を抱えた人たちの思惑が動き出す、ギヨーム・ミュッソ『アンジェリック』(吉田恒雄訳/集英社文庫)もお勧め。息をのむおもしろさがぎゅっと詰まっています。
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千街晶之
『ハウスメイド』フリーダ・マクファデン/高橋知子訳
ハヤカワ・ミステリ文庫
翻訳ミステリというと登場人物欄に十人以上の名前が連なるのが普通だが、フリーダ・マクファデンの『ハウスメイド』の場合、そこに記されている名前はたったの五人。厳密には他に数人の端役が登場するものの、基本的にはこの五人で話を廻していくので、登場人物名を憶えられなくて翻訳ミステリが苦手……という人でも安心である。主人公のミリーは、裕福なウィンチェスター家でハウスメイドとして働きはじめる。雇い主のニーナ、その夫のアンドリュー、娘のセシリア、庭師のエンツォ……だがこの一家、何かがおかしいことが次第にわかってくる。普通ならこんな面倒臭い家などさっさとおさらばしてしまいたいところだろうが、ミリーは前科持ちという弱みを持っているため仕事を失うわけにはいかないのだ。サスペンスの盛り上げ方がとにかく巧い作品で、こちらの予想を軽く突き抜けるような意外かつ過激なツイストが随所に用意されている。登場人物の中で一番邪悪なのは誰か、読後に語り合いたくなる作品でもあり、個人的にはエピローグ直前のある人物の一言に底知れぬ恐怖を感じた。
霜月蒼
『GB84』デイヴィッド・ピース/黒原敏行訳
文藝春秋
徹底的に即物的な描写を重ねてゆく。その下のレイヤーには政治があり陰謀があり密談があるのだが、それは見えないものであるがゆえに、ほのめかされるにとどまる。そんな文体、敢えて「ハードボイルド」といってもいい乾いた文体で、1984年から1年にわたってイギリスを揺るがした炭鉱ストライキと政府との衝突が描かれてゆく。だが本来は主役のはずのストの現場にいる労働者たちの声は各章ごとに挿入する断片に押し込められ、ストの現場に立たない組合上層部や、ストを圧殺する政府側や、ただストをめぐる汚れ仕事に携わる犯罪者やスパイの物語が前面で描かれる。それなのに労働者たちの悲痛な声がもっとも強くエモーショナルに響くのは、著者の肉声のようなものがそこにこめられているからだろう。
文体などはエルロイ『アメリカン・タブロイド』に似るが、ポリティカル・ノワールとしての純度はこちらのほうが高いし、同じように即物的な文体を操りながら、エルロイのほうは暴力/酷薄として結実するのに、こちらでは呪詛/不吉の空気となるのは、『1977/リッパー』にはじまり、やがて『占領都市』に至るピース独自のノワールとオカルティズムの交錯ゆえ。悲鳴と呪詛を幾重にもミックスしたノイズによる交響楽とでもいうべき大作であり、テーマの特異性だけでもノワール史に名を残すべき作品だと思う。
話題作多数の8月だったが、えげつないまでにあざとい(褒めてます)一気読みサスペンス『ハウスメイド』をまんまと一気読みさせられてしまったことが印象に残った。何より怖いのは続編があるというところ。早く読んでみたい。
川出正樹
『眠れるアンナ・O』マシュー・ブレイク/池田真紀子訳
新潮文庫
ミステリ年度も終盤にさしかかり、各社が次々と自信作を投入してきた八月は、とりわけ油断のならない先読み不能のサスペンス・ミステリに恵まれた月だった。舞台を裕福な一家の豪邸にほぼ固定し、登場人物を家族三人プラス使用人二人と思い切って絞り込んだシンプルな設定の上で強烈な反転劇を決めるフリーダ・マクファデンの『ハウスメイド』(高橋知子訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)。バレエ団の元エトワールの墜落死を巡って、腹に一物背に荷物の三人――彼女の死に疑念を抱く遺された娘、真相究明のために娘に雇われた元刑事、そして鍵を握る人物――が、それぞれの目的遂行のために奔走する中で次々と意外な事実が明かされ、よもやの結末へと至るギヨーム・ミュッソの『アンジェリック』(吉田恒雄訳/集英社文庫)。舞台も長さも物語の広がりもまるで異なる二作なのだけれども、読後に”似た香り”を覚えた。それは、ままならない人生を送っている登場人物たちが、事態を打開するために一歩を踏み出す姿勢から醸し出される香りだ。正邪の違いはあれ、彼らは前を向いている。
