8月13日に中国で『宅女偵探桂香』(オタク探偵桂香)の映画が公開されました。これは2012年に台湾で出版された同名小説を映画化したもので、原作から多くの改編が加えられています。

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 原作では外国語学校で働く映画好きの女性・桂香が失恋の傷を引きずりながら学校内で起きた窃盗事件を解決し、その洞察力を買われて老婦人からある整形外科医の妻殺し疑惑の調査を依頼されるという話こそミステリ仕立てであり彼女が過去に見た映画をもとに事件のヒントを探すという構成は面白いのですが、肝になっているのは調査の中で人々との触れ合いを通じて桂香がどのように失恋から立ち直っていくのかという彼女の成長です。

対して映画はというと桂香の天才性とコミュニケーション能力不足が強調されていて、事件に対して積極的に首を突っ込み、捜査を担当する刑事と何度も衝突し、更に職業も外国語教師から漫画家に替えられていて『宅女感』(オタク感)が出され、キャラクター設定自体が大幅に変えられています。そして映画にはカーチェイスやラブストーリー要素なども追加されていて大衆的になりましたが、知り合いやネットの評価を見ると映画の出来はあまり良くないようなので、日本での上映はまずないでしょう。

 しかしこの映画は中国の今夏一押しであるようで私が住んでいる北京の街にはあちこちにポスターが貼られていて、そのポスターには『女人天生是偵探』(女は生まれながら探偵)『女人皆偵探』(女は皆探偵)というキャッチコピーが付けられています。

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 前置きが長くなりましたが今回は『宅女偵探桂香』の公開にあやかって、女性探偵が出てくる中国ミステリをいくつか紹介したいと思います。

鬼馬星 莫蘭シリーズ

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 中国のアガサ・クリスティと称される作家・鬼馬星の代表的なシリーズがこの『莫蘭シリーズ』です。毎回難事件に巻き込まれる女性フリーライターの莫蘭が刑事の高競とともに調査を進めるという展開ですが、この二人の恋愛を含めたドロドロした人間関係もシリーズの魅力の一つです。

 例えば『葬礼之後的葬礼』(葬儀の後の葬儀)は自殺とも他殺とも取れる毒死を迎えたある有名女優の葬儀の席で新たな毒死事件が起き、そこからその女優の生前の醜悪な男女関係が明らかになっていきますが、莫蘭と高競のプライベートに次々と人間関係上の問題が発生してなかなか調査が進展せず非常にもどかしい運びになっています。

 このシリーズの過去話として15歳の少女だった莫蘭と当時20歳だった高競が活躍する『少女莫蘭シリーズ』もあります。

言? 夫婦探偵沈諭と言?シリーズ

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 探偵事務所を経営する言?とその妻の沈諭の名実ともにコンビの夫婦探偵が登場するのがこのシリーズです。とは言え夫の言?が助手の役目を担っており、事件の大半は沈諭が解決してしまいます。

 短篇集『1Q84的空気蛹』には歌手の盗作問題やファン心理、閉塞的な学校にいる教師と生徒の上下関係など凝った設定でストーリーが補強されていますが、短編で描かれる事件のいずれにも謎の犯罪組織の関係を臭わせており、やや突飛な展開が気になりました。ちなみに表題作『1Q84的空気蛹』は作者が敬愛する村上春樹の世界観を踏襲しています。

 もうお分かりでしょうが作者と助手の名前が同じです。作中の沈諭は美人ですが乱暴な性格で、言?が他の女性と話そうものならヒステリックに怒ります。実際の言?の妻がどういう性格かわかりませんが、作中での彼らのやりとりがまるで作家が同人誌やSSで好きなキャラクターと語り合っているような感じがして、読者として読んでいて恥ずかしい気持ちにさせられます。

午曄 罪悪天使シリーズ

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 本シリーズは2001年からネット上で発表され、現在も中国のミステリ専門誌『推理』に定期的に掲載されています。本職は喫茶店の店長、しかし豊富な知識があり腕も立つというワケありの女性探偵・黎希頴が毎回刑事の秦思偉に捜査協力に駆り出されて、断片的な情報を頼りに犯人を導き出すという正統派のミステリです。

作者の午曄は大学で教鞭をとっており、作品には彼女の専門分野である理工学や武器、ネット技術などの知識を背景にしており、更に趣味である宝石やコーヒーなどのトリビアも盛り込まれていて作品に厚みをもたせています。トリックよりも情緒的な描写に大変優れており、予想にもしない犯人の動機もそつなく書いています。

 ところで午曄はかつて主人公と同じ名前の『黎希頴』というペンネームを名乗っていました。要するに前述の言?と同じなのですが、作家自身を主人公にすると受動的なキャラクターになるのでしょうか。

燕南飛 凡一 首席酷警探シリーズ

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 日本の岡嶋二人のように燕南飛凡一のコンビで執筆されている本シリーズは2名の警察官が主人公になっています。

 第一作目の『遺骨檔案620』(遺骨ファイル620)では名探偵と謳われていましたがある事件がきっかけで第一線から退いた警察官の陸凡一と、彼と同じ捜査チームになった『女ホームズ』と称される欧陽嘉の2人が連続猟奇殺人事件に立ち向かう、という話なのですが2人は協力するどころかライバル関係となりお互い『こんなに頭がいいのだからこいつが犯人に違いない』という意見に達して、相手こそが真犯人であるという推理を披露して捜査チームを混乱させます。欧陽嘉は決して陸凡一の助手ポジションにはならないのですが、別作品では間違った推理で陸凡一を冤罪に追い込むなど結構厄介者の役割を負わされています。

 さて、余談ですが私個人は探偵といえば私人に限ると思うのですが、中国ミステリではこの2人のように警察官なのに名探偵のあだ名を持つ公人が珍しくありません。探偵という職業が公には禁止されている中国ならではの事情かもしれません。

早安夏天 超級学園探案密碼

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『意林 軽文庫』(意林 ライトノベル文庫)から出ているライトノベルのミステリ小説です。作者の早安夏天は、他にも『推理筆記』(ミステリノート)などの年齢が低めの読者層を対象にしたミステリやサスペンスホラーなどを出しています。

 校内に勝手に『福爾摩桑偵探社』(ホームズさん探偵社)という探偵クラブを作り、喧嘩など様々な問題を起こしている不良少女で自称『名探偵』の頼小桑のもとにどこから見ても美少女にしか見えないいわゆる『男の娘』の陽簡安が奇妙な依頼を持ってきます。それは預言により死が運命づけられている大金持ちを犯人から守るという内容で、預言者曰くそれができるのは頼小桑しかいないということでした。暴力美少女探偵と男の娘という組み合わせや超常現象、そして人気コミックのパロディという読者の目を引く要素を取り入れているだけではなく、ちゃんと推理で解き明かせる死体消失トリックもあり、そこまでふざけた内容にはなっていません。

 このような女の子が主人公のライトノベルミステリは中国には他にもたくさんあり、低年齢のうちからミステリを学ぶ機会に恵まれています。

 探偵が女性の場合、マイペースな探偵とそれに振り回される助手という図式が、強気な女性に引きずられる男性というカップルに当てはまりますが、喧嘩では常に女性が優勢の中国ではこの組み合わせが非常にしっくりきます。

『宅女偵探桂香』の映画の公開によって今後は更に強くなった女性探偵が生まれそうですが、恋愛要素も強くなってしまいそうで、ならば探偵も刑事も女性という組み合わせも主流の一つになるのではと期待してしまいます。

阿井 幸作(あい こうさく)

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中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。

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現代華文推理系列 第一集

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