スリム・ゲイラードという人物をご存じだろうか?
1930年代から1970年代にかけて活躍したキューバ出身のシンガーで、ヴィブラフォン奏者であり、ギタリストであり、ピアニストでもあるという、マルチの才能に恵まれた黒人のジャズ・アーティスト。しかもタップダンスの名手でもあった。
ミュージシャンになる以前には、ボクシングのライト・へヴィ級チャンピオンだったり、ギャングの下っ端として運転手を務めていたりと、その経歴もユニークだ。ミュージシャンとしてもこの人、かなりの変わり種で、手のひらを上(天井側)に向けた形でピアノを弾いたりする。そう、つまり爪の側で鍵盤を叩くということです。興が乗れば足でも鍵盤を叩いちゃう。
本人も告白しているように、演奏スタイルはジャズ・ピアニストのファッツ・ウォラーに影響を受けているとのことですが、生真面目なジャズではなく、グッド・オル・デイズのゴキゲンなジャズと言ったらいいだろうか。大道芸を思わせる、まさにエンターテイナーなのでした。となると、ついつい頭のなかで比べてしまうのは、インプロヴィゼーションの主旋律部分と伴奏とを1本(もしくは1度に2本)のギターでこなしてしまうスタンリー・ジョーダンとかかなあ。彼の場合はよりシリアスなジャズではあるけれど。
さて、そんな知る人ぞ知るというか、いやどちらかというと、かなりマニアックな存在であるスリム・ゲイラードの名前が、まさか小説に登場するとは思ってもいなかったのだけれど、それも意外な作品で見つけることになった。それが、期待の英国人作家ニック・ハーカウェイの大部な問題作『エンジェルメイカー(Angelmaker)』(2012年)なのである。
近未来エンターテインメントの傑作『世界が終わってしまったあとの世界で(The Wages of Gonzo Lubitsch)』(2008年)でデビュー。ハーカウェイは、作品にたいする評価も高いが、スパイ小説の神様ジョン・ル・カレの子息であることで話題になった作家である。
二世作家としてよく引き合いに出される、モダンホラー界の巨匠スティーヴン・キングの子息ジョー・ヒルなんかは、『NOS4A2—ノスフェラトゥ—(NOS4A2)』(2013年)に至って、偉大なる父親の作風を意識して避けてきたことを認め、ようやくこの作品で父と同じ土俵で勝負できたのだというが、ル・カレとハーカウェイの作風はまったく異なると言っていいだろう。プロフィール写真などを見るとたしかにル・カレの面影があるんだけどね。
そんなハーカウェイの長篇第2作となる『エンジェルメイカー』は、世界を平和へ導く、あるいは世界を滅亡させる、とある「装置」と、それを作動させる鍵となる謎の「本」をめぐる、ユニークな知的冒険エンターテインメントとでもいうべき大作。
主人公は、時計じかけの修理を専門とする機械職人のジョー。やはり職人だった祖父ダニエルと名うてのギャングだった父マシューを持つという、少々変わった血筋だ。父への反動から平凡な職人としての日々を送るジョーだったが、イーディーという老夫人からの無意味な修理仕事をきっかけに、彼のもとに祖父から何か遺産として譲られていないかを探って、謎めいた男たちが続々と訪ねてくる。唯一心あたりのある案件が、彼のもとに友人である葬儀屋ビリーから寄せられた修理の仕事だった。
精密に加工された「本」のような働きを持つ、ビリー曰く「変てこりん」なるものを修理してほしいのだという。修復にのぞんだジョーは、その信じがたい精密さに憑かれたように修理に没頭してしまい、その修復品を持って依頼人である謎の隠者テッドのもとを訪れることに。その「本」を依頼人に引き渡した結果、忽然と精密な黄金製の蜜蜂たちが無数に空へと飛び立っていった。その行為が世界の命運を握る、とある装置を作動させることにつながっていたのだ。直後、ビリーは何者かに殺害されてしまい、それが「本」の修復に深く関わっていると知ったジョーは、自分の身にも危険が迫っていることに気づき、父の知人たちの助けを借りて徐々に事件の真相を知り始める。