甲乙つけがたい二作だけれども、今月は年間ベスト級の傑作に出会ってしまったのでこれを推さないわけにはいかない。マシュー・ブレイク『眠れるアンナ・O』(池田真紀子訳/新潮文庫)だ。親友二人が刺殺された現場付近で、血だらけの服を着てナイフを手にしたまま昏睡状態で発見されたアンナ。事件発生以来四年間一度も目覚めない彼女に対して刑事責任を問いたい司法省は、睡眠絡みの犯罪のスペシャリストである心理学者のベンに白羽の矢を立てる。生存放棄症候群に陥っているアンナを覚醒させるべく治療を開始するベン。だが極秘裏のはずの任務がネットに流出、事態は思わぬ展開を見せ始める。
四年前のアンナの事件と、その二十年前に起きた悲劇という二つの殺人事件に絡む謎を、ベンを中心に複数の視点を頻繁に切り替えて、短い章立てでスピーディーかつ多面的に解き明かしていく展開が実にスリリングだ。この二本の主筋に、事件が起きた年の年初から綴られたアンナの日記を随時挿入して、惨事へと至る経緯を読者にのみ開示する手法も効果的である。惨劇の収束をうかがわせるな巻頭のシーンから、思わず口をつぐんでしまう巻末の一行まで入念に構築された複雑精緻なプロット、先の読めない展開の中で繰り返される反転劇、そして公正に徹しつつ最後に放つ意外な真相に舌を巻く。アガサ・クリスティーに心酔し、〈最高のどんでん返しミステリ・ベスト5〉として、彼女の某有名作と並んで、ハーラン・コーベン『唇を閉ざせ』、S・J・ワトソン『わたしが眠りにつく前に』 等を上げる作者の次作が今から待ち遠しい。
吉野仁
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『ハウスメイド』フリーダ・マクファデン/高橋知子訳
ハヤカワ・ミステリ文庫
アメリカはもちろん世界じゅうで売れ続けている『ハウスメイド』がようやく邦訳され、期待をもって読みはじめた。前科持ちのミリーがどうにかある屋敷にメイドとして雇われたものの、言動がめちゃくちゃな妻ニーナに翻弄されるばかりか、やがて……という展開のドメスティック・スリラー。登場人物がわずか5人なのは、脳の海馬が小さなわたしにとってこの上なくありがたい。冒頭から『レベッカ』のごとき屋敷の不穏さ、後半から転調して勢いづくサスペンスなど、興奮を覚えてやまない期待どおりの面白さ。ちょっとひっかかる部分も残ったものの、すぐに次作を読みたくなった。これはふだん海外ものをあまり手に取らないミステリファンにも勧めやすく、とんでもない数の読者を獲得するのではないか。この『ハウスメイド』はフランスでも大ヒットしているが、かの国のベストセラー作家といえばギヨーム・ミュッソだ。最新邦訳『アンジェリック』は、パリ・オペラ座の元トップダンサーが自宅の6階から転落したが、その事件に疑問を抱いた17歳の娘が心臓に病を抱える元刑事に調査依頼を申し込むというところから始まる。めぐる因果は糸車という言葉を思いださせる作家ミュッソならではのミステリで、いくつもの謎が思いもよらない形で暴かれていく。そして訳者の吉田恒雄さんは本作が最後の仕事だといい、これまですばらしい作家や作品を読ませていただき感謝しかありません。思わぬ展開を見せるといえば、マシュー・ブレイク『眠れるアンナ・O』もまた大胆な設定を基にしたサスペンスだ。ふたりが刺殺された現場でナイフをにぎったまま昏睡状態にあった女性アンナは、それ以来4年間、眠りつづけていた。そこで睡眠専門の犯罪心理学者が彼女を目覚めさせるべく任務につく。前半アンナが眠ったままのときは話も彼女のまわりで眠ったままうろうろしてたのが、後半そんなアンナが目覚めてからオーっと驚かせてゆくのだから、たまらない。ジェイムズ・リー・バーク『磔の地』は、作者の代表作ロビショー・シリーズで、CWAゴールド・ダガーを受賞した第10作(1998年作)だ。前年発表の第9作『シマロン・ローズ』が第3作『ブラック・チェリー・ブルース』につづき二度目のMWA最優秀長篇賞を受賞しているので、英米での評価は当時きわめて高かったわけだ。しかし日本では人気や売れ行きがいまひとつなのか中途半端な紹介しかされず版元が変わったあとシリーズ邦訳も中断されていた。それがことし陽の目を見るとは感慨深い。アメリカ南部の情景や風土を濃密な文体で描きつつ、犯罪の向こうに連なる悲劇の源へと向かう物語で、あらためてシリーズ第1作から読みかえしたくなった。こちらも2004年とだいぶ以前に発表された作品がこのたび邦訳されたもので、デイヴィッド・ピース『GB84』は、サッチャー政権時の1984年の英国における炭坑労働運動のはじまりからおわりまでの一年を追う物語であり、ピースならではの文体による潜入わるだくみものでもある。当時、新自由主義サッチャリズムによって民営化、規制緩和、労働組合弱体化などが行われ混乱していたわけだが、このころの英国ミステリでは、あからさまにサッチャーへの罵詈雑言を作中に埋めんこんだものが何作もあったことを思いだす。この小説でもその憎悪が伝わってくる描き方、とくに黒字に白文字改行なしの文でみっしり挿入される組合員のパートが息苦しい気分を覚えるまでの迫力を感じた。がらっと変わってクリス・チブナル『ホワイトハートの殺人』は、村のパブの店主が裸でしばられ、頭に牡鹿の枝角がくくりつけられ死んでいた事件を扱ったミステリ。日本の奈良で起きていたら「せんとくん殺人」と呼ばれただろうがここは英国南西部の海辺の村だ。パブの名はホワイトハートだがあれこれとレッドヘリングが凝っている。最後はアメリカの青春ミステリで、アンジェライン・ブーリー『真実に捧げる祈り』は、先住民族オジブワ族の父と白人の母をもつ18歳のドナスがヒロインをつとめるエドガー賞YA部門受賞作だ。じつは冒頭からしばらくして明かされる、ある人物の正体が突飛に思えてフリーズしてしまった(著者あとがきによると実話をもとに設定したようだ)が、それはともあれ本作の読みどころは、先住民族の娘が語り手をつとめ、彼女の日常やロマンスおよび家族との関係、そして先住民コミュニティが抱える問題を描いたことにあるのだろう。映像化も決まっているとあるので、ぜひそちらも見てみたい。
酒井貞道
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『ハウスメイド』フリーダ・マクファデン/高橋知子訳
ハヤカワ・ミステリ文庫
今月は『眠れるアンナ・O』や『アンジェリック』といった、読者を驚かせようと全力を傾けた作品が複数出た。この『ハウスメイド』は、それらの中でも、スリラー/サスペンスとして実にストレートな手法を用いて、驚きを醸成してくれる。プロットと真相自体が複雑な様相を呈する『眠れるアンナ・O』、読者の驚きをストーリーのトンデモ展開炸裂によってもたらす『アンジェリック』に比して、ミステリとしての結構事態は真っ当な本書が、個人的には一番刺さりました。でもまあこれは完全に好みの問題かなと思います。いずれも等しく素晴らしい。住み込みのメイドとして雇われた主人公が、親子三人暮らしの裕福な一家の影の部分に振り回される様が、実にリアルにしかし読みやすくサスペンスフルに描き込まれていく。そして半分以上読み進んだ時、我々は世界の反転に直面するのである。しかもその先にも、ミステリ的な伏線に裏打ちされた急展開が用意されている。