一方、ジョーの物語と並行して、いまや老嬢となったかつての少女スパイ、イーディーの過去と現在の物語も描かれていく。イーディーの物語は、この謎めいた事件が、ジョーの祖父とフランス人女性の天才科学者フランキーに、そして父マシューにも自分にも深く関わりのあることだということを読者に知らしめることになる。
第二次大戦直後に開発された最終兵器をめぐって、最悪最凶の敵役シェム・シェム・ツィエン、連続殺人鬼ヴォーン、その手下と化してしまうラスキン主義者たち、政府の〈遺産委員会〉、〈夜の市場〉の元犯罪者たち——それはもう複雑な人間関係がからみにからんでくる壮大な物語。言いきってしまうと、トンデモ・ミステリーの一種なんだろうけど、謎めいた陰謀が繙かれていくなんとも言えない高揚感と全篇にふりかけられたユーモアのスパイスとが、物語の希薄な部分や曖昧な部分をみごとにコーティングしてくれていて、些末なことが気にならなくなる面白さ。宝探し、暗号、追跡劇、監禁、拷問、脱出、大乱闘と、冒険小説の大切な要素を詰め込んだ、まるで大きな玩具箱のような小説なのである。
物語の結構はともかくとして、人間ドラマの部分も読みどころがある。
ただ軽薄に感じられていた友人ビリーの人柄の印象も、彼のペントハウスに足を踏み入れたジョーが、頭ではすでに友の死を確信していながらも否定しつつ、一歩一歩その死体発見の瞬間へと近づいていく様子を彼の独白のみで描く。その手法によって、ビリーの人物像をより人間味のあるものへと変容させていく。キャラクターに厚みを加えていくことに成功しているのだ。また、実直な祖父への信頼と、犯罪者だった父への反発心。そしてそれとは相反して主人公が抱く二人への愛情。この描き方もいい。物語後半部では、祖父と父との確執にも隠された事実が明らかになるのだが。
前述のイーディーだけでなく、ジョーの精神的支柱となるポリー、その兄である辣腕弁護士マーサー、工芸化学政策財団の理事ボブと資料室長セシリーなど、ジョーにかかわる人々の人物造形のみごとなこと。誰ひとりとして、おろそかに描かれていない。
作中、一癖も二癖もある連中が急に接触してきたことに神経症的に不安を抱いたジョーは、倉庫にしまってある祖父の「ジャズ・コレクション」(親しい人間からは祖父はジャズ嫌いと聞いている)から、1枚のレコードを引き抜いてくるのだが、そこにはジャズ音楽なんかではなく、どこか聞き覚えのある異国の言葉で話す女性の声がレコーディングされていた。ピンときた方もいらっしゃると思う。まさに、この中身のすり替わっているレコードのジャケットというのが、スリム・ゲイラードのものだった。「祖父の嫌いなジャズ・コレクション」には、他にもデューク・エリントンや、カウント・ベイシー楽団のテナー・サックス奏者エディー・ロックジョー・デイヴィスらのレコードもある模様。
本作は、実際にはさほど音楽に彩られてはいないのだが、要所要所での言及がやけに印象的。たとえばジョーの母親ハリエットは、かつてはロンドン一の歌手だったという設定。リーナ・サヴァローニのヒット曲「ママ恋かしら(“Ma, He’s Making Eyes At Me”)」(1973年)が、十八番の歌として具体的に挙げられている。さらには、ついにジョーが覚醒して対決を決意する後半(あまり詳しく書けませんが)、父がジョーに譲り渡すつもりでいたトミー・ガン(機関銃)は、トロンボーンのケースに収められて登場する。ギャング時代の息吹を伝える、なんとも心憎い洒落っ気だ。
余談だけれど、父君ル・カレの作品にポピュラー音楽が登場した記憶というのは、とくに強くは残っていない。『ミッション・ソング(The Mission Song)』(2006年)や『誰よりも狙われた男(A Most Wanted Man)』(2008年)といった比較的最近の作品だと、聖歌やクラシック音楽などに言及されるくらいか。とはいえ、前述のスリムにしても、サヴァローニにしても、古い時代に流行した楽曲だということから、ハーカウェイが幼少時に家庭で聴かされていた音楽であるとも考えられる。ひょっとしたらル・カレの趣味だったりして。