つまり読者は特に後半で、意外な展開に振り回されっぱなしになるのだ。その快感と来たら! なお場合によってはそれ以上に評価したいのが、作者のストーリーテリングの上手さである。スリラー/サスペンスとしてはシンプルと言えなくもないこの物語は、実に五百ページを超えるにもかかわらず、一向に間延びを感じさせないのだ。私は普通、こういう話なら三百ページ台であって欲しいと思うのですが、『ハウスメイド』に書き過ぎの感は一切ありませんでした。全ての場面、全ての台詞、全ての独白が必要にして十分です。分厚めのストレートなミステリで、こういうのは実はなかなかないのです。なお本書はなんとシリーズ化されているらしい。この物語の後に一体どういう物語があり得るのか、いやあり得ること自体は不思議ではないが、第二作以降では、第一作である本書の真相の方向性を思いっきりばらすような粗筋紹介にならざるを得ないのではないか。ということで、シリーズは訳出を続けていただきたい。
杉江松恋
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『磔の地』ジェイムズ・リー・バーク/吉野弘人訳
新潮文庫
南部の作家ジェイムズ・リー・バーク、昨年刊行された『破れざる旗の下に』に続きまた翻訳が出た。バークは過去に二度、『ブラック・チェリー・ブルース』と『シマロン・ローズ』でアメリカ探偵作家クラブの最優秀長篇賞を受賞しており、英国推理作家協会のゴールド・ダガーをこの『磔の地』で獲得していた。メジャーな受賞作品で残っていたものが、ようやく訳出されたことになる。
本作は『ブラック・チェリー・ブルース』に始まるデイブ・ロビショー・シリーズの第10長篇にあたる。ロビショーは警察官だったり、辞めてしまったり、復職したりと経歴の変遷が結構賑やかな人物だが、本作では保安官事務所の刑事としてまた現場に復帰している。そのロビショーが面識のある写真家から、刑務所で服役者に対する虐待が横行しているという告発を受けることから始まる物語だ。バークの作品は直線的ではなく、面で進行していくような要素がある。視点人物が見聞した事実によって話がつながれていくのが一般的な一人称私立探偵小説の作法だが、そこに収まらないものがあるのだ。ごく単純に言うと、風土を描かなければならないという意志が作家に強固なのだと思う。暴力がごく当たり前に行使されてきた歴史がこの地にはあり、それは現代的な遵法精神や倫理観によって上書きされることなく、根強く残っている。そうした風土の気配を描かずに、その上に立つ人々を動かすことは不可能だという判断だろう。
ゆえにバークは一人称私立探偵小説の定型からはみ出さざるを得ない。ロビショーがその場にいない暴力場面が一人称描写にカットインされることが多々あるのである。これを視点の不統一とすべきではない。そうした混沌の状況と切り結ぶのに必要なものとしてバークはこの文体を選択している。
犯罪小説の中でも一人称私立探偵小説は、視点固定という形で個人と社会の関係を描くという主題を徹底させた。その形式を用いつつ、やはり社会全体を描かなければならないという意志を優先したバークのありように、本作を読んで改めて私は関心を覚えた。また、ここで描かれている犯罪は、ドナルド・トランプが二度目の政権を獲って以降、分断と孤立がますます進んでいるアメリカ合衆国の空気に通底するものがある。1998年の刊行当時ではなく、2025年に翻訳されたことに運命的なものを感じる。今こそ読まれるべき作品なのだ。
抜群のリーダビリティを誇るベストセラーに票が集中した感があります。しかし他にも個性あふれる作品が目白押し。このミス年度の〆となる9月末まで、この勢いは止まらないのでしょうか。来月をお楽しみに。(杉)
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