先に、ル・カレとハーカウェイの作風がまったく異なると書いたが、このところのル・カレが執拗に描き続けているのは、巨悪(国家であれ組織であれ)へ挑む個人というテーマ。たとえ結構は玩具箱だとしてもハーカウェイも描くテーマは同じように思えてきた。ただし、ル・カレはあくまで個人で挑み潰えていく孤高の魂の清廉さを達観した視線で描き、若さゆえかハーカウェイは、あくまでそこに正義の正統性を、そして人は孤独ではないという希望と未来を描こうとしているようだ。それを父へのメッセージととるのは、あまりにうがった読み方だろうか。
それはそうと、スリム・ゲイラード自身の話題に戻ろう。ニューヨークへと移り住んだキャリアの最初期に、スリムはベーシストのリロイ・スチュワートと出会い意気投合。スリム&スラムというコンビを結成してレコーディングしたナンバー「フラット・フット・フルージー(Flat Foot Floogie)」が大ヒットを記録する。コンビはその後、スタンリー・キューブリックにも多大な影響を与えたとされる、オール・オルセン&シック・ジョンソン作のミュージカル喜劇を映画化した「ヘルザポッピン(Hellzapoppin’)」(1941年)に出演し、そこでも楽しさ満載の演奏を聴かせている。
たとえば1959年発表のアルバム代表作『Slim Gaillard Rides Again』収録の「Sukiyaki Cha Cha」なんかは、日本語の響きの面白さだけで作っちゃいました感たっぷりのナンバー。いかにも、大道芸人然としたスリムのエンターテイナーぶりがうかがえる。
じつは、スリム・ゲイラードの実娘ジャニス・ハンターは、ソウル界の伝説マーヴィン・ゲイのかつての妻だった。つまり、歌手でモデルでもあるノナ・ゲイと、マーヴィンの実弟でシンガーのフランキー・ゲイから名前をもらったフランキー・クリスチャン・ゲイの実母ということになる。
*当連載の前回・第21回「レヴィンの雨の中に立ち」で、イアン・ランキン作『他人の墓の中に立ち』の内容紹介の一部に「北アイルランドの町と歴史がからんだ暗鬱な背景」と誤った記述がありました。
もちろん、正しくは「スコットランドの町と歴史〜」。Twitterでの書き込みで当コラムを読んでくださった方(“ニヤリ本舗”さん)から御指摘があったとのこと。ありがとうございます。失礼をいたしました。
◆YouTube音源
“Slim Gaillard Performance” by Slim Gaillard
*いつ頃のかも不明ながら、スリム・ゲイラードのユニークな演奏ぶりが伝わる。
“Stairway to the Heaven” by Stanley Jordan
*たった一人でレッド・ツェッペリンの「天国への階段」を弾きまくる、ジャズ・ギタリスト、スタンリー・ジョーダンの超絶プレイ。
“Ma, He’s Making Eyes At Me” by Lena Savaroni
*母ハリエットがよく歌っていたとされるリーナ・サヴァローニのヒット曲「ママ恋かしら」。
“The Flat Foot Floogie” by Slim & Slam
*スリム&スラムの大ヒット曲「フラット・フット・フージー」。
◆CD
『Slim Gaillard Rides Again』Slim Gaillard
*1959年発表のスリム・ゲイラード後期アルバム代表作の1枚
『Groove Juice Special』Slim & Slam
*大ヒット曲「フラット・フット・フージー」を含むスリム&スラムのベスト盤
◆DVD
映画「ヘルザポッピン」
*作中でスリム&スラムが弾き始めたベースとピアノをきっかけに黒人の使用人たちが演奏しまくり踊りまくる圧巻の場面がある。
佐竹 裕(さたけ ゆう) |
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1962年生まれ。海外文芸編集を経て、コラムニスト、書評子に。過去に、幻冬舎「ポンツーン」、集英社インターナショナル「PLAYBOY日本版」、集英社「小説すばる」等で、書評コラム連載。「エスクァイア日本版」にて翻訳・海外文化関係コラム執筆等。別名で音楽コラムなども。 直近の文庫解説は『リミックス』藤田宜永(徳間文庫)。 昨年末、千代田区生涯学習教養講座にて小説創作講座の講師を務めました。 好きな色は断然、黒(ノワール)。洗濯物も、ほぼ黒色。 |